第15話 亜美ちゃんとの遭遇

「……えっと。あの、ごめんなさいっ!」


 私たちのキスを目撃した亜美ちゃんは、慌てて逃げようとする。けれど何となくだけれど、逃がしてはダメな気がした。


「待って! 亜美ちゃん!」


 私が叫ぶと、亜美ちゃんは背中を向けたまま立ち止まった。慌てて駆け寄って回り込むと、亜美ちゃんは涙を流していた。


「あ、え。なんで。あはは。目がちょっと痛くて。そのせいかな?」


 亜美ちゃんが無理に笑っているのは明らかだった。どんな言葉をかけてあげるべきか分からなくてうろたえていると、屋上への入り口から知らない女の子がやって来た。


「急にいなくなるものだから驚いたんだけど。びっくりさせないでよね。もう」

「……あはは。ごめんね」


 亜美ちゃんはもはや痛々しいくらいだった。亜美ちゃんの涙に気づいたらしい女の子も、心配そうに亜美ちゃんをみつめている。でもすぐに、亜美ちゃんの後ろにいる私を睨みつけてきた。


「あんた、何かやったの?」


 そんな女の子に亜美ちゃんは慌てて口を開く。


「違うよ。この人はただの友達。中学生の頃のね。だから、そう。久しぶりで感動したんだ。本当に仲良かったんだよ? ねぇ瑞希ちゃん」


 そう告げて、亜美ちゃんは私と肩を組んだ。


「あの……」


 お姉ちゃんがそれを見て不服そうな声をあげた。すると亜美ちゃんは大慌てで私から離れる。


「と、とにかくそういうわけだから。別に何でもないよ」

「ふーん。友達なんだ」


 気の強そうな顔の女の子が、私ににじり寄って来る。


「……私にはそうはみえなかったけど」


 屋上を寒い風が吹き抜けていく。亜美ちゃんは私に何とも言えない視線を向けていた。悲しそうな、苦しそうな、そんな表情だ。


「もしかして、亜美の言う忘れられない初恋の人って、あんた?」


 その言葉は鋭利な刃物のように、私の心を抉った。何も言えなくなって、表情を強張らせる。お姉ちゃんも息をのんで、じっと様子を見守っていた。


 ただ一人亜美ちゃんだけが笑っていた。


「そ、そんなわけないでしょ。違うよ。違うって……」


 だけどその笑顔もすぐに涙色に染まってしまう。涙の筋が頬を落ちていった。


 私は途方もない罪悪感と後悔の念を覚えた。


 もしもお姉ちゃんとの出会いすら拒絶していたのなら、こんな身を裂くような罪悪感に苦しめられずに済んだのだろうか。お姉ちゃんすら拒絶して、ずっと一人で自分を殺していたら、亜美ちゃんをここまで苦しめなかったのだろうか。


 私が変わってしまったから、亜美ちゃんを苦しめてしまったのだろうか。


「亜美。何があったの? 私に教えてよ」


 その女の子は亜美ちゃんの手を握って、必死に問いかけていた。


 すると亜美ちゃんはぽつぽつと言葉をこぼす。


「あの綺麗な人と、瑞希ちゃんが、キスしてたっ……」

「……へぇ」


 ぎろりとした鋭い視線が私たちを睨みつけた。


「……亜美。帰ろ。なんでも奢ってあげるから」


 でも気の強そうな女の子は、すぐに優しげな顔で亜美ちゃんの手を握り締めた。いっそ糾弾して欲しかったけれど、この人は私の事情も罪悪感も知らないのだ。そうする理由がない。


 私はただ亜美ちゃんを振っただけ。好きでもない人に好きじゃないと言っただけ。表向きはそれだけなのだ。裏を知らないのなら、おかしいのは亜美ちゃん。もう一年近くも経とうとしているのに、未だに私を好きなままでいるのだから。


 でも裏を知っているのなら、悪いのは私だ。もしも私があの日、自分の好きを貫いて亜美ちゃんの告白を受け入れていたのなら。両親の意見に逆らって西高を受けていたのなら。


 今付き合っていたのは、私と亜美ちゃんだった。亜美ちゃんが失恋を引きずることもなかったし、私と離れ離れになることもなかった。悪いのは私なのだ。


 かけられる言葉なんてなんにもなかった。例え私が亜美ちゃんを振った理由を今話したとしても、それはもう過去の話。今の私にはお姉ちゃんがいる。お姉ちゃんを裏切ることはできない。


 亜美ちゃんたちは手を繋いで、屋上を出ていく。


 私は呆然としたまま、二人の後姿を見送った。


「……瑞希」


 お姉ちゃんの不安そうな声が私を現実に引き戻す。無理やり笑顔を浮かべて振り返ると、お姉ちゃんはうつむいていた。


「……私が現実世界にやって来てなかったら、こんな事にはならなかったのかな」

 

 自分の存在が現実に受け入れられていいものなのか、悩んでいるようにみえる。存在意義が分からないのは、私も同じだった。なんのためにこれまでの人生を生きてきたのか。そしてこれからを生きていくのか。


 家出したことで大きく崩れてしまったのだ。でも私はこれまでのレールに戻るのではなく外れて、変わることを選んだ。


 お姉ちゃんだって気兼ねなく選べるわけじゃないのだろう。それでもこれまでの私みたいに、今のお姉ちゃん自身を否定して欲しくない。


「変わったものもあるよ。傷付けてしまった人もいる。でも……」


 私はそっとお姉ちゃんを抱きしめた。


「それでも私たちは進まなければいけないんだよ。私はお姉ちゃんのことが大好きだし、お姉ちゃんだって私のこと、好きでしょ?」

「……うん」

「私はもう同じ過ちを繰り返したくない。お姉ちゃんにも間違えて欲しくないんだ。好きな人を拒んで一人ぼっちを選ぶなんて、そんなの辛いから」


 私はかつて間違えた。自分の本当の気持ちを殺して、周りの意見や態度を優先したのだ。そのせいでますます自分を追い詰めることになった。


 だからもう同じ過ちは繰り返さない。


「お姉ちゃんは存在していいんだよ。私と恋をしていいんだよ。もともとはこの世界に存在してなかった。私を好きな人から、私を奪うなんておかしいと思うのかもしれない。でも私だってお姉ちゃんのこと、大好きなんだよ。私のためにも、いなくならないで」


 お姉ちゃんは苦しそうな表情で、こくりと頷いた。 


 初恋の人はもう、過去の人だ。過去にしなければならないのだ。これまでの私の全て、自分を犠牲にしてきた記憶の全てを。心に痛みを覚えながら、お姉ちゃんの手を握る。私たちは屋上を出て、ショッピングモールを出た。


 途中、亜美ちゃんの姿を見かけたけれど、もう声をかけることはなかった。

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