第3話

「……」


 やはり、危惧していた通りの展開になってしまった。

 トリスは自身に向けられた大勢の人々の冷ややかな視線に気づかないふりをしつつも、ゆっくりと口を開く。


「……申し訳ございませんが、心当たりはありません」


「心当たりがないだと? 聞けば、お前はミラが元平民だからといって、日頃からいじめていたそうだな。彼女は聖女である以前に、僕の大切な友人だ。──友人が苦しんでいるのに、黙って見過ごすことなどできない!」


 そう言って、バティストはミラの肩を抱く。

 傍から見たら、正義感溢れる侯爵令息が友人を守るために性悪な婚約者を断罪しているようにしか見えない。

 けれどその実、バティストはトリスを辱めたいだけだし、ミラのこともただ利用しているだけだ。

 今、この場でその事実に気づいているのはトリスのみ。皆、バティストが「正義の人」であると信じて疑わない。


(きっと、バティストは私に頭を下げさせたいんだわ)


 恐らく、バティストの計画はこうだ。

 まず、トリスに散々恥をかかせた挙句、皆の前で謝罪をさせる。

 そして、「僕も鬼ではない。お前の罪を許そう」と言ってトリスを許し、寛大さをアピールする。

 最終的には、ほとぼりが冷めた頃、ミラを捨ててトリスとよりを戻すという寸法だろう。


(冗談じゃない……今後もずっと、あいつの欲求を満たすための道具として扱われ続けるなんて。そんなの、まっぴら御免だわ)


 威圧的な態度で腕を組んでいるバティストと、眉を八の字にしながら彼にぴったり寄り添っている可憐な聖女ミラ。

 二人の顔を交互に見ると、トリスは呟くように言う。


「……私は、あなたの玩具じゃない」


 そして、近くのテーブルの側までおもむろに歩み寄ると、その上に置いてあったフルーツナイフを手に取った。


「トリス……? 一体、何を……?」


 バティストが不安げな顔でそう尋ねたが、トリスはお構いなしにナイフを自身の首に突きつけ──


「や、やめろ! トリス! 待て、早まるな!」


 バティストの悲痛な叫びも虚しく、トリスはナイフで自身の首を掻っ切る。

 次の瞬間、切り口から勢いよく血が吹き出た。トリスが纏っている白いドレスは、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。

 あちこちから悲鳴が上がり、会場内は忽ちパニックになった。逃げ惑う者、呆然と立ち尽くす者、泣き喚く者──まさに、阿鼻叫喚の光景であった。

 この国では宗教上、自害は重罪に当たる。もっとも、死んだ人間を裁くことはできないので必然的にその親族が世間から白い目で見られることになる。

 そういった理由から、結婚相手としても敬遠されがちだ。つまり、一族の中から自殺者が出た家門は衰退の一途を辿ることになるのだ。

 ──そう、トリスは自らの命をかけて復讐を果たしたのである。

 この国の人々の平均魔力は高いが、その反面、治癒魔法を使える者が少ない。この場にいる招待客の中では唯一、聖女であるミラが癒しの力を持ち合わせているが、当の本人は大量の血を見て失神してしまったようなので救命処置をするのは難しいだろう。



 薄れゆく意識の中、トリスは不意にある日の出来事を思い出す。

 あれは、確か──ロイがいなくなってすぐのことだ。

 ウィルコックス侯爵邸には「絶対に入ってはいけない」と言われている地下室があるのだが、その日、トリスは偶然侯爵が使用人を連れて地下に下りていくところを目撃してしまった。

 以前からその部屋が気になって仕方がなかったトリスは、怖いもの見たさで二人の後をつけた。

 侯爵は地下室の扉を解錠すると、周囲を警戒しつつもその中に入っていった。使用人は大きな袋を抱えていたのだが、その袋を背負い直すなり、すぐに侯爵の後を追った。

 狩猟をした際、狩った獲物を袋に入れて持ち運ぶことはよくある。だから、きっとあの部屋では猪や兎などの動物を一時的に保存しているのだろう。

 トリスはそう考えたが、どうも腑に落ちない。

 やがて、二人は用が済んだのか部屋から出てきた。そして、なぜか鍵を閉め忘れてそのまま階段を上がっていってしまったのだ。

 物陰に隠れていたトリスは二人が去ったのを確認すると、その部屋に入ってみることにした。


 扉を開けた瞬間、信じ難い光景が目に飛び込んできた。

 室内に放置されていたのは、複数の白骨化した人間の遺体。その遺体たちの傍らに、先程の大きな袋が置いてあった。

 トリスは言葉を失った。袋の中身は確認したくもないが、恐らく誰かの遺体なのだろう。

 ふと、頭にロイの顔がよぎる。もしかして、あの袋の中には──。

 恐ろしくなったトリスは、逃げるようにその部屋を後にしたのだ。


(ああ、そうか。私、自分を守るためにあの時のことを思い出さないようにしていたのね)


 きっと、無意識に防衛本能が働いたのだろう。

 トリスは今の今まで、あの日の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

 ウィルコックス侯爵の本性は残虐な殺人鬼だった。わざわざ孤児を使用人として雇っていたのも、きっと身寄りがない子供のほうが殺人が発覚し難いからだろう。

 ──結局、ウィルコックス侯爵もその息子であるバティストも異常者だったというわけだ。


 そんなことを考えながら、トリスはバティストのほうを見やる。

 今にも消え入りそうな、絶望に満ちた表情。付き合いが長いだけあって、トリスは彼の色んな表情を見てきた。

 嬉しそうな顔、笑っている顔、怒っている顔、泣いている顔──バティストの苦痛に歪んだ顔は、今まで見たどの表情よりも美しかった。

 その瞬間、トリスは気づいてしまう。


(ああ、そうか。私、ずっと彼のこの表情が見たくて仕方がなかったのね)


 だからこそ、ずっとバティストに愛想が尽きたふりをしていたのだ。

 本当は、誰よりも愛していた。そう、初めて顔を合わせたあの日──まだ幼いトリスとバティストは、確かに互いに惹かれ合っていた。

 けれど、もしバティストに関心を向ければ、彼がトリスの愛情を欲して苦しむ姿が見られなくなる。

 それに、心の何処かでは自分が加虐性欲を持っているという事実を認めたくないという気持ちもあったのかもしれない。

 トリスは一族内の他の人間と違って、まだ理性があった。つまり、自覚がなかっただけで常に理性と欲求の板挟みに苦しんでいたのだ。

 一体、いつからこうなってしまったのだろうか。


(でも、これで良かったのかもしれない。私たちのような人間が子孫を残せば、また同じ過ちが繰り返されるだけだもの……)


 トリスは自身の体に流れる穢らわしい血を呪うと同時に、安堵の気持ちで胸がいっぱいになる。そして、静かに目を閉じた。

 そう、トリスは今際の際にようやく悟ったのだ。自身もまた、愛する者を痛めつけ、苦しめることに快感を覚える異常者であったことに──。

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ある伯爵令嬢とその婚約者が引き起こした、異様な婚約破棄騒動の顛末 柚木崎 史乃 @radiata2021

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