11
シバは、気がつけば見知らぬ小路に迷い込んでいた。
左手には空き地があるが、道路とをわける位置に杭が刺さり、その杭と杭のあいだに有刺鉄線が渡されている。
今どきバリケードやフェンスを張らずにこんな風にして侵入を阻むことがあるのだろうかと、シバの頭に疑問符が浮かぶ。
杭を見ても有刺鉄線を見ても、古びた様子はなく、むしろ真新しく作られたらしいことがわかる。
のどかな住宅街の一角だが、こんな空き地はあっただろうか、こんな小路はあっただろうか……シバは急に自信がなくなった。
そもそもなぜ己が閑静な住宅街の小路に入り込んでいるのかが、わからない。
位置的にはマギサのアパートがある地域からそう離れてはいないから、マギサに会いに行く途中だったのかもしれない。
シバは白昼夢でも見ているような気になった。
周囲が妙に明るく、太陽がいつもより強く照りつけているように感じられる。
右手側にあるコンクリート塀は、記憶の中のものよりも白く――それどころか、白飛びしかけているように見える。
シバは右手を己の額に当ててみる。
熱があるような気はしないし、頭痛といった違和感の類いもないが――なんだか、脳内に白い靄でもかかっているかのような気分だった。
いつもより思考が働いていない気がする。
しかしこの場に立ち止まっていても仕方がないと、シバは前へ前へ、のろのろと足を進めた。
そうすると当然として、左手に見えていた空き地はじきに視界の外へと流れて行く。
次に現れたのは右手側にあるのと同じ、ありふれたコンクリート塀だった。
両脇をコンクリート塀に挟まれると、小路はいよいよ狭く、圧迫感が感じられるようになる。
車が通れるような道ではなく、大のおとながふたり並んで歩くのも難しい、狭い道。
シバはコンクリート塀に目を向けた。
上部には欄間のような装飾があり、そこから庭などが見通せる。
そうやってしばらく視線をあちこちにやって歩いていると、不意に小路の先が見えなくなる。
暗幕だ。
コンクリート塀の向こう側の庭から生える、木の枝と枝のあいだに、巨大な暗幕が張られている。
その裾は地面まで垂れて、まるで
シバは歩を止めて、しばし呆気に取られる。
「シバ~」
暗幕の向こうからマギサの声がした。
「シバ~なにしてるのー?」
「それはこっちのセリフだ」――と、いつものシバなら返していただろう。
けれど、今のシバにそれはできなかった。
否、しようとは思えなかった。
暗幕の向こうからは絶えずマギサの声が聞こえてくるが、シバの直感は、それが偽物であると言う。
それを頭の中で言語化できた瞬間、シバの腕に鳥肌が立った。
「シバ~?」
立ちはだかる暗幕の向こう側になにがいるのかシバにはわからなかったが、少なくとも本物のマギサではない。
なにか明確な根拠があるわけではなかった。
しかしシバの直感は、暗幕の向こうに本物のマギサはいないと判じていた。
シバの頭の中にかかっていた靄が晴れ出す。
ここはどこなのか――。
自分はなにをしているのか――。
この暗幕はなんなのか――。
急に疑問が胸の内から湧いて止まらなくなった。
シバは得体の知れない場所から立ち去るべく、踵を返して足早に歩き出す。
――そうだ、最初からこうしていればよかったんだ。
見知らぬ場所に迷い込んで、なぜ前へ前へと足を進めたのか。
来た道を戻ればいいのに。
シバは気がつけば息を切らせながら小路を走っていた。
「シバ?」
小路を抜ければ見知った大通りに出た。
シバは振り返らずにそのままマギサが暮らすアパートへと向かう。
さすがに大通りを全力疾走するわけにはいかず、速足で目的地へと向かった。
振り返って、走って通った小路があるのかどうかたしかめるべきだったのかもしれないが、今のシバはそういう気分になれなかった。
そうして歩いていると、シバは先ほどの直感が合っていたのかどうか不安になってきた。
時間が経つにつれ、直感に自信がなくなっていく。
それに、マギサならああやってふざけたことをやりかねない――と心のどこかでちょっぴり思ってしまったのだ。
踏みしめるたびにぎしぎし音が鳴る、アパート二階に繋がる階段をのぼる。
相変わらず壊れたままの呼び出しボタンをしり目に、乱暴に玄関扉を叩く。
扉の向こうでマギサが動く気配がしたので、シバはそれだけでほっと安堵の息を、無意識のうちに漏らしていた。
「なにそれ?」
シバは今しがた体験してきたことを少し省略しつつマギサに話した。
そして「お前のイタズラじゃねーよな?」と若干虚勢を張って問えば、返ってきたのが先のセリフである。
マギサは当然の流れとして「見に行きたい!」と言ったので、シバはそれに渋々付き合う顔で同行する。
しかしありがちなことに、そんな小路はどこを捜してもなかった。
マギサはあからさまにがっかりしていたが、シバは内心でまた安堵の息を漏らす。
それを誤魔化す気持ちもあり、シバはその帰り道にマギサにクレープを奢ってやった。
うれしそうにクレープを頬張るマギサを見て、シバは己の直感は信じたほうがいいなと思うのであった。
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