第4話 《ポジティブマシーン副会長 後編》

 ひなっちは身体を宙に舞わしながら困惑の表情を浮かべる。…そして私は一点の乱れもなく大外刈おおそとがりをキメる!

『バタンッッ!』

 ちょっぴり鈍くて人の肌のように水気のある大きな音が響く。

「決まった…」

 私はそういいつつもつい悦に入る。

 父から強制的に習わされた護身術の中で、私が唯一興味を持ち、そして極めたのはこの大外刈りだったのだ。

「決まったじゃないわよ、ここフローリングよ? 大外刈おおそとがりとか馬鹿じゃないの?!」

 ひなっちは予想通り受け身をとっていて大丈夫だった。

「ひなっちさんまた!」

 言いながら私はひなっちの右腕を放り、元きた道を走って戻る。これで放課の10分を逃げ切れそうだ。

「敬称つければイイなんて言ってない!」

 そう叫ぶひなっちは思いのほか直ぐに立ち上がったようだった。

「全てが!」

 私は叫ぶ。叫びながら逃げる。

「全てミスリードだったのだよ!!」

 階段を駆け上がる。

「この大外刈りをキメる為のだ!!!」

 ここらへんで息が上がりそうになるも続ける。

「体力がないように見せていたのも!」

 嘘だ。私の体力などミジンコの直径くらいない。

「…息があがってる演技をしたのもっ!」

 嘘だ。そんなに芸達者げいたっしゃではない。

「素人みたいな格闘を演じたのもぉ!!」

 嘘だ。大外刈り以外の特訓などぜんぶ放り投げた!

「バカめ、人間がゴミのようだぁ!!!」

 すでに息が切れ、筋肉に酸素が回らないながらに私は全力で走る!

 それにしても、人は土壇場になって本領が発揮されるモノだと思う。

 そう、そうだここで私の知識が活かされるんだ! 心の中で意気込んで、陸上選手のように鼻呼吸に切り替える。

「まだイけるぅ!!!」

 私は叫びながら、ひたすらに走る!

 なぜここまで逃げるかって? 陽キャが苦手だからだ!!

「そんな馬鹿なことがあるかぁ!!」

 ひなっちもまた自分にかつを入れているようだ。

 人通りのない階段で、2人の女子高生はめちゃくちゃに走っていた。


 また、舞台は変わる。そこは教室の立ち並ぶ廊下だ。

 人混みがあるから安全の為に早歩き。それは副会長もわかっている様で、ただの早歩き競争になった。

 もはやここからはただの口喧嘩。2人はお互いにまくし立てるような早口になっている。

「そんなに私がイヤなの?」

「大嫌いですが今気づきましたか」

「そんなに選り好みしてるといつか公開するわよ」

「それ元母親から何十回聞いたか分かんない」

「そういうの良く簡単に言えるわね」

「生憎そういう人間なもので」

「それよ」

「なにが」

「私が貴方に執着する理由」

「執着して堕落し、挙句あげく全校生徒に恥を晒していることにお気づきでしたかおめでとう賞賛します。次回生徒会選挙では知名度で負け無しですねおめでとう産まれてきてくれてありがとう!」

「うるさい黙って聞きなさい!」

「日本国法11条、人権及び内心の静穏せいおんの権利を行使します。ここからは人権侵害になります!」

「耳クソかっぽじって聴きやがれ!!! …?」

「…!!!!」

 副会長のこのセリフの直後、廊下には女生徒たち悲鳴が轟く…。人目が集まり、場が凍りつくのを肌で感じる。

 起きたことは2つ、1つは副会長が感情的に私に掴みかかったこと。1つは私がタイミングを見計らってアルマジロの対噛みつき防御形態のように身体を抱えてしゃがんだこと。つまりひなっちは私のアルマジロ形態によってコケたのだ。

「ドタンッッッ!」

 そしてゴロゴロドッシャン、さらに泥まみれになってたら申し分なし。あんなしぶといやつはそれくらいで丁度いい…。そんな呑気に構えながら状況確認をしようと立ち上がる。

「これがホントの忍法霞隠かすみがくれ…」

 私は自慢げに一人言を言っていたが、今度は私が驚く番だった。

 どうして? なぜ受け身を取らなかったの? あんたが経験者だからこの技をかけたのに。

 そこにはバタンと倒れてピクリとも動かないがいた。

「え? ごめっ…じゃなくてまずはケイサツ? どうしよう、こんなつもりじゃなかったのに……」

 私は軽はずみな行動への後悔とその結果への混乱、そしていずれ受けるであろう罰とハンデによる強迫観念によって疑心暗鬼に陥っていた。

 私は前の言葉を最後に沈黙してしまっていたが、少しすると野次が飛んでくる。

「あんたなにしてんの? 責任取れるの?」

 ごもっともだ……。まだ名前も知らない同級生からのその言葉は、私の胸に深く刺さった。

「あんたこれでだ…」

「ではないよ!」

 同級生の言葉を、副会長の声がさえぎった。

 副会長はなにもなかったかのようにあっさり立ち上がる。

「みんなゴメンね〜、ちょっとからかっちゃった。私はこの通り問題ないから安心して〜!」

 さっきのことがありながらも、しかし副会長は毅然きぜんとして明るく振舞っていた。

「馬鹿じゃないの?! そんならしくないことして迷惑かけて!」

 瞬間、副会長という地位からして思いがけない批判が飛ぶ。

「第一! 自分のそのっぺた触ってみな…」

 言いながら同級生は自分自身の左手の頬骨を触る。…少し遅れてその同級生の対照にいる副会長は右頬を触る。

「いたっ! ……?」

 その痛みの原因、それは血だった。ただしくは頬の傷だった。

「え?」

 副会長は手についた血を見て困惑の声を出す。けれど毅然とした顔をしながら、笑って私の方を見る。

「…ごめん」

 けれど副会長の顔は痛々しくて。私はこんな簡単な言葉しか、副会長に返すことができなかった。だって頬の頬骨の全体に至るまでの全てが切れていたから。

 そのには有無を言わせない凄惨さがあった、そのせいか辺りは静寂につつまれる。

 その静寂はとても緊張していて、怪我をさせた罪悪感は未だ私を心をさいなんでいた。

「ゴメンで済むなら病院は要らないよ…」

 女生徒の声がする…。

「そうだよ、何をしたのか分かんないけど、怪我しちゃったならそれは暴力だよ!」

 女生徒の1人を皮切りに正論という名の野次が跳ぶ。

「ごめんで、傷は癒えないんだよ!」

「傷が一生残ったらどうするの?! 女の子なんだよ!?」

 この上更に数人の女子が、正義感の元に正論を吐く。その言葉に責任を取れるわけが無いのに。――私はそういう人間を、何度も見てきた。私は叫ぶ。

「この無責任が!!!」

 私は怒鳴る。

「そうやって私が死んだら! 自殺したらどうするつもりなの?! それでものこのこ何の罪悪感もつぐないの気持ちも持たずに生きていくつもりで……そんなっ、そんな考えでそんなことを言っているの!?」

 私は真下を向いて、この場の全員に意を唱えた。

 少し間を置いて目の前のが、ぎこちなくはにかむように笑う。――らしくない顔だった。

「ねぇ、私に言ってる? 私に言ってるんだとしたらめちゃくちゃだよ…」

 その語尾には覇気がなかった。

「あんたには言ってない!!」

 私は席を切らしたようにそれだけを叫んで、……後に続く言葉は思いつかなかった。

 有象無象の女生徒たちにはいくらでも文句は言えるのに、目の前のひなっちには何も言えなかった。

 そしてしばらく沈黙が場を支配する。

 その息苦しい静寂は再現が無い沈黙が鎮座していた。けれど…気づけばそこに、場違いなほど落ち着いた足音が鳴り響いた。

「取り敢えず――その血拭きなよ」

 そうやってハンカチを差し出す同級生は、さっきの足音とは対照的に震えていた。

 落ち着いていた足も、少しして震え始め、その目には涙が溢れ出した。

「取り敢えず、…病院には絶対行きなさい」

 同級生はそう言ってからすぐひなっちに背中を向ける。

「私、保健室の先生呼んでくる」

 言い終えると足早あしばやに、逃げるように駆けていく。その様子を私はただ傍観しておくことしかできなかった。

「ありがとう!」

 その背中に、ひなっちは投げるようなお礼を言っていた。

 そして再び沈黙が訪れて、あまり時間を置かずにひなっちが沈黙を破る。

「みんな、大袈裟なんだよ…」

 ひなっちは、今度は周囲を元気づけるように、ちょっとぶりっこなはにかみ方をして笑う。

「あはは、わたし憂さんと仲良くなりたくて、こうでもしないと話せない気がしてわざと受け身を取らなかったんだぁぁ…」

「でもね、こんなことになるなんて思ってなかったし、私の方こそ無責任だったよ。それでも憂さんとも不思議と仲良くなれた気がしたから満足してるんだ〜〜」

 ひなっちはそう言ってから、口を閉じて、にっこり笑う。

 ひなっちのその言葉や振る舞いはとても垢抜けていて、女子高生とは思えないほど大人びていて…可憐で、人から憧れられるような存在だと、私は感じた。

 すると1人の女生徒が駆け足でひなっちに向かう。

「陽向ぁ〜優しすぎるよぉーー!」

 言いながらジャンプしてひなっちに抱きつく。

「あぁもう、私はするべきことをしただけだし、したいこともしただけよ。私は自由にポジティブで居たいの、いつも言ってるでしょ?」

 ひなっちはその子を両手で抱きしめて、安心したように笑う。

 すぐに辺りの女生徒たちも口々に手のひらを返して最初から悪人はいなかったような言葉を飾る。彼女らの思考がどうなっているのかと…そう考えつくも興味など湧かなかった。

 もしかすると私と私以外の生徒との間には、もう深いみぞができているのかもしれない。―――けれど、


 それからすぐ2次元目が始まって、それが終わる。

 私は聞こえるくらいの大きな声で、陰口が飛び交うのを予想していたけれど、どうやらちがったらしい。

「私も憂さんって呼んでもいい?」「噛井さんって勇気があるのね!」「あの技! 見てたよスゴい綺麗だった! 噛井さんがよかったら教えて欲しい!」

 そんな風にクラスメイトからは賞賛されたけれど。正直、クラスメイトらの容姿や性格に関係なく、あの野次馬たちと同じ生き物にしか思えなかったから、私はクラスメイトたちをシカトした。


 けれど、少し聞き馴染みのある声が聞こえてきた。

「ねぇ、どうしても噛井さんのこと憂ちゃんって呼びたいんだけど…どうしてもダメ? 少しは考えてくれた?」

 そんなセリフが、顔の正面から聞こえてきた。

「なんで? 私の本性があれだよ? 千景さんはなんで私の内面を知っても仲良くしてくれるの?」

 私は疑問をぶつける。

「言ったじゃん、私は私にできないことをできる人が好き。だから仲良くなりたいしいろいろ教わりたいの!」

 言って千景さんはホームルームの時より大きく、喜色満面にいたずらっぽく笑う。

「ブレないね、…いいよ。けど条件がある!」

「やった乗った!」

 千景さんは即答してみせた。

「まだなにも言ってないよ」

 そう返しながらも、私は自然と笑っていた。

「じゃ〜あ、1週間以内に、アドラーの『嫌われる勇気』について理解して私に発表すること! それが私を「ちゃん」呼びする条件! 私と仲良くなる条件っ」

 言い終えて私は、友達を作らないという決意が破られていることに気がついた。

 なぜだろう、あの熱意におかされたのだろうか? 私はいつの間にか、ひなっちのせいでポジティブになっていることに気がついた。

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