考える人の末路
考える人の末路
作者 紅野素良
https://kakuyomu.jp/works/16817330658597592288
生きることに悩む男女の高校生が廃ビルの屋上で出会い、好きになって生きたいと思うようになるも彼女は風に押されてビルから落下、約束どおり毒りんごを食べようと買いに出かけた彼は通り魔に襲われ、それぞれ死にたくない助けてと思いながら死んでしまう話。
現代ドラマ。
どう死んだかではなく、どう生きたかに人生の価値があることを改めて思い出させてくれる。
主人公は、世田谷区に住む男子高校生。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
恋愛ものの、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の流れに準じている。また、読者の涙を誘う型として、苦しい状況→さらに苦しい状況→願望→少し明るくなる→駄目になるという流れにもなっている。
それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプとメロドマラと同じ中心軌道に沿って書かれている。彼女は、女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
女子高生の彼女には、ひとつ下に妹がいる。文武両道、友だちも多く、社交的。本を読んでばかりの自分とは大違い。好きで読んでいるのではなく、独りの時間を潰すのには最適だっただけ。両親は妹を可愛がり、家に居づらくなって廃ビルの屋上に逃げてきた。
人並み程度の友だちはいるし、それなりの生活を送っている思春期真っ盛りの普通の男子高校生の主人公は、ふとした瞬間に『なぜ人は生きるのか』を考え答えが出せず、気分が落ち込んだりちょっと疲れた時は廃ビルの屋上から下を見下ろすのが日課になっている。
二人は出会い、「そこから死なれるとこの場所が使えなくなるでしょ。アホなの?」と彼女に言われ、下を見下ろすのをやめる。
『人間失格』を読んでいる彼女に興味を示し、何故死にたくなったか理由を聞かれ、「まあたいしたことじゃないんだ、その〜アホみたいだが、なぜ人は生きるのかわからなくなってな、ならいっそう飛んでみようかって感じだ」
屋上にはだいたいいると答えると、彼女は去っていった。広い屋上が、更に広く感じた。母から夕食がカレーと通知が来て、死ぬのは明日でいいと帰っていく。
連休最終日はなぜこんなにも憂鬱なのか、『サザエさん症候群』や『海外ではいじめられた子をカウンセリングするのではなく、いじめた子をカウンセリングする』などを考える。どうせならもう一度彼女に会いたいと思いながら帰路につく。
屋上から星を眺めていると「まだ生きてたのね、意気地無し」と彼女と再会する。『マリアビートル』を読んでいる彼女から「『どうして人って殺しちゃいけない』と思う?」と聞かれ、そう教えられているからとしかいえないと答える。「じゃあ、なんで人殺しはなくならないのかしら」には、この世の不条理に抗いたいだけなのかもしれないと答えながら「けど、殺しはダメだってことだけは胸を張って言える」と告げる。同じ理由で死のうとしているのか聞かれ、「……どうだろうな。それを今絶賛考えてるとこだ」と答える。
「わたしは、あなたがまだ生きててくれて嬉しかったわ………またね」といって彼女は帰っていった。
いつでも飛べるように屋上に来ていたが、今では彼女に会うために来ている。生きているのが嬉しいという彼女に、俺のことが好きなのかと聞けば、「勘違いも甚だしいわね。……この前一人のとき、なぜか前よりここが広く感じたのよ。それがちょっと怖くてね」の言葉に同意する。
彼女が来る理由を聞くと、親と仲良くないと返事。彼女に何故生きているのか聞くと、『自分の好きなことをしたいから』『いつか訪れるはずの幸せ』を楽しみに生きてると答え、シンプルでいいなと褒める。シンプルに考えることを教わり、楽しみを味わうために生きてみることにする。
最近、隣の県で通り魔事件が起き、犯人はまだ捕まっておらず、確かな目撃証言も無いニュースを担任から聞いた主人公は、ほぼ毎日会う彼女に気をつけろとという。通り魔を装って『交換殺人』を実行する小説を読んだことを話す彼女。今日は何の本を読んでいるのか、気になるも聞けず、言葉をかわしすぎると死ぬのが怖くなる。
死に方について、彼女は毒りんごを食べると決めているという。王子さまが起こしてくれるなんて思ってないという彼女に、俺は助けないぞというと、「もし、もしわたしが不慮の事故とかで死んじゃったら、あなた、わたしの代わりに、毒りんごで死んでくれる?」と聞かれる。その時は食べてやるから起こしに来いよと約束した。
彼女から「どうやら貴方のことを好きになっているらしいわ」といわれ、「だから、あなたに死んで欲しくないわ。どうすれば死なないでくれるの?」と水族館のチケットを手渡してきた。「水族館に一緒に行きませんか?」
一週間後の金曜日に出かけることを約束し、二人して学校をサボって出かける。ペンギンが好きだという彼女。ペンギンの群れの中で、最初に海に飛び込むペンギンのことを『ファーストペンギン』といい、餌をたくさん食べられる反面、海に天敵がいるかも分からないから、食べられてしまう可能性もあることをきく。自分がペンギンなら死ぬのがこわいからならないと答えると、「でも貴方はもう、ファーストペンギンになろうとしてるのよ」といわっる。
『死ぬのが怖い』感情が自然と出たことに驚き、彼女のおかげだと実感する。売店でお揃いのペンギンのキーホルダーを買うなど、退館ギリギリまで楽しんだ。帰りの電車は主人公の方に頭をあずけて寝息を立てていた。こんな日が続けばいいなと思うと答えると、「それが聞ければ充分よ。………また会う時まで、絶対生きててね」前所すると答えて別れる。
彼女は屋上で一人、主人公がどんな景色を見ていたの覗くと吸い込まれそうになり、慌ててやめる。その時風に背中を押され、彼に好きだと思いを伝えたかった、死にたくない、助けて私の王子様とおもいながら落ちていった。
テスト週間に入り、連日連夜、課題に追われる毎日を送り、屋上に行けない日々が続いていた。「昨日の深夜未明、東京都世田谷区の廃ホテル付近で、女子高生の遺体が発見されました。警察は事故と自殺の両方の可能性があるとみて、調査をしています」とニュースを耳にし、自分が死んだら卒業アルバムの写真が使われると思うと、もっと格好良く写った写真を使ってもらいたいと思いながらテレビを見ると、毎晩のように通っていた廃ビルが写っていた。
テストが終わって帰宅後、事件について調べると『屋上に文庫本が残っていたほか、遺体のポケットには、スマートフォンとペンギンのキーホルダーが入っていたことが分かった。警察は、遺体の状況からみて、何らかの原因で屋上から約二十五メートル下の歩道に転落したことによる事故死ではないかとみて、引き続き調査を続けている』とあった。
すぐに誰か分かり、虚無感に襲われる。いそいでりんごを買いにスーパーへ向かう。途中、通り魔の自称会社員・中浜 冴久に襲われる。『人は皆、生きる意味を探すために生きるのだ』と気付き、自分は幸せものかもしれないと思いながらも、死にたくない、誰か助けてと思いながら死んでいった。
人が生きる謎と、主人公に起こるさまざまな出来事が、廃ビルの屋上で繰り広げられる彼女とのやり取りからどう変化し、訪れる結末に驚きとともに考えさせられる。
自分語りと会話劇で構成されていると言ってもいい作りをしているので、いつ、どこで、といった情景描写があまりないため想像しにくい部分があるあるため、舞台劇やコントのような雰囲気が感じられる。読み進めていけば、二人がいた場所は世田谷区にある廃ビルの屋上だったことがのちにわかるので、さして問題はない。
読みやすい。
一番大事かもしれない。
内容が重かったり難しかったりするので、それにあわせて情景や外見描写を極限にまで抑えて、情報量を減らしているのだろう。
作者のなかでは、『なぜ人は生きるのか』を書こうとする気持ちが強いのかもしれない。
書き出しに、『なぜ人は生きるのか』と人生の命題のような問いかけからはじまっている。
とくに十代は自己のアイデンティティーを確立していく時期なので、誰しも一度は考える。しかも、大人になっても、何故生きるのかよくわかっていない人もいるし、考えたこともなかったと笑って答える人もいる。そんな人達に投げかけるような問いかけからはじめることで、興味を引こうとしている書き方はいい。
とくに悩める高校生が主人公なので、彼の内面がよく分かるし、同じように思っている読み手は、共感して読み進めていける。
ただ。自分語りがずっと続くので、「人並み程度の友だちはいるし、それなりの生活を送っている、思春期真っ盛りの、普通の男子高校生」だけど、目立つわけでもなく、存在感が薄くて、今日は月曜日で、自転車通学をしている学校帰りだったのが分かる程度。
状況を説明するのではなく、主人公が主張したいことを直接語っていくスタイルをとっている。
書くべきテーマが明確にあるときは、先走りせず、直接語るのを避け、主張したいことはエピソードの形にして、言わずに結末で暗示させる方が伝わる方法もある。本作はその逆をしている。おかげで、主人公が何を考えているのか、よくわかる。
おかげで読み手は、主人公の生き方や考え方を追体験しやすい。
「今日もまた来てしまった」とある。
前回、問わず語りなことをしていた主人公は、いつも同じ場所でしていることがわかる。わかるのだけれど、下を見下ろすなどの行動から、どこかの屋上なのかなとわかってくる。いっそのこと、冒頭を削って、二人の出会いからはじめてもよかったのではと、考えてみる。
そうした方が、主人公が死のうとしていたのかとか、彼女はなにものだろうかとか、いろいろ興味がわいて読み進めていけるのではと思うけれども、会話劇ですすんでいくので、冒頭に書かれている主人公がどんな人間なのかが分かる部分は、必要だと感じた。
彼女は『自分の好きなことをしたいから』『いつか訪れるはずの幸せ』を楽しみに生きていると答え、主人公はシンプルな考え方をしている彼女を見習うことをするのだけれども、冒頭から「今日が月曜日だからか。こんなネガティブな思考になるのは。そうだ。明日は火曜日、好きなマンガの最新作が発売される日だ。だからとりあえず、それを読み切るまでは生きているとしよう」といって家路についているので、彼女に会う前から、すでにシンプルな考えが出来ている。
母親から夕食はカレーだと通知が来たら帰るし、どうせならもう一度だけ彼女に会いたいと思って、また帰るし。
彼女のシンプルな考え方に出会う前は、シンプルとは違う理由で飛び降りるのをやめるとよかったのではと考える。
ただ、主人公はそれなり知識が豊富で、いろいろなことを考えている。考える行為がシンプルではない、と表現していると思うので、彼女と出会い、質問に答え、話している内に、前半のようにあれやこれやと小難しいことを一人で考えなくなっている。
こうした変化を描くことで、主人公の至高がシンプルになってきていることを表していると考えると、納得はできる。
そもそも、主人公は死にたかったわけではなく、「なぜ人は生きるのかわからなくなってな、ならいっそう飛んでみようかって感じだ」とあるように、生きる意味がわからないから知りたくて死に近づこうとしていただけなのだ。
生きるとはなにか。
そのために死を思ってしまう。
だけど、彼女の『自分の好きなことをしたいから』『いつか訪れるはずの幸せ』を楽しみたいからと、生きる理由を今よりも先へと視線を向けることで前向きに、明るい方向へと向かっていこうとする。
向かいながら、生きる意味をさがす。
それが生きること。
解答が一つではなく、人それぞれ。死ぬまでに見つけられたら、それはそれで幸せなことだろうということを描きたいがために、本作の文章スタイルで書かれたのだと想像する。
後半、通り魔のニュースがでてきてからクライマックスへと盛り上げる展開は良かった。登場人物の想いが強く現れるよう、必要な行動や表情、気持ちなどを強く描いて想いを見せてくれているので、読み手も、展開に心打たれる。
死にたくないと強く思い、助けを求めてふたりとも死んでいくのは、だれも同じだと思う。生の最後の最後まで生きたいと願うのが、生者の本音だ。
読後、タイトルに納得する。三者それぞれが、生きることを考え、それぞれの末路を辿った。
通り魔の「全国に俺の名を轟かせたかった。これが俺の生きる意味だ」というのも、確かに生きる意味であり、皮肉めいている。
全国に自分の名を轟かせたいのなら、もっと別な方法もあっただろうに。
作者はもう一ついいたいことがあるのだ。
生きる意味を見つけるだけでは駄目で、見つけた生きる意味は、誰かのためになったり喜びや嬉しさを互いに分かち合えたりするものでなければいけない。
そんなことを伝えたかったのだろう。
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