第5話 《 雪うさぎ 眠りの覚める 日の出かな》

現在3時限目、物理の時間。それもそう終わりそうだ。

しかし私はここで重要なことを思い出した。

それはなにか、私は1話冒頭から今に至るまで常に哲学が趣味だと主張していたし実践していた。もちろんそれは人間観察だって例外ではないはずだった、けれど私は怠ってしまっていたことに気づいてしまったのだ。

そう、私は読者のニーズを見失ってしまっていたのだ。そう、哲学女子というジャンルが好きな方たちは、もちろん注目の的となる哲学女子の創作する『俳句』というのは非常に興味深くあるはずなのだ。

ここで腐れ陽キャなら今すぐにでもニーズに応え羨望せんぼうの眼差しを浴びるべく俳句または短歌を作るだろう。しかしそれはニーズに応えていると言えるのだろうか? 分かりやすく言うならば、すぐにでもニーズに応えるのが陽キャなら、哲学女子という陰キャを望んでいる読者はそれを良しとするだろうか? きっとキリスト教が異端者を粛正しゅくせいするように高圧的な批判を浴びせるのだろう。ならばこれからはどうするべきなのかと熟慮をすべきなのではないだろうか?

ここで私は授業中にアゴを右手で包むようにして頭を巡らす。

チクタクと、時計の秒針かまたはメトロノームのように、無意識に人差し指で頬をホバリングさせる。

少しして、私は決意する。これからはことある度に和歌を読もうと。私がこの物語の主役として同時に詠い手として読者を楽しませるために、脳髄をすり減らしてでも詠いつづけるべきなのだと、私は考えついたのだ。

これからは場面や出来ごとが起こる度に和歌を詠む。もちろんこの和歌というのは俳句と短歌のことだ、もし仮にそのシーンで和歌を詠むことが文脈を乱したりして邪魔しよものなら、その話の終わりにでも読んでみせようと、私、噛井憂は宣言する。もちろんこれは著者である綾眼あやめ先生のエゴでもあるのだ。これは一塊の読者として是非とも受け入れて欲しい。受け入れてもらう為にできる綾眼先生からの歩み寄りは、正直に言ってなにも思いつかないのだが、この最凶にメタい憂による語りを誓約書だと思って欲しい。私噛井憂は、これを読者に受け入れてもらえることを、切に願う。

うるさいことを言うようだが、上記の文章を頭の中で再生する時は早口で頼む。それが私のキャラなのだ。


メタいことを考えていた私に、千景さんが話しかけてくれた。

「授業、慣れた?」

「うん、そこそこかな」

手応え…は感じてきてはいる。

「そっかぁ、て、ここで話が終わったら気まずくなるじゃん!」

「あっはは〜」

やたら私なんかに共感を求めてくるのは相変わらずみたいだ。

「副会長、見た目やウワサ以上にストイックだったんだね」

「確かに、私と話す為だけにあれだけできるのは、形容できない恐ろしさがあるよね」

言われて、私もコメントする。

「ね! 今話しいい?」

そう聞こえて、その方向を見ると申し訳なさそうに手を合わせてる女の子がいた。あまり意識していなかったけど、隣の席の長髪の女の子だった。

「あっ、大丈夫そ?」

私の顔と、千景さんの様子を伺っていた。

「すいません、何さんでしたか?」

私はまず社交辞令を述べる。

「うんとね、副会長とモメた時に、私も結構ヒドイことを言っちゃったから謝ろうと思って」

「ごめんなさい!!」

要件を言い終えるかどうかのタイミングで、長髪の女の子は頭を下げる。

「スゴく傷ついたよね、無責任なことしちゃって…」

その声は震えていた。私の立場からして許す許さないも私次第で、正直にいえば罪悪感を着てくれるのなら着せてやろうという具合だが。その声の震えはそれだけで許してやろうという気にさせてくれる。

しかし返す言葉は決まっていた。私は善人でも馬鹿でもない。

「そう、2時限目の放課ではたくさんのクラスメイトが話しかけてくれたけど、謝られたのは初めてなのよ」

私はそのまま続ける。

「でもそれだけじゃ足りないのは分かるかしら?」

言うなれば、これはカマかけ。

「私はこれまでイジメを受けてきた経験がある。そのいじめっ子たちを見ていたのと同じ目で、あの罵声を飛ばした女の子たちを見ているの。分かるかしら?」

これは、このクラスメイトの感じている罪悪感を計る為の試験。

「あなた名前は?」

ずっとクラスメイト呼びでは味気ない。

中森葱子なかもりあおこ…です。これかは仲良くなれたら嬉しい、です」

中森さんは、まだ頭を下げたまま。

「じゃあこれからは中森さんね? 私があなたに言いたいこと、分かるかしら?」

私はこんなことを言っているが、震える声を聞いた時点で怒りなんて無くなっている。体力の無駄だ。

「はい…」

中森さんはゆっくり顔を上げ、なにか言おうと口を開く。

「待ってあおっ! さっきから見てたけど、こんな横柄おうへいな態度をするやつの心が傷ついてるわけないじゃん、謝ることないって!」

中森さんの左袖から、また別のクラスメイト、ミディアムヘアの女の子がまくし立てながら3人の和の中に入ってくる。

「私、西奈香里にしなかおりよ! あおとは小学校から一緒なんだから! 葱に危害加えたら容赦しないわよ?!」

開口一番で一気にまくし立て、すごむのは西奈香里にしなかおりと名乗った女の子だった。

「そうなの、ごめんね。私自己紹介でも話した通りの変人だから。本気で謝ってるのか試そうとしたの」

私がそう言うと、西奈さんは揺れる炎のように首から唇を震わせながら。

「そう、よろしくね噛井さん…」

怒りをセーブしているような仕草で、その声もやはり怒りの色が見えていた。

「大丈夫だってかおちゃん、私が悪いのは明確なんだから」

中森さんが右側から西奈さんの腕を取って話しかける。

「ほら、噛井さんも自分で変わってるって言ってるじゃん、かおちゃんが悪いことだと思ってても噛井さんにはなんでもないことなんだよ、怒るのは失礼だよ」

などと、放っておけば私を未確認生物みたいに…。

「いや、私に関わるかどうかはそっちで決めればいいじゃん!」

これ以上目の前で陽キャぶりを見せつけられることに堪えられないと思ったから、 白黒を選ばせる。

「まぁまぁ、これから色んなイベントがあるからさ、クラスメイトとは仲良くしよ?」

と千景が仲介に入ると、西奈さんは肩で息をするようにしてうなずく、それは妥協しているような素振りだと思った。

「そうだね、仲良くしないとね!」

と中森さんが大きく相槌を打つ。

「私は友達なんて…」

要らない。そう言おうとして、千景さんの顔を見て留まる。

「あは、噛井さんってもしかしてツンデレ?」

千景さんはそんな私を見て突拍子なく言うのだった。

「え? そんなつもりはないけどな」

私はさぐらかす。

「ぶりっ子は気持ち悪いから辞めた方がいいよ」

と西奈さん。毒舌が効いてらっしゃる。

「安心して、私はこうだから」

この手の悪口にはこうやって対処するのが1番だと、アドラーから教わっている。

「噛井さんは強いんだね」

中森さんが言う。

「私が強い? もうちょっと視野を広げてみてよ」

もうちょい視野を広げれば、私よりもずっと頑張ってる強い人がいるはずだから。先生とか。

「噛井さんって、良い意味で毒舌だよね」

中森さんは「良い意味」と言えばなんでもポジティブになると思っているのだろうか。

「あっ、その点では私も分かる! ゆうさん初対面から当たりがキツいよ〜」

と千景さんも話しに乗りながら私にベタベタ触ってくる。

「むう、でも毒舌キャラなら西奈さんも負けてなくないっ?」

これでヘイトを西奈さんに向けていく、大衆誘導とはこんなにも簡単なのだ。

「確かに〜、考えてみればかおちゃんも結構な毒舌だったよねぇ〜」

と茶化しながらハハっと笑う中森さん。なんだか、中森さんはペースメーカーのようだった。

「別に私はそんなつもりないし、あおちゃんが変なやつに頭下げてるから心配してたんだよ」

と西奈さんは言うのだけれど、私はこれまでも経験上分かるのだ。ここら辺で千景さんの鋭さが火を噴くことを。

「してた、てことは、もう大丈夫なんだぁ?」

と千景さん、なかなかの破壊力だ、ナイス。

動揺する西奈さんと、西奈さんを取り巻く中森さんと千景さんを眺めながら、私は内心で諦めを決意していた。

千景さんに、『嫌われる勇気』を理解したらとニックネームで呼ぶことを許可してしまったし、こうして交友関係もほぼほぼ形成出来てしまっている。ならこの関係を壊す方が非合理的で人道におとるんじゃないかと思ってしまう。なら問題は、私の心のつかえを話さなければならないという話だが、3人の笑顔を見ていると、それは今ではないように見えてくる。

「ね、そういえば噛井さんってなんだかうさぎみたいだよね」

何の気なしに眺めていたうちの1人、中森さんに言われて中森さんの顔を見つめる。

「だって、噛井さん。すごくドライな性格に見えるけど、あっ悪い意味じゃなくね? なんか空腹っていうか寂しそうっていうか……そんな雰囲気あるもん」

そんなふうに言われて、私は首をかしげる。

「…なんでうさぎ?」

私は聞き返す。それはホントに興味本位の質問に過ぎなかっ勝ったけど。

「うん、言い出しちゃったから言うけど、動物に例えられるのイヤだったら言って欲しいんだけどね。もちろん噛井さんが白いうさぎみたいに綺麗で可愛いっていうのもあるんだけど。なんだか冬眠から覚めたばかりで何かを探してるような雰囲気があるの」

とふわふわしたこと言う中森さんは。

「変なこと言ってごめんね」

と締めくくる。私は不思議とその話に聞き入ってしまっていた。それは心当たりはなくもなかったからだ。不覚にも、姉のことを思い出してしまうくらいには。

「そう、ありがとう」

このお礼の言葉は、言葉通り、私の中から自然とこぼれていた言葉だ。

「なんかしっとりしちゃったね」

西奈さんが言って。

「そうだね」

千景さんが同意する。

そしてまた少し沈黙の時間になる。

「あっねぇ、噛井さんは不審者の話。聞いた?」

沈黙を裂くように、中森さんが問いを投げてくれた。

「え〜、ここらへん治安悪いの? 聞いてなかった〜」

実際、聞いたことがなかった。

不審者かぁー、変態なら何とかなるかもだけど、通り魔なら刃物は怖いな。私はそんな呑気考えをしていたが、話を聞くと衝撃が走ったのだ。

「やっぱりそうなんだ。でね、その不審者っていうのが普通じゃなくて」

ふむふむ。典型的なゴシップなのだろうと思い、相槌をつきながら続きを待つ。

「なんでも、毎週水曜日の夜になると泣きながら街を放浪する黒ずくめの成人男性が現れるんだって」

「………変質者?」

それはなんというか、変態や犯罪者予備軍というよりは、なにか偶発的にそうなってしまったような儚さの見える話だった。

ここで千景が語りをバトンタッチする。

「あ〜この話で1番怖いのが、毎週水曜日というのもそうなんだけど、必ず午後7時丁度に現れるんだって、なんだかそれが半年前かららしくって、幽霊にしては新しすぎるし不思議だよねって昨日もクラスで話題になってたんだよね」

と言う千景さん。話を聞く限りは認知症の線だと思うが、時期早々だとも考えられる。

3人の間で和気藹々わきあいあいと話が進行していくあいだに、私は鼻を人差し指の背で撫でながら少し考え込んで、今度は宙を仰ぐ。私にできるのはなんだろうと考えていた。

それから私は3人をまっすぐ見つめてから口を開いた。

「ねぇ、この話。解いてみようか?」

この時から私は、これからの2年間に渡って、昼ドラやサスペンスドラマのような場数を踏んで、いや、馬鹿を踏むような数奇すうきな学生生活を歩み始めることになるのを、想像だにしていなかった。

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