第12話 《マーガレットの蕾》
「先生って彼女いないんですかー?」
陽気なクラスメイトの声が、賑わう放課の教室に浅くこだまする。
なにやらクラスのとあるグループが先生にアプローチをかけているようだ。
「いませんよ」
そう言って担任の井上水樹は苦笑いをする。
「じゃーあ、私が立候補したいって言ったら困りますか?」
言うと、クラスメイトは唇に人差し指を当てて小首を傾ける。
「困っちゃいますね、万が一があると私が失職しちゃいます」
水樹先生は苦笑いのまま会話を続ける。それから少しの間、グループは皆でわいわいと先生に質問をしているようだった。
「困らせちゃ、ダメですか?」
さっきから水樹先生に話しかけているのはそのグループのリーダーと思わしき女生徒だ。名を
「ダメですね、私はロリに興味ないので」
水樹先生がそう言うと、グループの勢いは衰える。
「え、私ってロリ枠なんですかー?」
真菜はここでも食い下がる。
「熟女以外はロリですよ」
水樹先生は整然と答える。あまりに普通に言うもので、真菜は身元を両手で隠し
すぐにグループの仲間が追いかけていく。
それを見送ると、先生は手元を見つめて。
「思春期は困ったものです…」
と呟く。人気教師の苦悩が垣間見える。
「私は少し
ふと、教卓の先生に村松千景が話しかける。
「仕方ないことなんですよ、ほんとうに…」
水樹先生は千景の方へ向き合う。
「分かってます。ただ、残酷だなと」
「現実は残酷なんです」
千景の言葉に、水樹先生は割り切った言葉を返す。
「ですが、思春期と割り切るのも可哀想だと思います」
千景は水樹先生に意見する。千景もまた、女の子なのだ。
「けれど、人は残酷な選択をしなくちゃ行けないんです。トリアージのように、…全部が全部良いものを選ぶというワケにもいかないのが現実です」
「そうですか……」
言って千景はその場を後にし、着席する。
井上水樹は教員机で、教科書に向き合いながら物思いにつぶやく。
「…子供は可能性の獣なんだよ、抑圧するべきじゃない」
これが井上水樹という教員の教育論だった。
逃げた先はトイレだった。真菜は水樹先生にアプローチを仕掛ける度にトイレに逃げていた。
「今回も頑張ってた、すごく頑張ったね」
「うん、応援してて感動したもん」
頑張りを評価したのは『
「ありがとう、次はどうしたらいいと思う?」
真菜が聞く。
少しの間、3人は考えるとすぐにアイデアを思いつく。
「真菜はさ、今までたくさんアタックしてきたじゃん! 押してダメなら引いてみろだよ! どうかな?」
「いいね、いいじゃん! 寂しがってくれるかな〜?」
真菜は期待を胸に、気色満面に笑う。
「おはようございます! 今日からお世話になります噛井憂です。好きなインフルエンサーは『人間は万物の尺度である』のプロタゴラスと『嫌われる勇気』のアドラーです! よろしくお願いします! 」
ある日突然、その子はやってきた。
その時、水樹先生はいつもの優しさを発揮した。
「えーー『人間は万物の尺度である』は集団の中で全ての人の真理、つまり理ことわりというか、価値観の基準が共通することはない。という哲学です、難しいことを知ってるなんてスゴいですね!」
けれど、それはいつもよりちょっと特別な優しさだった。水樹先生はいつもみんなへのアドバイスや親父ギャグをしてくれる人だ。でも知性を披露したりすることはなかった。この時、水樹先生を大好きな私はいつも水樹先生を見ていて変化が分かる、そして悟った。水樹先生はこういう知性のある子を守りたくなるのだと。
それから私は勉強を頑張っていたが、期末テストを迎えていない私には私の今の学力の推移は分からない。きっと上がっていたら良い、そして水樹先生に振り向いて貰えたら良い…そう思って頑張っていた。
けれど、そうしてる間に世界は動いていた。
「あはは、噛井さんこそ私を誘ってます?」
水樹先生は楽しそうに笑って噛井さんと話していた。
「そろそろ時間なのでね、楽しい時間をありがとうございます噛井さん」
そう言って教室を立ち去ろうとする水樹先生の顔にはいつまでも笑顔があって、それがどうしようもなく悔しくて。
いえこちらこそ、新しい彼女さん、できると良いですね。男はアラサーになってからモテ始める人もいるわけですし」
そう言って水樹先生をからかう噛井さんのその言葉も、水樹先生に振り向いてもらえない私への皮肉にしか聴こえなくて、私は噛井さんと目が会いそうになり背けながら、自分の中のネガティブな感情を感じていた。
「私がずっと好きなのに…」
このつぶやきすら、声にならなくて。
「…………」
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