例えば明日、この世にさよならを言うとして

例えば明日、この世にさよならを言うとして

作者 明松 夏

https://kakuyomu.jp/works/16817330661337343651


 両親のためにも頑張って練習してきた鈴木優香は、吹奏楽部の夏のコンクールメンバーに選ばれず、有紗の方が実力が上だと思い知らされて音楽を嫌いになりかけるも、亡母の友人である氷室に陰ながら支えられ、浜江市農業祭の演奏メンバーに選ばれる話。


 ヒューマンドラマ。

 いつだって誰だって、自分は独りで寂しいと思い悩むけれども、昔からずっと側で応援して見守ってくれている人がいることに気づかせてくれる作品。

 美味しい抹茶ケーキが食べたくなる。

 

 主人公は、吹奏楽部強豪校の浜江中学二年生の鈴木優香。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。人物の描写はそれほどないがが、状況や風景、心情に合わせた描写はされている。


 吹奏楽部と主人公とは絡め取り話法で作られ、全体的にはメロドラマと女性神話の中心軌道に沿って書かれている。 

 主人公の優香が小学三年生のとき、子供を生んだときからすでに悪くしていた心臓の病気の悪化で亡くなる。両親は仲がよく大事に育ててくれたし、母がなくなったあとも父は男で一つで大病を患うことなく成長した。

 親孝行をしたい考えから、立派に育ててくれた両親に金銭的援助をするためにも、海外コンサートでピアノを引いて活躍していた母のように自分も海外に出ようと、毎年夏のコンクールで金賞をかっさらう県内では有数の吹奏楽部強豪校の浜江中学校をわざわざ受験して入学、夏休みだろうが必死にコンクールの練習をした。が、友達の有紗は呼ばれるも自分は先生に名前を呼ばれず、挙句腹いせに大事なトランペットまでも片付けずに教室を出てしまう。

 泣きながら汗だくで走りながら、郊外から少し逸れた田舎に近い土地で経営している「満カフェ」に入る。かつて母と一度だけ訪れたことがある。以降、独りで二年、通い続けている。今年四十になる店長の氷室と二人の空間で、満カフェの看板メニューの抹茶ケーキを食べた。

 帰宅後、数学のプリントをしていると父も帰宅。音楽の道に進み、両親に感謝の気持ちを精一杯伝えるためにわざわざ吹奏楽部が有名な近江中学校を受験して入ったのにメンバーに選ばれなかった自分を責め続けると泣きそうになる。が、キッチンに立つ父には見られなくなくて唇を噛み締めた。

 県内有数の強豪校を名乗るにしては、吹奏楽部の人数は少ない。加えて三年生が圧倒的に多いため、来年度の新入部員がそれを下回れば、間違いなく演奏の質は落ちると言われている。そのため、顧問の仁井先生は新入生を誘い込むため、何やら策を練っているらしいと同じトランペット担当の友だちが教えてくれていた。

 コンクールに選ばれなかった主人公は翌朝、せめて一般公開される文化祭のコンクールメンバーに選ばれたいといつものように学校へ足を運ぶ。と、八つ当たりして大事なトランペットを放ったらかしで帰ったことを思い出す。「私もたまに忘れるから大丈夫だよ」友達の有紗が片付けてくれていたことを知り、自分の意地汚さが浮き彫りにされるようで彼女を直視できない。先生から文化祭でやる楽曲の楽譜をもらうと、集まり始めたコンクールメンバーの間を縫うように学校を出て坂道を駆け下りる。汗と涙がまじりながら、コンクールメンバーに選ばれなかったこと、有紗の実力が自分より遥かに上ということ、敵わないかもしれないと決意が揺らいだ心の弱さが悔しさを作り出していく。

 満カフェに行き、氷室に「私ね、音楽好きじゃなくなっちゃった……っ」嗚咽混じりに発した。特別サービスといってカフェラテを出され、主人公は彼女に気持ちを話す。「優香ちゃんがそこまでして音楽を続けようと思ってた理由は何だったの?」聞かれて、ピアノが美うまかった母は持病が悪化してと話しだしたとき、母の一番好きなバッハの『メヌエット ト長調』が流れ出す。簡単な曲がなぜ好きなのか聞くと、不器用ながらも父が母に弾いてくれた曲でそのあとプロポーズを受けて結婚したことを教えてくれたことを思い出す。

 自分がどうして音楽の道を進もうとしたのか。愛と思いやりで母を笑顔にした父のようになりたいと思ったからだった。

「音楽、やっぱり大好きです。さっきの言葉取り消してもいい?」と氷室にいうと、好きにしなさいなと笑った。

 夏休みが明けた九月、ある日の午後六時。部活を終えて音楽室から立ち去ろうとすると、突然先生に呼び止められる。夏休み中、一回だけこなかった日に渡せなかったと、浜江市農業祭での発表用の楽譜を渡される。新入部員獲得のためにお祭りで演奏を披露することにしたという。

「これ、先生が選んだ人しか出てないのよ。全員出したかったんだけど、ステージがそんな広くなくてね。もうちょっとデカかったらみんな入れたと思うんだけど」と伝え、会議がある先生は慌てて去っていった。 

 急いで坂を降りて満カフェへ行き、「浜江市の農業祭で演奏するメンバーに選ばれました!」氷室に伝える。店内にいた沢山の人がいて、励ましや見に行くねという声をもらう。氷室からはお祝いだからと特別にチョコソースのかかった抹茶ケーキを体をくねらせて食べた感想を伝えると、「だから何なのその動きは……。本当、お母さんによく似てるね。優香ちゃん」と氷室はいい、母と高校時代の友達で、娘が生まれてすぐに先は長くないと悟ってたのか、娘が行き詰まったら助けてくれと頼んでいたことを話す。「本人が言うには、優香ちゃんはきっと音楽の道に進むだろうから、それ関係で困ってそうなときは何か後押ししてやってくれってさ」

 母がなくなったことも知っていたが、バレないよう支えてほしかったらしいことを教えてくれた。おかげで、これまでのことが氷室なりの支えだったのかと納得する。

 昔も今も、先ほどの客たちに限らず、ずっと応援されていた。自分を応援してくれる人の声がきこえる、母と一緒に食べた思い出の抹茶ケーキの味を、人生が終わるまで忘れはしないと思うのだった。


 三幕八場の構成で作られている。

 一幕一場のはじまりは、コンクールメンバーに選ばれなかった優香は、トランペットを出したまま学校を飛び出し満カフェに駆け込む。二場の主人公の目的では、抹茶は嫌いなのに氷室さんのつくる抹茶ケーキは大丈夫なので食べる。

 三場の最初の課題では、小学三年生のときに心臓の病気で母をなくして父と二人暮らし。音楽の道に進み、両親に感謝の気持ちを精一杯伝えるためにわざわざ吹奏楽部が有名な近江中学校を受験して

入ったのに、コンクールメンバーに選ばれなかった自分が不甲斐なく、父に涙を見せられず唇を噛みしめる。

 四場の重い課題では、一般公開される秋の文化祭で多くの人に目に止まりたい、今度こそメンバーに選ばれたいと楽譜を貰いに来た優香はトランペットを終い忘れていたことに気づく。友達の有紗がアタ付けてくれていた。集まり始めたコンクールメンバーとすれ違うように走って下校し、悔しさに泣きながら満カフェに駆け込み、「私ね、音楽好きじゃなくなっちゃった……っ」と泣く。

 五場の状況の再整備、転換点では、特別サービスのカフェラテを飲みながら事情を話すと、そこまでして音楽を続ける理由を聞かれ両親を喜ばせたいからとおもったとき、母の好きだったメヌエットが流れる。

 六場の最大の課題では、ピアノを弾いたことない父が不器用にメヌエットを弾いてプロポーズして結婚したからだと話していたのを思い出し、母を笑顔にした父のようになりたくて音楽をしていることを思い出し、「音楽、やっぱり大好きです。さっきの言葉取り消してもいい?」と涙ながらに伝え、好きにしなさいと言われる。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、夏休みが終わった九月、文化祭の楽譜とは別に、浜江市農業祭で演奏する楽譜を顧問の先生から渡される。ステージが小さいため、先生が選んだ人しか出ていないことを告げられる。メンバーに選ばれたことを喜び、氷室に伝えにいく。そこには、何人ものお客さんがコーヒー片手に微笑ましく見つめていた。

 八場のエピローグでは、お客たちに演奏を見に行くから頑張ってと励まされる。お祝いの特性抹茶ケーキを食べながら、体をくねらせるとお母さんに似てきたと言われる。氷室は母の高校時代からの友達で、病気で長くないと悟ってから、音楽の道に進む娘が困っていたら後押ししてほしいと頼んでいたことを話してくれた。自分を応援してくれている人は今も昔もそばにいることを知り、母と一緒に食べた抹茶ケーキの味を一生忘れないだろうと思うのだった。


 構成はいいし、メンバーに選ばれることと、主人公の優香に起こるさまざまな出来事がうまく絡み合いながら展開し、最後ひとつに結実する作りが非常に良くできている。


 書き出しが、主人公が気持ちを吐露したところからはじまっている。夏のコンクールメンバーに「また」選ばれなかったことを指している。つまり、優香は中学二年生なのだ。

 一年生のとき、メンバーに選ばれずに頑張って練習してきたけど、二年生も駄目だった。

 三年生の人数は多いらしいけど、卒業すると、新一年生の入部数によるけれども、質の低下は否めないと噂されているとあるので、二年と一年の人数が少ないだけでなく、演奏の出来がもう一つ伸び悩んでいる生徒が多いのではと考える。

 そのうちの一人が、主人公の優香なのだろう。

 

 学校を出て下り坂を歩きながら、数分前の音楽室でのことを回想している。先生の台詞から始まる回想部分を先にもってくる書き方もできるし、その書き方のほうが読み手としては楽によみすすめられる。けれども、そんな書き方をすると本作が吹奏楽部の話になってしまう。描きたいのは鈴木優香の反しだから、彼女の「また、ダメだった」と吐露する部分から書き出す必要があるのだ。


 トランペットを出したままで音楽室を出ている。

 吹奏楽部に入部するにあたって、自前で購入する場合もある。

 主人公は親の影響もあって、音楽の道へ進むと決めているので購入している可能性が高い。中学で終わるならいざしらず、高校に進学しても続けるつもりで初めたはずなので、長く使えるトランペットを購入していると考える。

 そうすると、二十万くらいする。

 父と子の二人暮らしだし、安い買い物でもなく、お年玉や小遣いの前借りで購入したであろう。だとすると並々ならぬ決意をしたに違いない。コンクールメンバーに選ばれなかったからといって、「あのメンバーの誰かが少し困ればいいと、ほんのちょっとの嫌がらせのつもり」で片付けもせずに置いていくだろうか。

 そう考えると、優香の使っていたトランペットは自前ではなく、学校の備品だったにちがいない。

 だから、嫌がらせのように出したままにできたのだ。


 母親はピアノを弾いていたので家にピアノはあるはず。ピアノの道を選ぶこともできたのに、吹奏楽部のトランペットを選んだのはどうしてだろう。母ほどの才能はないと思ったのか、ピアノを弾くと亡くなった母を思い出して悲しくなるからか。

 どちらかといえば後者だと思うけれども、別の可能性を考えたい。

 幼い頃、母のピアノに合わせておもちゃのラッパを吹いた事があったかもしれない。母とまた合奏をしたい思いがあって、だからピアノとは違う楽器を選ばせた、と勝手に想像する。


 走って立ち止まった際、「汗で滑りの良くなった手のひらのせいでさながら芸人のようにズルっと体が傾く」とある。

 芸人の比喩なく、素直に書いたほうがいい気がする。

「炎天下の中、汗だくで走りつづけたせいか、ひどく喉の渇きを覚える。息を整えようと膝に手をついたときだ。ズルっと滑って体が前のめりによろける。慌てて踏ん張ったとき、太陽に照りつけられて鮮やかに輝く汗が二、三滴、灰色のアスファルトに染みを作った」


「また来たの、優香ちゃん。お昼ご飯うちで食べなくていいの?」

 と氷室にいわれている。しかも「昨日も来たじゃない。連絡だけは入れときなさいよー」とも。

 夏休み、吹奏楽部の部活練習のために登校し、コンクールメンバーが発表され、その後練習が始まっていたので、各自お昼ごはんのお弁当は用意して登校しているはず。

 優香も持参しているのではと考えると、二人の会話がモヤモヤする。この日は午前中だけで終わって、家では父がお昼を作って帰りを待っていたのだろうか。

 でも、父親は夕方に仕事から帰ってきている。

 父は仕事があったとみるべきだろう。

 それに、お昼近くに来店したのならお客さんがいるはず。

 メンバーの発表があったのは午後なのかもしれない。ランチの時間が終わった二時以降、満カフェに来店したとする。でも、昼ごはんを家で食べなくていいのと問われて「いいの」と答えている。

 もし、すてに食べ終えているなら、食べたことをいうはず。

 なんだかモヤモヤする。


 抹茶ケーキだと、抹茶の粉末を五グラム程度。カフェイン量としては二〇〇ミリグラムを超えないと思う。とはいえ糖質も高いし、お腹が膨れると日々のご飯が疎かになるので、ほどほどにしてほしい。 


 抹茶ケーキの描写にはこだわりを感じる。

 いかに主人公が好きなのかがよく伝わるのは、まず遠景で窓の外の猫を描き、近景で氷室の食器洗いの場面を経て、胸中で主人公の心情、コンクールメンバーになれず落ち込んでいるのを描いてからの抹茶ケーキ作りの描写があるからだろう


 遠景から近景と、距離感を描いてから心情を描くと深みが増し、情景とともに語らうことで言葉も弾み、主人公が得た共感は読者の共感となって忘れなくなる。

 主人公にとって抹茶ケーキが重要だからこそ、作られては目の前に置かれ、食べる描写はよりよく描かれる必要がある。


 手作りなのはわかるけれども、抹茶ケーキは来客されてから作るのかしらん。作り置きしてショーケースにいれてあるものを提供するのでは。

 ちょうど抹茶ケーキがきれてしまっていたから、作ったのかもしれない。

 お祝いの抹茶ケーキが最後に出てくるのだけれども、作っている余裕はなさそうなので、このときは作り置きしているものを提供した思う。

 

 氷室さんの抹茶ケーキしか食べられないのはなぜか。

「どんなに甘いスイーツでも抹茶が入っているだけで食べられないし、本場のお抹茶なんてもってのほか。おそらく、苦いものが無理なんだろうなと朧気に理解はしている」ところから、抹茶の使う量は関係ない。

 ちょっとで抹茶を使っていたら、苦ければ、食べることができない。それでも氷室さんの抹茶ケーキを食べられるのは、本人は「ただ単に好みの話ではなくてもっと違う、特別な理由があるのだと心の奥底で謎の確信を得ている」という具合に、わからないといっているけれども、最初で最後のただ一度、母親と一緒に食べた思い出のケーキだからだろう。

 優香にとって、辛いときや悲しいときに抹茶ケーキを食べるという行為は、糖分摂取ではなく、母親に慰めてもらう代用としてだから、氷室さんの店でしか食べることができないのだ。


 父子家庭で、一人勉強していたところに父が帰ってきて、肉じゃがを作る場面がある。優香は作らないのかしらん。

 二人しかいないのなら、作ってもいいのに。

 書かれていないだけで炊飯器でご飯を炊くとか、洗濯物を畳むとか、そういうことはしているかもしれない。

 

 片付けられていたトランペットを、「もうこんなことはこれきりにしよう。大切な大切なトランペットをキュッと抱きしめ」て反省するところは実にいい。

 

 有紗はいい子だと思う。

「先生に見つかる前に片付けといたよ!」と、気を回して片付けておいてくれたから。


 練習するために楽譜をもらって帰る。楽器は学校に置いたまま。

 楽譜の暗記はできるけれど、演奏の練習は出来ない。自宅に楽器があるようにも書かれていないので、どうやって練習をするのだろう。

 有紗は「私もたまに忘れるから大丈夫だよ」といっているので、学校の備品であるトランペットを使っていると思う。でも、主人公よりも上達しているところを考えると、ひょっとすると練習用のトランペットが自宅にあるのかもしれない、と考えたくなる。

 

 母親が存命中に満カフェに来店していることも考えると、優香は無理いって強豪校の近江中学に入ったといているけれども、家から通えるくらい近くに中学校がある場所に住んでいたのではと考える。


 氷室さんが、特別サービスと言ってカフェラテを出している。

 でも、出されたのは温かいカフェラテ。前日は走ったとは汗をかくほど暑い夏で、今日も「熱されたアスファルトの坂道を駆け下りる」「じわじわと出てきた汗」という具合に暑い。

 温かい飲み物を出して落ち着かせようとする気持ちはわかるし、暑いからといって急激に冷たいものを飲むのは体に良くないのもわかる。

 わかるのだけれど、暑い夏に汗と涙を流して心までくしゃくしゃになっている状態で飲めるかしらん。

 飲ませるにはベタだけれども、突然の豪雨に見舞われて温度が下がる状態にするといった演出をしてもよかったのではと考える。


 このカフェラテは無料だと思う。

 やはり、いつもの抹茶ケーキはお金を取っていると考える。

 最近は値上がりをしているので、抹茶ケーキ一つ五百円では食べられない。八百円すると考えると、中学生としてはかなりの出費と考える。

 そんなに毎日食べていたら、晩ごはんも入らない。


 優香の心情を「カバンの中には、ファイルにも何にも入れられずに突っ込まれた楽譜が、くしゃくしゃになって仕舞ってあった」という描写で表すところはいい。

 音楽の道を選んだので、音楽の象徴的楽譜がくしゃくしゃになっているところを描いて見せているので、優香の心も同じようになっていると読み手は感じ取れる。

 

 母親は海外のコンサートにも出ている。

 氷室さんがかけたバッハの『メヌエット ト長調』は、ひょっとすると母親が弾いたものだったかもしれない。

 コンサートに出ているので、CDを出しているはず。

 いまは、CDの音源からレコードを作ることもできる。

 落ち込んでいる優香を支えるために、こんなこともあろうかと、といった具合に氷室さんは準備していたのかもしれない。

 そう考えると、母親代わりである。

 ちなみに、氷室さんには家庭を持っているのかしらん。


 父親が「自分の好きな曲なんだ」といって、不器用に弾いてみせたのは、プロポーズするために陰ながら一生懸命練習したのだろう。

 未経験者なら、もっと簡単な曲もあるけれども、ここ一番の一世一代のために、父親の中では無理をすればなんとか弾けるかもしれない、といったレベルの高い曲が『メヌエット ト長調』だったと考える。

 この曲は、ピアノ教則本『バイエル』下巻に載っていることが多く、初心者向けの曲だともいえる。まったく弾いたことがない人がいきなり弾こうとするのは難しいが、一、二年続けた人なら、がんばれば弾ける感じ。

 男とは弱虫な生き物。だから、カッコつけたがる。好きな人の前ではとくに。だけど、なけなしの勇気を総動員して、一生懸命弾いて、告白したのだ。

 なんと立派であろう。

 そういう話を、母親は娘にしている。

 実に微笑ましく、なんと素敵な親子の会話。

 そのときの出来事から、「母を喜ばせたいと想いながら弾いたメヌエット。その中に込められたたくさんの愛と思いやりの気持ち。それらで母を笑顔にした魔法使いのように、私もそう成りたかったのだ」と思い、音楽の道を進もうと決意した。

 両親の思いを、娘である優香はちゃんと受け取って引き継ごうとしている。

 その音楽を諦めるのは、両親の思いを無碍にすることでもあると気づいたから、嫌いになるのを諦め、音楽が大好きになる。

 その先には、大好きな両親へと繋がっているから。

 気づいて立ち直っていく流れが素敵。


 氷室さんもかっこいい。

「好きにしなさいな」といって笑う。

 私の役目は終えた、という感じだったのだろう。


『浜江市農業祭での発表用』の楽譜を先生からもらったとき、「先生。渡す人には渡すって、これ全員で出るんじゃないんですか?」と、質問している。

 むしろ、夏のコンクールに出なかった子たちだけが出るのかを聞いたほうが良かったのでは、と余計なことを考えたくなる。

 それでも、浜江市の農業祭は一般が見に来るし、来年吹奏楽部に入ってくれる子達を集めるためにも重要なので、上手い人を選出するはず。

 そこに主人公が選ばれたのは、嬉しいことである。


 六時過ぎているので、夕方というか夜の時間、カフェが賑わっている様子が描かれている。この時間帯だと、お茶を飲みに来ているのではなく、食事に来ている時間帯だと思う。

 家で食事する人は、五時くらいには帰宅する。

 カフェは郊外にあるので、近所に住んでいる人たちが利用してきていると思われるので、一人暮らしされている高齢者が多いかもしれない。


「体をくねくねしながらそう感想を伝える」様子は、前半のときにも書かれている。ひょっとすると、満カフェで抹茶ケーキを食べるときは、昔からくねくねさせていたのだろう。

「本当、お母さんによく似てるね」から、母親もおなじような動作をすることがあった。

 おそらく、好きなものを食べるとき、母親もくねくねさせていたのだろう。

 身内以外で、そういうところを知っている氷室さんは、本当に母親と友達だったことがよくわかる場面である。


 お祝いとして抹茶ケーキを食べるけれども、晩御飯が食べられなくなるのではと心配になる。


 母親はよほど氷室さんを信頼していたのだろう。「優香ちゃんが産まれてすぐの頃にもう自分は永くないって悟ってたのかここに来て私にこんな相談を持ちかけてきたのよ」

 生まれたころだから、およそ十四年前。

 そのころから、自分の娘は「きっと音楽の道に進むだろうから、それ関係で困ってそうなときは何か後押ししてやってくれって」と頼むとは、先見の明があるというか、自分の血を引いているから同じ道を進むはずと思えたのか。

 凄いとしか言いようがない。


 読み前から、変わったタイトルだと思っていた。

 読み終わって、なるほどねと腑に落ちる。

 抹茶ケーキは比喩表現として描かれてきた。氷室さんの抹茶ケーキには、母親の代用と、母親と一緒に食べた思い出、最後は自分を応援してくれる人たちの祝福の願いが込められていく。

 これからの優香は、どんなに辛いことがあっても自分を応援してくれている人たちの思いを胸に、音楽の道へと邁進していくであろう。

 なんだか、美味しい抹茶ケーキが食べたくなりましたね。


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