ねがい桜の約束

ねがい桜の約束

作者 暁 葉留

https://kakuyomu.jp/works/16817330660629856623


 震災で家族や故郷をなくした岩手県陸前高田市に生まれた緑川穂波と息吹は離れ離れに引き取られる際、どうしようもない寂しさから「夏に、二人で陸前高田に帰ろう」と約束、毎年帰省しては大好きな椿に会ってきた。十二年後の七月、再会した穂波は息吹に、悲しんでいた息吹を笑顔にするためについた嘘で作り出した幻影である椿と会うのを別れようと言い出すも、椿に依存してきた息吹は椿が見えなくなり、遺書を書いて死のうとする。振り回してきたのは自分だと気づいた穂波は息吹を探し、浜辺で見つけ、自分にも椿は見えていたことを伝え、これからも毎年この地に帰ることを約束。椿の髪飾りを桜門寺のねがい桜に奉納した話。


 文章の書き方云々は気にしない。

 東日本大震災から生き延びた人たちの今を取り上げた作品。

 震災から十数年の歳月が過ぎたことを実感するだけでなく、悲しみを尊ばず、生を説き、希望を広め、喜びを育んでいかなくてはならないことに気づかせてくれる。


 主人公は、高校三年生の緑川穂波。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。後半、椿の回想や穂波の思いが綴られた手紙の部分がある。

 日常から非日常へ行き、日常へと帰還する、行きて帰りし物語で作られている。

 椿や息吹の人物描写や、動作や行動なども丁寧になされている。


 メロドラマと女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 岩手県陸前高田市で生まれた緑川穂波と息吹は、親同士が仲が良く、五歳までの幼少期を共に過ごす。息吹はお母さんが大好きで、毎朝行き渋り、なかなか幼稚園のバスに乗ろうとしなかった。

 二人が椿と出会ったのは震災の一年前。百日紅の咲く季節、桜門寺の本堂の階段に腰掛けて鼻歌を口ずさんでいた。二人を見つけると、にっこり微笑んで「おいでおいで」と手招きした。いつしか二人は、幼稚園の放課後を椿のいる桜門寺で過ごすようになる。二人は椿が大好きだった。

 二〇一一年三月十一日、震災当日。祖母に自治会の集まりで公民館に午後三時に行くよう伝える椿。

 本堂の前で幼稚園から帰ってきた穂波と息吹と会い、今日あった楽しかったことや面白かったことなど話しをする。そのうち息吹がお腹がすいたと駄々をこね、「仕方ないなあ、コンビニ行こうか。和寿さんには内緒でね」と唇に人差し指を添える椿。二人は大はしゃぎで桜門寺の参道を駆け下りていく。お菓子を買い込み、椿がふとコンビニの時計をみて、「そろそろ迎えの時間かな」と呟く。外に出ると、手を伸ばせば届きそうなほど、近くに青い海が揺れていた。

「二人は桜門寺に行って。おばあちゃんを迎えに行った後、私も行くから」椿はそう言い残して二人と別れた。

 震災から一、二週間が経った。二人は津波が引いた後の街で椿を探し彷徨っていた。

 穂波は道路の隅に、見覚えのある髪飾りを見つける。しみ込んだ泥に透けてピンク色が見え、ところどころやぶけ原型はとどめていなかったが椿が身につけていたものだった。

「ほぉなぁみぃー、おいてかないでよお」

 突然走り出した穂波の後を、泣きそうな顔で追いかける息吹。

 避難所で毎晩寝ずにお母さんを待っていた二人がようやく会えたのは桜門寺で、変わり果てた姿で帰ってきたのを見て、息吹は泣いた。以来、泣いてばかりいる。息吹にはずっと笑っててほしかったから、「見つけたよ、つばき」咄嗟に嘘をつく。

 重さに絶えきれなくなった髪飾りが手から滑り落ちたとき、

「つばきっ!」息吹は叫んで穂波の横を駆けていく。その姿を追った先に「遅くなっちゃってごめんね。穂波、息吹」椿がいて、息吹は大泣きしながら飛びつく。

 落としたはずの髪飾りは、椿のポニーテールの結び目で煌々と輝いていた。佇む穂波に「ありがとう、穂波。私を探しに来てくれて」といって椿に抱きしめられる。

 穂波は群馬に、息吹は栃木へと移住し、離れ場離れになる。どうしようもない寂しさに泣いた。だから二人は約束した。『夏に、二人で陸前高田に帰ろう』と。

 中学校に入学した穂波はサッカー部に入り、高校はそのまま県下一のサッカー強豪校に進み、サッカー第一な生活を送っている。

 息吹は吹奏楽部に入ったあと、看護師になりたい夢をみつけて県内でも有数の進学校に合格した。

 今は眠れない夜はない。部活で疲れ、ベットに倒れた瞬間に熟睡の沼に引き摺り込まれる。他人だった叔母さんとも、長く過ごすうちにそれなりに心を許せる関係になれた。クラス、部活、委員会、塾。色んなコミュニティを行ったり来たりしながら、沢山の友達ができた。

 受験を控えた夏も、新型の感染症が流行り自粛要請がでた夏も、あらゆる静止を振り払って二人は故郷に戻って会ってきた。

 穂波は息吹に会える夏が楽しみだった。毎日数えながら布団に入り、笑顔を思い浮かべたら眠れない夜も悲しくなかった。

 震災から十二年後の二〇二三年七月。穂波は息吹とともに陸前高田駅からバスに乗り、市の南側にある海岸山桜門寺を目指す。桜門寺の本堂にたどり着くと、「つばき、ただいま‼」息吹が声を上げる。

 冬服のセーラーを服を着ている椿が、おかえりと声をかけてきた。「あら、今日の息吹のワンピース、とっても可愛い」「でしょでしょ!お母さんのお下がりで、お気に入りなの。なのに穂波、全然褒めてくれなくてさー」と話す二人。「穂波、可愛いと思ったならきちんと言葉にしなきゃ。思ってるだけじゃ伝わらないわよ」椿にちゃちゃを言われて、「はいはい、わかったよ」と適当に頷く。

 外出中の和尚の和寿さんが気を利かせてくれたのか、寝床として使う予定の和室はクーラーで冷え、ちゃぶ台の上には二本のサイダーが置かれている。椿に汗を拭くようタオルを差し出されるも、瓶に椿の姿は映っていない。

 三泊四日の日程の三日目の昼下がり。「受験生たるものこんなにだらだらしていていいのか」と息吹が言い出し、二人で勉強会をすることに。

 毎年のように「……あーあ、帰りたくないなあ」と呟く息吹。学校が楽しくないのか尋ねると、最近受験お話ばかりだからと答える。

 花火をしていないことに息吹が気づき、今夜すればというも「最終日の夜は和寿さんとパーティーって決まってるじゃない。絶対やる暇ないよ」と息吹の言葉にいつでもできるだろうと返そうとしたときだ。「ま、来年また三人で集まった時にやればいっか」と息吹は言う。

 来年は大学生になり今以上に会いづらくなるから今年で卒業してもいいのではと穂波は切り出す。「椿との大切な約束じゃん、夏にここで会おうって」という彼女に、椿と本当のお別れをすべきなんだと口にした。

 椿は本物だといい、穂波は十二年前の震災で死んでる、大人になれと告げて喧嘩になってしまう。

 大丈夫? と声をかけられる椿に驚く穂波。ずっといたよ、息吹は気づいていたと思うと椿はいった。

 夕食にも現れないため、「今の息吹の心を一番理解してやれるのは、昔からずっと隣に居続けたお前だけなんだから」和寿さんに言われた夜、穂波が持ってきた花火を一人でしている椿に穂波は声をかけ、幽霊か尋ねる。「昼間、椿はずっと僕らのとこに居たって言ったけど、確かに居なかったんだよ。僕には椿が見えなかった。でも、息吹は気づいてたんだろ。息吹には“見えていた“んだろ」

 椿に再会した夜のことを覚えているか聞かれる。

 椿は穂波が作り出した幻影だったはずなのに、たしかに目の前に現れたことを覚えている。

「あの時、私本当に嬉しかったんだよ」

 目も開けていられない光の中で、かすかにバイバイという声が聞こえ、途端、眠気におそわれた。

 目を覚ますと朝だった。かつて「ありがとう、穂波。私を探しに来てくれて」といった椿の声が頭に響き、夢なわけがないと、布団を蹴飛ばし飛び起きる。スマホ画面に午前四時五十分の文字が浮かんだとき、布団の隙間から息吹からの手紙を見つける。読んで遺書だと気づき、和寿さんから自転車を借りて探しに出かける。

 いまはバスターミナル駅として機能している陸前高田駅の駅舎に慰霊碑があった。そこに穂波の母親の名前も刻まれていた。

 手を合わせたあと、地面にへたり込む。

 あの日、椿がいると嘘をついて幻影に依存させ、今度は椿は死んだといって打ち砕く。彼女を振り回してきたのは自分だと嘆いたとき、ポケットから椿の髪飾りが転がり落ちてきた。

 震える手で掴み、あの夜と同じように幻でもいいから、君がまた目の前に現れてほしいと願って目を閉じれば、震災があった三月十一日の椿の記憶がみえてくる。目を開ければ、復興をしている街の様子が目の前にあった。

 復興をしていく街を見る三人の姿。これまで過ごしてきた夏の記憶を、髪飾りは映し出していく。

「幸せになってね、二人とも」と呟いた椿は陸前高田は綺麗で、復興していたことを見てきたのだ。

 自転車にまたがり、巨大な防波堤の後ろから朝日が昇る。『道の駅高田松原』が見えてきた。大きな防波堤を背に構えるその建物を目掛けて進み、息吹がいてくれと願いながら防波堤へ続く道をひた走る。

 白い砂浜に見慣れた桜色のワンピースを着た息吹がいた。彼女あ穂波の名を呼んだとき、駆け出して彼女を強く抱きしめた。「生きててよかった」

 怒らないのか聞く彼女に、「誰が怒ってないっつったよ。でも、僕だってお前の気持ちが完全に理解できないわけじゃない」といい、「椿は、いたよ。ずっと、ずぅっと、僕にも見えてた」と伝え、椿について知っていること、自分が作り出した幻影で髪飾りが魂を宿したこと、椿はずっと二人の幸せを願っていたことも伝える。

「いやだよお、つばき、私を一人にしないで……!」と泣きじゃくる彼女に 「ねぇ息吹。来年も、再来年も。何度でも、この地に帰ろう」といって小指を差し出す。穂波の願いは変わらず、息吹にずっと笑っていてほしいこと。

 椿が穂波に手を伸ばして抱き寄せ「いっぱいごめんね、穂波。……そして、ありがとう」頬に一瞬柔らかい感触を残して彼女は離れた。

 ようやくみれた息吹の顔を、穂波は焼き付けるのだった。

 参道を歩いて帰ってくる二人を見つけるなり、和寿さんは飛んできた。ひたすら謝った後、穂波の手首に巻き付いた椿の髪飾りをみるなり、「穂波、それ、『ねがい桜』じゃないか?」と、桜門寺に帰って本堂に案内される。

 大きな吊るし雛飾りが、桜の大樹のごとくそびえていた。

 桜の花を模した雛飾りのなかに震災で亡くなった方や行方不明の方に向けてメッセージを入れた一万八千五百五十個が集まり奉納されている【二度と散らない願い桜】だった。

 椿の髪飾りは巾着状になっていないが、飾っておくことに。 

 二人は手を合わせて拝み、「ばいばい、椿」「じゃあな、椿……また、来年」といって本堂をあとにした。


 三幕八場の構成で抱えている。

 一幕一場のはじまりは、寂しがり屋な穂波が結んだ約束を果たすために息吹と合う季節を迎えるも、昔ほど意味を持たなくなってきている。二場の主人公の目的では、幼稚園の頃から椿のいる桜門寺で過ごしてきた二人は、今年も三泊四日に宿泊する。

 二幕三場の最初の課題では、三泊四日の三日目の昼下がり、椿は十二年前に死んでいるからお別れをすべきだといい、高校も卒業するからおとなになれといっては息吹と喧嘩になる。

 四場の重い課題では、最後の晩御飯なのに喧嘩したまま。和寿さんは「今の息吹の心を一番理解してやれるのは、昔からずっと隣に居続けたお前だけなんだから」と言われる。一人で花火をしている椿に幽霊なのか尋ねると、再会した夜のことを聞かれて思い出しているうちに睡魔に襲われる。

 五場の状況の再整備、転換点では、目を覚ますと明け方で布団に入っていた。息吹の書いた遺書を見つけ、椿は生きがいで何でも話すことができたのに、いなくなってしまった今はどう生きていいのかわからず椿の元へ行くと書かれてあった。和寿さんの自転車にまたがり探しに出かける。

 六場の最大の課題では、母をなくし、故郷も死んで、大切なものはあの世にあるのにこの世界で生きる意味がわからなかった息吹だったあ気さくな転校生を演じ、愛されるほど虚しくなり、本当の居場所はここではないと思ってきた。毎年穂波と会い、存在しない椿とアイ、夢のような時間に依存してきた。以上だと思ってきてけれど、穂波に「椿は死んだ」といわれ椿が見えなくなり、ずっと椿ごっこに付き合ってくれていたと思った息吹。

 陸前高田駅の駅舎に慰霊碑があり、そこに母親の名をみつける穂波は、息吹を振り回してきたのは自分であり、だれか殺してくれ、と思った。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、ポケットから椿の髪飾りがこぼれ落ち、彼女が見てきた記憶が蘇る。幸せになってね、二人ともと彼女が願っていたことを知るとともに、復興していく街を目の前にしながら、椿が願ってくれたなら生きなきゃいけない、と自転車にまたがり漕ぎ出す。

 八場のエピローグでは浜辺にみつけた息吹に「生きててよかった」と抱きしめる。自分にも椿は見えていたことを伝え、穂波の作り出した幻影で、髪飾りに魂が宿ったこと、二人の幸せを願っていたことを伝え、毎年この地に帰ろうと約束する。桜門寺の本堂に奉納されているねがい桜と、椿の髪飾りがよく似ていた。二人は一緒に奉納し、また来年と別れを告げる。

 

 被災地の子どもたちに絵本を届ける『3・11絵本プロジェクトいわて』に十年間取り組んできた編集者の末盛千枝子氏の話に、震災後の保育園のおやつ時間での出来事がある。同じテーブルで食べていた男子が「お前のお爺さん大丈夫だった?」「大丈夫だった」「良かったね」と話していたのは三、四歳の子供だったという。

 子供によっては、自分の家が流されていくのをみた子もいただろう。

 また、次のような話があったという。陸前高田でのこと。信号のある交差点を車で運転していると、信号が青になったのに前の車が動かない。後ろで待っている人たちが運転手に「もう青になっているよ」というと、「いくら青になったって人がたくさん渡っているから行けないだろ」と。もちろん実際には誰もいないけれども、そういう話はたくさんあるという。

 本作を読んでそんな話を、ふと思い出す。


 冒頭部分で、どんな人が、いつ、どこで、なにをしているのかがテンポよくわかるような書き出しがされているところがいい。

 アナウンス、『……たかだえきー、次はー、陸前高田駅にとまりますー』から、物語の場所がわかる。

 次に「穂波、そろそろ着くよっ」「んぅ」で二人いることがわかり、一人は穂波という名前。

「頬をつつかれる感覚で僕は目を覚ました。ぼんやりする頭を起こせば、首が痺れるみたいに痛んだ」とあり、主人公は穂波で、アナウンスが流れるのだから、長い時間かけてバスか電車に乗ってやってきたのだろうと伺い知れる。

「隣に座る息吹と目が合う。ピンク色のラメの散った瞼が、うひひという声と一緒にきゅっと縮む」から、起こしてくれたのは息吹という人で、ピンク色のラメの散った瞼から化粧をしているので女子かなと想像がつく。

「うひひ」という声が、また可愛らしい。

 

 バスから降りる二人。いまは七月。

 主人公は群馬から岩手にやってきたことがわかるし、群馬は暑いけれども陸前高田は涼しいと気温もわかる。


 息吹が桜色のワンピースを着ているのは、椿が桜の髪飾りをつけているからだと考える。息吹はそれだけ椿のことを大切に思っているのが伺える。


 早い段階から、主人公たちの状況がテンポよく書かれていて、「さ、行きますか」「だな。……椿も待ってるし」と、知り合いに会いに来たのだと訪れた目的までわかるので、読み進めやすい。

 二人の過去と現在が説明されていて、さらにバスに乗って海岸山桜門寺へと向かう。

 

「“お寺の山門はね、あの世とこの世を分ける境目なんだよ“いつか、誰かにそう教えてもらったことを思い出す」意味深な言葉が挟まれている。

 この言葉を教えてくれたのは椿だろう。

 また、このセリフから、山門をくぐってからは、非日常が始まることを読者にさり気なく伝えている。

 実際に、毎年桜門寺で再会しては、楽しい時間を過ごしている。

 息吹の書いた手紙にも、「帰省して、椿と穂波と遊ぶこと。まるで夢のように楽しかった。いや、どこかで夢とは自覚していたけど、言葉通り現実離れした時間が楽しくて、気づけば私はそこに依存していました」とあるように、ここで起きることは現実とは異なっている。

 真夏の太陽の下、セーラー服を着た女子高校生の椿が現れ、冬服のセーラー服を着ているのに汗一つかいていなくても、非日常の世界だから問題ない。


 急に出てきたり、普通に話せていたり、汗書いたからとタオルを持ってきてくれたり、穂波の鞄から花火取り出して一人で花火をしても不思議ではない。

 後半、山門の外で椿の髪飾りが記憶を見せたり、別れ際に現れたりする部分に関しても不思議ではない。

 なぜなら十二年前、椿を探し歩いていた二人は、穂波の嘘から椿は現れたのだから。

 本作では、震災が起きた陸前高田では不思議なことが起きる場所、として描かれているのだ。


 サイダーの瓶に、椿の姿が映らないのは、死んでいるから。読者に、普通の人ではないことをさり気なく教えてくれている。


 二人は高校三年生で、今年受験を控えている。

 息吹は「最近受験の話ばっかりでさあ」と話すところにモヤッとする。

 進学校なら、高校三年の夏ではなく高二の夏から受験の話がでてくる。三年生になったら、すべてが受験の話になっているはず。

 

「僕ら来年から大学生じゃん、まあ大学受かったらだけど。どうせまたお互い引っ越しとかして、今以上に会いづらくなるだろ」と穂波はいい出している。

 大学生の方が、会いに行きやすくなる気がする。バイトをしているなら、会いづらくなるかもしれないけれど。

 問題があるとするなら、どこの大学へ行くか。

 西日本、九州や沖縄の大学に通っていると、岩手まで来るのは旅費が大変になってくる。できるなら、東北の大学だと、行きやすくなる。いっそのこと、二人が同じ大学を受験するなら動きやすくなるかもしれない。

 ただ、看護師を目指している息吹の目指す大学を、穂波が受験したいかどうかはわからない。

 サッカーが強い大学へ行きたいと考えてるかもしれない。


 椿が一人で花火をしていたのは、息吹が椿を見れなくなったからかもしれない。きっと椿は息吹のまわりをウロウロしたけれども気づいてもらえず、一人いじけて花火をしていたのではと邪推する。

  

 別れについて椿は、「それは大丈夫よ。何にだってお別れは必要だもの。そりゃ、少しさびしいけどね」と別れることに気にしていない。すでに亡くなっているので、いま会えているのはおまけみたいな、夢みたいなものだからかもしれない。

 穂波の嘘から生まれた幻影だし、息吹が必要だと思っていたから見えていたことから考えても、椿が二人の目の前に現れているのは、穂波と息吹が会いたいと思う気持ちがあるからなのだ。

 だから、椿としては、自分からは消えることができない。

 必要とされている二人に見えている。

 必要とされなくなれば消える。

 それだけのことだと、椿自身はわかっているのだ。

 だから、その時がきたから「時間だね」と椿は悟り、最後に二人の幸せを願う。

 その思いを伝えるために、穂波に記憶を見せたのだろう。もはや、姿を現せないほど透けてきていたのだろう。


 家族や大好きな人達、自分が住んでいた場所が奪われる経験は、滅多におきることではない。世界が一変するほどの変化は、あまりに衝撃的で、耐えるのはむずかしい。

 二人の父親は、多分助かったのだろう。

 だけど大好きな母親をなくし、椿もいなくなっては、息吹は悲しみに暮れるのは無理からぬこと。

 同じ体験をしている穂波は、息吹を笑顔にしようという思いがあったから、絶えられたのだろうけれど、本音は同じように悲しいはず。

 椿の髪飾りを見つけて、「見つけたよ、つばき」と嘘をついたのではなくて、寂しさから椿に会いたいと思い、みつけた髪飾りを椿と思ってすがったのだ。

 決して、嘘ではない。

 自分自身の寂しさに押しつぶされそうになる中ですがったときに奇跡が起きたと思いたい。

 そもそも、当時は五歳くらいだったはず。

 椿は女子高生だったから、十歳以上年が離れていて、大人に見えたと思う。そういう意味でも、二人は椿に甘えたい気持ちは大きかったのだろう。

 ただ、穂波も息吹のように椿は大好きだけれども、好きなのは息吹だから、会いたい気持ちの強さは息吹に劣っていたのかもしれない。

 それでも、最後まで椿が見えていたのが穂波なのは、椿を呼び出したのが彼だったからだと思う。


 慰霊碑に、母親の名前を見つける場面がある。

 亡くなったのは知っているはず。

 慰霊碑に刻まれているのを知らなかったのかしらん。

 不意に見つかった母の名前とともに、目の前に広がる更地をみて、震災でなくしたときの感覚や感情を思い出しのだろう。

 まさに「椿が居る」といわれ「椿は死んだ」と告げられた息吹の気持ちと対になって体験するためにちがいない。 

 改めて死を突きつけられた息吹が味わった悲しみと同じ感情を受けた穂波だから、息吹を振り回してきた自分が許せなくて「だれか僕を殺してくれ」と思うのだ。

 そのあとで、桜の髪飾りがポケットから出てくるのは、穂波を慰めるためだろう。

 同じように震災のあの日、椿はなくなった。でもその後、町は少しずつ復興していった。その姿を、椿と穂波と息吹は毎年の夏、見てきた。

 街は死んでいない。故郷はなくなっていない。そう気づけたから椿の「幸せになってね、二人とも」の言葉が胸に届いて息吹を探しに行けるのだ。

「でも気づいたんだ。過去は捨てるものじゃない。背負うものでもない。共に生きて行くもの」というところが、成長を感じる。

 穂波もつらかったのがわかる。だから、捨てようと考えた。

 だけども、

「どれだけ時間が経っても、傷は癒えないだろう。ふとした瞬間に思い出に引き戻されて、涙に濡れる日だってあるかもしれない。でもそれでいいんだ。それでいい。一度立ち止まっても、また歩き出せればいい。そうやって生きて、いつか生きててよかったと思える日にであればいい」と思い、あるがままの今を受け止めることにしたのだ。

 受け止めて、また歩き出す。

 そのくり返しの中で、「そんな人生を、君の隣で歩みたい」と気づいた。

 穂波は大人になったと思う。

  

 椿が抱き寄せて「頬に一瞬だけやわらかい感触を残して、彼女は僕を離した」のは、最後のお別れの挨拶かしらん。

 

 椿の髪飾りは、十二年前に見つけてから今までずっと、穂波がもっていたのだろう。毎回帰省するときにポケットにいれてきたのかもしれない。

 ねがい桜と、椿の髪飾りの類似性はどうしてかしらん。

 元々、髪飾りに使っているものが先にあり、それを願い桜に用いたのかしらん。

 地域の特産のものなのかしらん。


『二度と散らない願い桜』とは、東日本大震災で亡くなられた方々と行方不明の方々の御霊を祀るため、陸前高田商工会女性部が中心となって、二度と散ることのない布地の桜に「犠牲者への祈り・想いの言葉」を記した紙を入れたつるし飾りを普門寺に設置。二〇一九年四月二十四日に「つるし飾り」としてギネス世界一記録認定。

 これを元にしていると考えられる。


 読後、震災から十年以上も経過したのかと改めて気付かされる。同時に、物語の題材に使われるようになるほど、時が過ぎたのかと思いを馳せる。震災当時なら、体験談や思い出話などが主流だったはず。事実を元にした物語として扱われると、歳月の経過をより感じさせられる。


 大切な人をなくした子供は、後追いをしようと考えるのは個人的に覚えがある。

 それに、震災のあと、そういう話をよく聞いた。

 息吹の手紙の「お母さんは死んでしまったのに。故郷の陸前高田は死んでしまったのに。大切なものは、全部あっち側にあるのに。私がこの世界で生きる意味って何?」の部分は、実に身につまされる。

 大切な人をなくした悲しみは、十年経っても十二年過ぎても変わらない。

 それでも生きていくのは、生きる意味を探すため。

 一生答えなんて出ないかもしれない。

 でも人生の最後に、生きていて良かったと思えるような生き方をしていくことを切に願う。二人の幸せを願った椿の思いでもあるのだから。

 


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