第9話 邪魔者

 私は凪くんが下駄箱から取り出したものを確認し、激しく唇を噛んだ。

 その手にあったのは、かわいらしい封筒に入った手紙。

 まず間違いなく女からのものだ。

 いったい誰が……。

 凪くんはそれを一読し懐へしまうと、外へ出ることなく引き返していく。

 凪くんが立ち去ってすぐその下駄箱の中身を確認したが、私のチョコレートはなかった。

 その女が処分した、そうとしか考えられない。

 迂闊だった。

 私と凪くんの邪魔をしようとしているものがいる。

 たぶん凪くんは今、手紙で呼び出された場所に向かっているはずだ。

 私も急いでその後をつけていく。

 大丈夫。

 焦ることなんてない。

 相手が誰であろうと、凪くんはきっと拒むはずだ。

 なぜなら、私というものがあるのだから。

 ただ、誰だったのかは確認しておく必要があった。

 後日、確実に消すために。


 凪くんの向かった場所は副教科でよく使われている棟、その音楽室だった。

 そこには既に、凪くんと一人の女がいた。

 私は二人に見つからないよう廊下の壁際に背を預け、教室内の会話に耳を傾ける。


「……泉谷君。今日は来てくれてありがとう。えっと、わたしのこと覚えてるかな?同じ中学だったんだけど……」

「うん、覚えてるよ。日高さんだよね」


 同じ中学?

 私は嫌な予感を覚え、爪を噛む。

 日高って確か……


「えっと、急にこんなこと言われたらすごく驚くと思うんだけど、実は中学のころからずっと泉谷君のことが気になっていて……それで、えっと、これを……」


 扉の隙間から中を覗けば、ちょうど日高とかいう女が凪くんに手のひらサイズのチョコレートを渡しているところだった。

 凪くんはこちらに背を向けていて表情が伺えないが、少し躊躇っているように見える。

 今すぐ割って入って突き返してやりたい衝動に駆られるが、ぐっとこらえて我慢する。

 大丈夫。

 大丈夫だ。

 だって、凪くんと私は……


「ありがとう」


 そして、凪くんは結局それを受け取ってしまった。


「実は中学の時にも一度告白しようとしたんだけどね、その時大怪我しちゃって、中々言い出せなかったんだ。それで、その……泉谷君は今好きな人とか、気になってる人とかいたりする?」

「それは……」


 手元のチョコレートに視線を落とす凪くん。

 今、どんな顔をして、何を考えているの?

 全身に汗が滲み、鼓動が高鳴る。

 そして、一瞬の沈黙のあと、凪くんは言った。


「小学生の頃から、ずっと気になっている人がいて……」


 それを聞いて私は胸を抑える。

 今度は焦りからだけではない。

 期待と不安が入り交じり、さらに鼓動が速くなっていく。


「あ、そうだったんだ……でも、小学生の頃からってことは、今は違う高校にいるってこと?」


 少し残念そうに、しかし、僅かな可能性を探るようにその女は問いかける。


「いや、それがはっきりと分からなくて……」

「え?」

「ずっと、この日に同じ人からチョコを貰っていたはずなんだけど、でも名前が無くて……だから、誰かも分からない人をずっと気になってた」

「そうなんだ……その人に心当たりは?」


 凪くんは首を横に振る。


「この人かなっていうのはあったんだけど、違ったみたい」

「一応、誰か聞いてもいいかな?」

「え、……うん。勘違だったってわかった今となっては少し恥ずかしいんだけど、同じクラスの柊さん。ずっと前、何度か話したことがあって……」


 あぁ、凪くん。

 このとき私は、心の底から安堵した。

 そして全身を痺れるように幸福と興奮が駆け巡っていく。

 私がこれまでやってきたことは無意味じゃなかった。

 確かに凪くんの心は私に向いていたんだ。

 本当は少し、いや物凄く不安だった。

 凪くんが別の人にとられてしまうんじゃないか。

 私の努力なんて何の意味も無くて、凪くんの目には私なんて映っていないのではないか。

 小学生だったあの日のことを大切に覚えているのは私だけなんじゃないか。

 そんなことを考えるだけで、気が気じゃなかった。

 だから、凪くんのこの言葉を聞いてすべてが報われた気がした。


 しかし、私の幸福の絶頂は、次の女の言葉によって一瞬にして崩れ去る。


「私だよ」


「え?」

「ひどいよ、泉谷くん。全然気づいてくれないどころか、違う人だと思ってたなんて。今までチョコを渡してたのは私なんだけどな」


 何を言っているんだ、この女は。


「え、そうだったんだ……その、ごめん」

「もしかして、がっかりしてる?柊さんだったらよかった?」

「……いや、別にそんなことは」

「柊さんて、あまりいい噂聞かないよ。ほら、いつも一緒にいる人たちいるでしょ?その人たちと、その、なんていうか、結構悪いことしてるみたい。いじめとか恐喝とか、そういうの」

「……そうなの?」

「……うん。だから、泉谷君とは合わないと思うな」

「……そう……かもね」


 一体何が起こってるの?

 どこかで間違えた?

 いや、そんなことはない。だって、凪くんは私のことを、ちゃんと……

 頭の整理が追い付かない。

 このままでは凪くんの気持ちが離れて行ってしまう。

 待って。

 何とかしないと。


「あの、泉谷君。その、連絡先交換してもらえるかな。少しずつでもいいから、私と仲良くしてもらえると嬉しいな」

「……うん」


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。


 私は廊下でうずくまり、髪を掻きむしる。

 上手く呼吸もできない。

 これは夢だ。

 だって、凪くんが私以外の女のものになるなんてあり得ないから。


 ここからのことは、あまりよく覚えていない。

 確か同じ階に家庭科室があったのを思い出したので、そこで包丁を手にしたのは覚えている。

 それですぐに音楽室に戻ったけど、そこにはあの女の姿はなくて、凪くんだけが夕日を浴びて立っていた。

 その手にはチョコレートと携帯電話。

 あんな女のどこが……

 ううん、凪くんは悪くない。

 これはただの悪い夢。

 あの火事の日と同じだ。

 私は、何も言わずに音楽室に入って行って……

 それで、どうしたんだっけ……


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