新しい絵
夏目八尋
新しい絵
放課後。
「渡仲、そろそろ次の作品のテーマくらいは決まったか?」
「いいえ」
俺の返事に、美術部の顧問はわずかに眉を持ち上げると、悲しげに笑った。
「お前は描きさえすれば賞は確実なんだ。なんたって、お前の描いた絵はカメラで撮ったみたいに精密で素晴らしいんだからな」
「はあ」
「……とにかく。次のコンクールまでもう時間もない。機会を無駄にしないようにな?」
「はい」
もういいぞ。と送り出されて、俺は職員室を後にする。
廊下の窓越しに見る夕暮れの校庭では運動部が活気あふれる声を出し、今まさに青春の汗をかいている所だった。
俺の絵は、世間で高く評価されている。
物体の遠近、色彩、表現そのどれもが写実的で精密。そこに機械の手では出せない君の温かみを持った人柄を感じる。
というのがこの間、金のメダルをくれた偉い人の言葉だ。
(別に絵筆で描こうがPCで描こうが、そこに人の想いは込められるだろ)
今の時代、ネットをちょちょいと調べれば、素晴らしい絵なんてごまんとある。
絵から何かを受け取るのは受け手の勝手だが、そこからこっちがどんな存在なのかを決めつけてくるのは勘弁して欲しい。
「目がいいだけの俺の絵は、カメラで再現が出来るような絵なんだよ」
それが、ここ最近の俺が俺の絵に感じている感想だった。
俺は、小さな四辺形の機械で撮った写真と、フサフサの毛の塊で描いた絵に、違いを特に感じていなかった。
「そんな無駄に労力だけ使う絵なんて、描いても意味ないよなぁ」
俺は、絵を描くために必要な情熱を失っていた。
※ ※ ※
あるく週明け月曜日。朝のホームルーム。
それは唐突にやってきた。
「あー、これから2週間。彼女はこのクラスの一員となる。挨拶を」
「はい。長谷川 飛鳥っていいます。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる彼女を、俺も含めクラスの全員が目を点にして見ていた。
正確には、見ているけれど、ちゃんと見ることはできてなかった。
「あー、みんな。面食らってるとは思うが、現実を受け入れてくれ」
担任の教師が神妙な顔つきで告げる。
「長谷川は、透明人間だ」
クラスメイトに、透明人間がやって来た。
「すごーい、本当に透けてんだ!」
「ねぇねぇ、触ってもいい?」
「全部脱いだら何もわからないんじゃない?」
案の定。
その後はクラスどころか学校中が騒がしいことになった。
一見して服が宙に浮いているだけ、と言う見た目のインパクトもさながら。
「透けてるよー。ほら、触って触って! ね、実体はあるの」
「うわっ、ほんとだ!」
「あと、全部脱いだらわからないっての本当にそう! だからお風呂入る時とかリストバンドしてちゃんとここにいるよーってアピールしたりしてる」
「へぇー」
この透明人間。長谷川 飛鳥はとても気さくで話しやすく、みんなの質問攻めにも真っ向から立ち向かう気概があったのが、騒々しさを加速させていた。
「おい、渡仲。お前も長谷川さんと話さねぇの?」
「あの輪の中に入る勇気はないな」
「ちぇー、もったいねぇ。彼女2週間しかいねぇのに!」
クラスメイトの誘いを断り、俺は遠巻きに彼女を眺める。
目を凝らし、そこに何かがいるという現実にフォーカスしては……。
「……うん、わからん」
視覚では捉えきれない存在に、言いようのない不可思議さを感じていた。
※ ※ ※
透明人間の長谷川がクラスに馴染むのは早かったが、同時にその不便さが知れ渡るのも早かった。
「あいたっ」
「あ、ごめん長谷川さん。いたんだ?」
普通なら見えるはずの物が見えないというのは、他者の距離感を狂わせる。
「長谷川さんこっちにいる?」
「私こっちだよー」
「あ、そっち? じゃあ誰だよここで上履き脱いでる奴ー!」
彼女の近くでは、特別に気をつけなければいけない。
それは、遠巻きに見ているだけでは気づかない、近づいたからこそわかるデメリット。
「長谷川さんは動かないでいいからねー」
「え、あ、うん」
「うっわ長谷川さんこっちにいたのか、ごめんごめん」
3日も経てば、どうして彼女が2週間“しか”同じ学校にいられないのか理解する。
「透明人間ちゃんどこどこ?」
「あそこじゃね?」
「ちげーよ、あっちあっち」
「わかるかって!」
変わらずにいる遠巻きに見る人と違い。
「あ、長谷川さんごめんね。私達これから遊びに行くんだ」
「気をつけて帰ってね」
近くにいる人は、確実に彼女と距離を取り始めていた。
1週間も過ぎた頃には、放課後の長谷川は一人きりになっていた。
「はーい、ばいばーい」
そんな状況でも、長谷川は変わらず元気な声で応対し続けていた。
(大した胆力だな)
なんて、ずっと遠巻きに見ていた俺は、それを高く評価していた。
作品作りばかりにかまけて、人との交流を疎かにしがちな自分にはない思考回路だった。
「お?」
ふと、面白い物を見つけたので拾い上げる。
それは透明人間、長谷川 飛鳥の頭髪だった。
「つやつやしてるな」
透明人間から抜け落ちたそれは、変わらず透明で。
けれど触れた感触はそこらの普通の人と同じような髪質だった。
「………」
「ん?」
ふと、視線を感じた。
「………」
「……あ」
長谷川が俺を見ていた。
やらかした、と思った時にはもう遅い。
「ちょっと!」
長谷川は椅子が飛ぶほど勢いよく立ち上がると、最短距離で俺の方へとやってくる。
「あ、あ、悪い!」
思わず何が悪いのかもわからないまま謝ろうとした俺の手を、長谷川は掴んで。
「それ、どうやって見つけたの?!」
「……え? ぷぇっ!」
顔に唾を吹きつけられた。
※ ※ ※
「私、初めて人に自分の髪拾われたのよね」
「へぇ」
「だって、私の髪って落ちても透明なままでしょ? 誰にも気づかれないのよ」
「そうだな」
気がつくと、俺は長谷川と向かい合って雑談していた。
というか、長谷川が一方的に話すのを聞いて、相槌を打つ仕事をしていた。
「ってか、渡仲くんだっけ? ずーっと見てるばっかりで話しかけてこなかったよね」
「まぁ……」
「遠慮してたって感じじゃないよね。なんだろ、すっごい見てたし」
「気づいてたのか?」
「わかるわかる! 私の姿は見えないけどすっごい見られるし、視線超感じるから!」
1を言えば10を返す勢いの長谷川に押されながらも、俺はこの際だからと気になっていたことを聞いてみることにした。
「長谷川、お前ってどうしてこう人当たりがいいんだ?」
「え?」
「話をするのもスキンシップも積極的で、中々気合が入ってると思ってな」
「あ、あー。それか。うん、それね」
背筋を伸ばした長谷川の制服が揺れる。
胸は、クラスで一番大きな子に比べてだいぶ控えめ、しかし形はしっかりと整っているように見え――。
「おいこら。どこ見てんの?」
「あ、すまん」
「渡仲くんの視線は割と露骨よね」
「ぐっ」
「あっはっは、よいよい。不問に処す」
言い返せない真似だったが、そこは相手が笑って許してくれて事なきを得る。
自分でも意外なほどに、俺は長谷川の一挙手一投足に注目してしまっていた。
「で、人当たりがいい理由だっけ?」
「ああ」
「単純に私が人好きってのと、後は、触れ合ってないとちょっと、怖いから、かな?」
答える長谷川の声は、尻すぼみだった。
「どういうことだ?」
「ほら、透明人間って目に見えないでしょ? それに、私も私の顔って鏡見ても分かんなくてさ。本当にそこにいるのって思う時が時々あって……」
「だから話すし、スキンシップするのか」
「そう! 受け答えがあるとやっぱり安心するでしょ?」
「なるほど」
活発で人好きをする長谷川には、そうするだけの理由があった。
それを知れたことに、なぜだか妙な満足感があった。
「それにしても、中々いいね。渡仲くん」
「いきなりどうした?」
「さっきから、私がしゃべりたいことをしゃべらせてくれてるところだよ!」
「それの何がいいんだ?」
こっちは聞きたいことを聞いているし、他の連中と何も違わないと思うんだが。
「みんなはさ。質問が浅いんだよね」
「浅い?」
「そう、浅いの! どこに転校しても透明人間のあるあるネタばっかり聞かれちゃうっていうか、質問に違いがないっていうか……たまに鋭い質問もあるけど、鋭すぎて答えにくかったりしてさぁ。話すのに休み時間じゃ足りなかったりするわけ」
「はぁ」
「その点渡仲くんはこうやって聞きに回ってくれるし、私の話したいことが超話しやすい!」
「そりゃよかったな」
「そのぶっきらぼうなところがちょうどいい!」
よくわからないが、気に入られたのだけはよく伝わってきた。
特に、身振り手振りをしているのが分かる風切り音から、それを察することが出来る。
「あーあ、こんなことなら私から声かければよかった」
「そういえばそうだな」
別に長谷川は受け身ではない。
自分から積極的に声をかけに行くタイプだったし、彼女を腫れ物のように扱いだしたクラスの連中と今も交流が続いているのは、その積極性があってこそだ。
「渡仲くんなんかいつも不機嫌そうでさ。声かけづらかったんだよね」
「不機嫌、か」
「何か悩み事でもあったの?」
「……ああ」
そう問いかけられて、初めて自分が悩んでいたのだと気がついた。
それと同時に、悩みに対する答えを、見つけてしまった。
「私でよかったら話聞くよ。私の話聞いてもらったしさ」
「力を貸してくれるのか?」
「え? あ、うん。いいよ! 私に出来ることならね!」
「だったらこれは、相談なんだが……」
俺から持ち掛けた相談に、最初長谷川は面食らったようだった。
だが。
「……いいよ!」
話し終えた後には、力強い返事と共に、俺の望みを承諾してくれた。
※ ※ ※
美術コンクール。
今回俺の描いた絵には、偉い人から金のメダルではなく、銅のメダルが与えられた。
「今回は新しいものに挑戦したようだね。モチーフとしてはもっと複雑な物の方がキミの気質に合っていたと思うよ」
「そうですかね? 俺はそうは思いません」
「ほう?」
「何しろ、この表題の通りですんで」
「ふむ……」
俺が描いた新しい絵のタイトルは――
【カメラじゃ絶対に撮れない顔】
そこには、はにかむ笑顔の、どこにでもいそうな女の子の姿が描かれていた。
あの日から長谷川が転校するその日まで。
俺は彼女に絵のモチーフになってくれとお願いした。
「それで私の顔を描くって、どうやって描くの?」
「こうやって」
不思議そうにしている彼女に俺は手を伸ばし、そっと左右から挟み込むように動かす。
「ほみゃっ」
「お」
手のひらに柔らかい物を潰す感覚と、指先にピロピロとした弾きがいのある物の感触を覚えて、ニヤリと笑う。
「ほひゃ、ひゃへろ!」
「これがほっぺたで、これが耳、と」
承諾を得ている以上はある程度強引にやらせてもらおうと、俺は手を動かす。
距離感が掴めれば、後は指先と手のひらの感覚を頼りになぞりあげ。
「すまん目を閉じる」
「へぇっ!?」
「ふむふむ、なるほど……」
「………」
肌の質感、髪型。
気をつけながら目鼻や唇、喉回りなどにも手を回していく。
「……くすぐったい」
「我慢してくれ」
「……恥ずかしい」
「我慢してくれ」
「………」
「いい感じだ」
時間はないから、たっぷりと時間を掛けて触れていく。
この一瞬一秒を絶対に忘れないように、万が一間に合わなくても描き続けられるように。
「……できたら見せてね」
「もちろん」
「……約束だからね」
「OKOK」
そうして何度も何度も触れて確かめて。
何日も掛けて、長谷川が転校した後もちゃんと覚えたその顔を、俺は描いた。
「ほい、送信」
ピロンッ。
「『うわ、すっごい普通の顔』……だろ?」
ピロリロリンピロリロリン。
「っと、電話掛けてきやがった。はいはーい」
会場を出て、俺は通話モードをオンにする。
「ちゃんと完成させたぞ。……うん、うん。だよな。超普通」
スマホ越しにする友人との会話は、なんてことのない、誰もが交わす普通のやり取りだった。
新しい絵 夏目八尋 @natsumeya
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