第10話 泉谷 凪(いずみや なぎ)

 あの日のことはよく覚えている。

 夕暮れ時の三年三組の教室。

 そこで初めて彼女と言葉を交わした。

 今にも消え去ってしまいそうな儚い後ろ姿。

「もう死んでしまいたい」と、そう呟いた彼女に、あの日の俺は勇気を出して話しかけたんだ。


 それが始まりだった。


 それから何度か話す機会があって、その度に緊張と嬉しさから心を高鳴らせた。

 回数にしてみればたった数回、時間にしてみればほんの一瞬。

 まるで気まぐれに吹く風のように近づいては離れていく彼女。

 だけど、そのどれもが印象的で、忘れることは出来なかった。


 そして、その年から届くようになった差出人不明のチョコレート。

 最初はいたずらか何かだと思ったが、毎年のように続くうちに、そうじゃないことに気づく。

 嬉しかった。

 義理とか本命とかそんなことはどうでもよくて、ただ教室の隅でいつも一人でいる自分を誰かが見てくれていたことが本当に嬉しかった。

 そしてこれは、きっと彼女———柊里緒菜からのものだと、そう思った。

 そうだったらいいなと思っていた。


 あれ以来、彼女とはずっと話せていない。

 だから、毎年届くそのチョコレートだけが、自分と彼女を繋げる唯一のものだと感じていた。

 でも、それはただの勘違いだったようだ。


 そんな一抹の寂しさとむなしさを抱いて、俺は夕方の音楽室で一人途方に暮れていた。


 手には別の人からもらったチョコレート。

 今までのも、その人からのものだったと言う。

 だが、どうにも違和感が拭えない。

 ただ、認めたくないだけだろうか。

 だけどもう考えても仕方がないし、元より自分にそれを確かめるだけの勇気なんてない。


 鞄にそれをしまい、教室を出ようとしたところで、ちょうど誰かが入ってきた。


 柊里緒菜だった。


 どうしてここに?

 当然そんな疑問が過ったが、しかし、すぐに懐かしさの方がこみ上げてくる。

 確かあの日も、こんな夕焼けで……


「あんな女のどこがいいの?」

「……?」


 いつだって彼女は唐突だ。

 だから、すぐに俺はその言葉の意味を考える。

 目元に涙を浮かべ虚空を見つめる彼女。

 その手には、どこからか持ってきたのか、包丁が握られていた。

 そして、俺はようやく理解した。

 それと同時に安堵する。

 勘違いなんかではかったんだと。


「やっぱり、君だったんだね」


 だけどもう、何もかもが遅かったようだ。

 彼女にはもう、俺の言葉は届いていない。


 柊里緒菜は、最後まで俺の言葉を待たず、こちらの腹部目掛けて包丁を突き立てて来た。


 俺はそれを避けようとはせずにただ受け入れる。


 だって俺も同じだったから。


 両親を亡くしたあの年、あの教室で、君は俺と同じ気持ちを代弁したんだ。

 それから君を意識するようになって、みるみる変わっていく君を見て勇気を貰っていた。

 強くて綺麗で、そしてしたたかな君は、俺の憧れだった。

 だから、そんな君が壊れてしまうというのなら、俺が壊してしまったというのなら、俺も君の手で壊されるべきなんだと思う。


 だけど、せめて……ごめんねと……

そして、ありがとうを……どうにか伝えたかったな……







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ヤンデレストーカー幼馴染が出来るまで…… シグオ @fsigma2337

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