一生嫌いなままでいろ

一生嫌いなままでいろ

作者 ティア

https://kakuyomu.jp/works/16817330662326155778


 感情を乗せて弾く咲夜の音が好きだと日野翼に褒められきらきら星変奏曲を一緒に弾こうと約束したが、差が開くばかり。ツバサの名前で翼の音をまねてピアノ動画を上げる。駅のピアノで連弾しながら翼が寂しい思いをしていたことに気づきつつ盤上で喧嘩。「俺の真似してあんな下手に弾くくらいなら、咲夜らしく弾いてよ」といわれ、翼はプロになるべきと伝える。「俺は咲夜の音が好きだよ」といった翼の言葉を嬉しく思うも、動画サイトに書かれたコメントを見て差を感じさせられ、ピアノを辞めてしまう。どれだけ距離が遠くなっても、寂しくさせないためにずっと翼のそばにいることにした話。


 現代ドラマ。

 同じ道を進まないことで、友の隣にいる道を選んだ作品。

 寂しくさせないために辞める選択をして、はたして喜んでいるのだろうか。かといって、続ければ競い合っては妬み、離れてしまう。

 人生の機微を描いていて、選択が良かったかどうかは難しい。


 主人公は、咲夜。一人称、俺で開かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現在→過去→未来の順で書かれている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 主人公の咲夜が翼と出会ったのは、小学校三年生の時。翼は人と少しズレた感性の持ち主だったから、特別親しい人はいないようだった。ある日の放課後、翼が弾いていたのはきらきら星変奏曲。様々な星の瞬きを表し、なによりその透明な音色に心をさらわれる。引き方を教わり、「感情を音に乗せるのが上手いんだね」「咲夜くんの音、好きだな」と褒められて以来、ピアノにのめり込み、ピアノ教室にも通い、完璧にきらきら星変奏曲と弾けるようになったら、一緒に弾こう、と翼と約束をした。

 ピアノ教室では、楽譜通り正確に弾くことが求められた。翼に褒められた感情表現は、そこでは歓迎されなかった。ピアノが上達するにつれ、翼が本物の天才と実感。差は離れていくばかり。

 音大附属高校に行くと思っていたが、翼は主人公と同じ高校を志望。プロにならないのか聞くと、ならないと答え、「俺は、咲夜とピアノが出来たらそれでいい」と答えた。

 嫉妬から翼と距離を取るも、練習は続けた。高校二年生の時、ふと思い立って動画投稿を始めた。名前はツバサで、翼の音を模倣してピアノを弾いた。本物には程遠いけれど、心の底から恨んで焦がれた音を弾いた。翼の音を、誰よりも愛していた。

 数年ぶりに翼からのトーク画面にきた連絡には、自分が翼の音をまねて弾いた動画が添付されていた。知らないと返事するも返信は来なかった。

 大学の学食で、翼がコンクールで優勝した話を耳にしたとき、翼がやってくる。「俺はあんなに下手じゃない」「咲夜は俺の弾き方を真似しすぎなんだよ。その再現度はすごいと思うけどさ、もっと自分を出して──」という翼の言葉は耳に入らず、心臓が痛みを覚える。二度と話しかけるなと言って立ち去る。帰宅後、ピアノを弾きながら、『俺はあんなに下手じゃない』と彼の言葉を思い出し手を止める。少しは近づけたと思っていたけれど、やっぱり本物には全然届かない。

 大学の最寄りの駅にはピアノが置いてある。翼が弾いている音を聞いて苛立ち、一緒に、感情を叩きつけ自分をさらけ出すように弾いた。翼が寂しかったと音から知り、曲が突如切り替わる。ショパンの英雄ポロネーズ。それからすぐに、次はリストのラ・カンパネラへと。動画を上げた曲だ、と気づく。盤上で喧嘩をしてあっという間に五年間を駆け抜け、最近投稿したばかりの月光に追いつく。初めからこうしていればよかったんだ。翼と弾けば、透明になれた。偽物じゃない、純粋なあの色に。 

 曲が終わり、翼の腕を掴んでその場を立ち去る。何故弾いていたか聞くも答えない彼は、「……二度と話しかけるなって言った」といった。謝ると、「……俺は傷ついた」「この前のことだけじゃない。高校に入って、咲夜が急に離れていった時も。ずっとずっと、傷ついてた」

 謝り、嫉妬していたことを告げ、翼みたいに全然弾けなくてと言うと、「俺は咲夜の音が好きだよ。咲夜が楽しんで弾けば俺も楽しくなるし、悲しみながら弾けば俺も悲しくなる。そんなふうに、感情を動かしてくれる咲夜の音が好きだ」「俺の真似してあんな下手に弾くくらいなら、咲夜らしく弾いてよ」

 下手の意味に気づき、互いに誤って「翼はやっぱ、プロになるべきだよ」と声をかけた。

 帰宅後、『俺は咲夜の音が好きだよ』と思い出して過去動画のコメントをスクロールしていくと、『連弾からきた!』『ツバサの正体この人じゃね?』と、昼に駅で連弾をした動画が付けられていた。

『この人知ってる。日野翼って言って、コンクールで何回も優勝してる人』『まじ? ガチですげえ人じゃん』『てか隣の人誰?』『隣の人も上手いんだろうけど、やっぱ日野翼に意識持ってかれるわー』『顔もかっこいいとか最強じゃん。ファンなろ』『ツバサって人の動画見てきたけど、なんか違くない? こっちの方が断然上手い』『名前同じだし確定しょ』コメントを見て、呼吸が上手くできず、翼の音が嫌いに思う。

 大学を卒業して三年。翼は順調にピアニストとしての道を歩み始めていて、近々海外の大きなコンクールに出場予定。主人公を招待したかったらしいが、首を縦に振らなかった。あの日以来、ピアノに一度も触れていない。卒業後、そこそこ有名な企業に就職した。『ツバサ』のチャンネルは、ずっと前に削除した。

 ピアノはやらないのか聞かれてやらないと答える。ピアノは好きだが、別のことで嫌いになったと濁す。「まあそんなことはどうでもいいんだよ。とにかくさ、帰ってきたら祝ってやるから、頑張れよ」立場はどんどん離れていく。翼はきっと、世界的に有名なピアニストになるだろう。主人公はただの会社員。どれだけ距離が遠くなっても、ずっと翼のそばにいる。もう二度と孤独にしないために。

 頭の奥で悲しい音が響き、メロディーを形成しようとするも頭を振って霧散させる。もう聞こえてこない。それでいいと思うのだった。


 投稿者ツバサのピアノ動画の謎と、主人公咲夜に起こる様々な出来事の謎がどのように関わっていくのかを、日野翼と出会った小学生から高校大学を経て社会人となって出した結論に、深く考えさせられる。

 本作は、自分にも関係があると感じられる内容だからこそ、なにかしらの感動を読み手に与えてくれる。

 主人公の心の声や感情の言葉が描かれているだけでなく、そのときの仕草や表情、声の大きさ、行動などがより伝わるように描かれているので、主人公の辛さに感情移入してしまう。


 前半は、主人公が置かれている現状の経緯を、回想をふまえて客観的に状況説明して描かれているので、理性的に読み進めていける。

 対して後半は、感情的に描かれているので、読み手も感じるまま読んでいける。


 冒頭の書き出しは、トーク画面に数年ぶりに翼から送られてきた、通知から始まっている。

 主人公は誰で、送ってきた相手や、主人公とどのようなな関係なのかといったことをテンポよく伝えている。

 五年前にやり取りが止まっていて、『空すごい綺麗』『なんでピアノ休んだの』『明日遊ぼ』『もしかして無視してる?』と一方的で、返事もしていなかったとある。

 これだけで、二人の関係がわかる。

 昔は仲が良かったけど、主人公が一方的に距離を取った。しかも五年前に。だけど、相手の翼は、こうして連絡を送ってくれている。

 彼にとって主人公は友達で、大事な人なのではと思わせてくれている。


 ピアノの連弾のシーンがよかった。

 翼の音は「消えてしまいそうなほど弱々しい音は酷く危うげ」とあり、主人公にはすぐに分かるのだ。

 小説にしろ絵にしろ音楽にしろ、一つの作品を作るとき、作者の考えや感情、思いなどがどうしても現れる。

 文章ならば、理解しやすい。

 絵からも印象が伝わるので、汲み取りやすい。

 音楽は形のないものなので、些細な変化を感じるのは、誰でも簡単にできるものではない。ある程度のレベルまでなら万人でも気付くことができるかもしれないが、音楽の知識と相手をより深く知っていなければ、弾いている彼の気持ちにまでは気づけないと考える。

 つまり、主人公はそれほどまでに翼の音を愛していたのがわかる場面だ。


 ピアノは楽譜どおりに弾かなくてはいけない。

 音が外れるのはジャズになる。

 クラシックはそうはいかない。

 かといって、決められた中で気持ちを重ねて弾くことはできる。

 翼はそういう弾き方が上手く、主人公の咲夜はもっと自由に感情を乗せる弾き方が得意なのだろう。

 子供のような自由さと無邪気さが持ち味。

 だから、翼の弾き方を真似るやり方は、自分の得意とする弾き方ではないから、翼は下手と表現したのだと思う。

 

 二人の差、凡人と天才と表現されている。

 どこを基準に持ってくるかの違いだろう。

 世間一般的な基準は、翼が弾いているやり方であって、その基準から比べたら、主人公のピアノは凡人とされる。

 でも、翼が「俺は咲夜の音が好きだよ」といったように、楽しんで弾けば楽しく、悲しみながら弾けば悲しくなるみたいに感情を動かしてくれる音を基準にしたら、きっと主人公は天才に違いない。

 少なくとも、翼にとってはそうだった。

 だから一緒に弾きたかったし、やめてほしくなかったのだと思う。


 動画に書かれたコメントを見てもわかるように、みんなが翼のピアノが上手いという。そんなのをみたら、翼のピアノの音が嫌いに思ってしまうのは無理からぬことだっただろう。


 コメントの無自覚の悪意を受けて傷つく描写が、具体的で本当に辛そうに思える。大学の学食で耳にした女子の会話に対しては、耳に入らないようカレーをかき込んでやり過ごす余裕があった。

 声という形のないものより、文字という形のあるものの言葉のほうが、より深く人を傷つける。

 トドメを刺されるような思いだっただろう。


 主人公が受けた体験から翼の音が嫌いと気づいたとき、二つの選択肢が現れただろう。翼の側にいるか、離れるか。

 離れる選択をすれば、彼を悲しませることになる。

 悲しい彼の音を聞いて苛立ったように、悲しませたいとは思わなかったはず。主人公にとって、小学生のときにきらきら星変奏曲を弾いた彼と出会い、やってみたいといっておしえてもらって弾き終わった時の感動はいまも残っているはず。

 その感動はピアノを弾いたからではなく、翼と一緒だったから。

 そのことをきっと思い出して、彼の側にいる選択をしたのだと思う。もしピアノを選べば、また嫉妬、憎悪、羨望といった醜い感情が生まれ、彼から距離を取ってしまうことになるのがわかっていたから。

 

 読後、タイトルは主人公が自分自身に言い聞かせている言葉なのだろう。言い聞かせていないと、友達のそばにいることができないから。

 主人公と同じような選択肢を前にして、誰もがどちらかを選んでいく。

 両方を手にできるのは稀で、ほとんどがどちらかしかつかめない。

 多くが、自分の道を選んで離れていく。

 だが、大切なものは一度手放すと二度とは戻らない。少なくとも主人公は一度、離れようとした。つぎ離れれば、一生疎遠となるだろう。

 翼はきっと、咲夜といっしょにきらきら星変奏曲を弾きたいと思っている気がする。その願いだけは叶えてあげてほしいと願う。


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