第二章 家出少女とお姉ちゃん

第5話 慣れない世界とお姉ちゃん

 明かりをつけた車が、鏡面みたいになったアスファルトの上を走っていく。傘を叩く雨音は激しくなる一方だった。早く泊まる場所を見つけて、夜を越さないと。お金はあるから、適当なホテルに泊まればいいだけだ。


 でもお姉ちゃんは不安そうにしていた。


「大丈夫だよ。ホテル街はちょっと遠いけど電車に乗ればすぐだから」

「……本当に良かったのかな」


 私たちは手を繋いで、駅の構内に入る。傘を閉じると、白い明かりでお姉ちゃんの銀髪が輝いた。本当にお姉ちゃんは綺麗だ。青い瞳も、銀も髪の毛も、その顔立ちも。行き交う人々がみんな目を奪われている。


「いいんだよ。ああでもしないとお姉ちゃんはまた一人になってた。私だって一人になってた。そんな顔しないで」


 私が頭を撫でてあげるとお姉ちゃんは「お姉ちゃんなのに妹みたいだね」と微笑んだ。お姉ちゃんは私と同じ制服を着ているけれど、私よりも背が高くてスタイルがいいせいか、年上にみえる。


 だからこそ、私が頭を撫でているのはなんだか変な感じだった。


 でもお姉ちゃんは嬉しそうにしているから、しばらく撫でてあげる。


 するとやがてしゃきっとした顔になった。


「お姉ちゃんはこの世界の地理に詳しくないんだけど、電車に乗ればいいんだね? あの機械で買うのかな? 切符」

「そうだよ」


 私が機械に向かうと、お姉ちゃんも後をついてきた。興味深そうにお姉ちゃんは液晶画面を眺めている。


「知識としては知っているんだけど、実際にみるとなんだか変な感じだね」

「この世界で暮らしてたらそのうち慣れて来るよ」

「……そうだね」


 どうしてかお姉ちゃんは寂しそうな顔をした。


「どうしたの?」

「外の世界って広いんだなって」


 振り返って、行き交う人たちをみつめる。


「たくさんの人がいてさ、たくさんの命があって、人生があって。……いつか、瑞希も誰かと付き合ったりしちゃうのかな。誰かと人生を共にするのかなって」


 私が首をかしげると、お姉ちゃんは切なそうに笑った。


「お姉ちゃんだけの瑞希じゃなくなっちゃうのかなって」


 私は思わず吹き出した。何を言ってるんだこのお姉ちゃんは。私なんてただの凡人だ。絶対にお姉ちゃんの方が危ない。


 私はぐいとお姉ちゃんに顔を寄せる。


 するとお姉ちゃんは顔を真っ赤にして、後ずさりした。


「私こそ心配だよ。お姉ちゃんは美人だから、いつか私だけのお姉ちゃんじゃなくなっちゃうんじゃないかなって」


 お姉ちゃんは慌てた様子で口を開いた。

 

「そんなことないよ。お姉ちゃんは瑞希だけのお姉ちゃんだよ」

「私も同じ気持ちだよ」


 するとお姉ちゃんはぱあっと花が開くような笑顔を浮かべた。


 本当にお姉ちゃんは私のことが好きみたいだ。もちろん私もお姉ちゃんのこと、大好きだけどね。ずっと一緒にいたいよ。二人でずっと一緒に暮らしたい。


 けれど。私がいなくなったら、あの二人はどうなるのだろう。


 願わくば、本当の私を受け入れてもらいたい。みんなで幸せに暮らせたらなぁって思う。テレビで時々流れる仲の良さそうな家族みたいに。


 切符を買って、お姉ちゃんと手を繋ぎながら構内を歩くと、人ごみの中に3人で手を繋ぐ家族の姿を見つけた。真ん中の女の子は楽しそうにお父さんとお母さんの顔を交互に見上げている。


 思えば私はあんな経験をしたことがなかった。だからこそ、なおさら憧れてしまうのだろう。馬鹿みたいだなぁ。本当に。二人が見ているのは、優等生な私。本当の私じゃないのに。


 私はその温かい光景から目をそらして、お姉ちゃんの横顔をみつめた。今は私にもお姉ちゃんがいる。だから大丈夫だ。辛くなんて、ない。


 そのはずなのに、泣きたくなってしまうのはどうしてだろう。私は涙が漏れ出しそうになるのを必死でこらえて、お姉ちゃんと一緒にホームに向かった。


 薄汚れた階段を上ると明かりに照らされたホームが、夜闇に浮かび上がっていた。暗闇を白い糸のような雨が降りそそいでいる。白い明かりの下にはスーツを着た会社員や、制服の学生たちが並んでいて、私とお姉ちゃんも手を繋いだまま列に並んだ。


 いつもより空気が冷たく感じる。大きくて重い鞄を肩にかけながらじっと黙り込んでいると、もしかすると私は間違ってしまったのではないか。そんな考えが浮かんでくる。


 みんな電車に乗って家に帰るところなのだろう。


 でも私たちは帰るのではなく、出ていくところなのだ。


 そう考えると、なおさら鞄の重さが体に響いてくる。


「瑞希。お姉ちゃんが持つよ?」


 鞄をみつめていると、お姉ちゃんは優しい声で私に手を差し出した。頼るのも申し訳ないかと思ったけれど、せっかく申し出てくれたのだから断る方が失礼だと思った。


 私はお姉ちゃんに鞄を差し出す。手にした瞬間、お姉ちゃんは鞄に引っ張られるようにして姿勢を崩した。目をまん丸にしている。


「こんなに重かったんだ。ごめんね」


 適当に服とか下着とか詰め込んだから重くなってしまったのだ。


「大丈夫だよ。ありがとう。お姉ちゃんこそ大丈夫?」

「平気。それにしても、人ってすごいね。みんな規則や道理にしたがって生きてるんだから。こんな風に規則正しく並んでさ」


 お姉ちゃんはずっと私の頭の中にいたから、社会というものが新鮮で仕方ないのだろう。でも実際、その通りだなと思う。人はみんな違うはずなのに、同じ規則に従って生きているのだ。


 だからこそ、私は羨んでしまうのかもしれない。同じ国で、同じ仕組みで生きているのに私みたいな孤独な人と、さっきの女の子みたいな幸せな人。全く別の人生を歩む人がいるのだから。


 ぼうっと向かいのホームをみつめていると、電車がやって来た。お姉ちゃんはその車体をみつめて、興奮しているみたいだった。青い瞳をお星さまみたいにキラキラさせているのだ。


 電車が止まるとたくさんの人が電車から出てきて、一緒に車内の熱気まで溢れ出してくる。冬なのに熱いくらいだった。


 電車に乗って、空いている席に二人で座る。


 暖房の生温い風が頬を撫でる。両親にお姉ちゃんを貶された怒りなんて、もう冷めきっていた。今心の中にあるのは、寂しさや恐れ。まるで大海原で孤立した遭難者みたいだ。


 唯一の救いは隣にお姉ちゃんがいてくれることだけ。


 だけどお姉ちゃんはいつまで私の隣にいてくれるのだろう。もともとこの世界に存在していなかった人なのだ。ある日、突然消えてもおかしくないと思う。


 私は寄る辺のない不安を覚えながら、お姉ちゃんに寄りかかった。お姉ちゃんは温かくて優しくて。私が不安そうな表情をしているのを見ると、天使みたいな優しい笑顔で頭を撫でてくれる。


 でもまたいつか、一人に戻っちゃうのかな。


 そのとき、私はどんな選択をするのだろう。


 車窓を夜の街が流れていく。遍在した明かりにはきっと私の家も混じっていた。だから、私は静かに目を閉じた。

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