悪役令嬢、憤慨する

 人に気遣われるなどと云った行為をされることは私、トレーフルブランの人生において只の一度もなかったことである。何せ両親はあんな人。家族を気遣う心なんて持っていない。弟には気付いた時には嫌われていた。召使たちもあくまで義務で使えているにすぎないから気遣うことなどない。

 では他の方々はと云えばそもそもそ気遣われるような弱さを見せたことがない。

 何せ私はこの国一の淑女。王妃となりセラフィード様を支えるために強くなっていた。立ち居振る舞いは完璧。女子の中では一番の成績を誇り、教師すらも私に尊敬の眼差しを向ける者がいる。

 誰にも弱みを見せることなどない。

 さやかの事でさえ表向きは気にしない態度で気遣われる事になるような状況にはしなかった。

 それは貴族の令嬢として、そして王妃となるものとしての私のプライドが許さなかった。

 だから先生が私を気遣ったなど私の思い込みにすぎない。考えすぎでしかなく、先生は平民で何も分かっていなくてただタイミングが良かっただけにすぎないんだと思おうとしていたのだけれど……、そうではないと認めざる負えなくなってしまった。

 昨日の今日では私はまた先生の小汚い部屋にお邪魔してしまっているから。

 目の前には頼まれてしまったプリントの山。今日も今日とって人に囲まれて過ごしていれば、どこからかやってきた先生に声をかけられてついてきてしまった。そして頼まれる仕事。単純作業で部屋の中には私一人。

 礼にと初めから甘いお菓子を貰い紅茶も用意されていた。

 気付くなと云う方が難しい。

 昨日の私の態度で気づかれたことに気付いたのか、これはもはや隠す気がないと思っていいのでしょう。

 胸が苦しい……。

 ただでさえ、ただでさえ、弱みを握られているというのにこんな仕打ち。何なのよ、あの先生は。見た目あんなに不潔で生徒とだって殆ど話さないのになんでこんなに鋭いの。その需要が何処に必要だって云うのよ。

ああもう!

 お菓子も紅茶も選ぶセンスあるし……。何処の需要よ。……まあ、いいわ。今日はこのセンスに免じて気遣われてあげようじゃないの。

 美味しいものに罪はないのよ。

「今日もすまなかったな」

「いえ、お気になさらずに。先生のお手伝いをするのも生徒の務めですので」

「そうか」

「ただ、  ここは貴族の学園。身分と云うものが何よりも尊ばれる場所です。例え生徒を教え導く立場だとしても上の身分のものを使うのはよく思われませんわ。先生が他の先生に目を付けられる可能性もあるのでお気をつけてくださいね。

 私は細かい作業なども好きですから気にはしませんのですけどね」

 要約するともう気遣われなくとも結構です。むしろ迷惑なのでやめてくださいとなる。まあ、そこまでは酷くないんですけどでも似たようなもの。後半部分を言わなかっただけにすぎない。

 こんな事を言って怒るかと思ったのにそんな事もなくただ淡々とそれもそうだな。すまない、考えなしだったと答えられてしまう。私が思っていたよりもずっと鋭いみたいですし言葉の裏にも気づいていないとは思えないのだが……。

 じっと見つめても髪と眼鏡で顔が隠されて何を考えているかさっぱりわからない。またペースを乱されることになる前に帰ってしまう方が得策か。

「いえ、私こそこんなことを言ってしまい申し訳ありませんでした。私は楽しんでいますのでもしどうしてもということがあればいつでも言ってくださいませ。

 では、今日はこれで失礼いたします」

「トレーフルブラン」

「……はい?」

 ドアノブに手をかけた所でかけられる声。嫌な予感しかしないから振り返りたくはないが聞こえなかったふりができる距離でもない。嫌々ながらも振り返った。先生の手に何かがあるのに気付いて身構える。

「これを」

差し出されたのは一冊の本。

「こ、これは」

今度こそ受け取ってなるものかと思っていたのにそれを見た瞬間受け取ってしまっていた。

「東の国ドランシスの魔導書。でも国交もない上、そもそも発行された数が少ないからまず手に入らないはずのものですのにどうして」

 手に取り近くでその本をまじまじと見つめてしまえば興奮のあまりつい声が出てしまった。途中でハッとして抑えたけれど最初のはしゃいだ声を取り消すことはできない……。また醜態を……。

「やはりお前には分るか」

「当然ですわ。この本は魔法学者にとって喉から手が出るほどの価値のあるもの。私だっていつかは読んでみたいと……」

「ああ。だろうな。だからその本はお前に貸す」

「え、いいんですの」

 声が震える。夢にまで見た魔道書が私の手の中に……。今まで目の敵にしてきたけど実はいい人なんですの……。

「ああ。いつでも好きな時に返してくれたらいい。それからここには私が独自に集めた魔道書が沢山ある。その本以上に希少なものだってある。もしお前が興味があるのならいつでもここに来てくれて構わない」

 ひゅっと胸元で音がした。

 昂ぶっていた鼓動が一気に鳴りやむ。

 胸の中も頭の中も静かになる。まるで何も考えていないかのごとく静かに。静かに、怒りが浸透していく。

「馬鹿にしないでくださいませ」

 呟いた言葉は戻せない。戻そうとも思わない。

「私はトレーフルブラン・アイレッド。アイレッド家の長女にして、次期国王であるセラフィード・マモニールの婚約者なのですよ。弱みなどこの世の誰にも見せない。

 王を支えるものとして誰かに気遣われるなど、それも貴方のような平民になどあっていいことではないんですの。気遣いなど一切無用。これ以上私にかかわらないでくださいませ」

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