18-2

 昨日捕まらなかったのはなんだったんだ、というくらいあっさりと捕まえられたマギサを連れて、シバは兄貴分の家へと赴いた。


 シバやマギサでは到底住めないような高級マンションのワンフロアが兄貴分のヤサのひとつである。


 兄貴分に電話を繋げ、言われるがままエレベーターでフロアを目指す。


 足を踏み入れた部屋の廊下の先――清潔感のある洒落た、広いリビングのダイニングテーブルの上に、どことなく古ぼけた印象の、黄緑色のクマのぬいぐるみが置かれていた。


 そのぬいぐるみは昨夜、シバが自宅のローテーブルの上に置いたものと寸分違わず同じものである。


 よれた布地、古ぼけた色合い、ぺちゃんこになりかけている中の綿――そういったディティールすべてがシバの記憶の中にあるぬいぐるみと同じであったから、自然と同じものなのだろうと納得できる。


 無論、兄貴分が面白半分にシバの自宅へ侵入し、ぬいぐるみを持ち去った可能性は、あるだろう。


 できるかできないかと問われれば、できるだろうが、しかしシバの兄貴分はそんな手間のかかることはしないタチだ。


 ガハハという豪快な笑い方をするとおりに、良くも悪くもシバの兄貴分には大雑把な性格をしている。


 となればそんなしち面倒なことはしないとシバには断言できた。


「よう、久しぶりだな~嬢ちゃん。わざわざすまんな」

「こんにちは! そうですね、顔を合わせるのは久しぶりですね。それで……コレは食べてもいいんですか?」


 マギサは自らが呼ばれた理由を正しく理解しているようだ。


 そしてシバは目の前にある一見古ぼけただけのぬいぐるみが、「怪異」であるのだという確信が持てた。


 となればあとはマギサが「怪異それ」を食べて終わりである。


 しかし兄貴分は眉を下げてそれに「待った」をかけた。


 シバとマギサが不思議そうな視線を送れば、兄貴分は困ったように頬を掻く。


「まあ……なんつーか。心当たり、みたいなものを思い出しちまってよ」

「心当たり?」

「おう。……嬢ちゃんは、その、のか?」


 マギサは少しだけ間をあけてから、


「ものによります」


 とだけ答える。


 無難で慎重な答えだな、とシバは思った。


 それから続いてマギサはこう言った。


「このぬいぐるみからは……ちょっとだけ、子供のにおいがします」


 シバからするとマギサの回答は意外半分、納得半分といったところだ。


 というのもこのぬいぐるみ、シバがネットで調べられた範囲では、とある漫画に登場するマスコットキャラクターらしいのだ。


 わかったのは製造元や、それがクレーンゲーム限定の景品になっていたことくらいである。


 元となった漫画のターゲット層やファン層は二〇代から三〇代ごろが中心らしく、ゆえに子供が持っていたというところでシバは意外半分となったわけである。


 納得半分は、ゲームセンターに置いてあるようなクレーンゲームの景品であれば、子供が取ったか、取ったものをもらったという流れは、十二分に想像できたからだ。


 兄貴分はマギサの返答を聞いて、「そうか」とだけ言い、ダイニングテーブルの上に置かれたぬいぐるみを手に取る。


「……ちょっと前に付き合ってた女によう、子供ガキがいてよう……このぬいぐるみはたぶんそいつにあげたもんだと思うんだわ」


 シバは、ここから先、兄貴分が語る言葉を察してしまった。


「……昨日思い出して、気になって女が勤めてたところに聞いたら、俺と別れたあとにしょっぴかれててな。なんでも新しく出来た男と、子供ガキを殺しちまったらしくってな」


 兄貴分はさっぱりとした声で「ま、珍しくもない話だわな」と言った。


 兄貴分だってこんな世界にどっぷりと身を置いているのだから、その手の話など耳が腐るほど聞いてきたことだろう。


 あるいは、兄貴分自身が当事者だった可能性だってある。


 たまたま、偶然、運がよかったから――だから、兄貴分もシバも今生きているだけで、なにか違えばここには立っていないのも別に驚くべきことではない。


「どうしますか?」


 マギサの腹がきゅうと鳴いたのを聞いて、シバは少しあわてて兄貴分にそう問うた。


 マギサの糸目がじっと兄貴分の手の中にあるぬいぐるみへとそそがれている。


 それはもう熱い視線が。


 兄貴分もマギサの「趣味」については関知していたから、そんな視線をそそがれて苦笑した様子である。


「呼んでおいて悪いんだけどよう。これは俺の手で供養しとくわ」

「わかりました。……おいマギサ、食うなよ?」

「え~?」

「『え~?』じゃない」


 マギサの腹がまた鳴った。


「悪いな嬢ちゃん。ぬいぐるみのについて嬢ちゃんに聞いておきたくってよ。嬢ちゃんの腹の足しになるかはわからねえが……まあこれでなんか食ってきな」

「う~ん」

「『う~ん』じゃない。受け取れ。『怪異』のほうはあとで……なんか心霊スポットにでも連れて行ってやるから」


 マギサが渋々といった様子だったので、シバはあせってそんなことを口走ってしまう。


 もちろん聞き逃されることはなく、マギサは「やったー!」と喜び、兄貴分がどこか微笑ましげな目で見ていることに気づいたシバは、苦虫を噛み潰したかのような顔をしたくなったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る