第6話 ライク

 ──ジリリリ。けたたましい音が脳に響く。手は無意識に音の鳴るほうへ伸びる。

 ──ジリリリ、ジリ。


 僕は体を起こし、大きく伸びをする。眩しい光が視界を遮る。今日も朝が来た。その事実にほっとする。明けない夜は無いのだ。


 顔を洗い、タオルで拭き取る。鏡にはいつも通りの顔があった。髭が生えてきた。また帰って来たら剃ろう。男の僕は髭が生えるのは当たり前だ。しかし、毎日そんなことを思うと何だかうんざりする。


「悠里ご飯できたよー」


 母の声が耳に届く。きっといつも通りパンとスープだろう。お腹を空かした僕は、着替えをしてリビングに向かった。


「おはよう悠里」

「おはようお母さん」


 いつも通り声を交わす。リビングには既にお父さんと妹がいた。予想通り、パンとスープが机上に並べられている。


「いただきます」


 パンを噛じる。バターが染み出てきて美味しい。いつもこの味がないと元気が出ない。

 目の前の妹も大きな口でパンを頬張っている。その姿に愛嬌を感じ、ふふっと笑みが漏れた。今日も一日頑張ろう。


 朝食を食べ終えたところで部屋に戻る。いつも通り髪を梳かして整え、いつも通り制服に着替えてネクタイを締める。


「行ってらっしゃい」


 母が弁当を差し出しながら笑顔で僕を送り出す。


「行ってきます」


 弁当をありがたく受け取り、扉を押す。

 今日は初音とどんなことを話そうか。そのことで思考の十割近くを占めていた。また昨日のような笑顔を見れると思うと、うきうきしてたまらない。本当によく笑顔が似合う子だ。


 学校に着く頃になった時、ふいに前方から見覚えのある姿がこちらに走って来た。目を輝かして手を振っている。


「おはよ〜悠里くん!タイミングばっちりだね」

「おはよう。朝から初音に会えて嬉しいよ」


 今日はポニーテールだ。長い髪の毛が揺れている姿に心を揺さぶられる。


 それから一緒に教室に向かった。移動中ちょくちょく初音のことを見ていたが、綺麗な制服で一層初音の美しさが目立つ姿に僕は心臓の鼓動を抑えられなかった。


 ホームルームが終わり、生徒は移動教室の準備をするために席を立つ。僕もその流れに乗るように席を立った。

 気配を感じ、後ろを振り返ると初音がいた。教科書と絵の具セットを抱き抱え、つぶらな瞳でこちらを見ている。何だか小動物のようで、自然と笑みがこぼれた。


「一時間目は美術だね。初めての授業、どんな絵を描こうかな」

「私は美術室の窓から見える桜の木を描こうかな。昨日見た時、外が一面ピンクでハッピーな気持ちになったの」


 「春といえば?」という質問に僕は「桜」と答える。桜は春を代表する女王のように美しい。

 それから美術室に向かう廊下を二人で歩いた。窓からは桜の花びらが舞い込んでいる。ハッピーな気持ちになるというのはこの事か。


 美術室に入ると瞬間、時がゆっくり流れているように感じた。美術室はまるで魔法の世界のようだ。

 チャイムが鳴り、授業が始まる。今日の絵画のテーマは「自分の好きなもの」だった。

 そのテーマを告げられた時、僕は既に描くターゲットを決めていた。

 そのターゲットを見つめる。一人の女の子はにこっと微笑んだ──。

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