第4話 ワガママに絆され、過去に胸を痛めるのとか拷問ですか?
私達はそのまま百貨店へと向かったわけだが、あまり店内に客がいないために空きに空いた店内を探索する。
まぁ、開店時間から10分程度しか経っていない上、こんな朝から暇つぶしでここに来るのも珍しいからこそなのだが。
「どこに行く?」
私がそう雑に聞けば、
「レディの行きたいところでいいよ」
あれだけ目を輝かせていたくせに、人任せにするなど、内心私はこいつが憎らしかった。
今の私は1分1秒でも早く仕事という呪縛から逃れたいのに、まさかここにいたくない私に対し権利を与えるなど馬鹿らしい。
もう帰ってやろうかと思ったが、私はあるものの存在を思い出す。
「そういえば、この間くしが壊れたんだっけ……」
ふと私は、先日の朝のことをぼんやりと思い返す。
先日会社に行く前に身だしなみを整えている際、不吉にも使っていたくしが割れてしまった。
正しくはコームなのだが、10年も使えば安物など壊れてしまうわけで。
さすがにもう手櫛で髪を整えるのには限界があるし、別に外に持ち運ぶわけでもない。
なら安物上等。私はくしを買うべく美容関係のコーナーへ行くと、或がようやく何かに興味を示し始める。
目をキラキラと輝かせた奴が今見ていたのは、シュシュ。
安値ながらも色とりどりで、デザインの多いシュシュを見て、なぜかこいつは視線で欲しいと訴えている。
まさかこいつ、女装趣味でもあるのかと疑う中、或は1つのシュシュを指指してはこう言った。
「見てごらん! これ、レディに絶対に合う!」
或が指指した先を見てみれば、そのシュシュはワインレッドでシックなデザインの物だった。
特にリボンなどの装飾もなければ、至ってシンプル。
或は「会社につけていったらどうだい!?」と言うが、私には正直
職場ではそれこそ黒色のゴムで軽く後ろをくくっただけの、正に地味女スタイルを貫く私にいきなりワインレッドのシュシュは難易度が高い。
というよりも、職場の規則的にアウトだと思われる。
「やだよ、使わないもん」
「えー……。あっ!」
或は不満を漏らし、私は強引に来た道を戻るが、そんな中或が大声を上げた。
あまりの声の大きさに私は驚き、気を抜いて思わず声に出して答えそうになってしまう。
初めて或と会ったあの日、自室での叫びが家族に聞こえたのを知り、或と会話するときは基本心のうちでと決めている。
最初は聞こえないかと思ったが、案外聞こえるらしく、益々こいつの存在は私の妄想だという可能性が色濃くなっていく。
無論、或の姿は他の人にも見えないし、声も同様だ。
だから静かに心のうちで話していれば問題ないのだが、気を抜けば声を出しそうになる。
「うるさい!」と胸中で或を叱り、後ろを振り返れば、何かをのぞき込んで目を輝かせる或がいた。
そして私は、或が足を止める現在地を思い出し、恐怖で背筋が震えあがる。
こいつが立ち止まっているのは、アクセサリーコーナーだ。
まさか先程のシュシュと同じく、「レディに似合うよ!」と言われたら私はどうすべきだろうか。
いや、そもそもこういった安値の百貨店で売られているアクセサリーは昔ほどじゃないが値段相応だ。
30にもなってそれを付けろとなると、ある種拷問だが、慎重に或の背後に回れば、こいつは天然石のブレスレットと思われるものを見ていた。
或の目に留まっていたのは、ピンク色と茶色の石で出来たブレスレットだった。価格はなんと110円。
私は一時期天然石を集めるのが趣味で、今もたまに天然石専門店に足を運ぶことがある。
そういった店で本物を見ているからこそ、或の目に映るこのブレスレットが
「嫌だよ、買わない」
「えーっ! なんでよ!? 別に減るもんじゃないだろう!?」
「減る減らないの問題じゃなくてだな……そもそも突然大声を上げるなよ! お前は子どもか!?」
「だってだってだってー! この
「……」
突然の駄々プラス許可もなく大声を上げるなどの我侭が立て続き、正直私はより今すぐ帰りたいという気持ちが高まっていく。
しかし、今こいつの駄々に少々腹が立ったのには別の理由がある。
私のイメージが
そんな意味不明なことを抜かす上、挙句には私のイメージと自分のイメージを合わせたものがあるから買えと?
私はすぐに「嫌だよ」と或の意見を切り捨てる。
「大体どうすんの? 2つ買ったって、お前は付けられないんだし」
そう呟いた瞬間、私は我に返る。
2つ? なぜだ? 普通1つだ。
付けれるのは私1人だし、2つあったところで無駄なだけだ。
しかし、2つ?
つまり、それは――
「お揃い?」
私が思った言葉を、或はあっけらかんとした様子で代弁する。
すると、或はさらに我侭と妄想を加速させた。
「いいねぇ! まさかレディがこんなにも早く僕とお揃いの品を持ちたがるなんて! ああッ、でも飼い犬風情がご主人様と同じ品を身につけていいのかなッ!? なんたる贅沢! なんて君は懐が広いんだ!」
或のマゾ発言に、私は一瞬だけ安堵する。
『飼い犬』と『ご主人様』。 つまるところ私と或はそんな関係だ。
そう安堵を嚥下して、私は或の姿を改めてじっと見る。
或はまるでゲームから出てきたかのような、白い貴族風の衣装を身にまとい、髪色と瞳の色も、どちらかというと二次元寄りだ。
そんな非現実的な美男子が、まさかこんなアラサーと恋仲になるなど――
「……妄想も大概にしろ」
身の程を思い知れとそう静かに1人呟くと、なぜか心が痛んだ。
『飼い犬』と『ご主人様』?
本当に私は、それを望んでいたのだろうか。
それは、
或を迎えたあの夜、私はなにを思っていたと追想する中で或がそっと呟く。
「……別に気にすることなんてないのに。なんて、それはあまりにも傲慢すぎるね」
「え?」
先日の記憶の想起と同時に聞こえたのは或の声。
今、確かに零したかのような呟きと一瞬、低くなった或の声に私は驚く。
普段からテンションが高い彼がここまで低く、尖った声音など私はこの2日間で聞いたことなどない。
気まずさと混乱を入り交ぜた沈黙が続き、およそ数秒。
或は何事もなかったようににこりと微笑んで、天然石のブレスレットを手に取った。
「やっぱり、これ欲しいな」
そうお菓子を強請る子供のように甘えた声で、改めてそう言い直す或。
私はそんな或の姿を見て、なぜか安堵した。
私の心が痛んだのは、自身が送っているこの現実が妄想だと思ってしまったから。
なのに私は、こんなにも
相対するこの矛盾。このままでは、このままではまたあのときと同じになると不安で胸が痛む。
しかしそれでもなお、このときの或の行動には感謝しかなかった。
「いいよ、買ってあげる」
そう無意識に私は苦笑を零しつつ、安物で本物かどうか分からない天然石のブレスレットを2つ購入した。
1つは私のぶんで、もう1つは或のぶん。
決して或はつけられないが、それでもなお、彼は喜んでいた。
正直、これをレジに持っていったときの店員の反応など覚えていない。
恐らく、こんないい歳をした大人がこんな子供向けの商品を2つも買うのかと引いているかもしれないし、そもそも客が購入したものに興味など抱いていないのかもしれない。
色々と複雑だが、家でブレスレットを付けたときの或はとても嬉しそうだった。
またも二次元に近い、完璧かつ非現実的に整った笑顔が酷く眩しい。
けれども、と思う。
もし、本当に彼の恋人になれたのなら――と。
所詮は妄想。ならこれは自分の中で自己完結すべきことだ。だが。
「こういうのも、いいね」
なんて夢想を漏らしてしまう自分を鑑みると、まだまだ私は人間として甘いと
しかしまだ私は、非現実的なこの日常に馴染めていないようだとも自覚した。
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