第11話 《ルサンチマンと砂煙》

それは翌週の月曜日のこと。

「噛井さん、この作業お願いできないかな?」

そう言われて私は先生に頼まれごとをされたのだ。それは教卓にまとめられておいてあり、合計すると、目測にして500枚はあろうかという問題集の束だった。軽く完結に説明を受け、4部編成のプリントを1つずつ並べてホッチキスで留めるというもので、私に手伝わせた割には先生自身、時間に余裕があるような振る舞いで私に話しかけてきているのだ。新手のパワハラか?

水樹みずき先生、急ぎの用事じゃなかったんですか?」

私は聞く。世間話と言うよりは与太話だ。進行を深める為というよりは意趣いしゅ返しだ。

「んー? そうですね、先生は教員としての今日のタスク終わらせているんですよ、だから暇ですよ」

言いながら、私に任せたはずの作業に手を出す水樹先生。

「ではなぜ生徒の時間を奪ったのですか?」

繰り返そう、これは世間話ではなく与太話であり意趣返しだ。

「ははは、聞かれるとは思ったけど辛辣な言い方をするんだね」

水樹先生には、笑いながらもイラついている様子はなかった。

「そうですね。噛井さんの編入時と最近の変わり様を見ていると、人間的な興味が湧いて来たんですよね」

そんな雑談をする水樹先生の手元は、私をしのぐペースでテキパキ動いている。私も遅いつもりはなかったのだが自信がなくなってくる。

「そういえば水樹先生、私が自己紹介をしたあと、プロタゴラスについて話してくれましたよね」

あれは余計なお世話だった。

「そうですね、あの頃は噛井さんが周囲と馴染めるか不安だったので、…でも杞憂だったと思います」

なるほど模範的教師の振る舞いが杞憂に終わったというわけだ、噛井憂だけに。

「そうですか、最初は嫌な先生だと思っていましたけど、諦めます。…聞きたいことがあるんじゃないですか?」

どうやら水樹先生は善意でそう言ってくれているようだし、私も先生に心を開いてみようと思ったのだ。

「ハハ、毒舌が聞いてますね、毒づきが激しすぎてポ○モンかと思いましたよ」

「は? ……」

「………」

これはたぶん、私が悪かった。

「いや、私は流行りとかまったく知らないタイプなのですみません」

普段の1.4倍速の早口で謝った。

「いえ、気をつかわせてしまってすいません、そういえば噛井さんはありていの女生徒とは違ったツボをお持ちでしたね」

「いや、クラスメイトも慈悲で愛想笑いしてくれていただけかと」

私はツッコミを入れた。どこかで、ある程度年のいった人は若者に馴れ馴れしくされるのが好きだと聞いたことがあるからだ。

けれど一瞬の間が開けて。

「あははぁ、そんな可能性を考えると頭が痛くなりますね」

そうは言っているが、愛想笑いが乾いていて、しんどいという内心が漏れ出ている。

「ムリに若者に話を合わせようとするからそうなるんですよ、もっと力を抜いてください」

私なりに、的を射たアドバイスをしたつもりだった。

「そうですね、噛井さんありがとうございます」

水樹先生は言いながらも作業分担した半分の量を全て終わらせてしまった。私にはまだ100枚程度の残りがあった、完全に負けてしまっていた。

「こちらも手伝いますね」

言って、水樹先生は残りのプリントを分けるために私の方へ身を寄せる。

「具体的に、私の台詞でなぜ生徒が笑ってくれていると噛井さんは思いますか? そのロジカルのようなものをお聞きしたいです」

と、水樹先生が私に見解を求めてきたので。

「人は正しいハズだと思った人の言葉を正しいと思い実行する傾向があります、要は潜入感です」

そして続ける。

「なぜ水樹先生の笑いでクラスメイトが笑うかと言えば、それは潜入感があるからです。面白い先生だと思っているから笑うんです。だから基本、何を言っても笑うんですよ」

私は言うと、一旦手を止めて先生を見る。特に意味はなく、また再開する。

「けどですね、生徒も馬鹿じゃないです。一部の生徒には馬鹿な子もいると思いますが、それでも水樹先生は下手に自分を曲げずに水樹先生なりのユーモアを言えば、生徒はそれを面白いと感じて笑ってくれると思いますよ」

私は言いつつも、作業をする手を止める。もうお手上げだ、先生に任せてしまおう。

「ありがとうございます、それはそれとして熟達した教員の技の前でひれふしましたか? 噛井さん」

その先生の台詞を聞いて、私は少し楽しくなった。それなりに皮肉のできる先生なのだと分かったからだ。

だがまだ足りないと思った。それほど工夫がされていないからだ。磨きたいと思ったのだ、たたらのように。

「ところで、先生は教員になってから何年目ですか?」

先生が終わらせてしまったプリントの束を机の隅でカンカンと揃えながら言う。

「え、まぁ今年で4年目になります。早いですね。年が流れるのは…」

先生は感慨深そうに遠い目をしていた。けれど私は、そんな達観したようなことを言う暇を私は与えようとは思わなかった。

「つまり20代後半? 28歳ですか?」

「そうですね」

「じゃあもうアラサーですね」

「ですねー。老年は迅速である、とプラトンも言ってましたしね仕方ないのですよ」

水樹先生はその台詞を最後に、プリントの束はやっつけてしまった。

「プラトンをご存知なんですね」

私は聞く。

「実はそうなんですよ、私、その方向にも知見がありまして」

言うと、先生は携帯の画面を操作する。テキパキと操作した水樹先生はすぐに私に画面を見せてくれた。

「これ、大学の頃の私です。京都大学で心理学科を専攻するしていたんですが、いろいろあって結局教員になりました」

「そうなんですね、それでなぜ心理学科で哲学を?」

私は踏み込んだことと分かりつつ、重たい内容であろう「いろいろ」を避けて質問を投げる。

「当時のガールフレンドが倫理を専攻していて、心理学の勉強がてら手を出していたワケです」

なるほどと私は思った。

「当時、ということは今はシングルなんですか?」

「実はそうなんです、噛井さん言い方にトゲがなくなった途端に話しやすくなりました。噛井さんはきっと心理療法やその道に向いているんですね」

思わぬタイミングで褒められてしまった。

「あの、私って今口説かれてます?」

私は思いつきで、毒づくように言う。

「あはは、噛井さんこそ私を誘ってます?」

「その返しはグッドです」

もともと真面目な雰囲気でもなかったけれど、私が茶化すと良い感じの返しをしてくれた。

「ちなみに、嫌われる勇気を知らない。というのはウソですね?」

言うと、水樹先生は顔を背けながら笑って。

「バレちゃいましたか、あんまり押し付けがましくはなりたくなかったので黙っていました」

と弁明する。

すると、時間が迫っているのか教室のドアの方へ歩みを進める先生。

「そろそろ時間なのでね、楽しい時間をありがとうございます噛井さん」

言って水樹先生はお辞儀をする。

「いえこちらこそ、新しい彼女さん、できると良いですね。男はアラサーになってからモテ始める人もいるわけですし」

私がそう言うと、先生は恥ずかしそうに笑って教室を出ていった。


先生を見送ったあと、教卓から教室に向き合う。私が生徒の席に向き合っているかたちだ。

そして私は見逃さなかった。視界の端でクラスメイトが焦って私から目を逸らすのを。

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