第四章 家出少女と空想お姉ちゃん
第16話 水族館のお姉ちゃんと一人っ子
私たちは電車を待っていた。まだ日は高く、駅のホームは活気で溢れている。
「水族館、楽しみだね」
「……そうだね」
お姉ちゃんはさっきからずっと暗い表情をしている。本来であれば存在していなかったお姉ちゃんが私と付き合う。そのことによって生じた弊害は、未だに尾を引いていた。
お姉ちゃんは私と記憶を共有している。だからこそ、なおさら苦しんでしまうのだろう。どれだけ私が亜美ちゃんを思っていたか。亜美ちゃんが私に恋をしていたか。その全てをお姉ちゃんは知っているのだ。
「お姉ちゃんは悪くない」
「ごめんね。気にしないって約束したのに」
申し訳なさそうに笑うお姉ちゃんに共鳴するように、私の心の中の闇が膨れ上がっていく。私に幸せになる資格なんてあるのだろうか。亜美ちゃんは苦しんでいた。私のせいで、ずっと。
でも誰かのために不幸であるなんて、ただの偽善だと思う。
寒風に吹かれていると、電車がやって来た。私とお姉ちゃんは手を繋いで車内に入り座る。思えば私の人生は間違いだらけだった。ずっと自分を犠牲にして、両親の仲を取り持つことばかり考えていた。
他の手段もあったかもしれないのに。
なのに本当の気持ちを両親に伝えたことはなかった。家出する時に初めて爆発したのだ。言葉にしない気持ちなんて、永遠に分かってもらえない。私の苦しみとか孤独とかを伝えたなら、二人も何か変わってくれたかもしれないのに。
帰ったら、伝えないとなと思う。そうすればきっとお母さんもお父さんも、本当の私を受け入れてくれるはずだ。そう思いたい。
やがて電車は止まり、私たちは歩いて水族館に向かった。
たどり着くとお姉ちゃんは水族館の雰囲気にワクワクしているみたいだった。海をイメージした壁紙や装飾品をみつめては、ニヤニヤしている。私もそんなお姉ちゃんをみていると嬉しくなってきた。
お金を払って中に入ると、薄暗い空間が広がる。
小さな水槽の中では熱帯魚がゆっくりと泳いでいた。
水族館に来るのは小学校の修学旅行以来だけれど、正直に言って、私は水槽の中の魚が好きじゃなかった。狭い水槽の中で泳ぐ魚たちと、両親に逆らわず、ずっと閉じこもった世界で生き続ける私。
その二つが似ているような気がするから。
けれど家出した今は、少しだけ良さが分かるような気がする。お姉ちゃんも目を輝かせて熱帯魚をみつめていた。
「綺麗だね……」
「そうだね」
水族館の中を歩いていると、大きな水槽の前にたどり着いた。そこには休日なだけあってたくさんの家族連れがいた。
「私もいつか、あんな風になれるのかな」
「なれるよ。きっと今頃二人とも反省してる。普段真面目な人が家出をするって、きっと凄いインパクトだからさ。大丈夫だよ」
お姉ちゃんは笑顔で励ましてくれる。確かにこれまでの私は「家出」とは正反対なタイプだったから、ギャップは凄まじいだろう。お父さんもお母さんも少しは変わってくれてると嬉しいんだけど。
青白い光が私たちを照らしている。水槽の中をジンベエザメがゆったりと泳いでいた。私には狭い水槽に閉じ込められているその姿がなんだか物悲しく思えた。
「……君もいつか、自由になれるといいね」
ぼそりとつぶやいて、水槽の前を立ち去った。
それから私たちは水族館のレストランで遅めの昼食を取った。もう時間は四時くらいだから、レストランに人は少ない。アジフライを頼んだのだけれど、家で食べるのよりもずっと美味しかった。
それにしても、水槽を泳ぐ魚を鑑賞しながらアジフライを食べるって、なんだかとても残酷なことをしている気持ちになってくる。お姉ちゃんも少し気になるみたいで、できるだけ水槽を見ないようにしていた。
そんな姿が可愛らしくて、思わず笑ってしまう。私の笑顔につられたお姉ちゃんが「どうしたの?」とニコニコしながらみつめてくる。本当に、幸せな時間だなって思った。
でも幸せな時間はあっという間に終わってしまう。外が薄暗くなるころ、私たちは水族館を出ていた。外の暗さのせいで、気持ちまで落ち込んでくる。
でも、もう逃げる気はない。
私は力強くお姉ちゃんの手を握り締める。
「帰ろっか。お姉ちゃん」
「……うん」
お父さんとお母さんを失わないために。そして自由のために。
私は強張った体のまま、帰路についた。
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