第9話 《屋上にて》

 私たちは昼食をする為に4人で屋上へ向かっていた。私は西奈さんと中森さんのうしろで左隣りに千景さんという2列で階段を登っていた。

 日向さんには宣言したものの、私が生きるべき、通すべき哲学とは。それが未だに決まっていない、定まっていない。

 かの哲学者プロタゴラスはこう言った。

「人間は万物の尺度なり」

 人は個人で全ての物事への価値を決める、だから複数人では価値観が共通することはない。つまり団体に共通する真理はない。とプロタゴラスは語ったのだ。

 簡単に言えば、価値観は人それぞれで性格も十人十色。「全く同じだ」とか「全てを共有しよう」だとか、そういう人間関係は人間である以上不可能だということだ。こう言った本質に基づく考えを実存じつぞん主義というのだ。

 つまり、日向さんと意見が違うことは必然で、日向さんと価値観をぶつけ合うことになったのも必然で、そうなるべくしてなったのだ。こうなることは私が日向さんに校門で会った昨日から決まっていたことだということだ。

「人間ってめんどくさい」

 また、一人言を漏らしてしまった。気づいてふと、千景さんを見る。

「らしいな」

 そう言った千景さんは嬉しそうな顔をしていた。

「なにが?」

 私は不思議が知識欲が先立って聞いてしまった。

「また、哲学してたんだろ?」

 言って千景さんは、私に向けて小さく「グッド」と拳を突き出す。

「前の2人と話題が違いすぎるよね」

 言いながら千景さんはガハハと声が出そうな大口を開けてハハハと息を吐く、私はその横顔で笑っているのだと気づく。

「北風と太陽。だね」

 私は千景さんのその台詞セリフに、思わず聞き耳を立てて千景さんのその口の動きを凝視する。

「それでも私たちが上手くいかない道理はない。発想の転換…」

 私はその思考を知っている。その考え方を知っていた。

「自己啓発。心理学の応用」

 千景はそう言ったのだ。心理学と。

「心理学、それは哲学の延長線上にある。んだってね?」

 私はその千景さんの口に視線が吸い込まれていた。…その言い回しはそう。

「アドラー心理学、そっか」

 あの写本を読破したんだね。私はそう続けようとした。けれど千景さんは言う。

「Wikip○diaって便利だよね!」

 都合の悪い部分はモザイクをかけてお送りします。

「おい!」

 ズン、今度の私は手が出てしまった。横腹を小突いたのだ。

「感動しかけた私を返せ!」

 私はらしくもないノリツッコミをしてしまった。

「あはは、コレでちゃん呼びしてもいいな?」

 そんな風におかしそう笑う千景さん。思わず私も笑顔がほころんだ。

「そんなわけあるかっ!」

 またノリツッコミをしてしまう。あれ、今私、リア充してないか? そう気づいた途端からますます笑いが込み上げてくる。

「ねぇみんな」

 私は笑いながら言う。

「今私、リア充かなぁっ?」

 声がうわずってしまった。

「何言ってんのゆうさん彼氏いないじゃん」

 西奈さんが即答する。それはあまりにも早かった。

「価値観の相違ぃっ!」

 私は声をうわずらせながら再び爆笑する。

 西奈さんは苦笑いしていたが、それに構わず私は笑い続ける。それに吊られてか、中森さんが笑い始め千景さんが呆れたような変な顔で笑い始め、そうしてる間に屋上への扉の前に着く。

 その扉をくぐる前、千景さんが言った。

「人間らしいって楽しいよ、ね」


「今日、一限目から体育だったぁぁ、先生は生徒のこと考えてよね」

 屋上の一角に弁当を広げた途端、中森さんはさっそく先生の愚痴を言う。

「ほぼ寝起きの運動ほどこたえるものはないわー」

 西奈さんが続く。

「え〜しっかりストレッチしてればそんなに疲れないよー?」

 千景さんは意見を言う。昨日もしていた1連の流れ、私はこれに参加出来ることを好ましく思う。そんな内心を隠しつつ、私の言葉を続ける。

「分かる、身体の疲労具合とか段違いだよね」

「うっそ、ストレッチて準備運動のとこでしょ? あんなの拷問じゃなかったの?」

 西奈さんがそう食い気味に言うと、和気藹々わきあいあいを絵にしたような笑いが起こる。

「いや、実際は分かるよ準備運動なんてひと口に言っても運動経験があんまりな子は、何をどうしたら効果的なのか分からないと思うし…うん、それを教えない学校が悪い!」

 千景さんは思いもよらない速度で中森西奈ペアに歩み寄りを見せた。なるほどそう来るかと、私は思ってアンサーを考える。

「それを言ったら、学校の体制が悪いんじゃないかな?」

 恐ろしく、すぐにするりと言葉が出てきた。

「なにそれじゃ〜あ、私はこの国が悪いと思いまーす!」

 中森さんが便乗する。少し皆で笑ったあと、西奈さんが息を吸って大口を開ける。

「具体的に、日本の官僚が国会で昼寝してるのが悪いと思いまーす!!」

 西奈さんはなかなかスケールの大きいことを言った。そこで。

「それ言ってるコトやばいっ」

 中森さんがツッコミを入れて、なかなかない役回りからか、いっそう皆の笑いが止まらなくなる。

「そんなこと言ってると、北朝鮮なら処刑されちゃうじゃんかぁ」

 私は便乗するように、場をいさめるようなセリフを言う。こういう役回りは日向さんがやりそうなものだ。

「残念だったな、これから日本は、私たちに人権を与えたことを後悔することになるぞ!」

 千景さんが大袈裟な言い回しをすると、それがなんだか堂にいっていて、私たちは皆で爆笑という雰囲気になる。

「残念ながら日本には、デモを起こす自由はあるけど、名誉を貶して良い法律はないのよ」

 そんなとき、少し離れた場所から水を差すような声が聞こえた。新手の緑化委員かと思ってその方を見る。

「あっ」

 日向さんだった。

「あってなによ、あんまり楽しそうに変なこと言ってるから生徒会として注意しに来たまでよ。限度があるからって、…て知ってるか」

 言いながら日向さんは私たちの正面に歩いてくる。

「ところで二階堂さんはこんな辺境の地へなぜ御足労なさったんですか?」

 西奈さんはさっきのテンションのままで聞くのだった。

「辺境の地って、わりと新しいのよ? じゃなかった。…コレをしに来たのよ」

 言いながら日向さんは左手を持ち上げて人差し指と中指を立てて、頬の前で静止させて見せる。なにかのジェスチャーのようだ。

「え?! 二階堂さん喫煙者なんですか?」

 西奈さんが驚いて聞く。

「そうなのよ、コレね」

 言いながら日向さんはスカートのポケットから長方形の小さな箱を取り出す。

「HOPEかKOOLですか? 大きさからして…」

 西奈さんが更に質問を投げかける。私も吊られてそのタバコらしき箱を見る、茶色をしてることしか分からなかった。

「そうね…」

 言いながらも日向さんは箱から1本、白いスティックを取り出す。そんな日向さんは、いつにも増して大人な雰囲気を出していた。

「ライター忘れたんですか?」

 西奈さんがそう聞くのに対して、日向さんは目配せするのだった。同時にそれとなく慣れた手つきで白いスティックを咥えるのでした。

「吸ってないからセーフってやつ? これでも味はするのよ」

 なにか危ないことを目撃してしまっていることは分かる。そもそも私立でありながらも、高校であるからには喫煙は厳禁なのだ、私立だから更に厳しいまであるはずだ。そうは分かりながらも、私たちは硬直してしまっている。

「あなたたちもやる?」

 そう言う日向さんと私が目が合う。そのまま日向さんはその箱を投げる予備動作をして、山なりに飛んできたそのを、私は脊髄反射的に受け取ってしまった。

「これ見覚えがあるような……」

 そのまんま私は沈黙してしまう。そんな私を見かねてか、日向さんは言う。

「ココアシガレットよ」

 言いながら、日向さんはタバコを持つような手の形で持っていたシガレットを口から離すと。可笑しそうに笑う。私たち4人も笑う、これは緊張の糸が解れた時の笑いだと思う。

「冗談がキツいです」

 そう言った西奈さんに日向さんが向う。

「これ、生徒会では私の鉄板ネタなのよ」

 言うとシガレットを噛んで口から切り離すと、日向さんはまた可笑しそうに笑う。

「タバコネタに付き合ってくれたお礼よ、いるかしら?」

 西奈さんに差し出す。

「要らないです」

 西奈さんは即答する。

「振られちゃったわね」

 そんな風に西奈さんに背中を向けた日向さんには、朝のような雰囲気とは別の意味で達観したなにかを感じた。というのも、西奈さんに背中を向けたことで日向さんは私と対面するカタチになっていて表情が良く見えるからだ。

 そんな風に考えて弁当を食べていても相変わらず哲学をしている私に日向さんが言う。

「失礼します」

 言うが早いか、咀嚼そしゃくする私の口に右手の指を突っ込む日向さん。

「ひゃまへす、はみひりまふよ」

 上手く発音できなかったが、端的な言葉なら誰にも通ずるはずだ。

 が、私は横の3人を見渡すと3人とも驚愕の表情のまま硬直していた。それを見て私は状況を理解した、そりゃこんな光景をみれば驚愕するだろう。そう思った途端に身体が震える。

「ちょっとごめんね?」

「へっ?!」

 日向さんは語尾に疑問符をつけているがまるで許可を得ようとしているようには見えなかった。なぜそう言えるのか、それは日向さんが私の口をこじ開けようとしているからだ。

 日向さんは始めに4本指を入れていたのが、さらに親指をねじ込んできたのだ。そして親指の根っこの方を駆使して技術の実習で使う万力まんりきかなにかのように無理やりこじ開けようとしてくる。眼前にはその日向さんの左手でチョークのように持つ、さっきのココアシガレットが待機していた。おそらくその迫力は誰が見ても恐怖だろうと思える光景だった。


「ごめんなさい!!!」

 屋上に日向さんの謝罪がこだまする。

 それは、ココアシガレットをもちいて無理やり関節キスをさせられた直後だった。

 私は泣いていた。

 涙を流して、呼吸をひきつらせていた。私はらしくもなく俯いて両手で目頭をおさえていた。謝る声など私には響かない。

 日向さんの謝罪を受け入れられないと感じた時、同時に私は今の私は自分に余裕がないのだと知った。余裕のある時の私ははもっと柔軟だからだ。

 何をするべきか? 私は哲学する。それはジョジョの奇妙な冒険でプッチ神父が素数を数えるように、私は心を落ち着かせる為に哲学をする。

『友の奇行 迎える私は 鼓動する』

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