WEST未定人生物語

WEST未定人生物語

作者 冴島。

https://kakuyomu.jp/works/16817330662674333086


 起立性調節障害の子たちが通う高校で芹沢フユノはwowakaの音楽をきっかけにリツキと出会い、彼の幼馴染の春樹と付き合い、二人の幸せを願ってリツキは病死するも、友情は続いていく話。


 文章の書き方は気にしない。

 現代ドラマ。

 泣けてしまうね。


 主人公は、芹沢フユノ。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現在→過去→未来の順で書かれている。


 女性神話と、メロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。

 二〇一九年春、wowakaは急性心不全で急逝する。

 同年、主人公の芹沢フユノが中学二年生のとき、壮絶な集団いじめにあい、女性不信になる。

 二〇二〇年、中学三年のときコロナ禍となり、中高生に頻発する自律神経系の病気、起立性調節障害となり、日常生活に支障が出て、朝が起き上がれなくなる。そんなときwowakaの音楽に衝撃を受けるも、出会うのが遅すぎたと泣く。

 二〇二一年。普通科に行けず同じ病気を抱える人達が集う高校へ通い、霧椰リツキといういつでもどこでも喋りかけてくる饒舌人間と出会い、wowakaの話で盛り上がるが、下の名前では読んでくれなかった。リツキから小学生からの幼馴染の北斗春樹を初回され、春樹とも打ち解けあっていく。

 三人でいると女子たちは無視するようになる。話しかけてきた女子にひっぱたかれ、「調子乗んなカス」といわれる。やっかみをいわれているとリツキが現れ助けてくれた。泣いて抱きつくと、「泣くな。落ち着けフユノ」と小声で囁かれた。ポタージュを飲みながら好きな人がいるか聞かれる。春樹はコンポタG嫌いだから覚えとけよといわれ、「自分に正直に生きろよ」と伝えられる。

 二〇二二年、二年生になり、同じクラスとなる。春樹に一緒に遊ぼうと誘われ、リツキは二人でいってこいという。春樹は以前、関東に住んでいたが小学生の時に引っ越してきたという。二人のように訛りのある喋り方が羨ましいという彼と一緒に星を見て、告白される。「えっと……私も好きやってん、春樹の事」と答えて、付き合うことになる。

 リツキは「お前はよ、春樹が他の女とメシ食ってて嫌ちゃうんけ」といって、彼は離れていく。春樹と電話するのは楽しく一緒にでかけたりもする中、リツキと一緒にいてもいいか尋ねるといいと返事。友達は大事だよねと聞くと、「でもさ、その『大事』と僕に向ける『大事』のベクトルは違うでしょ? リツキは、それをフユノに教えたいんじゃないかな」といわれ、はっとする。

 春樹との時間が増える中、リツキとの時間は少なくなる。どうしているのか電話し、男女の友情はあるか聞くと、曖昧な返事を返される。

 二〇二三年、定期検査でドクターストップが掛かるほど、起立性調節障害は悪化し『重度認定』。病気適用の残留制度を使い、高校三年生を二巡する選択をする。リツキに伝え、冬のと呼ばない理由を尋ねる。「お前のこと、フユノって呼んだら、お前が特別な存在になってまうやろ、俺はそれが嫌やったんじゃけえ」「男と女の特別言うんは、お前と春樹みたいな事言うんや」いい加減気づけと言って彼は雨の雑踏へ消えていった。

 ハルキと海に行く夏。二人降りした自転車、彼の背中に優しく抱きつく。堤防沿いを走っていると、テトラポットに誰かの陰。一〇メートルほどの距離にリツキがいて「なぁ芹沢! 俺が死んだら、お前は、ロウみたいになった頬、撫でてくれるんけ?」彼の言葉に、「おうよ‼」と叫ぶ。

「お前はよ!俺の特別じゃ! 大事じゃ、大好きじゃ‼」

「私もや‼」「私にできることは、もう、ほんまになんもないんけ? 何でもする! 私にできることなら! だからさ……!」となくのを我慢してきけば、リツキは「ない」といい切る。ならせめて、とwowakaのローリンガールを口ずさむ。「春樹、芹沢のこと、幸せにしてやれよ‼」リツキの言葉に「当たり前だよ」涙を含む声で春樹が答えた。「死にたいなんて言うなよ‼ 生きろよ‼」彼が見えなくなるまで春樹にもたれながら折れるほど手を振った。

 冬。リツキは死んだ。起立性調節障害に加え、死に至る病気も抱えていた。棺桶の美しい顔を見て、「リツキ…起きろよ。燃やされてまうで」と声をかける。春樹に抱きしめられながら、「生きてて、欲しかったなぁ」と言葉をかわす。春樹に後ろをむいてもらい、リツキの頬を撫でて優しく口付けをし、『フユノ』の歌詞を口ずさんだ。リツキの母に声をかけられ、自分宛ての彼の遺書を受け取る。

 好きだったが今は好きじゃなくなったこと、wowakaにフユノのことを伝えること、春樹に大事にしてもらうこと、傷ついたら駄目なこと、最後に『リトルクライベイビー』の歌詞が綴られていて、声を上げて泣いた。

 二〇二四年、春手前の吹雪の日。ピアノと向き合っていると、西の方角から「芹沢」と呼ばれた気がした。『アンノウン・マザーグース』を打鍵し歌い、リツキは去っていった。

 二〇三七年、夏の終わり。春樹との第一子誕生。男児二産声が上がり、リトルクライベイビーだと思う。春樹止めを合わせて微笑み、赤子はフユノの指を叱り握った。

 二〇四二年、夕暮れ。息子五歳。家族三人でリツキの墓参りをする。「この人、ママとパパがだいすきだったんだねぇ」息子の言葉に涙が頬を伝う。春樹はそうだよと笑いかける。

「大っきなったのう」と聞こえた気がして、沈む太陽の方へ振り向く。どうしたのと子供に聞かれ、気のせいと答えて手を合わせて花を手向ける。「またな芹沢」の声に「またな、元気でな」と返すのだった。


 あの夏の謎と、主人公に起こるさまざまな出来事の謎が、回想の中でどんな関わりを見せながら、どんな結末をむかえるのかに興味が湧いた。

 おそらくスマホでお話を作っていったと想像する。

 多くの人は、パソコンを使わず、スマホで作成して投稿していることを考えると、いちいち文章の頭を下げたり、三点リーダーをふたマスつかったりするのが手間に感じ、改行も行間空けも、柿やすさやみやすさを重視した結果なのかもしれない。

 読点で行変換をして、しかも行間をあけたスタイルで書かれているため、全体的に詩のように感じる。

 だけれども、本作ではwowakaの音楽が主軸にして書かれ、また詩も一部盛り込まれていることから考えると、本作の文章スタイルは意図的かもしれないと思えてくる。

 wowakaの音楽を作品を生かすための、文書の見せ方を選んだ結果、詩のようなスタイルになったのだと邪推する。

 たまたま、偶然の可能性もあるけれども、詩のような文章スタイルは、本作の内容には適したと思う。


 wowaka(ヲワカ)とは、ボーカロイドを使用し音楽を制作しているプロデューサー、およびバンド「ヒトリエ」の主宰・ギターボーカルを担当していたミュージシャン。男性。

 二〇一九年四月五日、全国ツアーの最中に急性心不全のため亡くなった。享年三十一歳。


 起立性調節障害とは、自律神経の働きが悪くなり、起立時に身体や脳への血流が低下する病気。 朝になかなか起きることができず、朝の食欲不振、全身倦怠感、頭痛、立っていると気分が悪くなる、立ちくらみなどの症状が起こる。 症状は午前中に強く、午後からは体調が回復することが多い。

 コロナ禍で中高生に増加している心身症のうちの一つ。

 不安感が強いと場合によっては睡眠、食欲にも影響する。そういったことが二次的に起立性調節障害を生み出す自律神経の乱れにもつながると考えられる。


 感動するには、わからないことがわかること、自分にも関係がる、自分でもできると思えることが書かれていることがあげられる。

 本作は、冒頭に投げかけられた謎が読んでいくとわかってくるし、リツキの思いも同じく芹沢に遺書という形で伝わる。

 コロナ禍を中高生で過ごした人は、本作に出てきたような人もいるのかもしれないと知ることもでき、起立性調節障害の当事者の人なら大変なんだよと共感も生む。

 wowokaの音楽が好きな人は気になるし、音楽を知らない人でも、その人にはその人の好きな音楽があるから、同じように大切な音楽のことを思って作品を読むことができる。

 何かしらの感動を得られる題材を選んでいる点も良かったのではと考える。


 コロナ禍であることや、中高生に頻発する自律神経系の病気の、起立性調節障害について、wowakaの音楽や、いじめなど、実在するものを作品に取り入れることで、フィクションに現実味を与えてくれている。おかげで、後半以降の展開にも信憑性というか真実味というか、信じることができ、そこに至るまでに読み手を感情移入させることができている証でもあると考える。

 風景描写は少ないので、全体的にはふわっとした感じがずっと漂っている。喩えるなら、本作中ずっとwowokaの音楽な流れている感じがする。


 サブタイトルに『あの夏を忘れないために、ここに書き綴っておこう。』から、本編がはじまっている気がする。

 書き出しの「制服と肌の隙間を縫って潜るそよ風は、この八月の暑さをも刹那の間、忘れさせてくれる」からは、主人公がどういう人物なのか、季節はいつで、どんな状態にあるのかを、伝えてくれている。それでいて、断片的なので、主人公がどんな子で、どういうことがあったのか、読み手に興味を持たせている。

「二〇二三年の私の夏」

 他の人ではなく、みんなのでもなく、私だけの特別な感じがする。

「なぁ芹沢! 俺が死んだら、お前は、ロウみたいになった頬、撫でてくれるんけ」とショッキングなことを言われる。

 主人公の名前は芹沢だろうと伝えながら、話している男は、自分が死んで葬式に出てくれるのか、みたいなことを方言まじりで語っていて、急に現実味が強くなる。

 一体どういうことなのだろう、と読み手に思わせておいてから、さらに二〇二〇年の過去回想で主人公についてが語られていく。

 遠景、近景と距離感を作ってから、主人公の心情が深く語られていく冒頭の書き方が上手い。読み手をお話の先へ先へと、飽きさせないようテンポよく導いていきながら、客観的に状況説明をしていく導入の読ませ方はよく考えられている。

  

 本作に限ったことではないけれども、感情移入させるには、それぞれの場面を具体的に描くことが大切で、起承転結の中でいつ誰がどこで何をどのようにどうしたのか、読み手が想像できるように五感を使いながら、主人公の心の声や感情の言葉、ときには表情だったり声の大きさだったりを入れながら書いていくのが大事。

 心情を重きに置いて書いている分、風景や状況描写が簡素になっている。これも、本作に限ったことではない。

 イメージとしては、少女漫画のように内面を描くことに重きを置いた作風と感じる。それでも状況が伝わるように書かれているから、伝わってくるのだけれども、春樹と海に行った、大事なシーンが想像しにくいところがもやもやした。


 リツキと主人公の芹沢が方言で話しているところが良い。

 方言を使うと、作品に生々しさがでてくる。本当にあったことなのかなと読み手に錯覚させることができる。内容からすると、作者の体験がどこかに混ざっているかもしれない。しれないけれど、主人公のような体験をしたというわけではないだろう。あるかもしれないけれど、それは読者の想像に任されているだろう。


 小学生からの付き合いなので、春樹は、リツキの病気のことを知っていたに違いない。だからといって、春樹が芹沢を好きになったのは事実だろう。

 リツキが春樹を紹介する前に、春樹は芹沢をみかけて好きになったと想像する。春樹はリツキに打ち明けて、芹沢に近づき、彼女もwokaokaが好きと知り意気投合して仲良くなって春樹を紹介したのだろう。

 出会ってすぐ、連絡交換しようと春樹は言っているので。リツキはいわゆる、キューピッドの役割を果たしたのだ。


 女子の「調子乗んなカス」を読むと、中学時代を思い出す。

 自分と同レベルに思える主人公が、男と一緒に楽しそうにしているのをみるのが許せないと、嫉妬からきているのだろう。こういうところを取り扱っているところはは現実味を感じる。

 そんなとこにリツキが「お前こんなめちゃくちゃ言われて悔しないんけ。なっさけないのお〜」と登場するのはカッコイイ。方言も味が出ている。


 コーンポタージュを買って渡しておいて、春樹はそういうの苦手だから気をつけろと指摘するのは、作為的。

 芹沢が春樹の告白を聞いて、「えっと…私も好きやってん、春樹の事」と受けるのだけれども、主人公が春樹をいつ好きになったのかがわからない。リツキとは仲がよくなっていく過程はかかれているのだが、春樹とはあまり書かれていないので、唐突な感じがする。

 リツキが「自分に正直に生きろよ」というのは、芹沢が春樹のことが好きに思っていることに気づいたから、告げたのかもしれない。

 しれないけれど、どこを見てそう思ったのかしらん。


 リツキと片耳ずつイヤホンをつけて聞く場面がある。好きな曲を聞くというのは、相手の中に流れている音楽を知ることでもある。主人公も『トーキーダンス』を知っているし、一緒に聞きながら、リツキがどんな事を考えているのか知りたくなっていく。

 この流れを経て、お互い好きだからと春樹と付き合っていく流れになるのはすんなりいかない。行かないのは主人公も同じで、名局したいけど、「お前はよ、春樹が他の女とメシ食ってて嫌ちゃうんけ」と指摘されると、そのとおりだと納得してしまう。

 

 男女の友情について、電話でリツキと話したとき、「寝てた」と答えている。体調が悪かったのかもしれない。

 テトラポットで合う展開は、リツキが春樹に頼んでいたのではと想像する。体調がよろしくなかったリツキは、きちんと気持ちを伝えたかったのだろう。

「春樹は少し自転車を漕いだ」まで、春樹はどうしていたのかが書かれていない。また、リツキが春樹に、芹沢を幸せにしてやれよと叫んだ後、「当たり前だよ」と涙を含む声を発しているところからも、春樹は事情を知っていて主人公を自転車に乗せて連れてきたのだ。


 葬儀やピアノを弾いて終わる場面で終わらなかったのは、彼の遺書にあった『リトルクライベイビー』を絡めて描くためであり、リツキが亡くなって十五周忌をラストに持ってくることを決めていたからだと想像する。


 読み終えてタイトルをみると、『WEST未定人生物語』は、作品をよく表していて、上手くまとまっている。

 三人の友情は、リツキがなくなった今も続いている感じが現れていてよかった。「西に急ぐ、とは死に向かうという意味がある」とある。いわゆる西方浄土、仏教の考えかしらん。西の果てにあるという極楽浄土。日が沈む方からリツキが「またな」というのが心に染みた。

 

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