12-3
シバは深いため息をついたあと、マギサに問う。
「……『怪異』か?」
「姿は見えないけど、こういうことになっていることは、そういうことなんじゃない?」
「……降りても一階に降りられないなら、逆にのぼってみるか」
真っ暗なフロアをしり目に、ふたりはまた屋上を目指す。
テナント一覧では六階七階に入っているテナントはなかったからなのか、どちらのフロアもこちらが呑まれそうなほどの黒い闇に包まれていた。
そして――
「屋上には戻れる、か」
屋上へと続く扉を開けて出れば、見慣れた景色が目に飛び込んでくる。
聞き慣れた夜の喧噪も耳に届き、シバは少しだけ安堵した。
しかし問題はここからだ。
スマートフォンは当然のように圏外。
まさか、屋上から飛び降りるわけにもいくまい。
また屋上から往来の人間へ助けを求めるのは、シバとしては本当に最後の、最終手段としたかった。
「でもよかったねー」
「ハ?」
「プレハブ小屋があって!」
「ハア?」
マギサが突拍子もないことを言うのはいつものことだったので、シバは面倒くさげな視線をマギサにやる。
シバが要領を得ていないのを見て、マギサは屋上の隅にあるプレハブ小屋を指差した。
「あそこに泊まればいいよね、って意味!」
「ハアア?!」
「え? だってこのビルから出られないんじゃ、どこかで寝るしかないよね?」
「こんな状況で寝られるか!」
シバは己の言っていることのほうが真っ当だろうという自信があった。
あったが、マギサが至極不思議そうな顔をしているのを見ると、若干不安にも襲われる。
「つーかお前、これ『怪異』だろ。食べねえのか?」
シバの心境としては「さっさと食べてくれ」といったところだったが、マギサにそんな風に乞うのはイヤだったので、こういう物言いになった。
マギサは糸目を細くしながら考え込むようなそぶりを見せる。
それがまた左手を顎に当て、右手を左の肘にあてるというステレオタイプな表現だったので、マギサはこちらよりも余裕があるのかもしれないとシバは密かに思った。
「食べたいんだけどね。まだ夕食たべてないし」
「食べられねえのか?」
「気配はするんだけどねー。でもさ」
「ん?」
「屋上のプレハブ小屋で寝泊まりするのって……なんかよくない?」
「よくねーわ!」
シバが怒ってそう返せば、マギサは「えー?」と言って軽く頬を膨らませる。
シバはマギサのその膨らんだ頬を今すぐ叩き潰したい欲求に駆られつつ、頭の中で状況を整理する。
整理すると、非常に不服だが、プレハブ小屋に留まるという選択肢は悪くないように思えた。
屋上で夜明け――がくるのかどうかまだわからないが――を待つには、今の季節は少し寒すぎる。
おまけに屋上はオープンエアすぎる。
三六〇度、どこからなにが来るかわからない状況に身を置くよりは、出入り口がひとつしかないプレハブ小屋にいるほうがマシに思えた。
「おい、行くぞ」
「プレハブ小屋に?」
「……そうだよ」
「やったー!」
マギサはその場でぴょんと跳ねた。
シバは、うきうきとしているマギサを連れて、プレハブ小屋へと向かう。
プレハブ小屋は、先ほど確認したときと同様に施錠などされておらず、また内部も先に見たときから変わりはなかった。
最初に見たときにも感じたが、プレハブ小屋は頻繁には使われていないらしく、どこかほこりっぽいにおいがする。
しかし贅沢は言っていられない。
季節柄、まだ夜は冷たい風が吹くので、屋根と壁があるのはありがたかった。
シバとマギサは床から一段上に設けられたスペースに腰を落ち着ける。
プレハブ小屋の内部には電気が通っていないのか、はたまた「怪異」の影響なのか、電灯のスイッチを押しても反応はなかった。
しかしプレハブ小屋の小窓から月明かりが差し込んでいる。
今夜は満月らしく、夜にしては妙に明るく感じられた。
「シバ! こういうときってなに話すの?!」
シチュエーションに興奮しているマギサが鼻息荒くしている隣で、シバは猛烈な眠気に襲われていた。
「やっぱりコイバナかな?!」
「……お前も恋とかするわけ?」
「え? するんじゃない?」
「ってことは今はしてねーのか」
きっとマギサのことだから、恋を語らせたら紋切り型な回答しか返ってこないだろうことはシバにも予想できる。
そしてその知識の源泉は映画やドラマ、漫画といったところだろう。
シバは眠気に襲われつつ、何度も素早くまたたきをしながら、どうにか起きていようとする。
ときたま鬱陶しく感じられるマギサのおしゃべりだったが、今は起きているためにできるだけ話し続けてくれとシバは無意識のうちに願っていた。
「シバ……眠いの?」
「……夜だからな」
しかしそんなシバの状態はマギサにはバレバレだったらしい。
明らかに先ほどとは違うテンションで話しかけられて、シバはなんだかバツが悪い思いをする。
「ねえ、シバ。知ってる?」
「あ?」
「急な眠気に襲われたときは、そばに幽霊がいるんだって」
「……くだらなさすぎて目ぇ覚めたわ」
「ええ? 怖くな~い?」
「なら、その怖い幽霊を食っちまえるお前のほうが怖いだろ」
「そうかな?」
不意に、ふたりのあいだを引き裂くような絶叫が階下から鳴り響いてくる。
野太い男の絶叫だった。
マギサはまったくそうとは思っていなさそうな声で「こわ~い」とだけ言う。
シバは、この古ぼけたビルにそんな秘密があるのかまではわからなかったものの、ビル内部に留まっていなかったのはどうも正解だったらしいと思い始めた。
「――あ?」
そして気がつけば夜明けを迎えていた。
シバの感覚では、ぼんやりとまばたきをした瞬間に夜が明けたようだったが、マギサに言わせるとシバは寝ていたらしい。
外では車の走行音や、鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「たぶん、もう出られるよ」
シバは寝起きの頭で、マギサがそう言うならそうなのだろうと思った。
そしてマギサの言ったとおりに、今度はスムーズに一階のエントランスまで降りられた。
問題はエントランスホールに白骨死体があったことだろうか。
シバが追っていた債務者の男なのか、はたまた男を追って行方不明になった構成員の男か、あるいはまったく見知らぬだれかなのか――。
正体はこのビルと科学だけがわかるのだろう。
「シバとお話しできて楽しかった~」
のん気に満足げな顔をするマギサを横に、シバはこれからの雑務を思うと憂鬱で仕方がなかった。
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