第7話 ◯◯たい私

「おかあさん!」

 思い出すのは、温かいきおく。

 春の日向ひなたのように明るく、世界が色づいて見えていた頃。

 昔住んでいた家の中。

 ソファでは、父がコーヒーを口にしながら新聞を読んでいる。

 テーブルの向こうでは、母が編み物をしていて、膝下にうたた寝してる弟を抱えている。

「こらっ、幸ちゃんが起きちゃうでしょ。しーっ」

 母が口に人差し指を寄せて、静かにするようジェスチャーする。

 ちなみに、幸ちゃんとは弟のことだ。

「……う、ごめん。それより、このプリン美味しいね。どこで買ってきたの?」

「ふっふっふ。どうしてそんなに美味しいと思う?」

 母が口元を緩ませながら自慢げに聞いてくる。

 まさか──────。

「お母さんが作ったの?」

「違うぞ。さっきコンビニで買ってたぞ」

 あきれ顔の父が、横からまさかの答えを告げた。

「余計なことを………」

「見栄を張るからだ」

 ぐぬぬ、と母が父を睨んだ。

 それがなんだかおかしくって、私は笑ってしまった。

 そしたら、父も母も笑顔になった。

 なんてことのない、ありふれた日常。

 変わるはずのない平凡。

 そして、────────────。



「………そっかぁ。やっぱり、まだ信じたく無かったんだ」

 家族が、死んだ。

 きっかけは些細なこと。

 私がいない時、私以外の家族全員が事故に巻き込まれて死んだ。

 たったそれだけのコトで私は全てを失った。

 そこから先はよく覚えてない。

 たしか祖母の家で暮らすようになった気もするが、記憶がまちまちだ。

 おそらく、もうこの辺りからこの世界に興味が無くなってしまったのだろう。

 私は、ただ理解したくなかった。

 日常が崩れ去った事実を、きちんと受け止められるほど、強くはなかった。

「あのさぁ!聞いてる!」

 ドアをドンドン叩く音が聞こえる。

 ……………。

「うるさい!そんなに暇ならプリン買ってきて!!コンビニで!なるべく高いヤツ!!」

「プリン………?オレは無一文だけど──あ、財布ありがとう。……じゃなくて!!この俺をパシらせる気かい!?」

 それから少しぐだぐだと悪態を吐いていたが、結局は行ってくれたのか、死神の声が聞こえなくなった。

 やっと一人になれた。

 瞬間的に寂しい気持ちになったが、それは後回し。

 今やるべきことは過去の清算───きちんとしたお別れだ。

「…………」

 さっき死神が持ち出した縄が視界に入る。

 この縄を前に、何回苦悶したかわからない。

 相談できる人はいなかった。

 いや、作れなかった、と言った方が正しい。

 私は人と関わるのが怖かった。

 大切な人ができたとして、家族のように、また会えなくなってしまったら、それこそ私の心は再起不能なほど壊れてしまう。

 そんな性根で、学校でも、社会人になっても親しい人などできるはずもなかった。

 周りからしたらさぞ陰気で付き合いの悪い、迷惑な人間に映ったであろう。

 そんな私を、変える機会がやってきた。

 私の心は、まだ家族にきちんとお別れできていない。

 そのせいで、私の時間はあの───家族がいた日常で止まっている。

『諦めるのか?』

 死神が放ったあの言葉を反芻はんすうする。

 全て諦めて、眼を閉じたまま、人生を終わらせる。

 なるほど。それは確かに魅力的な話だ。

 そして、私にゆるされた唯一の救いだと思っていた。

 だが、あの死神はあろうことか私に、希望を語った。

 幸せはあると、進むのはお前次第だと言ってしまったのだ。

 だからこれも、全てはあの死神のせいだ。

「………ばか」

 ……………私は決めた。

 私は、進みたい。

 私は、幸せが欲しい。

 私は─────────まだ、生きていたい。

 だから、ちゃんと言わなきゃ。


「今までありがとう、そして─────じゃあね」


 いい加減お別れをしないと、家族も困ってしまう。

 だから、これからの道は一人で歩まなきゃ。

 胸を張って、家族に誇れるような人生を、ここから歩もう。

「おーい。言われた通り買ってきたから開けてくれー!」

 空気の読めない声とともに、ドアをドンドンと叩く音が聞こえた。

「……ん」

 ドアを開けてやる。

「ふー、いやー疲れたよ。普通の人間には俺が見えないことすっかり忘れててさ。金は置いてきたけど、こっそりとってったから気が引ける思いだったよ」

 そう言いながら、死神は袖で額の汗を拭いていた。

「はぁ、ありがと」

 死神からプリンを受け取る。

「それと、わたし死ぬのやめたから」

「そうかい………ってえぇぇぇ!?」

「それじゃあここでお別れだね」

「いや、ちょっと待て!………一旦落ち着こう。死ぬのをやめるっていうのは、もう自殺の意思がないんだね?」

「………そういうことになるね。だから、アンタとはもう会えなくなるでしょ?」

 死神は、死期が近い人間にしか見ることができない。

 ならば、もう死ぬつもりのない私には間も無く見えなくなるはずだ。

「─────。………はぁ、まぁ好きにすればいいんじゃない?」

 やれやれ、とどうでも良さそうに頭を振った。

 死神の顔がどこか虚しそうに見えたのは気のせいだろう。

「それじゃあ晩餐会は中止ってことでいいんだね」

「………そうだね」

「そうかい。じゃあオレはもうお前には用無しだ」

 そう言って死神が背を向ける。

「待って!どこに行くつもり?」

「んー特には決めてないかなぁ。まぁ、ブラブラそこらを渡り歩くさ」

「………そう。そうね。私たちはこれでお別れ」

「なんだい?寂しい気持ちにでもなってくれたのかい?だったらオレも苦労してお前を手助けした甲斐が───────」

「うん、寂しい」

「────────」

 死神が、鳩が豆鉄砲喰らったかのような顔をしている。

「…………おま、お前!いきなり素直になるなよ!」

 普段の態度に似つかわしくなく、慌てふためいている。

 その姿はとても、作り物の心を持った機械しにがみには見えなかった。

「ふふっ」

 それがあまりに滑稽で、思わず笑いをこぼす。

「何笑ってんだよ」

 少し恥ずかしげに、死神がこっちを睨んだ。

 いつものような腹立つ口調が崩れていることから、かなり動揺していることがうかがえる。

 やった。

 憎たらしいコイツに、初めて一泡吹かせられた。

 信じられないほどスッキリとした気分だ。

「あーーもうキャラが崩れてしまったじゃないか!もういい、最悪の気分だよ。オレは帰らしてもらうからね。二度と来ないから!良いね!!」

 あからさまに機嫌を悪くした死神がドアノブに手をかけた。

「あ、待って」

「なんだいさっさと済ましてくれ」

「………その、ありがとう。プリンだけじゃなくて、私を色々助けてくれて」

「助けたつもりはないよ。それは、都合のいい誤解だ」

「うん、でも例え都合のいい誤解でも─────

 明日へ進めるなら、感謝を伝えなきゃ」

「────そうかい。最後まで、ヘンな女だな」

 そう言うと、死神は出て行った。

 ………その顔は、心なしか嬉しそうにも見えた。



 死神が買ってきたプリンの口を開ける。

 スプーンでプリンを口に運ぶ。

 なめらかな食感と、とろける甘さが体に染み渡る。

 ───不意に、昔の、家族との記憶が溢れ出した。

「………そっか。これが、幸せなんだね……」

 止まっていた歯車がゆっくりと動き出す。

 そうだよね。

 幸せというのは、たしかそういう気持ちだったね。

「………あれ?なんでだろ」

 目頭が熱い。

 何かが頬をつたる。

 それに、プリンの味も少ししょっぱくなった気がする。

「……うっ、ぐ………へっぐ……」

 お母さん。お父さん。幸太。

 私は────もう大丈夫だよ。


 幸せの味は流れるように。

 昔に縛られるではなく、懐かしむように。

 その涙に邪魔はなく、ただ静かに、温かく夜の闇へと溶けてゆく────────。


 

 

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