竜の再誕 第二話

 ソウゴはエルに、白紙の本のことを話した。奇妙な記号、もしくは文字に触れた途端に光に包まれ、この世界に来たことを。

「ふむ。もしかするとそれは、魔法文字かもしれないね」

「魔法文字?」

「魔力を込めて描いた文字は、力を持つんだ。その文字には、この世界に人を飛ばす力が込められていたんだろう。こんな風にね」

 エルは人差し指をひょいひょいっと動かした。すると、光の文字が空中に浮かび上がり、ぴかっ、と光ると、文字を中心に火がともされる。

「おお」

 ソウゴは感嘆の声を上げる。すごいものを見た。

 ソウゴはさらに、森の中で見た角が生えた鳥や、川を泳いでいた奇妙な魚の話をした。

「アカツノドリだね。飛ぶことはできないが、代わりに立派な角がある。彼らは自身の角に、誇りを持っているんだ。威嚇というよりは、自慢をしてくる。ちなみに、アオツノドリやキツノドリもいるよ」

「へえ~」

「魚の方は、樹々魚きぎうおだね。流木の見た目を真似ることで、捕食されることを避けているんだ。しかし、木を好む動物によく食べられているよ。しかも、味はとてもまずい」

「食べたことあるんだ」

「一度だけならね。もう、ひどい味だった」

 ソウゴの好奇心は、異世界に来たという事実を知って、それはもう、爆発していた。ゲームや漫画の中の世界が、実際に目の前に広がっているように思えた。クラスメイトの誰よりも不思議な体験をしているのだ。

「じゃあさ、ドラゴン、竜とかいたりするの?」

 ドラゴンと言えば、小学生あこがれの生物だろう。犬や猫を飼うことよりまず、ドラゴンを飼いたいと思ったのがソウゴだった。

「竜か……」

 エルはあごに手を当てて思案しあんする。その表情は難しいことを考えていそうだった。

 ソウゴがいないのかな、と思い始めた時、エルは口を開いた。

「うん、存在するよ」

「ほんと!?」

 まるで夢が叶った感動だ。サンタクロースが実在するよりも、うれしいかもしれない。

「実は、私はその竜を見るため、この森に来たんだ」

「え! それ、おれも見たい!」

 ソウゴの顔はまさしく喜色満面。

 エルはそんなソウゴの様子に苦笑する。

「この森に凶暴な動物はいないけれど、決して安全ではないよ」

「うっ」

 怖いのは嫌いだ。しかも異世界の森である。怖さもひとしお、である。

「私の言うことはちゃんと聞くこと、絶対にはぐれてはいけないこと。約束できるなら、連れてってあげよう」

 エルの物言いは、まるで母親や先生が、子供や生徒に対して話すものに似ていた。

「うん、できるよ」

 ソウゴは自分のことを優等生だとは思っていないが、わざわざ母親に逆らうほど子供ではないと思っている。宿題に関すること以外は。

 エルがふっ、と笑った。

「竜は、およそ百年に一度、生まれ変わる」

「生まれ……変わる……?」

「ああ。それが今日、この森にある湖で行われるんだ」

「なんで、そんなことがわかるの?」

「川の水に、竜の力が混じっていたからね」

「そうなんだ……」

 大変な事態だ。ソウゴの心の中で、ワクワクが暴走している。

 これはまさしく、異世界を冒険することに相違ないだろう。

 この時点で、ソウゴの頭の中からは、帰宅という言葉がきれいにすっぽ抜けている。だってそうだろう? こんなすごいことを、逃すなんてありえない。

 エルが立ち上がった。ソウゴもつられて立ち上がる。

「湖は森の奥だ。いいかい? もう一度言うけど、私の言葉はしっかり聞いて、一人にはならないでくれよ?」

 エルの念押しに、ソウゴは力強くうなずいた。

「では、行こうか」

 歩き出したエルの背中を、ソウゴは追う。

 砂利道を抜けて、再び枝葉が敷き詰められたやわらかい地面に足を踏み入れる。頭上から降り注ぐ日光が、木々の葉を通して緑に染まる。澄んだ川とは別種の爽やかさがある。

 ソウゴは森が明るくなったと思ったが、それは間違いだ。エルと出会い、心に余裕ができて視界が広がったからだ。森という大自然が、美しいものだとソウゴは気付くことができた。

「ねえ、エル。これ、なに」

「なんだ?」

 木の幹にくっついている、黒光りする何かをソウゴは発見した。近づいて確認してみると、二匹の黒い虫がいた。黒光りする体がトランプのダイヤの形をしていて、側面からは鉤爪かぎづめがついた細い脚が生えている。ダイヤの先端からちょこっと角が上に伸びていた。丸さはなくて、角ばったフォルムをしている。

 二匹はガシガシ、と音が聞こえるほど力強くぶつかり合っていた。

「ふむ、オンドカブトだね」

「へぇ、エルは生き物に詳しいね」

「ん、私は好奇心が強くてね。知りたいことはすぐ調べるんだ。それでも、まだまだ、たくさん知らないことがあって大変だ」

 一匹がもう一匹の腹に潜り込み、下からすくい上げるように体を起こすと、潜り込まれた一匹がひっくり返って地面に落ちた。

 喧嘩に勝利した一匹は、体を上下左右に大きく揺らし、ときおり前あしを振り上げたり、とがったお尻を持ち上げ横に振ったりしている。

「勝利の舞だ。喧嘩に勝ったオンドカブトは、そうやって踊るんだ」

 きっと彼の中では、勝利のBGMがかかっていることだろう。

 結構しばらく続くご機嫌なダンスを、ソウゴがずっと観察していると、突然周りが暗くなる。

 オンドカブトは角ばった翼を広げて飛び立ってしまう。その姿を目で追ったソウゴは、自身の近くに来ていたものに気が付いた。

 灰色の毛に包まれた脚は、ソウゴの背丈を軽く上回っていて、てっぺん付近を掴まれた木がミシミシと嫌な音を鳴らす。首が痛くなるほど視線を上げれば、丸い顔に突き出した黒い鼻と口。顎から覗く牙は、太さが人の腕くらいあって、よだれに濡れている。

 その巨体は見事に太陽の光を遮っていて、影が辺りを飲み込んでいた。

「へ?」

 ポカン、と見上げたまま口を半開きにして硬直するソウゴ。

「ほう、オオヤマグマか」

 エルも同じく見上げると、感心したふうに頷いた。

「見たまま、山のように大きなクマだ。図体の割に、見つけることが難しい。ちなみに好物は肉だ」

「グルルル」

 オオヤマグマは唸り声を上げている。

「そ、その肉って、もしかして、おれたちのこと?」

「みたいだな」

 オオヤマグマが手を振りかざし、二人に向かって体を倒す。その巨体が動くと、ゴウ、と風がうなる音がソウゴの体を打ち付けた。

「ひえ」

 ソウゴは悲鳴を上げる。

 しかし、エルはソウゴの前に立ち、杖をオオヤマグマに向かってかざした。

「城壁よ、我が身を守れ」【護りの魔法】

 杖につけられた宝石がきらめくと、二人とオオヤマグマの間に壁が出来上がる。それはガラスのように透明で、壁とオオヤマグマの手がぶつかる瞬間が見えた。

 ガチン、と叩きつけられた衝撃が、音となってソウゴを襲うが、それだけだった。

 壁はものともしなかった。

「跳ね返せ」

 エルが杖を振ると、壁が前に動き、オオヤマグマの巨体をひっくり返し、地響きを立てて地面に倒れ込む。

「ガァァ!」

 オオヤマグマはさらに怒った声を上げるが、気付いた時にはエルがその巨体の上に昇り、オオヤマグマの顔に杖を突きつけていた。

「少し、眠れ」【眠らせの魔法】

 エルの宝石から光の球が放たれ、オオヤマグマの鼻の先に当たると、パチン、と弾けた。

「クゥーン……」

 すると、オオヤマグマはその場に沈み込み、寝息を立て始めた。

「す、すげえ……」

 まさしく怪物と言えるオオヤマグマを、エルはいとも容易たやすく無力化した。その大立ち回りを見たソウゴの声が震える。

「魔法使い、だからね」

 エルはソウゴに向かって得意げに言い放つ。

 きれいで、さらに、カッコイイお姉さんである。

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