第一章 一人っ子の日常と非日常

第1話 お姉ちゃんとの出会い

 私は教室の端の席で、窓の外を眺めていた。


 高校に入ったころは咲き誇っていた桜も、時間が過ぎていくにつれ様変わりした。肌寒い風に青々とした葉が散り、木々はすっかり冬の装いになっている。


「瑞希さん。今回も五位だったんでしょ? すごいねぇ」

「ありがとう」


 クラスメイトが声をかけてくるから、私は作った笑顔を浮かべた。


 教室の中はテストの結果が返されたところで、いつもより騒がしい。高校での私は優等生だ。文学を好み、知的な話題に花を咲かせる。そんな生徒だとみんなにはみなされている。


 けれど、そんなのは嘘。


 図書室で文学作品を読むのは仕方なくだ。本当は中学生の頃のように、ラノベや漫画を読みたい。でもこの学校にはそのことを知る人はいない。唯一私の趣味を知っていた亜美ちゃんも、別の高校。今ではほとんど言葉を交わすことはなくなってしまった。


 部活や勉強が忙しいのだろう。そもそも誰とでも仲良くなれるあの人が、わざわざ別の高校にいる私を選ぶ必要がない。だからこの状態は必然だと言える。でもかつての私は信じて疑わなかったのだ。亜美ちゃんとの友情が永遠だと。


 今思えば馬鹿馬鹿しいけれど。永遠なんてこの世には存在するはずないのだ。この世の理に気付いて以来、私は友達付き合いへの情熱を失った。そして鬱々とした気持ちを抱えるようになった。


 両親の仲は今も険悪だ。私が優秀だから辛うじてもっているだけに見える。


「あいつは優秀だから、せめて大学を卒業するまでは二人で育て上げよう」


 昨日はそんな会話が聞こえてきた。


 両親に離婚して欲しい、なんて思う子供はほとんどいない。私もそのうちの一人で、そのためなら両親のどんな意見だって聞いてきた。


 例えば「部活には入るな。勉強に専念しろ」「ラノベや漫画なんて読むな」「友達のために無理をするな。高校は絶対に合格する東高を受けろ。どうせまた新しい友達ができる」


 怒りなんてわいてこなかった。もう私の中では両親の意見に従うことが当たり前なのだ。でもやっぱり亜美ちゃんと別れることになったのは、かなり堪えた。


 それでも怒れないあたり、私は壊れているのだなと思う。


 私は一体、何のために生きているのだろう。もういっそ両親が離婚してくれた方がましなのではないか。そんなことを思いそうになるけれど、今さらそれを肯定できるはずもなかった。


 幼いころからの私の願いなのだから。今日までずっとその為だけに頑張って来たのだ。ないがしろになんてできない。


「瑞希さん。今日、一緒に遊ばない? テスト終わったからさ」


 テストの成績について話していると、突然話題が変わった。


「ごめんね。今日は用事があるから」

「そっか。それじゃあまたそのうち遊ぼうね」

「うん」


 両親には他の人と遊ばず、すぐに家に帰ってくるように言われている。本当は遊びたいけれど、従うしかないのだ。そうしなければ家族がバラバラになってしまう。私たちは薄氷の上を歩いているのだ。


 チャイムが鳴ると、クラスメイトはひらひらと手を振りながら自分の席に戻っていった。


 授業が進み日が傾いて、放課後がやって来る。開放感を感じて背伸びをしている生徒が散見される教室で、憂鬱な気持ちなのは私くらいだろう。どうせ家に帰っても勉強しかやらせてもらえないのだ。


 スマホも与えられず、パソコンももちろん与えられない。帰りに寄り道をすることも許されない。だから私の娯楽は現代文の教科書くらい。


 そんなだから、みんなと話題が合うはずもない。成績がいいから構ってくれる人はいるけれど、遊ぶのも断らないといけない。だからそのうち離れていくだろう。


 昇降口で靴を履き替えて外に出る。青空はオレンジ色に染まっていて、カラスが鳴きながら飛んでいた。校門まで向かうと、突然、見知らぬ声に名前を呼ばれる。


「瑞希。迎えに来たよ」


 見慣れない女の人が、ニコニコと私に手を振っていた。日本ではなかなか見ない銀色の髪。そして青い瞳だ。でも顔つきは日本人。なのに違和感はなく、むしろその美しい顔立ちを補強していた。ポニーテールの快活さに相応しい明るい顔立ちだ。私と同じ制服を着ているのに、全然違う風にみえるのはそのスタイルの良さのせいだろうか。


 まじまじとみつめて首をかしげていると、その女の人は突然、私に抱き着いてきた。私は叫び声をあげて体を引く。


「いきなり何するんですか! というかあなた、誰ですか!?」

「私? 瑞希のお姉ちゃんだよっ」


 ちなみにだけれど、私は一人っ子だ。


 その謎の人物は恐ろしいほどにまぶしい笑みを浮かべていた。けれど近距離で顔を見つめて思いだす。どうやら、この人は私の想像の中のお姉ちゃんみたいだった。


想像の中のお姉ちゃん、という言い方は奇妙に聞こえるかもしれない。けれどそうとしか言いようがないのだ。


 両親や学校や人付き合い。私は色々なことに疲れていた。


 それでも現実には現実逃避のすべがみつからなかった。


 そんなときに編み出した一つの方法が、頭の中に架空の「お姉ちゃん」を生み出すことだった。昔から架空の「お姉ちゃん」自体はよく想像していたのだ。一人っ子だからこそ、憧れていた。


 優しくて美人でいつだって助けてくれて、望めば好きなだけ甘えさせてくれる理想のお姉ちゃん。亜美ちゃんと疎遠になって、ただただ両親の指示に従い勉強する毎日になってから、私のストレスはそうでもしないと治まってくれなくなっていた。


 私は頭の中のお姉ちゃんにたくさんたくさん甘えた。そんな毎日を続けていると、お姉ちゃんはやがて自我を持つかのように振る舞い始めた。流石にまずいかなと思ったけれど、どっぷりとお姉ちゃんに依存していた私は、今さらなかったことにはできなかった。


 もしもその結果、現実にお姉ちゃんが現れたというのなら……。


 はっきり言ってとても嬉しい。


 けれどまだ本物のお姉ちゃんだと決まったわけではない。


 念のため、笑顔を浮かべるお姉ちゃんに私は質問をする。


「私の誕生日は?」

「10月23日」

「好きな食べ物は?」

「ストロベリーアイスクリームケーキ」


 私がストロベリーアイスクリームケーキを好きだということは、亜美ちゃんと両親にしか話したことがない。いや、でもまだその三人が他の人に話したという可能性もあるにはある。


 だから念のためにもう一つだけ。


「わ、私の胸のサイズは?」


 お姉ちゃんは顔を赤くしながら答える。

 

「えっ!? ……Bでしょ? こ、これでお姉ちゃんを信じてくれた?」

「信じるよ。本当にお姉ちゃんなんだね」


 私は思わず笑顔でお姉ちゃんを抱きしめた。だけどその瞬間、校門近くの生徒達の視線が集中する。私は慌ててお姉ちゃんの手を引っ張って、校門の前を離れた。

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