グロテスク

松本貴由

グロテスク


「やだぁ、また死んじゃったぁ。かわいそぉ」


 ケージを覗き込んで加藤さんが喚いている。

 あんた週四でシフト入ってんだろ、もう二週間も経つのにまだ慣れないのか。

 仕方ないか、私もギャルのアニメ声には慣れていないのだから。


「ねえ、関谷さぁん。ハムスター死んでるぅ」


 鼻の頭を赤くしながら腕に抱きつき、ケージを指差す加藤さん。

 盛り盛りのつけまが烏の羽みたいにきらめいている。

 これで私より年上、三十路超えとか、童顔にもほどがあるわ。

 渋々ケージを覗き込むと、たしかに、元気に蠢くハムスターの隅で動かない子が一匹いた。

 そりゃ、一日中人間に触られまくったらストレスも溜まるだろう。

 かわいそうだが仕方のないことだ。

 ここはペットショップではなく、私たちはただの寄せ集めの接客アルバイト。

 動物とお客を適切に管理する義務はあるが、動物の自然な死について責任はない。

 むしろ死があってこそ、いのちの尊さを実感できるというものだ。

 もうすぐ営業開始の時間。

 生まれたての卵を包むように、冷たくなった死骸をそっと片手に乗せる。


「早く片付けましょう」

「ひどぉい、そんなモノみたいに、やだぁ、あたし無理ぃ」


 加藤さんはさめざめと泣いている。

 ぶりっ子ではなく本当に悲しんでいるようだ。

 何しに来てるんだ、この人。

 こんな人を採用するなんて、店長は見る目がない。

 ギャルがやりがちな凶器みたいなネイルをしてこないだけマシか。



 子ども向け遊園地のそばにある商業施設。

 一階のアクアゾーン奥に二週間前、夏季限定テナント『ふれあいキッズ動物園』がオープンした。

 小動物や海の生き物を集め、子どもたちがケージや水槽から自由に出して触れることができる体験型の施設だ。

 幼いころから色々な動物を飼っていて扱いには慣れているので、メインのバイトとシフトを折半してフルタイムで働くことにした。


 エスカレーター降りてすぐということもあり、土曜日の昼下りはフードコートから流れてくる家族連れでとくに賑わっていた。


「ハムちゃん、にんじん食べてくれないー」


 ツインテールの女の子が嘆いている。

 小さくカットされたエサをハムスターの口元に押し付けているが、ハムは鼻をひくひくさせるだけでじっとしている。

 おい、よく見ろ。

 ハムちゃん頬袋にまだ詰まってんだろ。

 そんな、上下左右ににんじん振っても無駄だから。

 これ以上強引になにかされても困るので、仕方無しに声をかける。


「お腹いっぱいみたいだね、ごめんねー」


 女の子は不審者を見るような一瞥をくれて、にんじんを放り投げママのもとへかけて行った。

 なんて態度だ、おまえにエサ売ってやったのは誰だと思ってんだよ。


 簡易的な柵に囲まれた放し飼いスペースでは、小学生の男の子がうさぎを追いかけ回している。推しなのかTシャツには戦隊モノのレンジャーブルーがでかでかとプリントされている。

 茶色のうさぎは狭い敷地内をぴょこぴょこと必死で逃げている。

 ここは弱いものいじめをする場所ではないということをわかっていないようだ。

 ちょこまかと動くやつのニューバランスがうさぎを蹴りそうだったので、釘を差すことにした。


「乱暴にしないでね、やさしく触ってあげてねー」


 自分の猫なで声がキモくてしかたがない。

 しかし、ここは小さな生き物たちに癒やされて動物愛護の精神を養うための場所だ。

 大人がまず手本を見せねばならない。

 そういえばここ、猫はいないな。


 男の子は潮が引くように真顔になったが、私がうさぎをさっと掴まえて差し出すと、食い入るように見つめて手を出した。

 うさぎは四羽、白い子と黒い子と斑と茶色。

 いちいち名前はつけていない。


「ぼくもそっちがいい!」

「わたしもー!」


 やはり人気なのは白い子だ。

 斑や茶色と比べて大人しいのもあっていつも取り合いになる。

 ぬいぐるみみたいにひとしきり撫で回したあと、子どもたちはうさぎをケージにおさめようとした。

 おいガキども、平仮名よめないのか。

 ケージに『もといたところにもどしてね』って書いてあるだろ、ちゃんと雄と雌で分けてんだよ。

 いつものケージではないと察して抵抗するうさぎを押し込めて、ガキは強引に扉を閉めようとする。

 うさぎの足が挟まれそうだったので、少し大きな声を出した。


「こっちじゃない! 白はあっちのケージ!」


 ガキの顔が恐怖におののいた。

 さっきまで抱いていたうさぎのごとく走り去り、ママー怒られたーと泣きつく。スマホにかじりついていた若い母親がため息混じりにこっちを見た。

 睨むくらいならおまえのガキをちゃんと教育しろよ。

 ああ、すごい勢いで親指動いてる。

 SNSに『デブの女店員まじ感じ悪い』とでも書き込んでいるのだろうか。

 怖い怖い、手首にタトゥー入ってるし。

 動画や写真を撮られていないだけマシか。

 うさぎのほうがよっぽど頭いいわ。

 ああ、接客業、やっぱ疲れるな。

 弁当を詰めるメインバイトはつまらないと思っていたけど、やっぱ人間を相手にしない方が楽かも。

 お腹空いてきたな。

 ああ、彼氏欲しい。


 ***


「なにこれぇ、ちょっと、関谷さぁん! 増えてるぅ!」


 喜んでいるんだか嫌なんだかわからない声が頭に響く。

 こちとら低気圧のせいで朝から頭痛がひどいんだから、ちょっとは黙ってろよ。

 仕方無しに加藤さんの指差す先を見ると、雌ケージの中でうごめくおおきなハムスターたちの中に、一匹だけ貧弱な雄がいた。

 そして、小さなピンクの個体が五匹。

 人間のガキどもは言うことをきかなかったようだ。

 なんにせよ別段騒ぐことじゃない。


「こいつら簡単に子ども産みますからね。注意しないとすぐ増えますよ」

「ええー、なんかやらしいー」


 加藤さんはまるで下ネタでも言うかのようにニヤニヤした。

 何を言ってるんだ、この人?

 生殖は生物の本能だ。

 いやらしいなんて思うのはおまえがいやらしいからだよ。


「関谷さぁん、あたし今日、生理ひどくってぇ。ちょいちょいトイレいくかもぉ。迷惑かけてごめんねぇ」


 加藤の語尾が上がるたびに血圧も上昇する。

 生理という単語が加藤の口からでることが生理的に無理だ。

 どうせ毎日毎日男とヤりまくってんだろ。

 ユルユルだから血もダラダラ垂れてくるんだよ、自業自得だわ。

 さっさとデキて生理なんて止まってしまえ。

 ハムスターみたいに。

 ああ、頭痛い。


 雨が強く降り出したためか客足もまばらで、加藤の娘と離婚した旦那と今の彼氏の話を延々きかされた。

 彼氏が大手自動車メーカーの技術職だというところで頭痛もいよいよクライマックスだった。

 店長は天候とバイトの体調不良とを心配して、加藤を五時に早上がりさせた。

 ゲリラ豪雨の中、ヨークシャーテリアみたいな顔した彼氏のオカムが車で迎えに来た。

 オカムラオサムだからオカムだと。

 バカか。


 ***


「関谷さぁん! また減ってるぅ!」


 ケージの中を見るとこどもが五匹から三匹になっている。

 乾いた血と細い骨らしきものと、毛なのか内臓なのか肉の残りなのかわからない塊が、太った雌ハムたちに踏みつけられている。

 このバカ女、ハムスターが共食いするのを知らないのか。


「おかあさんが食べちゃったんですよ。減らしていかないと餌の取り合いは死活問題ですから」

「なんでぇ、ひどぉい。かわいそぉ。あたし耐えられなぁい」

「そんなもんですよ……」

「関谷さんつめたぁい、ザンコクだよぉ」


 思わずバカ女を睨んでしまったが、バカだから気づいていない。

 目尻を拭いながらのんきに鼻を啜っている。

 バカはもう黙ってろよ。

 どんなに手をかけても、死ぬものは死ぬものだ。

 この仕事はいちいち悲しんでいたらやっていられない。

 仕事にならなきゃ食っていけない。

 誰も餌なんかくれないんだよ。

 甘えるのもいい加減にしろよ。

 ふざけてんの?

 バカにしてんの?

 ああ、もう。


「あっそうだ、関谷さぁん、あたし遊愛ゆあのお迎えあるからぁ。締めまで残れなくてごめんねぇ」


 ケロッとした顔でバカは言ったがはっきりシカトした。

 泣いてるだけのバカなんていてもいなくても一緒だわ。

 どうせお迎えついでに外食して帰るんだろ。

 困ったときはオカムが助けてくれるんだろ。

 娘ともども轢かれて来い。

 ああ。

 ああ。



「やだっ、関谷さぁん!」


 こんなヒステリックなキンキン声はどんな動物だって出せやしない。

 死んでるぅ、だ。

 弱っていたあの雄ハムだろう。

 だからさ生き物は弱いやつから死ぬんだよ。

 仕方がないんだから。

 そんなのにいちいち構うなよ、鬱陶しい。

 仕方がないんだから。

 バカにいちいち構ってられないんだよ。


 もう溜息もでない。

 からだの中に溜め込んで溜め込んで、一気に吐き出したら、それはどんな生物の咆哮になるだろう?

 声じゃなくてゲロかも?

 超濃厚な精液だったりして。

 いや、私女だし。

 何言ってんだろ、ああ、虚しい。

 バカは私か。

 今日も今日とてバカが来る。


「なんだ、こいつ。ぜんぜん食わねーじゃん、つまんねぇの」


 バカの親もバカである。


「どれ? あんたのやり方がわるいんじゃないの」


 バカはスマホを離さない。


「なにこれガチじゃん、エサ代五百円もしたのに。食えよ」


 バカは頭を使わない。


「ねえーママー飽きたー、オレYouTube観たいー」


 バカは命の尊さを学ばない。

 バカの頭はからっぽだ。

 仕方がない、バカなのだから。


「やだぁ、ちょっとぉ、関谷さぁん! 死んでるぅ!」


 お決まりのセリフが飛んできたので返事する。


「そんなもんですよ」


 今日の気圧は正常のはずだがここにはいつもぬめっとした湿っぽい空気が流れている。

 水槽ゾーンは撤去されたというのに。

 コスト削減、というよりこの前のゲリラ豪雨による停電で魚もカニも亀もみんなみんな死んだから、しかたがないのだ。


「なにこれぇ、なんか汁でてるぅ。やだぁ」


 吹き出したての血溜まりの中に落ちた頭部の、陥没した隙間からは透明な脳漿が流れ出ているだけ。

 中身が簡単にこぼれ落ちないための頭蓋骨なのだから、しかたがない。

 いや違う。もともと詰まっていないんだもの、はみ出しようがないじゃないか。

 べちゃりと潰れた大小ふたつの肉の塊。推しレンジャーはレッドになっていて、無地のワンピースは迷彩柄みたいになっている。ブリーチで傷んだ髪の毛はざんばらに四散して血を吸っている。頭、頭だったもの。ない脳みそは出てないけど餡この入った白玉みたいな目玉が飛び出ている、前歯が血溜まりに点々と波紋を作って、鼻血なのか鼻水なのか涙なのか、耳からも、穴という穴からべっこう飴のような汁が垂れている。下顎がなくなったついでに舌も噛み切ったみたいだ。陸に上がって酸欠の深海魚みたいで笑えてくる、大好きなスマホはバキバキ、液晶を連打していた親指も、タトゥーの入った腕もかけっこしていたあの足も、裂けるチーズみたいに筋肉が見えて関節から骨が剥き出しでバッキバキ、遠くの方でニューバランスとサンダルが呼んでいる。


「ひどぉい、ぐちゃぐちゃじゃん、かわいそぉ」


 加藤さんはさめざめと泣いていた。

 かわいそうだけど仕方がない。

 死ぬものは死ぬんだから、いちいち悲しんでいられないのだ。

 そのときバックヤードから店長が手招きをしたのでついていった。


「来月のシフトなんだけど、土曜日の三時間だけでお願いできるかな? 人件費削減でね。関谷さん、掛け持ち先があるでしょう? シンママさんを優先してあげなきゃ、ねぇ」


 ***


「関谷さぁん。さみしいぃ」


 もう一緒にシフトに入ることはないと伝えるとやっぱり馴れ馴れしく抱きついてきたのでケージを両手で持って思いっきり叩きつけた、ハムスターはお互いを食い合ってみんな死んだからケージはちょうど空っぽだった。


「なにぃ?やだぁ、ぐふ、ちょぼっ、せぎっ」


 血泡を吹いて倒れたその頭に繰り返しケージを振り下ろすとそのうち柵が壊れて、顔に刺さった柵の先が頬骨に当たるこりっという感触が伝わってきて引き抜くと尖った先端にぷるんとした目玉がついてきた、未練がましくぬるっと繋がっている視神経は納豆の糸みたいで手首を軽く振ると千切れた。納豆よりも動物よりも生臭い鉄臭いにおいが立ち込めていた。昨日は給料日だったから別段空腹ではない、でもこの先給料日に満腹になれる保証はない。

 髪を振り乱して這いつくばって痙攣しながら宙を掻くナチュラルネイルの指先を足ではたき落とし、再びおおきく振りかぶったとき、まだちゃんとついている唇が、なんでぇ、と言った。


「減らしていかないと。死活問題だから」


 腕を振り下ろしたら、ひしゃげて完全に動かなくなった。

 かわいそうだけど仕方がない。

 弱いものから死んでいく、そんなのにいちいち構っていられない。

 仕方がないことだ。

 ああ、頭痛い。気圧が下がっている。

 彼氏欲しい。

 お腹すいた。



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