からっぽ
からっぽ
作者 Reaf
https://kakuyomu.jp/works/16817330663207246898
音楽一家生まれで音楽が好きな音奏はフォーカルジストニアとなって演奏できなくなるも、コンクールで競い合っていた神崎美琴に励まされて調律師になる。が、地震災害に見舞われて右腕を失うも、ずっと一緒にいると約束した彼の楽譜書きをし、幸福な毎日を過ごす話。
文書の書き方云々は気にしない。
辛い出来事は、すべての人に降りかかる。諦めるのか、見過ごすのか、乗り越えるのか。
どうなりたいかを決めるのは自分であり、諦めずに兆しを見つめ続けることが大切なことを教えてくれる。
主人公は、音奏。一人称、私で描かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。人物描写はあまりない。
主人公の会話文には、『 』が使われている。
前半は受け身がちな主人公は、神崎美琴と再会することで反転攻勢の機会を経て、後半はドラマを積極的に動かしていく。
女性神話の中心軌道に沿って描かれている。
父はオーボエ奏者で世界を飛び回り、母は音楽大学でピアノ講師をしている音楽一家である主人公の音奏は、三歳のときに見に行ったオーケストラコンサートでフルートのソロがあり、キラキラした優しい音に惚れた。以来、フルートの世界にのめり込む。中学時代は吹奏楽部の部長をするくらい音楽が大好きで、コンクールでは何度も金賞を取るほど有名だった。
『アルメニアン・ダンス パート1』も中学時代に吹いた。が、最後のコンクールで唇や指が震え、思うように音が出せず、高校生になってもそれが続く。病院で診てもらうとフォーカルジストニアと診断。人前で演奏すると唇と手が震えるようになり、練習不足かと思って練習量を増やしたばかりに悪化してしまっていた。完治することは無いが、治療をしなければ日常生活にも支障をきたす場合があるといわれて治療することにし、親から楽器はやめなさいと言われ、楽しみが奪われた。
帰宅すると、いつものようにクラシック『アルルの女より メヌエット』を聞いてしまう。癖になっていた。音大でピアノ講師をしている母は、娘に気を使って家でピアノを弾かず、大学で練習をしている。半年ぶりの対面もぎこちない。防音室でゆったりとした『ベルガマスク組曲第三曲、月の光』を弾くと母がピアノでは手が震えないのか聞いてくる。人前では無理とこたえて下手になったか聞くと、少し下手になったかもと少し笑った。音楽を続けたいと伝えるも、普通の生活すら出来なる方が嫌だから協力できないと言われる。
コンクールで優勝争いをしていた「みーくん」こと、神崎美琴が転校してくる。
コンクールに出なくなった理由を伝える。彼はソロばかりやっていると教えてくれた。彼と話すのは楽しかったが、演奏できる人が羨ましく思い痛みを押し付けられる気がした。
彼のソロコンクールに呼ばれる。最後の曲、ゲイリーショッカー作曲の『後悔と決心』の前に彼は話をし、「僕は今回の演奏で、何もせず後悔するより、出来なくてもやるという決心をした方が良い。そんなことを伝えたいと思いました」と伝えてきた。音楽は続けたいのにそれを諦めて、何とかして続ける方法を探せばいいのに、探そうとすらしていなかった自分に気づく。演奏後、彼に「私さ、音楽続けたい。でもまた悪化したらって、何も出来ない。手とか唇に影響ない音楽ってないかな。それか、人前に出なくていい音楽。私も調べるつもりだけど、みーくん何か知ってたりしないかな」と話しかける。
調律師やドラマのサントラを作る仕事、作詞はどうかと提案してくれる。卒業後、調律の資格を取るために試験を受けて無事合格し、有名音楽企業にピアノの調律師として無事就職した。
調律に出かけようとしたとき地震が発生し、右腕に証明のガラスが刺さり、棚が倒れてきた。病院で気づいたときには肘から下が無くなっていた。隣には彼がいて「やっと起きた、よかった」と声をかけてくる。
「……良くないよ。何が良かったなの? 右腕……」
義手をつけるよう勧められ、「右腕、義手になったら好きなだけ使えるんだよ。今まで負担にならないようにしてたけど、気にしなくてよくなる。プラスに捉えようよ」と言葉をかけてくる。
楽譜に書き起こすことをしてほしいと伝え、ずっと一緒にいたい、
いなくなったりしないと約束される。
その後、義手をつけて生活することになる。はじめは重かったが、今では自由に使え、彼の吹く音を五線譜に書き、曲によってはピアノ伴奏の楽譜も描いて提案。仕事が終われば一緒に食事する、幸せな毎日を送るのだった。
三幕八場の構成で作られている。
一幕一場のはじまりは、音楽が好きな音奏は中学最後のコンクール前に症状が現れ、その後も続き、フォーカルジストニアと診断されて楽器を辞めることになり、高校一年の冬を迎える。
二場の主人公の目的は、帰宅後、半年ぶりに音大でピアノ講師をしている母親と対面。気を使われると虚しくなる。
二幕三場の最初の課題では、防音室で『ベルガマスク組曲 第三曲 月の光』を弾く。人前では震えることはない。音楽を続けたいと母に話すも、普通の生活ができなくなる方が嫌だからと協力を断られる。
四場の重い課題では、運命を聞いていると、コンクールで優勝を競い合っていた神崎美琴が転校してくる。
五場の状況の再整備、転換点では、美琴からコンクールに出なくなった理由を聞かれ、フォーカルジストニアになって一年、親に楽器を辞めるよう言われたと話す。彼はソロばかり演奏しているという。演奏できる人が羨ましいと思う。
六場の最大の課題では、美琴のソロコンサートに呼ばれる。『後悔と決心』の曲前に「何もせず後悔するより、出来なくてもやるという決心をした方が良い」の彼の言葉から、音楽に携わりたい思いを彼に打ち明け、彼の言葉でまた音楽を楽しめると笑う。
三幕七場の最後の課題では、調律師として就職するも地震に見舞われる。助かったが右腕を失ってしまう。嘆く彼女に美琴は義手をつけることを勧め、作曲家になりたい彼は楽譜を書き起こしてほしいと告げ、ずっと一緒にいたいと告白される。彼女も彼とずっといたいと答える。
八場のエピローグでは、彼の音を五線譜に書き、ときには提案もし、一緒に食事する幸せな生活を過ごしていく。
書き出しは、主人公のセリフからはじまっている。
「 」ではなく『 』なので違和感があるが、主人公は唇の震えがでてきてしまうため、他人とは違うことを表すためだと想像する。
「友達はいない。だから誰かと話すこともない」
中学から病気が発症して音楽から離れることとなって高校に通い出したため、今まで仲良くしていた音楽仲間や友達とは離れることとなり、別々の学校へ進学したから、顔なじみもいないし、クラスメイトとも仲良くなろうとは思わないから、ずっと一人で過ごすことを主人公自身が選んでいるのだろう。
本作には、いくつか曲が流れてくる。
大きな言葉を使っている印象がある。
曲のタイトルを書かれても、知っている人は曲が頭の中に浮かぶかもしれないけれども、読者のすべてが音楽に詳しいわけではないので、どんな曲なのかがわからない。
キャラや音楽について、読者に届ける配慮が足らないかもしれない。
主人公の音奏は、『アルメニアン・ダンス パート1』や『アルルの女より メヌエット』のどんなところが好きだったのか、自分が演奏したパートなど具体的に明示し、吹けていた当時はどんなふうな印象や感情を持っていたのかを描いてから、病気で音楽から離れた現在、かつて好きだったものはどんなふうに聞こえているのかを比較するように描くことで、大好きな音楽から遠ざかっている苦悩が読み手により伝わるのでは、と考える。
レコードで音楽を聞いているのがすごい。
CDなどではないのだ。
レコードはデジタル音源とはちがい、アナログ音源。音が柔らかいとか温かい印象がある。
感覚的なものだけれども、音楽が好きな主人公はそれだけ音にもこだわりを持っていると感じる。
唇や指が震えるからといって、耳がおかしくなったわけではないので、これまでのように音楽は聞けるのだろう。
父親は世界中を飛び回っているけれども、母は音楽大学の孔子をしているので、自宅には帰ってくる。
忙しい時は家を留守にすることもあるだろうけれども、「お互い顔を合わせるのは半年ぶりくらい」というのは、同じ家に暮らしていてあるかしらん。
あるのだとしたら、互いに相手を避けていた場合である。
「お母さんは私がフルートを吹けなくなったことが辛いだろうと、音楽の話を避ける癖がある」「帰りが遅くなるのは、私のいる家でピアノを弾かないようにするため。いつも大学で練習してるみたいだ」
主人公は避けてほしくないと思っていたとあるけれども、学校で一人で過ごしているのを見ると、かまってほしいけれどもある一線以上は踏み込んでほしくはないと、心の何処かでは思っているのが、無意識に態度に出ているのだと思う。
そんな態度が、母親としてもしばらくそっとしておこうと思ったのかもしれない。
また、母親も、どう接して良いのかわからないというのが本音だろう。父親は海外へ行き、娘のことは任せたみたいなことをいわれたのだろう。かといって自分は大学で多くの学生の指導をしながら、コンクールにも出場しているみたいなので自分の練習もしなければならない。
娘も高校生になったのだから、自分のことは自分で考えてもらうためにも、距離をとっているのかもしれない。
防音室のピアノが調律されていない。
のちに、調律師になる伏線になっているのかもしれない。ほかにも、『ううん、多分、人前で演奏したら、ピアノも弾けないと思う』とあり、人前でなければ弾けることを示唆している。
美琴に出会う前から、目指す先が近くにあったのだ。
彼の演奏で、最後の曲に込めた思いを語るところが実に良かった。
「年齢的なことで言いますと、まだこれから先が長いから今やらなくても大丈夫。もしくは、もういい歳だからきっとできないだろう。そうやって諦めて後悔すること、先延ばしにして後悔すること、あると思うんです」
パウロ・コエーリョの『アルケミスト』が思い出される。
若い頃は夢見ることも自分の人生におこってほしすべてのことに憧れ、恐れない。が、時が経つうちに運命を実現するのは不可能だと思い始める。自分の夢見ることはいつだって実行できることに気が付かなくなってしまう。
前兆に従って生きることを忘れてしまうからだ。
「ある人に伝えたいことがあって、でもその人は突然僕の前から消えてしまって。結局伝えられずに後悔したんです。もっと早く、言おうと決心していれば。と」
神崎美琴は、転校して音奏と再会し、以前は伝えられなかったことを伝えようと思った。
でもその前に彼が伝えたのは、「何もせず後悔するより、出来なくてもやるという決心をした方が良い」だった。
彼女を立ち直らせようとすることを優先したから。
主人公が彼の言葉を聞いて、気づくところが良い。
「お母さんにダメだといわれて、諦めてた。音楽は続けたいのにそれを諦めて、何とかして続ける方法を探せばいいのに、探そうとすらしてなかった」
親に駄目だと言われて、そうなんだと従うのは子供であり、優等生の発想である。もちろん、正しい場合もあるので年長者の意見に耳を傾けることは大切で、自分のことを親身に思ってくれるのはこの世では親しかいないので、駄目と言われたらそうなんだと諦めるのも無理もない。
でも、親や医者や大人は神様ではない。
自分の人生を、望む道へと誘ってくれるわけでもない。
人はだれでも、悲劇に見舞われる。
神はこのとき、質問を投げかけてくる。
「なぜお前は、そんなにも短く、苦しみに満ちた一生にしがみついているのだ? お前の苦闘の意味は何か?」と。
答えられない人は諦める。
過ぎた過去に取りすがり、嘆き悲しみながら、一生を過ごす。
でも、存在の意味を求める人は、自身の運命に挑戦する。
主人公の音奏は、音楽を続けたいのに親は探そうとしてくれなかった。だから、自分で探そうと、美琴の言葉に発奮したのだ。
やる気を出した彼女に、「みーくんはニヤッと笑った」とあり、彼は嬉しかったに違いない。
美琴の言葉から、「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」という言葉を思い出す。
完璧を求めていたら、あっという間に年寄りになってしまう。今できることをするからこそ意味があり、価値が生まれる。誰しも今を生きているのであって、過ぎた過去ではなく未だ訪れない未来でもないのだ。
済んだこと、起きたことに後悔し悲しんでも、何の役にも立たないし有害ですらある。無駄に考え、無駄に追求し、一度しかない人生を浪費するだけ。哲学者スピノザ曰く、「後悔することもまた罪である」と。
調律師として就職後、事故に見舞われて肘から下の右腕をなくして嘆く彼女に「やっと起きた、よかった」「右腕、義手つけるのを勧めるって」という流れが良い。
もうすぐ小説のまとめだから展開が早いだけではなく、彼は主人公の彼女に希望を見せたのだ。
辛いことが起きた人間は、絶望の中にある。真っ暗闇の中にあり、出口なんてみえない。そんな状況だからこそ、明るい方、希望を見せて再び立ち上がらせようとした。
そのためには、自分がどうなりたいのかを具体的に明示することが大切になってくる。
義手にしたら、指先の震えもなくなる。それに調理師の仕事も続けようと思えばできるはず。
彼は自分の楽譜を書き起こすことを手伝ってほしいという。
でも本当に伝えたかったのは、彼女と一緒にいたい気持ちだった。
ソロコンサートのときに「ある人に伝えたいことがあって、でもその人は突然僕の前から消えてしまって。結局伝えられずに後悔したんです」というのは、音奏が好きだという告白をしようと思っていたのだと思う。
コンサートで優勝を競い合っていたころから、彼は彼女のことを思っていたのだ。
彼女が五線譜に音符を書いているけれども、利き腕はどちらだったのかしらん。右だったら苦労する。
筋電義手というものがある。腕が欠損した人たちに装着すると、自分の意志で手首や指を本当の手のように動かすことができる。筋肉が発する微弱な電気信号をセンサーで感知し、制御マイコンやモーターなどのメカニズムを駆使して生活に必要なさまざまな動きができるという。
また、スウェーデン・チャルマース工科大学のマックス・オルティス・カタラン教授らの研究チームが開発した義手は、骨格に内臓されたAIが人間の意思で発生する電気信号を認知し、時間差はあるものの指を一本ずつ動かすことができる。
『義手楽器』というものや、義手のバイオリニスト奏者もいる。
義手でも、演奏できるかもしれない。
読後、幸せになってよかったと素直に思える。
『からっぽ』というタイトルが気になる。
病気で楽器を演奏できなくなり、からっぽになった彼女が、辛い目に会いながらも幸せな日々を掴み取る話。
なぜ、タイトルが『からっぽ』なのか。
他のにしても良かったのではと考えたくなる。
ところで楽器は、中身が空洞だからこそ、良き音を奏でているのを、聡明な方々はご存知だろう。
また、演奏者自身も楽器であり、管楽器をやっている人なら「ブレスが大事」「常にフルブレス(最大限の呼吸)」を知っている。
深いブレスができるようになってくると、肺を中心とした体の内部も同時に響いているので、音も良くなる。
いかに空洞部分である、からっぽが大切なのか。
そう考えると、なかなか良いタイトルかもしれないと思える。
ともあれ、二人の幸せな毎日がこれからも続くことを願う。
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