晴れ、時々『桜吹雪』

晴れ、時々『桜吹雪』

作者 秋野 秋人

https://kakuyomu.jp/works/16817330662889651978


 彼に振られたエミの前に『不幸を桜に変える会』の男が不幸な気持ちを桜吹雪に変えないかとビジネスを持ちかけてくる。断るも辛くて考え直すが、桜吹雪に変えたカンナの心から哀しみが失われているのに気付き、本当の意味で救ってくれないなら意味はなく、カンナを一人にさせたことを心の中で謝り、でもお互い一人で生きていけるからとパンフレットを破って外へ投げ捨てる話。


 ダッシュや三点リーダーはふたマス等は気にしない。

 現代ファンタジー。

 喜びも悲しみも、経験するからその意味を知ることができることを、今一度気づかせてくれる作品。

 キレイなだけでは本当の美しさにはなれない。


 主人公は、高校三年生のエミ。一人称、私で抱えた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 女性神話とメロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。

 季節関係なく、街に桜吹雪が舞う。『不幸を桜に変える会』が青春真っ盛りの少年少女から不幸な感情を取り去り、桜の花びらに変えて街中に放流。桜吹雪の華やかさで人々の心を癒していた。

 主人公のエミは、憧れていた先輩に告白するも、「俺、もう付き合ってる人いるんだ」といわれて振られ、一日中独りで泣いた。

 しばらく後、中学時代からずっと一緒にいる気の合う親友のカンナが学校を休んだ。心配になって電話をかけると、飼っていた犬が死んでしまい悲しくてと泣き出した。しばらく彼女は学校を休んでいたが、一週間くらいしてまた登校してきた。「ごめんね。声、掛けなくて」「ううん。謝るのは私の方。電話の時は、ごめんね。なんか、慰めてもらったみたいで」と言葉をかわすも、まだ子男で花何処かを見ているようだった。一カ月が経ち、二人は気持ちに整理がついてきた。

 そんなある日、「突然お尋ねして申し訳ございません。今日は少し、我々とのビジネスについてお話させていただきたく思いまして」ピンクのスーツを着た『不幸を桜に変える会』の若い男が訪ねてくる。『あなたの不幸、桜に変えてみませんか?』のパンフレットを差し出し、振られた気持ちを桜に変えませんかと勧められる。

 振られたことを調べるプロがいて、不幸を桜に変える方法は企業秘密。お金はかからず、若い人たちのたった一度の不幸で無駄にしたくないだけだと語る。

 桜になったら、振られた思い出が消えるのか尋ねると、記憶をなくすわけではなく、大きな感情を抱かなくなるだけ。「例えるなら、そうですね……干からびたミミズ、見たことあります? あれを見た時くらいのちっぽけな、なんとなく嫌だなぁ、くらいの感覚です」といわれ、自分の気持ちをバカにされたみたいになり、協力できないと追い返す。

 暖かい風が吹く日、帰ろうとすると校門横に彼が立っていた。スマホを見ながら誰かを待っているようだ。すると突然、主人王の方を見た。慌てて目をそらすと、おまたせーという女の人の声が後ろから聞こえた。横を通り過ぎ、そのまま彼の元に駆け寄って行った。女の私から見ても、綺麗な人。彼と同い年なのに、大人びた品格から本当に同じ高校生かと疑ってしまう。

 できることなら彼と一緒に校門を通りたかった。が、そんな権利はなく、彼が門を通り過ぎるのを見届ける前に、自分の教室に向かって走りだしていた。自分の席に座り、校門を眺めると彼の姿はなかった。どうしようもなく辛くなり、先日やってきたあの男ノコt場を思い出す。この憂鬱を晴らしてもらおう。そう思うとなぜか泣けてくる。

「エミ? どうしたの?なんで泣いてるの?」部活の道具を取りにきたカンナはビックリしていた。もう大丈夫だからと答えて、最近嬉しいことが会ったかカンナに聞く。

「あ、そうだ。私、新しい犬、飼い始めたんだよ」と答えるカンナ。以前飼っていた犬が亡くなったばかりなのに意外だと思ったことを話すと、「……ああ、そんなこともあったね。そんなことよりさ、新しく家に来た犬、すごい可愛いんだよ」ときいて、凍りついたように体が固まる。あれほど愛していた犬の死は彼女にとって斎場の悲しみだったはずなのに。決して『そんなこと』で収まるはずがない。

 すると突然、窓の外の景色が、一面ピンク色に染まった。あの桜吹雪だった。カンナはキレイと呟いた。

 主人公は気付く。彼女の悲しみは、桜吹雪に変わってしまったのだと。あの男がやってきて、哀しみを桜に変えたのだ。

 新しく飼い始めた犬の話をしている彼女は、心から嬉しそうだった。でも主人公は、捨ててしまおうという考えはもう無くなっていた。またしても涙が浮かぶ。自分ひとりが取り残されたような感じがした。

 帰宅して、引き出しから大事そうにパンフレットを取り出すと、思い切りよく、ビリビリに破いてしまった。もう、必要ない。

 彼に振られたことを、カンナに話していなかったことを思い出す。彼女が一人で悲しみを捨て去って遠くに行ってしまった時、彼女に裏切られたような気分になった。しかしそれ以前のカンナも同じような感情を持ったかもしれない。なぜ自分だけが苦しんでいるのだろう、と。

 主人公はカンナを思い、一人にさせてごめんねとつぶやき、もう側にいられそうにない。でももう大丈夫、お互いもう一人で生きていける。遠く離れてもずっと友達だから。

 破いたパンフレットを捨てようとするも、ゴミ箱はいっぱいだったので、窓の外へと投げ捨てる。その光景はまさに、桜吹雪が吹いているようだった。

 明日の天気はなんだろうとつぶやくと、明日になればわかるよと、誰かがいった気がするのだった。


 桜吹雪の謎と、主人公に起こるさまざまな出来事の謎が、桜が舞うたびに重なり合いながら、大人へと成長していくのを感じさせられる。

 書き出しは、今朝のニュースの天気予報からはじまる。

 主人公の心情から離れた遠景を描き、近景で街ではどこからともなく桜吹雪が吹くことが説明されていき、距離感を描いてから「私はこの頃憂鬱だった」と心情が語られる。読み手は、深く共感しなながらお話を読み進めていく。

 冒頭の書き出しは素敵である。


 そもそも、何の変哲もないように思われる書き出しだが、「所により桜吹雪が吹くでしょう」にモヤッとする。

 桜吹雪が吹くことまで、天気予報で知らせてくれるのかと。ちょっとした違和感から、次を読見たいと思わせてくれるところが良い。

 しかも桜吹雪は物語に大きな役割をもたらす大事なもの。そのことをも、読者にさりげなく伝えてくれている。


 感動できるのは、悲しいや苦しい、憂鬱な気持ちになるのは十代に限らず生きていれば誰もが抱えてしまうことなので、自分にも関係があると思えることを扱っている点が大きい。

 主人公が選んだ、忘れてしまう選択以外の方法、忘れずに悲しみとともに歩んで乗り越えていく道を進むのは、読み手である自分にもできると思えることが書かれてる点もあるだろう。

 桜吹雪は年中吹いて、いつの間にか消えてしまうという不思議な現象はどんな仕組みなのか、不思議な世界の理由が明らかになる点も読み手に感動を与える要因になっている。


 指示語や水増し表現が多く混ざっているので推敲すると、もっとスッキリとした文章になって、いま以上に物語に飲めり込めると思う。

 たとえば、好きになった彼である先輩が、高校三年生とかかれている。でも、主人公も高校三年生。中学で仲良くなったカンナとは六年間一緒なので。

 彼は同級生なのかしらん。だけど、先輩と書かれてある。

 一カ月前に振られたのは高校ニ年のときで、現在は高校三年生なのかなと思って読んでみたけれども、同じ学校の校門から彼は別の彼女と帰っていくのが描かれていて、もやもやしてしまう。

 彼のきれいな彼女は、主人公と同じ高校生らしい。

 彼女彼らの関係がもやもやしてしまった。

 主人公を高校二年にすれば良かったと考える。


 主人公視点で具体的な場面を描いていて、心の声や感情の言葉、表情や声の大きさ、考えていることなどを入れて、想像しやすいように書かれていて感情移入できてよかった。

 

 年中桜吹雪が吹く世界なので、季節がわからない。年中春みたいな雰囲気があり、綺麗であり、散る桜にものがないさも感じ、だけど本作の人たちにとっては状態化しているし主人公は振られて落ち込んでいたので桜が舞っている様子に気づいていなかったりしていて、風景描写による心情を伝えることは難しかったのではとも考える。

 ただ、はじめは綺麗だった桜吹雪が、誰かの辛いや悲しい思いから生まれた散花だったと明らかになってからは、主人公も読み手も見方がかわるのところは良かった。

 

 カンナとは気の合う友達だったけれども、先輩に振られたことを話したことはなかったし、犬を亡くしたとき「ごめん、電話なんてしちゃって……悲しかった、よね。私でいいなら、いつでも相談にのるから」と一方的に切ってしまったり。

 誰もがそうだけれども、自分がどうしようもなく落ち込んでしまっているときは、困っている誰かの側にいて上げるということさえできなくなってしまう、そんな時がある。

 小さな子供が泣いているとき、親は話を聞いてあげていただろうけれども、子供が大きくなるとあまり聞いてくれなくなったり、仕事で忙しいとか疲れているを理由にあとにしてといわれ、聞いてもらえなくなっていく。

 そうしながら、一人で考えて決めていく。誰かに頼るのではなく自分で決断をするのは成長であり、独り立ちなので、必要な儀礼でもある。

 主人公は、カンナに「ごめんね。と私は呟いた。一人にさせて、ごめんね」と心のなかで謝り、側にいられそうにないけれども、お互いにもう一人で生きていけるから、離れていてもずっと友達だよと、自分に言い聞かせるように思うのは、別れよりも旅立ちという感じがよく出ている。

 最初に謝っているのはいい。

 相手にいえなくとも、心のなかで思うことで、これからはカンナに対して謝ったという気持ちで接していける。

 側にいられないのは設定上、二人は高校三年生なので、同じ大学へ行くのかわからないけれども、進路も就職も結婚もやりたいことだっていつまでも一緒とは限らない。

 そういう意味でも、お互いに一人で生きていく時が来たと覚悟というか決意したのだ。かといって、友達を解消するつもりはなく、ずっと友達でいようねと、心のなかで強く思ったのだ。


 クライマックスからラストへと至る中で、主人公の強い思いがよく書かれていたので、読み手は心が打たれる。

 感動させるのには、必ずしも泣かせる必要はなく、先輩がきれいな彼女と帰っていき、カンナは悲しみを桜吹雪に変えるといった、それぞれが自分で決断をして自分の道を歩きだしているのをみて、主人公も自分の決断をするために帰宅後、パンフレットを破り窓の外へ投げ捨てる行動や表情、動作や考えなどから想いをみせるように書かれているから、胸に届くのだ。


 演出とはいえ、窓からゴミを投げ捨てるのはいかがなものかと考えてしまう。ご近所さんの誰かが見て、あの家の人は窓からゴミを捨てるから、平気でその辺にゴミのポイ捨てをしているに違いない、ゴミ収集でも正しく分別せずに捨てているのではと、あらぬ妄想を抱かれて不信感を向けられる火種になったりしないかと、ちょっと気になってしまった。

 ゴミ箱の中に捨てようとしたら、すでにいっぱいに詰まっている状況はなかなかない。あっても隙間があると思うので、ビリビリに破いたパンフレットくらいなら入るのではと考えてしまう。いっぱいと言っても、自室のゴミ箱で、水を張ったように隙間なく詰められている光景は想像し難い。

 ゴミ箱のくだりはなく、思い切ってベランダに出てパーッと振りまいてしまったほうがきれいだったかも、とあれこれ想像してみた。


 ラストは、明日は明日の風が吹く、みたいな感じがしてよかった。


 読後、タイトルを改めてみながら、読む前に『はれときどきぶた』という絵本が浮かんだことを思い出す。

 でためな日記を書いたらそのとおりになるというお話だったと記憶している。同じように、なにかしらの力が働いて桜吹雪として降らせているのだろうと想像しながら、楽しく読めたのは良かった。

 人の不幸を桜吹雪というきれいに見えるものに変える発想は、よかった。『不幸を桜に変える会』の人たちも同じように思ったのだろう。でも、他人の不幸の形なので、年中吹き荒れているということは、それだけこの世に悲しみはゴロゴロしているということの現れなのだ。

 それに、たまに見るからきれいなのだ。四季の変化を楽しめるのは、それぞれの良さがあるから。毎日みていたら飽きてしまう。

「どうしてこの世に悲しみがあるのか、それは悲しいという気持ちをお前に教えるためだ」と、かつて遠縁のおじが教えてくれたことを、本作を読みながら思い出した。

 桜吹雪に変えて、心からなくしてはいけない。悲しみとともに生きることにした主人公の生き方を見習いたいものである。

 

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