第16話 何で陰キャが美少女と!?


 リングの上で俺と対峙すると、青島はゲスびた表情で笑った。


「あの綺麗な嬢ちゃんに心配されてたな。残念だが、お前は情けなく失神させて、あの子は俺がもらってくぜ?」

「やめとけ、ケツの穴が大事ならな。晒されるぞ?」


 ――カーン!


「シッ!」


 ゴングが鳴ると同時に青島は早速ジャブを一発。

 開幕でやってくるだろうなと思っていた俺は両手でガードしつつバックステップでそれを躱す。


「シッ! シッ! シッ!」


 そして青島は連続でジャブを打ってくる。


(パンチしか来ないと分かってると避けやすいな。周囲から弾丸が飛んでくることもねぇし)


 俺は伏見の身体で青島がパンチを撃つ直前から身体をひねって避けていた。

 青島は上裸なので筋肉の予備動作でパンチを打つタイミングが非常に分かりやすい。

 このレベルなら俺の動きが以前よりも遅くても十分間に合う。

 そして何より――


(伏見甚太。こいつ、やっぱり傭兵だった俺より良い目を持ってやがる)


 相手の動きを追う動体視力。

 それと、パンチが当たる距離を正確に認識する深視力。

 これは鍛えるのが難しい、伏見甚太の才能としか言いようがないだろう。

 あるいは、殴られ過ぎた結果かもしれないが。


 ――そして、体力。

 傭兵だった俺と比べるともちろん低いが、まるっきりないわけじゃない。

 伏見の記憶を辿って分かったがこいつはパシリもやらされてるし、バイトもしてるし、よく意味もなく堂島たちにしごかれていた。

 室内運動部の部員くらいの体力はある。


「ハァ! ハァ! くそっ、ちょこまかとっ!」


 その後も俺はパンチを避ける、避ける。

 最小の動きで避けているとはいえ、青島のパンチを避けるうちに俺は体力が無くなっていく。

 それはもちろん、青島も同じだ。

 パンチを打つ方が無酸素運動なので消耗するが、普段からトレーニングをしている青島の方が体力にまだ余裕があるだろう。


(さて、俺も息が上がってきた。終わらせるか)


 だが、俺と青島には大きな差があった。

 常に死と隣り合わせ、一瞬の油断で全てが終わる戦場。

 その緊張感と気力、観察力は傭兵として生き延びてきた俺の経験値が圧倒していた。


 一向にパンチを打たずに避け続ける俺。

 息は2回吸って2回吐くリズム。

 俺は最初から持久走と同じ有酸素運動の呼吸法でいた。

 青島はどう見ても貧弱な俺にパンチが当たらない苛立ちから油断してまた右手のガードを下げた。

 これで5回目だ、全く。


「シッ!」


 ――パァン!


 青島のストレートに合わせて俺の左フックが青島のアゴを揺らす。

 脳みそが揺れ、青島の目の焦点が定まってなかった。

 今何が起こっているのか全く理解できてないだろう。

 俺はそのまま冷静に顔に――いや、正確には目の位置に何発もジャブを打つ。

 力が弱いから威力は低いが、そんなのは関係ない。

 青島は視界が無くなるし、何より連打でずっと脳が揺れる。

 パニックになった人間ほど御しやすいモノはない。


「シッ! シッ! シッ!」


 細かく息を吐きながら青島の目にジャブを打ち続ける。

 青島は当てずっぽうに大振りのパンチを繰り出すが、当たるはずもない。

 ボクシングに限らず、どんなスポーツでもそうだ。

 冷静さを失ったら負ける。


 脳が揺さぶられ過ぎて平衡感覚を完全に失い、自分が今どちらを向いているかも分かっていないような青島の顎にトドメの右ストレートを打った。


 青島の眼球がグルンと上に回転し、前のめりに倒れる。

 しばらく目が覚めないだろう。

 俺はカウントを待たずしてグローブを外した。


「シャワー、借りてくぞ」

「……え?」


 呆然とするボクシングジムの生徒たちの前を悠々と歩き、俺は汗を流した。


       ◇◇◇


「いやー、着替えのシャツまでくれて良い奴らだったな」

「口止め料に決まってるでしょ。勝手に一般人と戦って、あんな無様ぶざまなことになったんだから」


 ボクシングジムを出ると、シャルと2人話しながら歩く。


「どうしてすぐに倒さなかったのよ、ハラハラしたじゃない」


 シャルはそう言って俺を睨む。

 口ではあんな事言いつつ心配してたのかこいつ。


「言ったろ、試運転だって。すぐに倒しちゃ意味がねぇ、おかげでよく分かった」


 そんな会話をしながらシャルと一緒に俺の家に向かう。

 その途中、シャルはハッとしたように手を叩いた。


「いけない、私ったら! 龍二のご家族に会うんだもの。何か手土産を持って行かないと!」

「俺の家族って言って良いのか分からないけどな……。別に良いんじゃねぇか?」

「ダ、ダメよ! 初めてのご挨拶なんだからっ!」


 こいつ、こんなに礼儀正しかったか?

 そんなことを思いつつ、シャルに腕を引っ張られて百貨店へ。


「見て! これなんてどうかしら! あっ、これも良いわね!」


 シャルはそう言って、綺麗な洋服を何着も手に取る。


「お前、値札見てるか? これウォンじゃないぞ? 円だぞ?」

「渡すなら高価な方が良いじゃない!」

「高価すぎても渡された方は困るんだよ……服はお前が着ろ。全く、しょうがないから手土産は俺が選んでやる」


 そんなこんなでシャルの買い物に付き合わされ――

 俺は夕方頃ようやく家に帰る。


「ただいま~」


 とりあえずシャルには家のすぐ外で待っててもらう。

 俺が家の扉を開くと、すぐにドタドタと誰かが走ってきた。

 ショートヘアが似合う、妹の伏見ふしみ亜美あみだ。

 初対面だが、伏見の記憶のせいで本当に俺にはこんな妹が居ると錯覚してしまう。

 そんな亜美は俺を見て鼻で笑う。


「なによアンタ、髪切ったの? そっちの方がまだ見れるわね。陰キャオーラが少し薄れたんじゃない?」


 しかし、すぐに俺の胸ぐらを掴んで睨みつけてきた。


「そんなことより、何よあの連絡! 変な奴連れて来てないでしょうね!?」

「……やっぱりダメか?」

「当たり前でしょ! アンタが連れてくる奴なんてロクな奴じゃないんだから! 絶対に家には入れないからね!」


 そんな怒鳴り声を聞いて、キッチンから伏見の母親――伏見さくらがやってきた。

 伏見の記憶だといつものほほんとしているロングヘアーの若々しい彼女だが、エプロンを着けて珍しく怒った表情だ。


「こら! 亜美ちゃんダメでしょ! 甚太君がせっかくお友達を連れてきたのに!」

「だからダメだって言ってるの! 母さんもこいつの友達なんか追い出してよ!」


 俺は亜美の様子を見てため息を吐いた。

 そして、扉の外にいるシャルにわざとらしく話す。


「だってさ、シャル。悪いがウチはダメだとよ、ダンボール渡すから今晩は公園で寝てくれ」

「……しゃる?」


 俺が扉を開くと、瞳に涙を浮かべたフランス人の美少女が現れた。


「そ、そうですよね……私なんてお家に上げたくないですよね。分かりました、出来れば新聞紙も頂けると助かります」


 妹と母親は口をあんぐりと開けたまま固まった。

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