第5話 妄想だけど可



はっきりいって、労働はクソだ。


二次元に存在する人物にせよ、現実を生きる人にせよ、みな口を揃えていった真理こそがこれである。


人は働かなければ生きていけない。至極当然の事実ではあるし、資本主義国家に生まれた人間にとってこれは絶対的なルールだ。


だが私もまた、労働という絶対的ルールの批判者の1人である。


所詮資本主義など金のある者だけが高らかに謳うシステムである以上、貧しい者はみな馬車馬の如く、身と精神を削りながら働いているのが現状なのだ。


仕事をせず、使い物にならない同僚。

メール1つすら十分に送れない部下。

なにより理不尽な要求をするクライアントと上司。

さらには、1日で処理しきれなかった仕事達。

こんなものに悩まされていては、いずれ精神を病んでしまう。


そんな失望の底で私は、いつだってこういって自分を奮い立たせてきた。

いや、落ち着けれん。世の中にはもっと過酷な環境で働いている人もいるのだぞと。


なら、その方たちに恥じず、敬意を払い、私も身を粉にすべきだ。

そう、敬え。過酷な中でも労働うんめいに立ち向かう英雄達を敬うのだ。


労働万歳ジークハイル! 労働万歳ジークハイル! 頑張る社畜達ジークハイルを・高らかに褒めて誇れヴィクトリア! これこそ日本人としての矜持であり――



「おーい、レディ。また思考回路が異次元に飛んでるけど大丈夫ー?」



その瞬間、私は柔和な声に意識を揺さぶられた。


正に、社畜親衛隊へと身を落としかけた私の意識を呼び起こしたのはあるという男。

或は私の目の前に立っており、手を振っては「次の駅で降りるんでしょ?」と私に呼び掛けている。


非現実的な美貌と、柔らかく甘美な声音というイデアルで私はようやく意識を取り戻した。

なんとか或の忠告で、電車を乗り過ごすことなどなく、私は今日も無事に帰宅する。


しかし、だ。家に帰ればまた労働はクソだと思える事態と遭遇する。


私は料理が出来ない上、仕事のこともあって、夕飯の準備はパートを終えた母がしてくれている。

だが、食器洗いは別だ。


なにもかもを仕事で疲れている母に任せるべきではないし、本来こういったものは家にいるべきものがすること。

つまり、御年26にしても家で働かずに悠々自適な日々を送る妹こそこの役目を負うべきなのだ。


しかし、その肝心な妹は一切なにもしない。

それどころか、人に対して色んな面倒事を押し付けてくる。


例えば箸を洗った後の分別や置き方など、自分のルールを押し付けてあれやこれやと指示してくるのだ。

そんな我儘に付き合わされるなら、別に構わない。


それ以上に苛立つのは、その態度だ。

毎日働く苦労を知らないくせに、働いて疲れた私と母にとてつもなく上からの物言いで接してくる。


さらにはこちらの事情などお構いなしに仕事の邪魔をして、ヘラヘラと笑い、長話に付き合わされたときなど、正直殺意しか湧かなかった。



「成程、レディにはそんな悩みがあったのか」



一通りの面倒事をやり終え、自室に戻った私は或に軽く愚痴を零す。


そして私の愚痴を聞いた或は、静かに「ふむ」と頷きながら私を刺激することなく、こ慎重に言葉を選んだのかこう返してきた。


まだこいつと同居を始めて4日しか経っていないため、或は私の事情など一切知らない。


だというのに、こいつはなぜか私の地雷を踏み抜いたことは1度もない。その変態発言で拳を振りかざしたことは何度でもあるが。


常にテンションが高く、私を「レディ」と謎の固有名詞で呼んだり、仕事中も時々怪しいことを語りかけていたりもする。


だが、私の苦手とする話や、それこそ過去にあった地雷体験については絶対に踏み抜かない。


私はこの異様な感じに、どこか気持ち悪さを覚えたが、どこか探ってはいけないと本能が訴え続けるため、この不快さが込み上げる度に首を横に振って我に返っていた。


まぁ、まだ会って日が経たないし、そんなことはそうそうないとも思う。

だとしても、或は別の意味でも異常だ。

口調だけでなく、いい回しもそうだが、少し常人と離れている。


正に二次元のキャラクターといえるぐらいだが、その王子様気質なキャラは1度は女性が夢見た理想像そのものともいえる。

この或の異常性をもっと噛み砕いていうのならば、だ。


皆様がお疲れな中、背後から可愛い後輩社員が「お疲れ様です♡」とジュースを差し入れたらどう思うだろうか?

ちなみに、この後輩社員の男女どちらでも構わない。性別は問わないものとする。


現実を生きていればこんなことは稀だ。いや、稀じゃない?


ええい、稀だ。私は今の会社に勤めてもう6年になるが、そんな事態に遭遇したことがないからないのだ。ないったらない。


或の行動に関しては、これらの遥か上を行く。


寝るときは常に腕枕をしてくれる上、眠れないと「大丈夫だからね」と子どもを寝かしつけるように優しく私を抱きしめるのだ。


ただ万年喪女の私は、当然こんなことに慣れていない。

恥ずかしくて腕を振り払えば、或はくすくす笑いながら、眠りに落ちるまでずっと頭を撫でたり、「今日も頑張ったね」と私を励まし、さらに私の好きなところは易々と10個以上は延べてはこう止めを刺すのだ。



「安心して、僕は君だけのものだから」



おかげで、このスパダリもとい都合のいい男MAXな発言で私は多々眠れない日々を送っている。そうこいつと出会った初日のことだ。


ある程度乙女ゲーを履修した身からすれば、或と関わっていれば気分はいつだってゲームの中。

ゆえにたまに、或に泣きつきたくなることがある。

無論、理由はただ癒されイチャイチャしたいという不純動機1つだ。



「……お前って、本当になんでそんな王子様対応オプションが搭載されてんの?」


「王子様、ねぇ……。別にやんごとなき立場の方はこんなことは言わないと思うけど?」


「疑問を疑問形で返すな。わかっとるわ、こんなの乙女ゲー内の王子様しかいわん」


「なら男妾ジゴロといいたまえ。……いや、でも僕はレディの飼い犬だし、他の女から貢がれても全く嬉しくないな」



ほら、そういうところだ。

こいつはいつだって浮ついた言葉で、脳内お花畑な私を酔わせるのが得意なのだ。


今だって、自分を飼い犬呼ばわりしたり、「他の女に貢がれても嬉しくない」という。

正にその存在は私のために。それ以外などどうでもいい、都合のいい――と脳が先行してそれを浮かべた瞬間。



「都合のいい存在だって? そりゃあそうかもね、なにせ僕はそうやって生を受けたんだから」


「は?」



と自らの出自を語る或の言葉には、どこか重みがあった。


それだけでなく、そう語る或の声はいつしか百貨店で聞いたときの声音とよく似ている。


その声音の奥にあるのは、察する範囲でいうのならどこか憎悪を感じられたため、一瞬背筋が寒くなった。


或と話していると、たまにこんなことが起こることがある。

私自身、時々或の闇深さに気を取られることもあるし、本当にこいつは妄想の類なのかと匂わせる邪悪さも少なからず秘めている。


正直、或が怖いという気持ちもあるが、それ以上に彼の隠す闇というものが気になって仕方のないから、闇を暴こうとしている自分もいる訳で。



「あ――…」


「うん! 都合のいい男!? 上等だとも! 君が僕を求めるのならば、嫌というまで僕という存在を捧げよう!  わーい 僕って優しい~!」



或の本心を暴こうとして彼の名を呼びかけたら、こいつは高揚した様子で甘ったるい言葉で誤魔化す。それを見て、私は思う。



「本当に、これって現実?」


「うん?」



素直な感想を述べていいのなら、この一言に尽きるだろう。

なにせ或との生活は甘くて魅力的だが、どこか恐怖も孕んでいる。


1つの夢に対し、あらゆることを含んでいるからこそ、怖くて、だけれども楽しくて、嫌だと拒んでもしがみついてしまう。

そう感じてしまえば、こうやって言葉を濁すのも当然のことだ。



「いや、だって……」


「僕があまりにも出来過ぎているって?」


「……うん」



ああ、そうとも。本当にお前は出来すぎている。


正に私にとっての理想。置き去りにしてきた甘い青春。それらをくれる或は一体何者なのだろうか?

だが、或はどこか自嘲を込めてヘラヘラと笑う。



「……そう? 僕、結構これでも欠陥品なんだけどなぁ。ただそれを魔法の布で隠してるって感じ」


「魔法の布ってなんだよ……。アイテムじゃあるまいし」


「アイテム、かぁ……。いいねぇ! 今、カメレオンっていいかけたけど、さすがに僕ほどの美男子がカメレオンなのは嫌だからね!」


「あー、はいはい。お前は顔と声はいいもんなぁ」


「だろう? だからさ」



そういうと、或は私の手を引く。

虚脱した体は既に、脳の信号を無視して、筋肉による抵抗さえさせない。

さらに重力など無視したかのように、私の身体はすんなりと或の体に収まった。



「今ぐらい、甘えちゃおうね」



或はそのまま私を抱きしめて、背中を優しく叩いては摩る。

およそ30秒ほど遅れて、脳がようやく事態を理解し、どうすべきかを私へと聞いてくる。


本来なら、いつものように「訴えられてぇのか!?」と返すが、今は自身の脳へとそれだけは止してくれと返した。


もはや現実を凌駕したような成り立ちだからか、或の腕の中はやけに優しくて甘い匂いがした。


はたしてそれは幻覚なのか。理解など出来ないがその香りが鼻腔を擽ると、このままでいたいと私はガラにもなく甘えてしまう。


そもそも、私たちの関係とは一体どんなものなのだろう。

飼い主と飼い犬?

それとも、使う側と使われる側?

はたまた都合のいい存在?


いいや、それ以上。その「」という垣根を超えたその先の関係——男と女、だろうか?


そんなことなど理解できないし、或の体温と甘い匂いが考えさせないようにしているようにも思える。


ゆえに私はこの場で答えを出すのを止める。


妄想だからいいや

ではなく、妄想だけどアリ

今は、これだけでいい。


決して、彼の裏の顔を暴く必要など今はないのだから。




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