10

 マギサに誘われ、駅前の広場で待ち合わせをしていたシバは、大目に見ればギリギリ一般人である。


 しかしシバは裏社会に生きる人間。


 どうしたってそういう、表社会で生きる人間とは違う、異質な空気は隠し切れない。


 今だって眼光鋭くスマートフォンを見つめている。


 その姿は、そういう顔をすることに慣れきった人間であることが如実に表れていた。


 だから広場を通り過ぎる人間はあまりシバを見なかったし、シバと同じように広場で待ち合わせをしている人間は、できる限りシバから距離を置こうとしていた。


 シバはじっとスマートフォンを見つめる。


 手の中にあるスマートフォンから、メッセージを受信したことを教えてくれる音が鳴ることはないと半ば確信しながら。


 シバは舌打ちをひとつした。


 誘ってきたのはマギサのほうからだというのに、マギサは堂々と遅刻中。


 おまけにスマートフォンのメッセージアプリへ謝罪や言い訳を送ってくることもない。


 なんの申し開きもないまま、マギサはかれこれ四〇分は遅刻している。


 マギサと付き合うには頭の血管が何本あっても足りないだろうとシバは思った。


 それでも文句と罵倒のメッセージを送って帰らないのは、意外と場面場面で律義さを発揮するシバの気性もあったが――最大の理由は、「惚れた弱味」というやつであろう。


 シバはマギサに、認めたくはない複雑な感情を抱いている。


 マギサの言動は理解しきれないし、イラ立つことも数知れない。


 それでもシバがマギサとの付き合いをやめないのは、ボスの意向もあったが、やはりマギサに対して少なくない好意的感情を抱いているからであった。


 だからシバは今もこうして律儀にマギサを待っているわけである。


 しかし待てど暮らせどマギサは来ない。


 五〇分も遅刻されれば、さすがのシバも心配になってくる。


 どこかで事故に遭ったか、事件に巻き込まれたか――。


 マギサには「怪異」を食べるという奇妙な特技があったが、背はローティーンくらいしかないし、体格は明らかに華奢である。


 成人男性はおろか、恐らく中肉中背の成人女性が相手であっても、マギサは力で負けてしまいそうである。


 ここはなんでも起こるサラダボウル・シティ。


 駅前などは治安がいいほうであったが、ひとつ道をそれれば危険な場所であることには変わりがない。


 拉致、誘拐、強盗――。


 シバの脳裏に物騒な単語が回り始めたところで、鈴を転がすような可愛らしい声がかかった。


 しかし、その声はマギサのものではない。


 それくらいはすぐにわかった。


「あの~お兄さん」

「……あ?」


 シバは渋々ながらスマートフォンから視線を外し、顔を上げた。


 ベンチに腰かけていたシバの目の前には、ロング丈のプルオーバーにロングスカートを合わせた、二〇代前半ごろに見える女が立っていた。


 明るい茶色のセミボブは毛先にウェーブがかかっている。


 顔には完璧なナチュラルメイク。


 マギサと違い、垢抜けながらも、どこか隙を感じられるフェミニンさは――なんだかシバの鼻につく。


 どこがどうと今はまだ言語化できる段階ではなかったが、シバはひと目見て、本能で女からうろんさを感じていた。


「今ヒマですかあ?」

「……ヒマじゃねえよ」


 明らかにカタギではないシバににらまれても、女は怯む様子がない。


 もうこの時点で、この女が「普通」ではないということは明らかになった。


 「二〇代女子」として十把一絡げにされそうな装いの女だったが、どうもそうやってひと括りにするのは、シバには自殺行為のように感じられて仕方がない。


「でもお、さっきからずーっとここにいますよね?」

「……気色わりぃ女だな」


 シバは目を細めて吐き捨てるように言う。


 女にずっと見られていたのかと思うと気味が悪かったし、そのことに気づけないほどマギサの遅刻にイラ立っていた自分に対しても、舌打ちをしたくなった。


 それでも目の前に立つ女は、微笑を浮かべたまま、猫撫で声を出す。


「わたしとお茶しませんかあ?」


 ここまでくると胆力があるとかないとかいう話ではなくなってくる。


 単におつむの弱い馬鹿なのか、あるいは精神のありように問題があるかのどちらかだろうとシバは思った。


 シバは舌打ちをして、スマートフォンをポケットに突っ込むやベンチから立ち上がる。


「あ、お兄さあん」


 こちらの神経を逆撫でするような女の甘ったるい声音で呼びかけられても、シバは無視を決め込む。


 この手の輩は相手にするだけ損だと、シバの経験則が言う。


 しかしシバが女の横を通り過ぎようとしたところで、女の手がシバの腕へと伸びる。


 シバは反射的に女の手を叩き落とそうとしたが、逆にそのために向けた手の首をつかまれてしまった。


 存外に強いその握力に、シバは無意識のうちに鳥肌を立てていた。


 望まない身体的接触による嫌悪感のためではない。


 シバは明確に女から――殺意を感じ取った。


「テメエ……」


 シバが敵意を剥き出しにして女を見やったところで、五〇分遅れの闖入者が現れる。


「シバ~遅れてごめ~ん」


 マギサだ。


 間違えようもなくマギサだ。


 シバは五〇分も遅れてやってきたマギサに対し、呆れや怒りや安堵がないまぜになった顔のまま、そちらを見た。


 マギサは、上下そろいの黒いグラフチェックの入った、赤い男もののスーツを着て――大きなバラの花束を抱えていた。


「は?」


 マギサが奇矯なのはいつものことであったが、さすがのシバもこのマギサの装いには呆気に取られるしかない。


 珍しく男の格好をしていることを置いておくとしても、なぜ派手なスーツを着ているのか、なぜバラの花束をかかえているのか。


 シバの中で疑問は湧いて、尽きない。


 シバが唖然としているあいだにも、マギサは距離を詰めてくる。


 同時に、バラの芳香がシバの鼻腔へと入ってきた。


「あれ? お姉さん、もしかして……」


 マギサはシバの手首をつかんでいた女へと視線を向けて、なにごとかを言いかけた。


 しかしマギサが最後まで言うより先に、女は舌打ちをしてシバの手首を解放するや、つむじ風のようにその場を去ってしまった。


 シバはまた呆気に取られながら女の背中が人ごみに消えるのを見届けるしかなかった。


 改めて女につかまれていた手首を見ると、うっすらと赤くなっている。


 「どんだけ馬鹿力なんだよ」と思いつつ、シバはもう一度マギサを見やった。


「一時間も遅刻してんじゃねーよ!」

「ごめんごめん。花屋さん行ってたら遅くなっちゃった!」

「なんで花屋行ってんだよ。バカか?」

「え? スーツ着るから……」

「ハア?」

「スーツ着るなら花束がいいかなって」


 シバは、マギサがなにを言っているのかわからなかった。


 わからなかったが、恐らくまたなにかしら漫画などに影響されてそのような行動を取ったのだろうと察することはできた。


 シバは深い深い、それは深いため息をついた。


「ねえシバ、さっきのお姉さんさあ……」

「あん?」

「シバの友達?」

「んなわけあるか。テメエどこに目玉つけてんだ」


 マギサが持っている花束から漂ってくる、鼻をつくバラの香りに鬱陶しさを覚えながら、シバはイラ立ちのままに答える。


 しかしそれで怯むような可愛らしさを、マギサは持ち合わせていない。


「そっかあ、残念」

「残念?」

「あのお姉さん、いっぱい『怪異』をくっつけたから」


 なんてことない風に言うマギサの答えに、シバは呆れるやらなんやらで、どんな顔をすればいいのか悩んだ。


「食べなかったのか?」


 マギサの主食は「怪異」である。


 そしてマギサはかなり食い意地が張っている。


 そんなマギサが黙ってあの、「怪異」を「いっぱいくっつけ」ていたという女を見逃したのは、シバには不思議に思えた。


 マギサは、そんなシバの疑問に朗らかに笑って答える。


「さっき食べてきたから、おなかいっぱいで」

「……ひとを誘っておいて寄り道してんじゃねーよ!!!」


 シバは今すぐマギサが持つ花束を奪って、それでマギサの横っ面をはたきたくなった。


 しかしマギサはシバがそんなことを考えているとは、毛の先ほども察していないらしく、バラの花束を突き出してくる。


「でもさ、花に罪はないよ?」

「話が繋がってねえんだよ! それ言いたかっただけだろ! あとお前の遅刻の罪は花では消せないからな?!」

「ええ~?」


 結局、マギサが持ってきた大きなバラの花束が持ち歩くには邪魔すぎたため、シバはマギサを連れて家にとんぼ返りすることになった。


 そしてその日はシバの家でだらだらと映画を観たり、マギサの味のしない料理を振る舞われたりして、時間は過ぎて行ったのだった。



 後日――見目のいい男性ばかりを狙っていたという女シリアルキラーが逮捕されたニュースを見たシバは、おどろいた。


 マギサが大遅刻をした日に声をかけてきた女の顔が、そのニュース記事に載っていたのだから。


 シバは直感というものは侮れないなと思うと同時に、あの日マギサが割って入ってこなければどうなっていたのだろうと思いを巡らす。


 しかし、そもそもマギサが遅刻しなければ、あの女に声をかけられることもなかっただろうと考えて、マギサにこのことは話さないと決めた。


 シバがちょっとでもマギサのお陰、という雰囲気でも出そうものなら、マギサが調子に乗るのは目に見えていたからだ。

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