2-3
どちらかと言えば意地汚い部類に入るマギサが、食事……つまり「怪異」を手元に置いたままにしていたことは、シバにとっては少々意外だった。
しかし理由はなんとなく推測できる。
「このしおりから話が聞きだせたら、味が変わらないかなあって」
要は食事のスパイスになるのであれば、平素であれば問答無用で食べてしまう「怪異」の話にも、マギサは耳を傾けるわけなのだ。
マギサの趣味は料理だ。上手くもないし、美味くもないのだが、本人は特技だと思っている。
恐らくはそれと同じ要領で、「怪異」の調理法を様々試しているのかもしれなかった。
「怪異」の話がどうマギサの味覚に影響を与えるのかまでは、さすがにさっぱりわからなかったが。
「……『怪異』って味あんの?」
「どんなものにもたいてい味はあるものじゃない? 完全な『無』の味って、そうそうないと思うけど」
マギサの言っていることがどこまで正しいのか、残念ながらシバにはわからなかった。
ただマギサがもっともらしいことを言ったので、「ふーん」と、納得しているのかいないのかわからない返しをしてお茶を濁す。
少なくともマギサにとってはそうなのだろう。
「怪異」の味とはどんなものなのか――。
シバが訊ねる前に、マギサが住まうアパートに到着した。
マギサが借りている部屋は、シバにとっては勝手知ったる他人の家。
マギサに続いて部屋に入り、狭いキッチンへと向かう。
マギサは寝室のほうへ姿を消した。
どうやら、くだんのしおりは寝室に置いてあるらしい。
マギサの寝室にはあまり入ったことがないシバだったが、そういえば本棚があったなと記憶を掘り返す。
そうこうしているあいだに、シバはインスタントコーヒーを淹れ終える。
インスタントの粉と、冷蔵庫の中にあったミネラルウォーターを混ぜただけのものだ。
マグカップ二脚をダイニングテーブルに置いて、シバはそのうちの一脚からそのままコーヒーを飲んだ。
ダイニングテーブルの上には、他にシバが支払い、マギサが持ち帰った白紙の日記帳がある。
シバはマグカップを置いて、日記帳を手に取りページをめくる。
老店主が言った通りに、日記帳にはなにも書かれていない。
シバから見れば、なんの変哲もないただの白紙の日記帳だ。
だがマギサはこれから「怪異」の気配だか、においだかを感じ取った。
そう考えると途端に日記帳が気味の悪いものに感じられて、シバは乱雑に本を閉じてダイニングテーブルに戻した。
「『勝手知ったる他人の家』……ってなんだか友達っぽくない?」
シバはおどろきを顔に出さないようにして用心深く振り返る。
気配なく背後に立ったマギサの顔は相変わらずニコニコ笑顔で、その手にはしおりが握られていた。
シバは、しおりと言うからにはてっきり紙製だろうと思い込んでいたが、マギサが今手にしているのはステンレス製のものに見える。
上部に設けられた穴に青いリボンが通されたステンレス製のしおりは銀色で、窓から入ってくる光を反射してマギサの手の中できらりと光る。
「うるせーよバカインコ」
シバはマギサのことを「バカインコ」と呼ぶことがある。
バカのひとつ覚えみたいに「友達」という単語を持ち出して、繰り返し口にするから、「バカインコ」。
マギサは「友達」という単語の上辺だけを見て、憧れているところがある。
「友達」が持つ言葉の様々な意味を理解することなく、フィクションで描かれる友情譚を真に受けている。
だから、シバはマギサのことを「バカインコ」と呼ぶ。
「インコよりは賢いと思う!」
「ハッ。どーだか」
「さすがにインコよりは賢いよ! ……賢いよね?」
「不安になってんじゃねーよ、バカ。――それよりもそのしおりが『怪異』なのか?」
気を取り直したマギサが、シバの背後からその隣に移動する。
ダイニングテーブルに置かれた日記帳に手をやって、今度はシバに銀色のしおりを見せる。
「そう、これが例のしおり」
「文章を書き換えるっていう」
「そうそう。そこから私は考えたんだけど、このしおりにはなにか言いたいことがあるんじゃないかな、って」
「それでさっき『しおりが言いたいことが云々』って聞いてきたわけか」
「正確には……『もししおりに魂が残ったとしたらなにを言いたいと思う?』って感じかな」
「あ? 幽霊でも取り憑いてんのか? それ」
「多分ね。詳しいことはわからないけれど」
マギサはそう言って日記帳を手に取り、テキトーなページを開いて銀色のしおりを挟んだ。
「文字を書き換えるのは、なにか伝えたいことがあるからかなって考えて。それでこの前読んだ児童書にね、白紙の日記帳が出てきてさ。そこに文字を書き込むと返事がかえってくるっていうエピソードがあったわけ」
「で、それをマネしようって?」
「それもあるけど」
「けど?」
「『怪異』と『怪異』を重ね合わせたらどうなるのかなって。思って」
結局のところ、シバが当初想像したとおりに、マギサは「怪異」の新たな調理法を試しているに過ぎないのだ。
そこにしおりに宿っているらしい魂の未練を汲み取ってやろうとか、晴らしてやろうとかいう、涙ぐましい美しい感情はない。
――まあ、食欲は三大欲求のうちのひとつらしいからな。
腹が減ってはなんとやら。シバがそんなことを考えていれば、早速日記帳に変化があったらしく、マギサが「お」と声を上げる。
シバは好奇心に引っ張られて、マギサの手元にある日記帳へと視線を落とした。
マギサの狙い通り、そこには文字が連ねられている……ように見えた。
文字だと思ったのは、一文のあいだにいくらかの規則性らしきものをシバが即座に見抜いたからだ。
だが、どこの国の文字なのかまでは見当がつかない。
どこかで見たことがあるような気もするし、まったく見たことのない文字のような気もした。
いずれにせよ、シバには読みこなせない文章であることには、間違いがない。
「読めねえ」
シバが率直な感想を漏らしたのに対し、マギサはじわじわとインクの染みが拡がるように書き連ねられていく文字を目で追っている。
「読めんのか?」
「……まあ」
珍しくマギサが煮え切らない返事をする。
それがシバの心に引っかかった。
マギサが煮え切らない返事をした理由をシバは考える。
おおかた、出自を悟られたくないとか、そういったところだろうとアタリをつけて、シバは話を続ける。
「……で、なんて? なんかおもしれーことでも言ってきたか?」
「うーん……」
そうしてマギサが話し出したのは、出来の悪いSFホラー小説のような内容だった。
曰く、遥か昔にこの星へと辿り着いた知的生命体の意識の一片がこの銀色のしおりに宿っているのだと。
曰く、この銀色のしおりは敵対する知的生命体が作り出した小型の牢獄のようなものだと。
「……どうやらイカレポンチの魂が宿ってるらしいな」
シバはしおりの主張を信じなかった。
現代を生きるマギサが、しおりに宿っていると言う知的生命体がつづった文章を読みこなせている時点で、色々と怪しい。
たしかにここ、サラダボウル・シティには異星人も居はするが、その文明の発展度はこの星で繁栄している人類とそう大差はない。
狂人の幽霊がしおりに取り憑いているのだと言われたほうが、まだ納得できた。
「そうだね」
マギサもそう思ったらしい。
銀色のしおりに宿っていると主張しているなにがしかは、ふたりのあいだに漂う空気を察知したのか、白紙だったページが瞬く間に文字で覆われて行く。
しかしそんなことをされても、シバにはそもそもその文字が読めないし、マギサも今さらこの「怪異」を食べるという選択肢を捨てるわけもなく――。
「――いいスパイスにはなったよ」
マギサの胃にふたつの「怪異」が収まり、お役御免となった日記帳は燃えるゴミの日に捨てられた。
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