悪役令嬢とルーシュリック

「トレーフルブラン」

 固い声が聞こえた。私は目線を合わせることもせずお茶に口をつける。ざぁーと風が吹き抜けていくのに良い演出になったとタイミングに感謝した。

 えっと戸惑いの声が聞こえるのに内心でため息。

「トレーフルブラン」

 鼻白みながらももう一度声をかけてきたのには賞賛と嘲りを贈る。無視されてでも諦めないそのタフさと、礼儀の一つも知らない愚かさに。流暢な動きでクッキーを掴み一口かじる。どの角度から見ても美しい気品溢れる姿になるよう心掛ける。食べ終えて指先を拭けば完全に出鼻をくじかれて狼狽えている男に目を向けた。

 ルーシュリック・レイザード。

 五大貴族が一つレイザード家の御子息にして天賦の才を持つ魔導士としても名高い男。この学園の成績でも彼は魔法学では学園一になっている。ただしそれ以外の成績は少し弱い。いわゆる天然おバカキャラという奴か? それでもこの学園の中では上位の成績であるが。

 彼は困ったように眉を下げている。その姿にもう一度ため息が出そうになる。これでも貴族かと。だがまあ彼はちょっと特殊な立ち位置にあるのだし仕方ないことではあるか……。口元に笑みを作る。

「何ですの。レイザード様」

「なんですぐに答えないんだよ」

 やっと私が答えたことで彼はホッとした顔をした。そしてそのすぐ後に納得がいかないという表情をして問いかけてくる。ふぅと今度は口に出してため息を吐いた。

「当然でしょう。男女が二人で話していたなどともし誰かに見られて噂でも立てられたらどういたしますの。今は私の婚約者でもあるセラフィード様もいないのですよ。貴族の者として疑いの原因になるような行為は避けるべきです。それに異性が気軽に声を掛けるのも礼儀として控えるべき行いでしょう。

 今後はもう少し考えて行動してくださいませ。レイザード家の品位が問われますわよ」

「……え」

 ぽかんとした目で見つめるルーシュリック・レイザード。いや、でもなどと言っているが相手にはしない。彼の混乱が落ち着くのを待ち落ち着いてきた所で声を掛ける。

「それで何の用でしょうか。レイザード様」

 顔を背け決して目は合わせない。私は一人優雅にお茶を楽しむ。そこに何故かルーシュリックがいるだけ。二人で話しているという雰囲気は欠片も作らない。

 彼はこのテラスでまで何でと思っているだろう。それをことさら意識させるために一つ一つの仕草を強調する。例え人の来ない場所と云えども安心してはいけない。何時何処に人の目があるのか分からないのが貴族の世界。

 貴族の者として油断は許されない。現に私はこのテラスでのセラフィードとさやかの密会を目撃しているのだし。

 散々悩んだ挙句に近寄ってこようとするルーシュリック。彼に近寄ってこないで下さいと言う。

「先ほども言いましたが私は貴族の令嬢として疑われるようなことは避けなくてはなりません。それは貴方もです。その場から十歩離れて、そうですね……、レイザード様なら魔法で椅子を出すのも簡単でしょう。椅子をお出しになって座ってください。そこで魔法具の手入れでもしてくださいな。

 此方を向いては駄目ですよ。かといって正反対を向くのもおやめください。それはそれで仲が悪いのかと云った噂を立てられることになりますから。反対よりのちょっと斜めぐらいを向いて座ってください。あくまでも私たちはここでたまたま一緒になっただけ。仲よくなどはしていません。

 よろしいですね」

 頭にはてなを浮かべながらも素直にルーシュリックは言う事を聞く。

 それを見ると何てやりやすいんだろう言う感想が自然浮かんだ。他の四人ならこうはいかない。私が言えばいちいち反論しようと言葉を探すはず。ただし正論だと分かっているので殆ど言い返せはしないが。でも殆どというのが胆ね。馬鹿みたいな屁理屈を捏ねたり、強引に文句を言って来ようとする時もあるから。そういうときは普段の倍疲れる。

 それがないのはルーシュリックはゲームの中でも一番素直なキャラだったからと云うより、それほど私と関わりがあるキャラではなかったからだろう。

 顔を合わせたことは幾度となくあるが直接話すのは今日が初めて。出会ったのもこの学園に入ってからつまり劣等感によりひねくれていないのだ。

 それでも多少の影響はあったらしく私に当たりは強いし、ステータスもゲームより弱い。でも他の人に比べるとまし。もしかしたら離れていた間の授業で埋められているかもしれない。そこはちょっと期待しておこう。この次に云われることについては何一つ期待していないが。でもまあ、それは計画の内。むしろ違うことを言われてしまえば計画が狂う。

「それでなんのようです」

 言われたようにしながら横目でチラチラと見てくるレイザードはよしを貰った犬のように喜び、でもそのすぐ後に顔をしかめた。

「あんたがさやかの悪い噂を流しているのか」

「さあ? 何の事でしょう。弟にも聞かれましたが何でそんな事を聞かれるのか。私には欠片も身に覚えがありませんのにね」

 どうしてでしょう。少し悲しげに見えるように笑いながら小首を傾げて何でだと思いますかとほんの少し顔を見せる。それからすぐにその表情を掻き消す。

「そもそも自分たちがどう見られているのかを少しも気にしない方が悪いと思いますけどね」

 聞こえるか聞こえないかの声で呟く言葉。えっという声。じっと見つめてくる視線。

「あまり見ないでくださいませ。噂されるようなことにはなりたくないと言っていますでしょう」

「あ、うん」

 素直に前を向くルーシュリック。彼の頭の中は?で一杯になり、一生懸命考えているのがわかる。

「あんたがやったんじゃないのか」

「そう言っていますでしょう。そもそも私がそんなことする理由などないじゃないですか。彼女とセラフィード様が幾ら仲がいいとはいえ、婚約者であるのは私。貴族間の婚約ですら簡単に破棄できないというのに、王族が一度結んだ婚約を訳もなく破棄できるとお思いでして。何があろうと最後に結ばれるのは私と決まっているのです。

 無駄なことはしませんわ。それよりもやりたいことややらねばならないことが沢山ありますの。魔法ももっと学びたいことがありますからね」

「……確かに。魔法やってる方が絶対楽しいもんな」

 ルーシュリックはそうだよなと納得する。ああやっぱり楽だなと思ってしまう。何もかもが思い通り、余計な話もせずにスムーズにすむ。んーーと唇を尖らせるルーシュリックは再び思考し出す。放っておけばずっと思考を続けるだろう。だから声を掛ける。

「お話はもうすみましたか」

「え、ああ」

「では、私はこれで失礼します。あまり長い事一つの場にいれば怪しまれますからね」

「あ、それなら俺が行くよ。俺が邪魔したんだし」

 伏せ目がちににしながら周りを見渡せばルーシュリックは急いで立ち上がって去っていく。

 作戦は上手くいった。彼だけ他の皆より数日早く学園に戻ってくるよう調整していたのだ。そしてさやかの周りに他の四人がいないことに気付いたルーシュリックが私の元に来ることを予想してテラスで待ち構えていた。予想通りやってきたルーシュリックとの会話は何もかもが計画通り。

 これで彼は今の自分たちの行動に疑いを持つ。実は自分たちがさやかの悪い噂が流れる原因なのではないかと。

 過剰なまでに周囲を気にして見せ何処で噂になるか分からないアピールをしたのもそのため。さらには私がさやかを虐めるような理由がないのだという話をして私がやっているんじゃないんだと思わせた。あの話で納得するのはどうかとも思うが魔法の話をすれば簡単に落ちるのがルーシュリック・レイザードと云う男だ。

 魔法の勉強をする時間を誰よりも大事にしている男。虐めなんてくだらない事に割くより魔法をしたいと言ってしまえば納得する。

 その事に納得してしまったルーシュリックとセラフィードたち四人の間には罅が入ることになるだろう。だってあの四人はどうあっても私を悪者にしたいらしいから。自分たちのせいだともきっと認めることはできないだろう。

 他四人は対したことないのだがルーシュリックの魔法の力だけはさやかとセラフィードに復讐していくにあたり邪魔になる。

 だからルーシュリックが他の四人と連携を取れにくくなるよう罅を入れる。と言ってもそんな大きなものにはならない。ルーシュリックに植え付けたのはもしかしたら程度の考えだ。四人にそれは違うと言われてしまえばそうだよなで流される程度。

 でも頭の中には残り続けるぐらいのもの。そしてそれが残る間はさやかに近づくのをためらうだろう。そんなルーシュリックに四人はイラつく。それでできる罅。だがほんの些細なものだ。魔王復活ダンジョン攻略の時にはさやかを守るという強い思いの元五人結束できる程度。

 だけどもその程度の罅があれば私には充分すぎる。くすと口元に笑みが浮かんだ

 本格的な復讐はまだ先、二か月後からではあるがそのまえにじわじわ追い詰めていこう。

 私を捨てたこと後悔させてやるのだから。

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