下水道の亀

下水道の亀

作者 鰹節の会

https://kakuyomu.jp/works/16817330659936771520


 人間の庭の池で生まれた亀が排水口に落ち、外へ憧れながら下水道で暮らす内に絶望し、大雨に流され死骸が海の岩場にたどり着く話。籠の中で生まれた鳥が主をなくし、妹に引き取られるも籠の外に飛び出し自由に飛ぶ幸せを得たのち、空から落ちていく話。


 誤字脱字等は気にしない。

 短編が二篇。

 亀や鳥を喩えにして、生き方を問うている作品。

 考えさせられる。

 

 短編が二つ。『下水道の亀』は三人称、亀視点と神視点で書かれて文体。『籠の鳥』は三人称、鳥視点と神視点で書かれた文体。読者の涙を誘う型の、「苦しい状況→さらに苦しい状況→願望→少し明るくなる→駄目になる」流れで書かれている。

 作者曰く、小説『山椒魚』をモチーフにしている。


 どちらも、男性神話の中心軌道に沿って書かれている。

『下水道の亀』

 人間の庭にある小さな池で生まれた亀は、一生をここで暮らすと思い、池に打ち付けられた杭の上で甲羅干ししながら池を眺めるのが好きだった。

 池の隅に排水口があり、子亀の大きさでは体がすっぽり入ってしまう大きさ。排水口の上で日陰を楽しむときは足を踏ん張らなくてはならなかった。豪雨の翌日、水かさが増え、おまけに滑りやすくなっていたため、亀は排水口に飲まれてしまう。

 排水管を登って戻るのは難しく、それでも戻ろうとするも、水が流れ落ちる排水管を登るのは無理だと、脱出の日を先延ばしにしていた。三年が経ち、成長した亀では排水管は通れない。

 弱く柔らかな爪で地面をひっかき力をこめる。こういう積み重ねが大切だとつぶやくも、長い地下生活で爪と甲羅は白っぽく柔らかくなり、顔の皺も増えた。歩く動作も、覇気のないよろよろとしたものになった。外への魅力にとりつかれるも体は動かず、嘆くばかり。

 下水道には、どこへ続いているのかわからない道がある。排水管から漏れる太陽だけを楽しみに生きていくよりは、未知の進路を切り開いて行ければ良いのではないか。進み切ることは叶わず、また引き換えしてしまう。慎ましい少量もあれば僅かな太陽もある。

 大雨がふり、下水道の水が増して体が浮き上がる。波に乗り、もしかしたら光のあるところまで言えるかもしれないと目を回しながら水中を進む。ゴミが増え、大勢の障害物にぶつかり、蛍光灯の割れた破片が亀の腹を突き刺す。甲羅は凹み、亀は流れていった。

 必死に足を動かし息継ぎをして、海に向かって流れていう。

 ·冷えた朝日に照らされた岩場は、シャボン液のような虹色の光を水面に浮かせた岩場に亀の死骸が一つ、あるばかりだった。

『籠の鳥』

 鳥かごの中で生まれた鳥は、毎日人間に餌と水をもらい、止まり木を左右に移動しては、鉄柵の隙間から部屋を眺める一日をしていた。自由になりたい願望はなかった。食事に困らず、天敵の恐れもなく、住処は常に清潔に保たれる。病気の心配もない。

 主が三日前の朝から帰ってこない。鳥はだんだん不機嫌になる。

 四日目の正午、インターホンがなり、青い服を着た見知らぬ男が二人入ってきた。警察の二人は主を探していた。水と餌をあたえ、部屋の換気をし、二人は出ていく。

 再び一日がたった。昨日とおない男が二人来て、餌と水を交換。

主は事故で死に、男たちに引き取られる。その後、見知らぬ女性に引き渡して、警察の男は去っていった。

 主の妹は「まさか姉さんが鳥飼ってるとは……」と、籠を部屋の中にいれた。

 西院、日差しがつよい。網戸越しに空をみて籠を齧っていると、扉があいていることに気がつく。扉を押すと、素直に開き、部屋の中を飛び回り、網戸の隙間をぬけて、ベランダの外へと飛んでいく。

 しばらくして、十分な食事が取れず、弱り言っていた。が飛ぶのに影響はない。飛びながら家々を見下ろしては、食事や安全な寝床を探さなくてはと悩んでいる。涼しい風邪を流し、地平線の方を見るのが幸せだった。

 鳥は、飛べるのは最後だと思った。黒ずんだ翼が、風邪を受けては嫌な痛みを発している。雲の下を飛びながら、寒々しく色をたたえた町並みを見下ろし、強風に煽られながら空にいた。キリモミしながら上がり。睨むように見上げ、桑の花が視界を染め、香りまで感覚を狂わせ、自分がなんなのか考えるまもなく鳥は空から落ちたのだった。


 それぞれ共通して、生まれたばかりの謎と主人公に起こる様々な出来事の謎がどのように影響しながら、最後の結末にたどりついていくのか、生き様に考えさせられる。


 各場面、起承転結の中で5W1Hを、五感を用いて読み手に想像できるよう、具体的に書かれているところがいい。

 状況描写をつかった主人公の心情の描き方も上手い。

 それぞれの冒頭は、明るく幸福に満ちている感じが伝わるように、亀ならば甲羅干ししている様子が描かれているし、鳥ならば飼い主から水や餌をもらい、住処は掃除されて清潔で、天敵や病気の心配もない。

 どちらも安全で満ち足りた場所からはじまっている。

 話が進む内に、亀は下水道へ、鳥は主の帰らぬ部屋で一匹、と、暗い影を落としていく。


 亀や鳥の考えている心の声や感情の言葉を入れているところ、表情や声のトーンにもこだわって書かれているおかげで、読み手は亀や鳥に感情移入できる。


 クライマックスで、状況が好転していくところは、主人公の思いが強く描かれていて、必要な行動や表情も良く描かれているので、それぞれが目を回しながらも流れに飲まれるようにして最期を迎えていく展開に、読み手には胸を打たれる。

 亀と鳥の違いがある。

 亀は生まれた場所へ、外へ出たい思いがあったのに対し、鳥は自由になりたいという願望がなかったけれど世話してもらいたい、気持ちがあったところ。

 書き方や扱っているものは同じだけれども、同じことを伝えたいわけではないからだろう。

 

 亀と鳥、環境も描いている内容も異なるものの、共通しているのは、人間が作って用意した環境で生まれ、同族と接触することなく一匹で生きて生涯を終えている点である。

 意図的で、作品全体が比喩になっているのだろう。

 亀と鳥は、読み手である私達を表していると考える。

 生まれたときから、食べ物や飲み物、服や寝床、親から生活する場所を与えられて育っていく。

 成長過程において、様々な人やものの触れ合いを通して学び、成長していく。体験が直感を養い、直感からモラルをつくりながら、社会のルールと知識、法を学んでいく。

 だからもし、同族との交流なく、単独で生きて生涯を終えるのならば、自分はなにをしたいのかといった明確な目的意識を持って、限られた自由な時間(人生)を生きなくてはならないことを本作から学び取ることができる。


 感動できるかどうかの一つに、自分にも関係があると思えるかどうかがある。

 本作は、現在を生きている私達にあてはまる部分があるから、亀や鳥の生き方に共感し、考えさせられる。

 下水道に落ちて、登って戻ろうと思っていて先延ばしにした結果、大きくなりすぎ抜け出せなくなり、しかも一本道の先へ行こうと思いつつも引き返したばかりに、衰えてしまった。

 主が事故死し、警察が妹に姉の飼っていた鳥を届けてくれたおかげで世話してもらえるようになったけれど、不注意で籠の扉と網戸があいていたため外へ飛び出し、自由を知って喜んだものの、自分で食事と安全な寝床を探さなくてはならなくなり、最後は自由な空を飛んで落ちていく。

 若い内にやり直せるけれども引きこもって時間を無駄にした結果、三十四歳までは若者扱いなのだけれども三十五歳から選べる仕事がなくなる現実があるとか、いつか旅がしたいと思って働いてきたけど、年を取って足腰弱って病気になっていけなくなって嘆くといった人生を過ごさないよう、教訓として読むことができる。

 また、窮屈な狭い場所だけど可愛がられて育てられ、刺激のある外へ飛び出し、楽しさを知って戻れなくなり苦労するとか、一度味わった自由を手放せなくなり、体が痛んでみすぼらしい格好になっても、ただひたすらに幸せだった場所へもう一度むかう生き様がいいのかどうか、と考えながら読むことができる。

 どの生き方が正しいかではなく、どれも間違ってはいない。

 亀も老いた最後、絶望していたけど流されながらも外へとむかっているときは嬉しかっただろうし、これで最後だと空を飛んでいたときは嬉しかったにちがいない。

 池の中と外、籠の中と外、どちらの生き方がいいかどうかは決められない。

 どういう生き方が、自分にとって満足できる生き方なのか。

 そんなことを考えさせてくれる、いい作品だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る