ふゆの雪

ふゆの雪

作者 tiri

https://kakuyomu.jp/works/16817330661396559867


 中学から腐れ縁だった山野凪津が好きだった井澤ふゆは大学ニ年のとき、本気で恋している人々を「美しい」と思って描く斉川静と出会い、同性愛者同士、何でも話すようになる。自分らしく生きる静の卒業制作『ふゆの雪』をみて、作品に込められている想いに気づいたふゆは静の元へ駆けていく話。


 文章の書き方云々は気にしない。

 自分の思いをふせて生きてきたふゆは、静の絵をみて、自分らしく生きる決意をした作品。

 同性愛者の恋愛ものかしらん。

 全体的にふわっとした感じがある。


 三人称、大学二年生の井澤ふゆ視点で書きつつ、回想部分は井澤ふゆの人称なしと、斉川静の一人称、僕で書かれた文体による自分語りの実況中継で綴られている。

 恋愛ものなので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の流れに準じている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 中学からの腐れ縁で高校のクラスメイトだった山野凪津は、惚れっぽい性格をしていて何度も違う人を好きになっては失恋をくり返している。そんな凪津のことが好きな主人公、井澤ふゆはある日の昼休み、凪津に空き教室へ連れて行かれ、「多分、ふゆが好きかもしれない。恋愛として」と告白される。ふゆは否定したかったから否定し、凪津の抱いた感情は友達としても持てるものだと伝えた。

 高校卒業後、凪津とは別々の大学に進学し、大学二年になった今でも時間が逢えば会う仲だった。

 家の近くの公園で、松山夜という人物の絵を描いている斉川静と出会う。

 斉川静が高校時代、同じ美術部の先輩と一緒に絵を描くようになったある日、「静が綺麗だから、この景色も見れたのかもね」と言われて恋がはじまり、斉川静は「男でもあり女でもあります」「生物学的な性別は仕方なくても心はどっちも持っているんです」「先輩が好きになりました。付き合ってください」と告白するも、「ごめん、静がそうでも同性は好きになれない」と断られた。

 高校を卒業し美大に入ってからはジェンダーレスな身なりをし、好きなものを好きなように着るようになり初めて松山夜に出会い、本気で恋している人々を “美しい” と思ってペンを走らせる。絵画のコンクールで最優秀賞を取り、あと少しで最高傑作が描ける気がしていた。

 大学四年のとき、斉川静は井澤ふゆと出会い、自分と同じ同性愛者だった。会う度に互いに何でも話すようになる。

 三度目に会ったとき、斉川静は松山夜を描いておらず、公園の花を描いていた。松山さんを描かないのか尋ねると、「あの子はしおれてしまったんだ」と答え松山さんが失恋したこと、斉川静も失恋していたことに驚く。

 自分らしく生きる斉川静に凄いという井澤ふゆ。「僕が僕であるためだったからね。ふゆも好きに生きたらいいよ。結構楽しいから」「大学生になって、考え方が変わったんだ。型に囚われなくていいんだって」そんな斉川静に高校時代に出会いたかったと伝えれば、

あの時代が会ったから自分らしくいられるのであって、あのときの選択は間違ってなかったといわれる。「自分もあの時の選択が間違ってないって思えるような今を過ごしたいです」

 そんな井澤ふゆは、卒業制作の作品を見に来るよう声をかけられる。五カ月後、〇〇美術大学の卒業制作展を訪ね、斉川静の卒業制作を見る。雪が降る静かな雰囲気の中、傘を持ち、空を見上げる人の姿は中性的で、何かを待っているような絵だった。描かれた人物が誰か気づいたとき涙が溢れる。タイトルは『ふゆの雪』。作品にこめられた斉川静の想いに気づいた井澤ふゆは、会いたい衝動にかられ、斉川静へと駆け出していくのだった。


 登場人物には中性的な名前がつけられ、主語のない文章で書かれている。どんな人物かといった描写も削られているのか、意図的に性別がわからないようにしているように感じる。


 凪津には「なぎつ」とルビが振られている。が、主人公のふゆと対をなす名前として、「なつ」だと考える。

 それだと女性の名前になる。

 同性者の静は、「男でもあり女でもあります」と先輩に告げているので、静は男性だと考える。

 また「ふゆは僕と同じだった」とあるので、本作に登場する人物は男性だと推測する。

 言葉遣いは男っぽさを感るものの、会話のやり取りや行動、関係性から、作者がどちらを意図しているかわからないけれども、登場人物からは女性を感じる。

 凪津と夜は女子の中にいる男子っぽい子、もしくは男子の中にいる女子っぽい子だと思える。けれど、静とふゆは男っぽいけど両刀使いっぽい印象もある。それでいて、年齢差のせいか、ふゆには女の子を感じる。

 なので、静は男性の同性愛者、ふゆは女性の同性愛者なのかしらん。その辺りがはっきりしないこないので、モヤモヤする。


 本作は人称が変わる。

 一人称なのか三人称か、わかりにくい。

 冒頭の書き出しは、ふゆが思ったことなので一人称っぽい。

 読み進めていくと、「それを見ていると凄く松山さんを羨ましく思った。井澤ふゆ。ふゆには好きな人がいた。だから、静さんに想われる松山さんを羨ましく思った」となり、三人称だとわかる。

 冒頭から井澤ふゆを出してくれていると、読者としてわかりやすい。

 書き方が『one』と違う『two』からは、井澤ふゆの過去回想であり、回想が終わったあと静と話しているところも、ふゆの一人称で書かれている。『three』も過去回想ではじまって、コンビニに行こうとする途中公園に立ち寄って静と出会う三度目の様子へと繋がっていく。

『four』は、静の過去回想から現在にいたるまで続き、『five』に至っては、ふゆの一人称で書いていたと思ったら、三人称にかわる。


 一人称は、登場人物の思っていることが書きやすい反面、内的な声の多さと大きさが前に出やすくなる。

 意図的に人物描写を形容詞を使って表現しているので、どう不思議なのか、どんなふうに華やかで美しいのか、綺麗なのか、イメージしづらく、わかりづらい。

 そんな中で主語を省かれ、人称も変わり、抽象的でふわっとした印象を覚える。


 主人公の名前がふゆであり、本作タイトルや静の卒業制作の名前に『ふゆの雪』をつけたのも、作品世界をふわっとして真っ白で幻想的なものにまとめたかったのだと邪推する。


 山野凪津がどういった見た目の子だったかはわからなかったけれども、回想部分は読んでいても比較的わかりやすかった。

 

 失恋して嘆く凪津に、「じゃあ、自分じゃだめだろうか」いいそうで止めたタイミングで、数学の宿題をやってないことに絶望的な顔をする凪津をみて大笑いしてしまう感情の起伏さは面白い。

 宿題見せてと頼まれても「やだ」と即、返事をする互いのやり取りから、関係性がよく見えてくるのがいい。

 でもやっぱり、あとで見せたと思う。

 そうでないと、凪津がかわいそうに思えて仕方ない。


 凪津が「多分、ふゆが好きかもしれない。恋愛として」と答えたとき、なぜ「違う…と思う」と答えのだろう。「恋とはそこまで綺麗なものじゃないよ。そう言いたかった」とあるけれども、相手のことが好きなのに。

 凪津の感情は友達としても持てるもの、と告げたのはふゆの考えであり、ふゆ自身は同性に抱く感情を友情にすり替えて生きてきたことを表しているのだろう。

 ちなみに、惚れっぽい凪津は、同性と異性、どちらに好意を向けていたのかしらん。


 凪津が好きな人の話をしなくなったのは、ふゆを相談できる友人としてみなくなったからではと邪推する。だから、今もふゆを好きでいるのだと思う。

 あるいは、凪津としてはふゆに告白したつもりだったけれど、体よく断られてしまったので、失恋しつつも友達としては付き合っている感じなのかもしれない。


 静の先輩は、「静が綺麗だから、この景色も見れたのかもね」と意味深なことを言っている。それでいて、「ごめん、静がそうでも同性は好きになれない」と断っている。

 相手に気を持たせておいて、引っ掛けるようなことをするのは、いじっているようで関心できない。

 先輩としては、可愛い後輩として、気にかけていただけかもしれない。それなら、「静が綺麗だから」と抽象的な言い方はやめてほしいと、静は思ったに違いない。

 

 恋に恋するようになって、恋する人たちを『美しい』と思い、絵に描きつづけてきたことで自分の最高傑作へ近づいていく。

 嫌なことも辛いことも経験したことは無駄じゃないといえる生き方は、素敵だ。

「あの時代があったから、今こうして自分らしくいれると思うんだ。後悔していないって言ったら嘘になるかもだけど、あの時の選択は間違ってないと思ってる」

 こういう言葉には実感がこもっていて、現実味を感じる。


 卒業制作を見に行くのは三度目に会ってから五カ月後なので、秋口くらいに静と会ったことになる。文章からは季節がいつなのかを感じられない。意図的かもしれない。


『ふゆの雪』の絵について、「雪が降る静かな雰囲気の中、傘を持ち、空を見上げる人の姿は中性的で、温もりを感じた。その人は何かを待っているような気がした。その人をどこか知っているような気がして、気付かない内に涙が零れていた。知っている。この人を。分かっている」と書かれている。

 作品タイトルからも連想されるように、おそらく主人公のふゆがモデルとして描かれているのだろう。


「この作品にはあの人の想いがこもっていた」とあり、作者である静の想いがこもっている。本気で恋している人を美しいと思って描いてきた静の絵なので、ふゆ自身が本気で恋している姿が描かれているはず。

 自分が誰に恋しているか気づいたから、「静さんに会いたい衝動に駆られた」のだろう。

 ふゆは静に恋をし、「ふゆも好きに生きたらいいよ。結構楽しいから」と教えられたから、自分らしく思うまま生きようと駆けだしたのだ。


 読み終わって、作品としては静かに雪が降りしきる中でもふんわりとして暖かいような幻想的な作品に思えた。自分の本当の気持ちをかくして生きてきたふゆは、自分らしく生きようとして、ようやく春を迎えた感じはよく書けている。

 人生はまっすぐ一本道ではないけれども、歩いてきた道を振り返ると、自分にしか歩めなかった一本道ができている。あのときの経験は決して無駄ではなかったといえる生き方を送りたいものである。

 

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