第6話 服を買うお姉ちゃん

 降りる駅のアナウンスが聞こえてきた。目を開くと車内は寒々しいくらいに空っぽになっていた。私とお姉ちゃんを除くと、三人しかない。


 しばらくすると電車が止まって、慣性がかかる。当たり前のその物理現象にすら、お姉ちゃんは楽しそうにしていた。


 扉が開くと、私たちは手を繋いでホームに降りる。寒い空気が私たちを包む。天気は悪く、雨音が響いていた。時間はまだ七時くらい。ホテル街に行く前にお姉ちゃんの服を買ったほうがいいだろう。


 流石に制服姿でホテルに入るのはよくない。泊めてもらえないどころか警察のお世話になる可能性もある。人目のないラブホテルに泊まるという選択肢もあるけれど、わざわざ高いお金を払ってまでそっちを選ぶ必要はない。


「お姉ちゃん。服とか下着とか買いに行こうか。多分私のじゃサイズ合わないと思うし、特に下着。私のを使うっていうのは嫌でしょ?」


 お姉ちゃんに微笑むと、不安そうな顔でもじもじした。


「い、一緒でも別にいいけど、でも確かにサイズは合わないよね……」


 お姉ちゃんは自分の胸に手を当てていた。大きいというわけではないけれど、私よりは大きい。それになにより、私とお姉ちゃんではスタイルが違いすぎるのだ。足の長さとか絶対に合わない。


「でもお金とか大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。お年玉とか一応貰ってたけど、使わせてもらえなかったから」

「……そっか」


 突然、お姉ちゃんは私を抱きしめてきた。誰かに抱きしめられたことなんてほとんどないから、驚きのあまり硬直してしまう。しばらくそうしているとお姉ちゃんは私から離れて、微笑んだ。


「お姉ちゃんにできることがあるのか分からない。でももしもして欲しいことがあったら、何でも言うんだよ? 瑞希のためならお姉ちゃん、何でもするから」


 なんでも、か。お姉ちゃんはずっと私のことを心配してくれている。


 けれどそれがお姉ちゃんの自由意志によるものなのか、あるいは私の願望が生み出した自由意志のまがい物なのか、分からなくなってきていた。


 見て見ぬふりをしていたけれど、今の悲観的な私に楽観はできなかったのだ。


 人は普通、様々な環境でたくさんの人の影響を受けて、一人の人間として形成されていく。でもお姉ちゃんを生み出したのは私で、考え方から振る舞いから何まで私の理想でしかない。


 お姉ちゃんは本当に、お姉ちゃんとしての自我を持っているのだろうか?


 私は静かにお姉ちゃんを抱きしめ返した。お姉ちゃんは優しく私の背中を撫でてくれる。私はずっと願ってたんだ。絶対に私を裏切らない人。私のそばにいてくれる人。家族になってくれる人。そして、私を愛してくれる人。


 その愛の形は何でもいい。恋人でもお姉ちゃんでもなんでも。何でもよかったのだ。だから私はお姉ちゃんにあらゆる愛を願った。


 今、お姉ちゃんが顔を赤らめているのは、そのせいなのだろう。私が上目遣いでお姉ちゃんをみつめると、耳の先まで真っ赤にしてしまうのだ。銀色の長いまつげをぱちくりさせている。


「お姉ちゃん。そろそろ行こうか」

「そ、そうだねっ」


 ぎゅっと指先を絡めて、手と手を繋ぐ。


 お姉ちゃんは恥ずかしそうだけれど、嬉しそうにちらちらと私をみつめている。私はその視線に罪悪感を覚えながら、階段を降り改札を抜けた。


 駅の近くには飲食店や雑貨屋さん、ジュエリーショップなど色々な店がある。私たちは二人で相合傘をしながら、人通りの少ない街を歩く。しばらくすると洋服店をみつけたから、そこに入った。値段の安さと商品の質のバランスがいいことで有名なチェーン店だ。


 雨の降る夜だということもあってか、店内に人は少ない。落ち着いた音楽が流れている。


「お姉ちゃんはどんな服がいい?」


 私が問いかけるとお姉ちゃんは周囲を見渡して首を傾げた。


「瑞希はどんな服、お姉ちゃんに着てほしい?」


 お姉ちゃんはどんな服でも似合うと思う。でも強いて言うのならやっぱりそのスタイルの良さを生かした服装だろうか。例えばスキニーパンツとかベルト付きのワンピースとかかな?


 私が服を持っていくと、お姉ちゃんはニヤニヤと私をみつめた。


「なるほど。瑞希はこう言うのが好きなんだねっ」

「……うん。お姉ちゃんはどんな服でも似合うと思うけどね」


 苦笑いすると、お姉ちゃんは私の手を引っ張った。どこに行くのかと思うと、試着室の前にたどり着く。


「着替えてみるから、ちょっと待っててね」


 それだけ告げて、カーテンを閉めた。かと思うと、ちょっとだけ開けて。


「あ、でも覗いちゃだめだよ? 絶対にダメだからねっ?」


 なんて顔を赤らめながらつげるのだ。そんな事言われずとも、開けるわけない。着替え中に覗くなんて、ただの変態だ。


 だけど、ちょっとだけ興味はあるかも。想像の中でも現実でもずっと優しくしてもらって、好きにならないはずがないのだ。私の都合のいい妄想が生み出した存在だとしても、それでも私はお姉ちゃんが好きだ。


 待っていると布ずれの音が聞こえてきて、ちょっとだけ緊張する。もんもんとしながら試着室の前にいると、カーテンが開いた。


 長袖の黒いワンピースに黒いベルトを着けたお姉ちゃんが現れる。


「……どう、かな?」


 銀色の髪が輝く。雪のように白い肌と銀色の髪が、黒のワンピースとのコントラストでますます美しくみえるのだ。そのしなやかな姿に私は思わず息をのんだ。


 お姉ちゃんはポニーテールを揺らしながらその場で回転する。それに見惚れていると、自然と言葉が口をついて出る。


「……本当に美人だね。お姉ちゃんって」


 自分でも信じられないくらいに恍惚とした声色だった。恥ずかしさのせいで顔が熱くなる。お姉ちゃんもそれを察したのか、頬を赤らめて嬉しそうにしている。


「瑞希も可愛いよ」


 視線をそらしたくても、そらせないのだ。真の美というのはきっとお姉ちゃんみたいな人に宿るのだろう。芸術品として展示されていても驚かないくらいだ。


 とりあえず、このワンピースを買うのは確定だ。お姉ちゃんに似合いすぎている。でもできればもう少し、お姉ちゃんの美しさを隠してくれる服が欲しい。またナンパとかされたら面倒だ。


「お姉ちゃん。ちょっと待っててね。他の服、取って来るから」


 そう告げて、私は凄くダサい服を持ってきた。


 白の無地に「にぼし」とプリントされた服だ。白いロングスカートにもたくさんのにぼしが泳いでいる。


「えっ。……えっと、えっ?」


 お姉ちゃんは目をぱちくりさせて困惑していた。


「瑞希が好きなら着るけど……」

「あっ。その好きとかじゃなくて、お姉ちゃんの美しさを少しでも隠せたらいいなって思って。だって、ナンパとかされて欲しくないし……」


 私がささやくと、お姉ちゃんは目をキラキラさせた。


「そっか。ふふ。そうなんだ。瑞希はお姉ちゃんのこと、大好きなんだねぇ」


 私は目をそらしながら「好きだよ」とささやく。きっと私の顔は真っ赤になっていることだろう。お姉ちゃんはますます嬉しそうに私をぎゅっと抱きしめた。


「私も大好きだよっ。瑞希」


 幸せだな、と思う。でも幸せだなんて感じていいのだろうか、とも思ってしまう。だってお姉ちゃんを生み出したのは私。そんな人との触れ合いに幸せを感じるのは、一人ぼっちでおままごとをする子供と変わらないように思える。


「瑞希。次は下着を買いに行かない?」


 お姉ちゃんは恥ずかしそうに私の手を握った。私は頷いて、下着のコーナーへと向かった。

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