第7話 そういうことをしてもいいお姉ちゃん

 実は服を選ぶのも、下着を選ぶのも今日が初めてだ。これまでお母さんが勝手に買ってきていた。家で勉強漬けで外に出る自由も与えられなかった。


 でも自由というのはいざ与えられると、かえって窮屈に感じるものらしい。


「どれもお姉ちゃんに似合いすぎる……」


 私は色鮮やかな下着たちを見比べながらつぶやく。なんと言ってもお姉ちゃんは美の化身なのだ。裸を見たことはないけれど、想像の中のお姉ちゃんは何を着ても似合ってしまう。


 そうして悩んでいると閉店を知らせる「蛍の光」が店内に流れた。私は慌てて適当な下着を取ってレジに向かう。


「えっ。み、瑞希ってそんなのお姉ちゃんに着て欲しいの……?」


 お姉ちゃんの恥ずかしそうな声が聞こえてくるものだから、私は思わず自分の手にした下着を確認する。するとそれはとても大胆な下着だった。黒いひらひらのついた勝負下着だ。


「べ、別にいいんだけどね? 瑞希がそれ着てほしいのなら、別に……」


 お姉ちゃんはもじもじしている。私は顔を真っ赤にして戻ろうとした。けれどレジの人が早くしてほしそうにじっと私たちを凝視しているものだから、仕方なくそのひらひらの派手な下着を購入した。


 店を出ると、雨は止んでいた。街の明かりを反射して、キラキラと地面が輝いている。


 今の私たちは服を着替えていて、もう制服姿ではない。だからホテルにも泊まれるだろう。……たぶん。


 というのもお姉ちゃんはスタイルの良い美人だけれど、どちらかといえば童顔なのだ。私も童顔。だから年齢確認とか求められたら、逃げるしかない。


 そのリスクを負ってまで、普通のホテルに泊まるべきなのか。悩ましい。ちなみに私がラブホテルの受付に人がいないのを知っているのは、高校のクラスメイトが話題にしていたからだ。


 スマホもパソコンもない私の情報源は、それくらいだ。


「ねぇ、お姉ちゃん。普通のホテルかラブホテル。どっちにする?」


 ピカピカする街で手を繋ぎながら問いかけると、お姉ちゃんはびくっと震えた。


「ら、ラブホテルっ!?」


 かあっと顔を赤くしたかと思うと、もぞもぞと「み、瑞希がそういうことしたいのなら、お姉ちゃんは別にいいんだけど……」とささやく。


 お姉ちゃんがそんなことを言うものだから、私まで恥ずかしくなってきた。顔がとても熱い。お姉ちゃんとならそういうことだってできそうな気がする。でも流石にそういうのはよくないと思う。というか、私が受け入れられない。


 お姉ちゃんは姿かたちは違うけれど、私の中から生み出された、いわば分身みたいなものなのだ。言い方を変えるのなら、子供によくあるというイマジナリーフレンド。そんな人といやらしいことをするなんて、まるでギリシア神話のナルキッソスみたい。


「……とりあえず、普通のホテルに行こうか」


 私はお姉ちゃんに微笑んだ。


「そっか。分かった」


 お姉ちゃんは残念そうに肩を落としていた。


 歩きながらちらちらとお姉ちゃんを盗み見る。相変わらず綺麗だと思う。青い瞳に銀色の髪。長いまつげに白い肌。私を思ってくれる優しい心。例えそれが私の生み出したものなのだとしても、愛おしくて仕方ない。


 けれど、私はその感覚に倒錯じみたものを覚え始めていた。冷静に考えてみれば、自分の生み出したものを愛するということは、自分を愛することとそう変わらない。でも私は自分のことがどちらかといえば嫌いだ。


 歩いているとやがてホテル街にたどり着いた。私たちはその中から値段の安いところを探し、中に入った。受付に向かうと女性がまじまじと私たちをみつめてくる。


「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか? 年齢を確認できるものを提示していただけないでしょうか?」


 私たちは顔を見合わせた。女性は私たちが未成年であることを見抜いているみたいだった。私たちは適当に誤魔化してから、ホテルを出た。幸いにも受付の女性は警察には連絡をしていないみたいだけど、この様子だといつか通報されてもおかしくない。


 考え込んでいると、お姉ちゃんが顔を赤くしながらつげた。


「や、やっぱりラブホテルしかないのかな……」

「……そうかもね」


 私たちは遠くにある、派手な装飾の施された建物をみつめる。お城みたいなのがラブホテルらしいから、たぶん、あれがそうなのだろう。


 私が眉をひそめていると、お姉ちゃんはぎゅっと手を握り締めた。


「だ、大丈夫だよ。お姉ちゃんがいるからね。怖がらなくてもいいよっ」


 なんてことを表情を強張らせながら、お姉ちゃんは告げるのだ。自分の方がよっぽど緊張している癖に、本当にこの人は。


「ありがとう。お姉ちゃん」


 お姉ちゃんへの気持ちには、疑問が芽生え始めている。それでも今私が頼れる人はお姉ちゃんだけなのだ。お姉ちゃんの私を思う気持ちだって、本物。例え私の理想が生み出した都合のいい存在だとしても、その気持ちは偽物じゃない。


 そう思わなければ、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。家出なんて柄にもないことをするものじゃない。どうせいつか、お金は無くなる。だから家には帰らなければならないのだ。そうなればきっと両親は私を糾弾するだろう。


 そして私が守ってきたものを、いともたやすく破壊してしまうに違いないのだ。私は一時の激情で、選択を大きくたがえたのかもしれない。それでも今は前に進むしかなかった。

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