ひとちがい

ヤタ

ひとちがい

「突然で申し訳ないが」

 そんな言葉をかけられたのは、ちょうど高いビルとビルのあいだにあざやかな夕焼けがはさまった時間帯のときだった。あたりはうす暗くなり、会社帰りの男女が駅前の通りを足早に過ぎ去っていく。サラリーマンなのか、スーツ姿の集団が、どの店にいく、いいところ知ってますよ、それじゃあそこで、そんな会話をかわす彼らとすれちがったあと、背中に声がかけられたのだ。

 最初、僕だとはおもわず歩みをとめなかったが、今度は名字を呼ばれ、足をとめふりかえった。

 そこにいたのは、三十歳前後の背の高い男だった。しわひとつない濃紺の上下のスーツに白のワイシャツ。緑と黄色のしま模様のネクタイ。それだけがずいぶんと個性的な色合いだった。黒髪をポマードできっちりオールバックにセットし、濃い色のサングラスをかけている。ネクタイがなければ、ボディガードの一員に見えなくもない男だった。

 僕はたずねた。「なんでしょうか」

「われわれと一緒にきてもらいたい」

 僕は首をかしげた。

「われわれ? ひとりに見えますけど」

「光学迷彩によって、仲間の姿は見えなくなっている。私のうしろには三人がいる」

 彼のほうに体を向けた。それから目を細めて、そのうしろを凝視した。しかしなにも見えない。

「われわれは」彼はいった。「銀河評議会を代表して火星からやってきたものだ。この星、地球を評議会のメンバーにくわえるための話し合いをしたい。一緒にきてもらえるかな」

「いや、ちょっとまってください」

 僕は制止するように手をあげた。

 きょうはめずらしく定時にあがれた。ひさしぶりのことだった。いつもはコンビニの弁当ですませている夕食を、きょうはどこかのレストランでとろうか、そう考え歩いているとき、火星人から話しかけられる確率はどのくらいだろうか。すくなくとも、そう多くはないはずだ。僕にとってははじめての経験だった。

 たずねた。

「どうして僕なんですか。そんな大事な用件なら、もっとちがう人が、適任な人がいるでしょう」

「きみ以外にはいない、とわれわれは結論づけている」

 口調は淡々としているが、てこでも動かないほどの固い意志がそこには見え隠れしていた。まるでそうプログラミングされ、命令以外は実行しない機械のようでもあった。

「僕はただの一般人ですよ。そんな大層なものじゃない」

「しかし、きみはこの国のトップだろう」

「どういうことです?」

 僕はたずねかえした。彼は、いや、彼らはなにかを勘違いしているようであった。

 彼がスーツの裏ポケットからとりだした手帳をひらき、肩ごしに、僕には見えない仲間と話しはじめた。ひとこと、ふたことの会話をしたあと、こちらに向きなおった。

「きみのフルネームを教えてくれないか」

 僕がこたえると、彼はうなずいた。

「間違いない。きみは総理大臣だ」

「ああ」と僕はうなずいた。

 といってもイエスの意味ではない。二年まえ、政権交代がおこり新たな総理大臣が誕生した。その首相の名前が僕と同姓同名なのだ。最初のころはそのことでよく同僚にからかわれていた。たかが二年まえ。しかしずいぶん昔のことのように感じる。社会人になってからずっとそうだった。

「別人ですよ」僕はこたえた。「確認してみてください。すぐにわかるはずです」

 彼がもう一度手帳に目をおとし、それから見えない仲間と話しはじめた。ほどなくして、さきほどとちがい、焦りのような表情がうまれた。何度も確認したあと、ばつのわるそうな顔で、彼はこちらを向き、頭をさげた。

「すまない。どうやら人違いのようだった。迷惑をかけた」

「いや、大丈夫ですよ」

「ありがとう。しかし、そうか、人違いか」

 彼が首をかしげ、困ったように腕を組んだ。

「どうかしたんですか」

「いや、じつは」彼が悩みながらこたえた。「さきほどもいったが、このあと、私の上司と、地球の銀河評議会加入のための話し合いをする予定なのだ。その席に、総理大臣をつれてくる約束をしたのだが」

 うーむ、とむずかしい顔で首をかしげ、それからなにかを閃いたように僕の顔を見すえた。

「そうだ。きょう一日だけ、総理大臣のふりをしないか」

「いやいや、ちょっとまってください」

 僕は断固拒否の姿勢を伝えるため、顔のまえで両手をぶんぶんとふった。

「さすがに無理ですって。僕はただの一般人で、そんなだいそれたことできませんから」

「そうか、いや、そうだな。すまない。どうやら焦っていたようだ」

 彼は申し訳なさそうに頭をさげた。短いあいだに二度目のことだが、さきほどよりも深いおじぎだった。

 あたりは日が暮れ、太陽が沈みかけている。すれちがう人々の数が多くなり、飲食店の入り口まえではスーツ姿の集団がメニューの看板をながめ会話をしていた。

 僕はいった。

「あの、それじゃあ、これで」

「ああ、すまない。本当に迷惑をかけた」

「いえ」

 首をふり、踵を返したところで、ふたたび声をかけられた。

「そういえば、きみは、われわれが火星人であることを名乗ってもおどろかなかったな。地球ではまだ、宇宙人の存在を公表してないと思ったが」

「ああ、そのことですか」微笑をうかべ、僕はこたえた。「あなたがたと同じだからですよ。もっとも、火星ではなく、金星人ですけど」

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