冬と秋。
冬と秋。
作者 人影
https://kakuyomu.jp/works/16817330660532792876
どちらもコミュニケーションが欠落してよく似ている桜井真央と戸村真央は自分の名前が嫌いだからと「フユ」「アキ」と名付け、ありふれた環境に絶望してきた。唯一の救いが廃墟で見つけた「君」のビデオテープ。君は二人の名前の結晶だった。隣に真央がいてくれることで乗り越えられると気づかせてくれた話。
現代ファンタジー。
軽めのホラー。
それでいて恋愛もの。
時代性と新奇性を感じる。
玄冬の暗さから春の日の出を迎えるような温かみを感じられる。
構成と演出の素晴らしさ、喝采を送りたい。
主人公は、感情を言葉にするのが苦手な協調性のない高校三年生のフユこと桜井真央。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
恋愛ものなので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の順に沿って書かれている。
女性神話とメロドラマに似た中心軌道に沿って書かれている。
主人公のフユこと桜井真央が感情を言葉にするのが苦手になったのは小学生のことだった。人より臆病で、頼み事も断らず、親の失望した目をや、先生の怒鳴り声をあげる寸前の眉の動きが怖かった。学校が嫌いになり、感情を口にするのが禁忌となった。
小学三年生になった頃。
主人公は女の子みたいな自分の名前が嫌いで、調べた漢字の由来も縁起が悪かった。コミュニケーション能力が欠落した社会不適合者に「真央って、なんか女の子みたいな名前だね」と言われるのが辛かった。同じく悲し顔をした戸村真央は同じ名前をしていた。「意味のない名前が欲しい」と戸村真央がいい、二人の会話がはじまった。四季にしようと主人公が提案し、「じゃあ、桜井は『フユ』ね」「じゃあ、戸村は『アキ』か」同じ名前を共有して、意味のない名前で呼び合う会話が心地よくて仕方がなかったが、どちらもコミュニケーションが欠落した人種。ある意味では繋がりで、二人は似ていた。
小学三年生になると、回り道をすることで人に出会う時間が少なくした。寄り道のルートは日に日に増えていく。人と出会いたくないから、人通りの少ないところを選び、より長く、歩きやすい道を選り好みする。家に帰るまで三十分かけることができたが、現実は何もかわることなく、ありふれた環境に絶望していた。
中学になっても、初対面の人に話しかけ、次第にその人同士の会話となり、いつの間にかいなくなる。寄り道は続いていた。久しぶりに寄り道を開拓するのは、とても楽しかった。そんな日常で廃墟を見つけた。入るきっかけは、クラス全体に担任が浴びせる怒号の巻き添えを食らい、ないはずの自信を幾度となく失っては落ち込んで、途方もなくベッドに溺れるありふれた日の一つに過ぎない。
中に入れば一人になれる。塀をよじ登りドアには鍵がかかっていた。周りを一周すると、窓ガラスが割れていた。そこから中に入り、棚で壁が覆われた部屋を見つける。正面の棚の前に、ブラウン管と、ビデオカセットが置かれていた。ビデオテープには、日付がつけられていた。一番古いものは、僕が小学三年生の時のもの。今日の日付が書かれているビデオテープをカセットに差し込む。
『おはよう。また、会えたね』その一言で始まり、『君』だと思った。一切の振動を許さない、神聖な世界に君は、時々自分の顔を映しながらあてもなく歩いていく。多分、中学生くらい。後ろに映る景色はかつて開拓した小学校の回り道。小学校のアルバムを見るみたいに、じっと見つめながら歩き『それじゃ、またね。真央』そんな声が聞こえて、ビデオテープが終わった。
青春浪費マシーンである主人公は、毎日通い詰めては更新されるビデオテープを見た。誰にも共有することのない君との思い出を毎日積み重ねていった。
寄り道をするのをやめ、君のいる廃墟に毎日足を運び、高校三年生になった。一月一日、元旦の日。彼女に会うことになる。
ビデオを見終えた後、「誰?」と声をかけられ振り返ると、小学三年生の同じクラスだったアキこと戸村真央がいた。彼女だけが、回り道で埋まった人生のことを知っている。
どうしてここにいるのか聞くと、「……もう、知ってるでしょ。ここにフユがいるってことは、ビデオテープ見たんだよね?」と彼女。毎日来てるというと、暇人と言われる。
ビデオテープの彼女に会ったことはあるか聞かれないと返事。君と呼んでいることを伝え、彼女はビデオを再生する。何者か知ってるか聞かれ、わからないけど心のなかにいた『君』だと思っているといい、詳細を話してみる。
「思いが強いと、それが具現化することがあるって、どこかで聞いたことがあるんだよ。例えば、学校の七不思議とか」
噂話に尾ひれがついて七不思議となるように、様々な思いが物語になる。だから現実となり目撃情報も多発する。
彼女は「そ」という。あの女がビデオテープを見ているなら、とくにやることもないのだろうか。
「フユは、このビデオテープのこと、もっと知りたくない?」
「僕は、君に会いたいよ」
アキに言っているみたいで恥ずかしくなる。
「じゃあ、一緒に探そうよ」そう言って手を出す。「約束をするときは、手を結ぶんだよ」約束、と互いに口にする。
翌日の夕方、廃墟に足を運んでビデオを見ている。考えていたのはアキのこと。小学三年生の背の低い女の子で、ため息ばかりついて健全じゃなかった。が彼女はには友だちがいて誰かと繋がっていた。
画面の中の君は、コーンポタージュを飲んでいた。口から出る息は白くなって、やがて空気と同化していく。コーンポタージュを飲むのもいいかもしれないと考えているとアキが来る。
六年間の経験から。廃墟のビデオテープは午後五時から六時の間に更新される。つまり、毎日君が出入りしていることになる。探しに行かなくても待っていれば会えるかもしれない。それを試すためにアキと過ごす。君のビデオを見ながら。
ビデオは去年のもの。歩く道はフユが教えてくれた回り道だとアキは頬杖をつく。主人公は何もしらないと答える。アキはどんな顔で君を見ているんだろうと思って、横目でみる。恍惚とした表情を浮かべていた。ずっと、アキと君を見ていた。
「フユは、受験どうするの」
「適当な大学に行くよ。自分の学力で行けるところで、家から通えるところ」
アキは、と尋ねると同じという。もしかしたら同じ大学かもねというも、沈黙の間だけが埋めていく。終わると新しいカセットを差し込み、君が幼くなっていく。気づけば小学三年生になっていた。
「昔のこと、思い出しちゃうね」
微妙に口を綻ばせたアキの言葉に「僕たちが出会ったのも、小学三年生のころだった」「……そうだね」その先を二人は言わないかわりに、画面の君が『真央はさ。もっと自由に生きてもいいと思うよ』二人は目を合わせてすぐにそらす。
アキが、自分はどうして『秋』なのか尋ねる。
彼女の悲し異顔を見たからか、小学三年生のときにアキの涙を見たことを思い出す。校庭の隅っこの、ほの暗い場所で膝を抱えて泣いていた。慰める方法がわからなかったし、なんだか怖くてその場から離れたのだ。
大丈夫と声をかけると、「なにもない」という彼女。昔のアキの涙が重なり、涙ブラウン管の光に反射して青く光る。
「『君』のビデオテープは私に向けられたメッセージなんだと思ってた」「一人になれるフユが羨ましかった。でも、私は一人になれなかった。だって、寂しいから。一人になろうとしても、どうしたって心の中の弱い部分が人を求める。でも、中学生になって、友達の作り方がわかんなくなって。一人になっちゃった。寂しいって思うたびに、フユのことを思い出してた」「ここに来て君を見つけたとき、一人じゃないって思えた。君は、私だけの物なんだと思ってた。……でも、違った」「このビデオテープ。フユに向けられたものなんでしょ?」顔をしかめると、「そんな顔してないで。何とか言えよ。『真央』」と主人公の名を呼ぶ。
真央と呼ぶのは禁忌で、どうしても好きになれなかった。でもアキは違った。「僕は、選んで一人になった人間じゃない」「アキが思ってるよりも、ずっと、弱いんだよ。実のところ、一人でこの廃墟に来ることだって怖い。暗いから。このブラウン管の明かりがなかったら、何も見えなくなるから」「僕も、寂しいんだよ。だから、アキは『秋』で、僕は『フユ』なんだ」
冬と秋の、細く見えないくらい透明なつながり、二人の関係が特別になる気がしたから。主人公だけじゃなかったはず。互いに繋がりを求めあっていた。「本当に。『真央』と同じ名前でよかった」と自分の言葉に驚く。とっくに真央を受け入れていたのだ。
「私たち、似てるね」
ビデオの幼い君は『それじゃ。またね、真央』優しい声色だった。
コーンポタージュで暖まった後、寝袋をしいて、昔みたいに、 ずいぶんと無理やりな恋バナをして、クオリティの低いすべらない話をした。
その日を境に、ビデオテープは更新されなくなった。
それでも君を探し続け、共有テストが終わってすぐの卒業式前日、「昨日、ビデオテープが更新された。一緒に見よう」アキに言われ、卒業式当日の早朝に廃墟で落ち合う約束をした。
一週間ぶりで廃墟に足を運んだ。君は何も言わなかった。ただ静かに、でも嬉しそうな顔でこちらを覗き込んでいた。時々、隣に座るアキの肩が触れる。意外に柔らかくて心臓が一瞬だけ、ドキリと跳ねた。でも、そんなの気にしないみたいに君を見続けた。
君がこぼれるように笑った後、画面がくるりと回転する。そこには二人が、君を探して回り道をひたすら歩いていた。画面が一瞬暗転して、また別の景色が映る。夕陽が遠くで横たわっていた。君は悪戯に笑った。赤い目は、群青色と重なって、紫色になっていた。それは僕をずっと奥まで引き込むようだった。くるりと画面が振り返る。画面の中で、二人は顔を重ねていた。身体を寄せ合って抱きしめるよりもほんの少しだけ遠く、手を繋ぐにはもっと近い距離で。
ブラウン管から君がはにかんだ音がした。くるりと画面が回って、君が映る。ビデオテープが更新されていない間、君は主人公たちを見ていたのだ。恥ずかしくてアキの顔を見れなかった。
何度も画面が暗転しては、君を探すための日常が映し出された。密かに君のビデオテープを見ていることも映され、回り道を歩くところ、寄り道をして図書館に行ったり。「もう、大丈夫だよね」最後に君がそう言って、また画面が暗転する。学校の屋上だった。 遠くで町が見えた。そのまたずっと奥に、海が見えた。海のまた向こうには町があって、山がある。
君は白い髪、赤い目をしていて夏の幽霊みたいでおぼろげだった。
「私が誰だか。わかる?」「私はずっと、真央の近くにいたんだよ。ずっと、真央の日常を見てた。でも、真央は『真央』を受け入れないから冬と秋に縋ってたんだよね」「真央が中学生になってさ。繋がりが消えちゃって。私は、真央に、『真央』を受け入れて欲しかった。だって、悲しいから。自分の名前が嫌いだなんて、言わないで欲しいから」「でももう。真央には、冬も秋もいらない」「もう、私とはさよならをしよう? そのために、このビデオテープを撮ったんだよ」「私は、フユとアキだよ」
二人の名前の結晶が君だった。『フユ』と『アキ』には特別な意味合いを含めた。小さな四季の繋がり、真央の呪縛。一人ぼっちを混ぜ合うような関係が、そのままビデオテープの君になったんだ。
「だから、真央。これからは、ずっと真央でいて。季節のつながりなんかに頼らなくても、真央は一人じゃない。だから、大丈夫。大丈夫なんだよ」
ありがとうとつぶやくと、隣でありがとうと囁く声がした。
君に救われていたから、心を込めて感謝をするも、自分の名前を口にするには少しだけ恥ずかしい。だからまだ四季の名前でいい。「たまには、ここに戻って来てもいいんだよ」涙をぐっとこらえるような表情だった。「それじゃ、またね。真央」一筋の涙を見逃さなかった。
テープを巻き終わると、「それじゃ、行こうか。『真央』」彼女にいうと、真央はうなずいてみせた。
二人は手を繋いで並んで歩き出す。名前に苦しむだろうけど、隣に真央がいてくれるなら乗り越えられる気がする。
「またね」とはじめて画面をまたがず聞く君の声は透き通っていた。二人は振り返り「またね」とそれぞれの名前に返す。振り返った先には朝陽が差し込んでいた。
君の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どのように関わっていき、更新されていくビデオをみながら過去の今とこれからの真央がどう変わっていくのかを描いていくところがよかった。
イメージとしては、長い冬眠からようやく外に抜け出たときの温かみのようなものを作品から感じられた。冬眠したことはないけれど。
本作はホラーである。ホラーとは怖いミステリーで、ラストは主人公が生きるか死ぬかのどちらかが用意される。本作は前者。しかも、ホラーといっても怖い訳ではない。
学校の七不思議に例えているからではなく、ちょっと不思議で影がある。誰もが抱えている心の闇のようなもの、そんな雰囲気を醸し出している。
全体的に、客観的な状況説明の導入、主人公の視点や考えの主観で書かれた本編、客観的視点からのまとめである結末で描かれており、文章のカメラワークを考えて読み手に届けているので、独特な世界に浸らせてくれる書き方がされていてよかった。
良い作品は、読み終わった後でもう一度はじめに戻って読み直したくなる。一度目では見落としたり気づけなかったことが、もう一度読むことで、よりよく味わえる。本作もそういう作品。
作品の面白さ、感動するのは、わからないことがわかるところにある。主人公の名前や、どういう人物なのか、君は何者なのかといったことが明かされていく展開は非常に興味を惹かれた。主人公はちょっと素直ではないので、二転三転され、どんでん返しも味わえるところも良かった。
感情を言葉にするのが苦手だから、そのせいで相手を傷つけるのが怖くて一人になることを選び、そんな状況に死にたいわけではないけれども絶望して日々を過ごすといった主人公の性格から、似たような気持ちを自分も持っているとする若者や読者には自分にも関係があると思えるし、一人じゃないから大丈夫なんだよといってもらえて卒業できる主人公たちをみて、自分も今の状態から卒業できると思えることで、ある種の感動を得ることができる。
そう感じられるよう書かれてあるところが素晴らしい。
書き出し、『あ、あ~~……、聞こえるかな? 見えてる?』と、呼びかけられているところから始まる。
なんだろうと興味を惹かれる。
主人公が頷き、画面に君が映る。そして人物描写。
その後、『おはよう。また、会えたね』と話しかけられ、ヘッドホンで聞いていることがわかる。
ビデオから聞こえる君の声を『 』で表現しておいて、「」に変えるのはどうしてかしらん。それまではテレビから聞こえていた音声を、ヘッドフォンで聞くように変えたから「 」にしたのならわかるけれども、「僕はその声に、つけていたヘッドホンを両手で抑える」と、はじめからつけている。
つけながら、さらに両手で押さえることで鮮明さを上げたから、「 」にしたのかしらん。
途中でも『 』で表現をされえいる。鮮明ではないのだろう。
ラストで二人でビデオを見ている時、君のセリフは「 」で表現されている。二人でヘッドホンで聞くのは難しい。ヘッドフォンをつかわなくても、クリアに聞こえたのかしらん。おそらくそうだろうと思うけれども、カギカッコの使い方が気になった。
最初、冒頭を読んだときに、見ている映像は通話画面だと思えた。録画されたものをみていると感じなかった。もちろん作者は、「君」が視聴している主人公に語りかけているよう意識して描いているからだと思う。
読み手としては、ビデオをみているけれどもビデオではないのだろうという想像が頭から離れないので、なんだろうと不思議さと不安さを感じさせられる。その中で、主人公が自分を語り、突然暗い部屋で声をかけられて、戸村真央が現れる展開は、闇が深まっていく感じが出ていて面白かった。ドキッとはさせられた。
正月のビデオを見ているまでが導入なので、客観的に意識して書かれているのが良かった。主人公の名前や君の名前も登場しないので、名前を出さずに続くのか、登場するのかどちらかだと思っていたけれど、核心部分は名前だからこそ、はじめから出てこない演出がされていた。
こういうこだわりがあるから、作品が面白くなる。
感情の言葉にするのが苦手とあるけれども、第三者と対面した時の会話のことだろう。
自分語りをしているところではそれぞれの場面では起承転結の中で5W1Hを書きながら、五感だけでなく特徴的な比喩を用いながら、主人公自身の心の声や感情の言葉、ときに表情や仕草、声のトーンなどが描かれているので、読者には場面が想像できるし、感情移入していく。
「僕は時間だけを持て余した、青春浪費マシーンだったのだ」という表現がおもしろい。
事実、中学生の時から六年間、主人公は誰かと接触を避けるように回り道をし、毎日廃墟に来てはビデオを見続けてきたのだ。
「思いが強いと、それが具現化することがあるって、どこかで聞いたことがあるんだよ。例えば、学校の七不思議とか」
この喩えが良かった。まさに本質をついていて、実際「君」は、主人公の想像どおり名前が具現化したものだった。
名前について、「僕は真央じゃない。僕の名前は、フユだ」「ここで、本当のことを言おう。僕は嘘をついていた。僕の名前はフユなんかじゃない。僕の名前は、桜井真央だ」この展開は面白かった。
ビデオから「君」に真央と呼ばれていて、主人公の名前は真央だろうと思っていたところで否定され、さらに実は真央だった、しかも二人共同じ名前だったという展開は良かった。
しかも、真実が明かされるのは、何かが壊れた後で起こっている。だから余計、核心に触れる感じがする。
「私、『君』のビデオテープは私に向けられたメッセージなんだと思ってた」と明かした彼女。中学では一人になり、主人公のことを思い出したともある。
二人は対になって描かれている。
主人公も、「君」は自分に向けて語りかけていると思ったから毎日見に来ていたのだろう。そんな主人公は中学高校と一人である。
二人は同じ境遇。
似た者同士。
明確に感じられた後半以降、「君」に会おうと積極的に行動に移している。
クライマックスにむけて、主人公たちの強い想いが必要な行動と表情、声などで想いをみせているので、「本当に。『真央』と同じ名前でよかった」「私たち、似てるね」と暗闇でかわされる言葉に胸が迫ってくる。
またねといって以降、ビデオが更新されなくなったのは、二人が真央という同じ名前で良かったと、思うことにたどり着けたからだろう。
それから一週間かけて「君」は、最後のお別れのために一生懸命ビデオを作っていたのかもしれない。
君は、真央の名前が嫌いだった二人が意味もない名前としてつけたフユとアキ、名前の結晶だった。見た目が白髪で赤い目をして、夏の幽霊みたいにおぼろげだったとあるけれども、その姿から連想されるのは雪女だと思う。
それでも夏を連想させる表現を使ったのは、はじめに四季から名前をつけるときに、主人公の桜井真央は戸村真央にフユと名付けられたときに、ハルじゃないんだと思い、彼女にはアキと名付けるなど、意図的に春を避けているから。
卒業式を当日を迎えて廃墟からでて朝陽を迎えて終わる場面は、春を描いている。
ラストで春を描くから、春を感じさせるものを除外し、長い冬のように暗い部屋でビデオテープを見るという引きこもりのイメージみたいなことをして、最後にポッと、少しだけ明るさを見せて終わる演出を最初に考えたのだと想像する。
「この世には光と闇があり、闇の中で過ごしてきた者だけが光のありがたさを知るのだ」と先人が語った言葉のように、主人公たちも小学生から高校三年生にいたる十代を闇の中で過ごし、さらに廃墟の暗い部屋でビデオをみてきたからこそ、最後にみた夜明けの朝陽は何物にも代えがたく尊く、ありがたく感じられたに違いない。
読む前、タイトルを見て、秋と冬ではなく冬と秋なのにはどんな意味があるのだろうと考えた。秋と冬では季節の並びのイメージが強いからだろう。あるいは、フユである主人公の話でもあるので、先にフユとしたのかもしれない。
読後は、冬と秋の物語だったと素直に思えた。読み終わった後、冬の寒さの中でじんわりと温かみを感じられる陽光が浮かんでくる想いがしてよかった。
二人の真央は、きっとこれからは明るい方へと歩いていける。
ただ、この廃墟は何だったのだろう。取り壊されず、電気も通っている。ビデオテープだけでなく家全体が、名前の結晶だったのかもしれない。
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