15
シバの中では、運び屋なんてものはもっと下っ端のさらに下っ端がやるどころか、アウトソーシングするもの――要は、いつでもトカゲのしっぽ切りができるような組織外の人間を使うもの――だという認識であった。
しかしどういうことか、シバに運び屋の仕事が回ってきた。
これは信頼できるやつにしか頼めない仕事だ――と兄貴分に言い含められたものの、そのていどの言葉で踊らせられるほど、シバは単純な性格ではなかった。
疑り深く、面倒くさい性格とも言う。
とにかくシバが渋々、イヤイヤながらその運び屋の仕事を受けたことには、間違いがない。
運ぶ荷は銀色のアタッシュケース……ではなく、底の広い、でかくて重い茶色の、旅行に使うようなバッグだった。
無論、中身がなにか聞くほどシバはバカではなかったし、中身をその目で確認するほどアホウでもなかったので、なにを運ばされているのかはさっぱりである。
シバは渋々、イヤイヤながら重いバッグを肩にかけて、いつになく心配そうな顔をした兄貴分に見送られて事務所を発った。
兄貴分には、そんな顔をするくらいなら代わってくれよと思ったりもしたが、そんなことを言い出せるほどシバは偉くない。
シバの兄貴分はさして賢くはないが、イマドキのヤクザものにしては血が通っているほうで、だからこそああいう顔でシバを送り出しはしたのだろう。
ということは、彼はバッグの中身がなんなのか知っているか、ほどほどに正確に、察しているに違いなかった。
バッグは客船が停泊するような大きな港ではなく、そこからちょっと離れた、山の陰になっているような小さな港で渡すことになっている。
シバはスマートフォンのマップに立てたピンを見つめる。
サラダボウル・シティには土地勘があるほうだが、その小さな港がある方面はあまり近づかないのでスマートフォンに表示されたマップが頼りだ。
ちょっと行って、ぱっと渡して、さっと帰ってくればいい――。
……そう、思っていたのだが。
「クソが」
シバは悪態をついてスマートフォンの画面をにらみつけた。
マップにはシバの現在地と目的地のピン、そしてその二点を繋ぐルートが表示されている。
問題は、そのルートが明らかにガクガクと左右にブレるのを繰り返していることだ。
スマートフォンの不調でも、アプリ側の不調でもないらしいことに、シバは薄々気づいていた。
ピンもピンで、何度目的地を刺して設定しても、いつのまにか外れて別の場所に再設定されているという始末。
シバはあきらめてマップのスクリーンショットを取ると、マップアプリを勢い余ってタスクキルまでした。
「クソが」
仕方なく、アルバムアプリに表示されたマップのスクリーンショットを見ながら歩を進める。
律儀なシバは歩きスマホをせずに、歩いては止まり、マップのスクリーンショットを確認することを繰り返した。
マップのスクリーンショットを表示させた状態でスマートフォンをスリープさせれば、復帰させたときに表示されるのはそのスクリーンショットか、そうでなければホーム画面になるだろう。
しかしどういうことか、スリープから復帰させるとまったく見知らぬ写真が表示される。
全体的に茶色く、土壁で出来てるんじゃないかと察せられる家々が写る、貧しそうな村の風景。
そんな写真がいつのまにかシバのスマートフォンのアルバムアプリに追加されているのだ。
「クソ……」
「このクソ重てえバッグの中身、ガキの死体でも入ってるんじゃねえだろうな?」……そんな思いがシバの脳裏をよぎる。
しかし子供の死体をわざわざ組織の下っ端と言えど、正式な構成員であるシバに運ばせる理由はまったく思い当たらず、くだらない空想だと切って捨てた。
それでもあの貧村らしき写真が、シバの頭の中をぐるぐると回って離れない。
ああいうところでは人身売買だのなんだのは珍しくないだろう。
勝手な決めつけという自覚はあったが、ならばオレのスマホに勝手に写真を追加するなよ――とシバはだれに向けるでもなく、心の中でつぶやく。
「――クソが!」
マップに表示された、目的地までの正規ルートを頭の中にできるだけ叩き込み、シバは再び歩き出す。
しかし今度は靴の裏にガムでもくっついているかのような、不快な感覚がシバを襲う。
だが何度スニーカーの靴底を確認しても、ガムだとか、なにか粘着性のある物体は付着していないのであった。
何度も靴の裏を確認して、とうとうイラ立ちがピークに達したとき――ゴーッという音と共に、シバのすぐ目の前でトラックが事故を起こした。
シバの右手側にあった店舗へ、運転席にだれもいないトラックが突っ込んだのだ。
無論、店からは店長らしき中年男性が飛び出してきて、トラックの運転手らしき男も駆けつけてきての大騒ぎになる。
シバは目と鼻の先で起こった事故を見て、舌打ちをした。
目撃者として足止めを食らうのはゴメンだと、早足でその場を立ち去る。
肩にかけた茶色いバッグは、依然として、重い。
もうこのままどこかにバッグを捨てたいくらいには、シバはこのお役目に対するモチベーションが低下していた。
けれども兄貴分を経由しての頼みだ。
妙なところで律儀さを発揮するシバが、バッグをどこかに捨てるなんてことはできない。
それでも今すぐこの仕事をやめられるならばやめたい、というのが本音だった。
「シバ~」
シバが――靴裏にガムがくっついているような感覚ゆえ――歩くのもイヤになってきたところで、道路脇に一台の車が停まった。
顔を見るまでもなく、その気の抜けた声でだれかわかった。
というか、シバにこんなにも親しげに声をかけてくる人間は、マギサ以外にいない。
「……あ?」
「送ってくよ!」
「ハア?」
「乗って乗って!」
「ハアア? ……なんで」
「だって私たち――友達じゃん?」
「……ハア……」
シバはいつも通り過ぎるマギサに若干イヤになりつつも、さりとてこのまま徒歩で目的地の港に向かうのもイヤだったので、そのふたつを天秤にかけて結局マギサの運転する車に乗ることにした。
シバが後部座席に乗ったのを見て、「しゅっぱ~つ」と機嫌よく言い放ったマギサがアクセルを踏む。
ちなみにマギサの隣――助手席は当然のごとく空いていたが、シバは迷わず後部座席を選んだ。
シバは後部座席に腰を落ち着けると、その隣に茶色く重くでかいバッグをやや乱暴に置く。
「だれに頼まれた?」
シバがルームミラー越しにマギサへ視線を送る。
鋭く、刺すような視線だ。
しかし「本職」であるシバのそんな視線を受けても、マギサは怯える様子はない。
なにせマギサは「怪異」を主食とする、奇矯な人間なのだから。
「……ボスか?」
シバは、途中からなんとなく察していた。
バッグの中身が尋常ではないこと。
そしてその尋常ならざる荷物を運ばされる役目に選ばれた理由――。
シバが、マギサと知り合いだからだ。
「怪異」を食べるマギサと、シバがつるんでいることを知っていて、この荷運びを任せた人間がいる。
……ではそれはだれかと問われれば、シバの兄貴分ではなく、それよりももっと上の人物ということになる。
なんだかんだと、下っ端も可愛がってくれるシバの兄貴分が理不尽な頼みを断れない相手と言えば、それはもうこの世にひとりしかいない。
マギサは、シバの問いにゆるく頭を左右に振る。
「ううん。シバの兄貴さん。シバはなにがあっても意地張って私には連絡してこないだろうから、って」
「……で、のこのこ来たのかよ?」
「うん。だって友達だから。友達が困ってるときは助けるものなんだよ!」
そう言ってマギサは左手をハンドルから外し、サムズアップした。
シバはマギサの左手親指を、稼動範囲とは逆に押し込みたくなった。
「つーか、なんだこの車? 借りたのか?」
「そうだよー。だって私、車持ってないし」
「知ってる。お前が免許持ってたことのほうが驚きだよ」
「なんで?」
「自分で考えろバーカ」
「バカじゃないよ!」
マギサの運転は若干危なっかしいところはあったものの、細い道を通るわけでもなかったので、案外とスムーズに目的地へと到着した。
バッグの受け渡しも難なく終わった。
相手は、シバがなにごともなく――実際は諸々あったのだが――受け渡し場所にまでやってきたことに少しおどろいていたが。
シバは受け渡し相手に事情を聞くこともせず、運転席でやはり機嫌よさげに待っているマギサが待つ車へと戻る。
「あー疲れた」
「大変だった?」
「……まあな。――疲れたからこのあと飲みに行かねえか」
「昼間っから~?」
「昼だとか夜だとか
マギサは「まあね!」と言ったあと、「海鮮がおいしいところがいい!」と条件を出してくる。
シバも単純だが、港で潮のにおいを嗅いだこともあり、海鮮の気分だった。
荷渡しを終えた報告のメッセージをスマートフォンで兄貴分に送りつつ、「昼間っからマギサと飲む日があってもまあいいかもな」などとシバは思った。
――このあと、手近な居酒屋で「さっき食べたからいっぱいは食べられない」というマギサの発言を聞き、シバはバッグの中身に今一度思いを馳せることになるのであった。
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