9-2

 シバはマギサと恋人になった。偽りの。


 そしてシバの恋人となった――なることを押し切った――マギサは当然のようにデートを提案する。


「……それで星? が逆上したらどうするんだよ」

「そのときになってから考えたらいいじゃん?」

「よくねーよ」


 星がストーカーであるということをどうにかこうにか呑み込めば、次に襲ってきたのはマギサと偽装恋人になるという事態。


 目まぐるしく変わる状況に翻弄されながらも、シバはどうにか冷静さを保とうとする。


 マギサの頭の中の理論では、意中の相手にお熱い仲の恋人がいると知れれば、ストーカーはあきらめてくれるらしい。


 そんなわけないだろうとシバは思うのだが、マギサはなぜか自信満々に「大丈夫!」と言い切る。


「シバが私にメロメロだってわかればあきらめるよ!」

「バカだろ」


 シバはもう一度「底抜けのバカだろ」と溜息をつくように言った。


 シバは、己の頬が熱くならないことを祈った。


 なにせシバはマギサに対し、認めたくはない複雑な感情を抱いているので、たとえ偽りのものと言えども、マギサと恋人になったという事実に大いに動揺しているわけであった。


 シバは呆れたフリをして視線をそらす。


 実際のところは、ニコニコといつもより機嫌良さげに笑っているマギサを見ていられなかったから、顔ごと目をそらした。


「そうと決まれば!」

「あん?」

「気合入れてオシャレしてくるからちょっと待ってて!」


 玄関扉が勢いよく閉まる。


 シバは隅がヘコんでいる扉をじっと見つめたあと、ため息をつく。


 マギサが視界から消えてくれて安心したような、落胆したような、そんなどちらと判じがたい複雑な感情を外へと押し出すように、シバは二度息を吐いた。



 マギサ曰く「気合入れてオシャレ」した格好が、どう見ても地雷系女子ファッションだったことはこの際置いておく。


 マギサの理論では、シバのストーカーはシバがマギサに「メロメロだってわかればあきらめる」らしい。


 そう言い切った通りに、マギサは部屋から出てくるやシバの腕にひっついた。


 マギサはローティーンていどの身長しかないので、シバがちょっと下へ視線を向けるとマギサのつむじが目に入る。


 シバはマギサのつむじを見つめることで、己の左腕に密着する熱を意識しないようにしようと努めた。


「デートだデートだ」


 マギサは左腕を突き上げて、なにやら気合が入っている様子。


 シバは妙に高いマギサのテンションにはついて行けず、先ほどとはまた異なるため息をついた。


「お前って……こういう経験あるわけ?」

「『こういう』?」

「……男と出かけたことあんのかってこと」

「あんまない?」

「なんで疑問形なんだよ」


 マギサに引っ張られるがまま、シバはマギサのアパートから離れ、繁華街へと向かうことになる。


 そうやって歩いて向かっているあいだも、マギサはシバにぴたりとくっついたままだった。


 シバは、マギサに乳房がそなわっていないことをなんだかありがたく思った。


 繁華街へ到着するころには多少なりとも余裕が出てきたシバだったが――


「おい、ふざけんな」

「? ふざけてないよ?」


 マギサが真っ先に向かったのが女性ものオンリーのランジェリーショップだったので、大いに辱めを受けることとなった。


 ほぼ女しかいない華やかな店内へと引っ張り込まれたシバは、声をひそめてマギサに耳打ちで抗議する。


 したが、マギサはなにがシバのお気に召さないのかまったくわかっていない様子だった。


 なのでシバはマギサを説得するよりも、ランジェリーショップで悪目立ちしたくないという気持ちが勝り、大人しくすることにする。


「大体お前……女ものの下着つけてんのかよ」

「気分によって」


 マギサはその足で入ったのだから当たり前だが、ケロリとした態度だ。


 シバはと言えば、ランジェリーショップのどこへ目を向ければ無難なのかわからず、急に自分が多感なティーンエイジャーにでも戻ったかのような気分にさせられる。


 そんな地獄のような――シバの体感で――長い長い時間を終えて、マギサが次に向かったのは――


「おい、ふざけんな」

「ふざけてないよー! ここのパンケーキ美味しいんだって。ネットで見た」


 先ほどのランジェリーショップよりはマシと言えども、外から見る限りほとんど女性客しかいない、パステルカラーで内装をまとめたカフェテリアであった。


 おまけに店頭に掲示されたメニュー表が目に入ったが、その黒板に踊るワードが「ゆきうさぎがワルツを踊るパンケーキ」だの「小悪魔のロマンティックティー」だのといった小癪なものだったので、シバは腕に鳥肌を立てる。


 しかしシバが拒否反応を示しても、マギサがテコでも動かない姿勢を見せたので、結局シバが折れた。


 マギサは一度こうと決めたらどれだけ揺れ動かそうが翻意しないことを、シバはこれまでの付き合いからよくわかっていた。


「……注文はお前がしろよ」

「なに食べたい?」

「コーヒー」


 マギサは不思議そうに「パンケーキは?」と聞くが、シバは「ハラ減ってねえ」と答える。


 マギサはそれで納得したのか、フリルがたっぷりあしらわれたエプロンをつけた店員を呼び、コーヒーと「桜絢爛プリンセスケーキセット」を注文する。


 シバはメニュー名を見て頭痛がするようだった。


「シバ~」

「……んだよ」


 コーヒーとケーキセットがサーブされてからも、シバはできるだけ心の中を虚無に保つことでこの時間を乗り切ろうとした。


 周囲は女性客しかおらず、きゃらきゃらとしたおしゃべりが耳に障る。


 シバがコーヒーを飲み切ったところで、マギサがシバを呼んだ。


「あ~ん」

「………………………は?」


 シバは、たっぷり間をあけて「は?」と言った。


 シバの目の前には、店員が「こちら、桜メイプルシロップになります~」と言っていたシロップがかかったパンケーキの切れ端――を、フォークに突き刺してシバに突き出すマギサがいた。


 マギサは糸目をニコニコと機嫌良さげに弧を描き、至極うれしそうな顔をしている。


「は?」


 シバは己に降りかかっている事態が呑み込めず、もう一度「は?」と言った。


 キャパシティーオーバーにより固まってしまったシバを見て、マギサは軽く頬を膨らませる。


「も~。シバ、今私たちは恋人なんだよ?」

「あ、ああ……」

「もっとお星さまにガンガン仲いいところ見せて行かないと!」

「あ、ああ……?」


 宇宙から室内にいる状態をも見通せる星ってなんなんだとシバは思った。


 思ったが、ツッコむ余力は今のシバにはなかった。


「ほら、あ~ん」


 シバは、この試練は己がマギサの望む通りの行動を起こすまで終わらないことを静かに悟った。


 今なら「憤死」ならぬ「恥ずか死」ぬところだとシバは思いながら、口の中にある甘ったるいパンケーキを素早く咀嚼し、飲み込んだ。



 ……その一件が良かったのか悪かったのか、シバにはなにもわからない。


 わからないが、その日以来シバは明瞭な視線や気配を常時感じる……というようなことはなくなった。


 だから超新星爆発のニュースを耳にしても、シバは気にも留めず、日常へと戻って行ったのであった。

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