12-2
「いるのか?」
シバは端的に尋ねた。
「今は気配だけ」
それでもマギサにはきちんと伝わった。
マギサからの返事を聞いて、シバは今すぐこの古ぼけたビルがどうこうなるわけではないだろうと判断する。
マギサの感覚はたしかなのかとか、そういうことをシバは問わなかった。
この古ビルには「怪異」がいる――。
マギサが「『怪異』がいる」と言えば、シバはこのことに関しては疑わない。
マギサはふざけた人間だとシバは常々思ってはいるものの、「怪異」に関してはあまりふざけないだろうと思っている。
「……出てきたら食えよ」
「出てきたらね」
マギサはあちこちへと興味深そうに頭を向けているが、「怪異」を追っているわけではなさそうだった。
マギサの様子から、シバはやはり「怪異」が今すぐ出てきてどうのこうの、となるわけではさそうだと感じる。
となれば、追っている債務者の男をできる限り早く捕まえるのが先決だ。
マギサは「怪異」を食べられるのだから、「怪異」がお出ましになればマギサに食べてもらえばいい。
債務者の男がどんな意図を持ってこの古ぼけたビルに入ったのかはまだわからない。
わからないが、もし「怪異」をアテにしていたのであれば、シバがマギサを連れていたのが運の尽きである。
シバはマギサをうしろに引き連れたまま、下の階から順番に検索して行く。
トイレまですべて調べ上げて――しかしテナントが入っている部屋などは当然調べられず、もし債務者の男の知り合いが、部屋を借りていたりすれば面倒だと思った。
「それっぽいやつ見かけたら教えろよ」
シバがマギサにそう言うと、マギサは
「うわあ! なんだかバディっぽいね!」
と大喜びだった。
またなにがしかの映画だの漫画だのに影響されての反応であることは、よく考えなくてもシバにはすぐにわかる。
しかしやる気を出してくれたならばいいと、シバはマギサの喜びようをしり目に、債務者の男の影を追った。
しかし――
「あ? もう屋上かよ」
あっという間に屋上へと繋がる踊り場へとたどり着いてしまった。
屋上へと出られる扉は、今のご時世にもかかわらず頑丈な施錠がなされていない。
それどころか扉はうっすらと開いており、外光の細い線が階段から踊り場へと差していた。
扉の隙間は、まるでシバを誘い込もうとでもするように、外気が通るたびにキィキィと蝶番から音を出しながら扉を揺らしている。
「クソ、飛び降りてねーだろうな?!」
それらしい音は聞いてはいなかったものの、最悪の想像がシバの脳裏をよぎった。
債務者の男を心配してのことではない。
債務者当人が亡くなった際に発生する、諸々の事後の手間を想像して、シバは舌打ちをした。
扉を開け、屋上に出る。
ぐるりと高いフェンスが屋上の周囲を囲っている。
そのままシバもぐるりと屋上を三六〇度見渡したが、債務者の男の姿はない。
警戒しつつシバはフェンスに近づき、すぐ真下を覗き込んでみたが、そこにも男の姿はない。
――逃げられたか?
あるいは、危惧していた通りにテナントの中に男の知り合いの会社でもあったか――。
シバはあれこれと考えたものの、ここで推測をこねくり回しても無意味だと判じ、思考を打ち切った。
「屋上って初めて出たかも!」
一方、マギサは屋上というロケーションに大はしゃぎだ。
シバはマギサの様子に呆れつつも、たしかに自分もこんなにも無防備な屋上に出るのは初めてだとふと思った。
そして念のために出入り口の扉から死角になっている反対側に回って、債務者の男が隠れていないか確認するが――
「あん? んだこれ……」
そこにはプレハブ小屋があった。
シバの声に釣られたのか、マギサもやってくる。
「わ、すごい! 『屋上にプレハブ小屋』ってまだあるんだ!」
「建築基準法だかなんだか知らねえけど、こういうのって今は違法じゃなかったか?」
「すっごい昔に建てられたのかなあ?」
ふたりとも建築物に関する法律に精通しているはずもなく、お互いに首をかしげることしかできなかった。
「中は……だれもいねーな」
「でも、毛布とかはあるよ」
「ホームレス……が住むには豪華すぎるか」
外光を採り込んで今は明るいプレハブ小屋の内部は、出入り口から首を突っ込めば全容はすぐに把握できるていどの狭さだ。
マギサが言ったとおりに、棚に畳まれた毛布がしまわれていたが、はた目には使い込まれているようには見えなかった。
一瞬、プレハブ小屋に債務者の男が潜んでいるところを想像したシバだったが、残念ながらそれは外れた。
「……仕方ねえ、いったん降りるぞ」
「入れ違いで逃げちゃったのかな?」
「だったら、あいつの身辺、もう一度洗えばこのビルに知り合いがいるかどうかわかるはずだ。そこからまた追えるだろ」
そう言ったあとでシバは、ふと思った。
債務者の男はサラダボウル・シティに再び姿を現したが……では、その男を追っていた構成員はどうなったのか。
単純に考えれば死んでいるだろう。
ひねくれた考え方をすればなにがしかの報酬を提示されたか、利害の一致があって共に飛んでいたか。
あるいはどこか遠い地で裏社会から足を洗ってしまっているか……。
債務者の男を捕まえられたら、そのあたりのことも聞き出そうとシバは思いながら屋上を出て、階段を降りて行く。
……異変に先に気づいたのは、マギサのほうだった。
「ねえシバ」
「あ?」
「ループしてない?」
「ハア?」
シバは壁にペイントされた階数を示す数字を見る。
古ビルは七階建て。
壁にペイントされた数字は、ここが七階と六階の踊り場であることを示している。
シバはマギサの言葉を否定したくなったが、思い返せば自分は絶対に屋上から三階ぶんほどは降りているはずだ、ということに気づいて口を閉じた。
「……降りるぞ」
シバはそう言って今度は周囲に気を払いつつ階段を下りる。
六階だと思われるフロアをしり目に通過し、六階と五階の踊り場に降りた――と思ったとたん、電球が切れたように周囲が暗くなって、不意打ちを食らう形となる。
「夜だ」
パニックに陥らないようにと自らを落ち着かせているシバのうしろで、マギサがのん気にそんなことを言う。
「さっきまで昼だっただろ?!」
「でも……外、暗くなってるよ?」
シバは窓に視線をやる。
窓の外では暗闇の中に電気によってもたらされた光が輝いていた。
しかしその上の空は、どこまでも黒い。
だがひとがいることを示す街の光を見たことで、シバはいくらか落ち着きを取り戻すことができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。