途切れぬ願いを、今此処に。

途切れぬ願いを、今此処に。

作者 各務あやめ

https://kakuyomu.jp/works/16817330660504314565


 目の前で三女を事故でなくした安見怜香は現実逃避をしてきたが、誰も悪くないしどう生きていいかわからないけれど自分で悲しみを乗り越えたとき、誰よりも強くなっていると姉に励まされ、三女のことを笑って思い出せるその日まで生き抜いてやると誓う話。


 ダッシュは二マス云々は気にしない。

 家族をなくした者が、どんなふうに悲しみと向き合っていこうとするのか。その姿の一端が、自身と向き合いさらけ出すように描かれている。


 主人公は、安見怜香。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。最後は姉の一人称、私で書かれている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 主人公の安見怜香には現実逃避の癖がある。音楽を聞くのもそう。嫌だったことを物語にし、虚構の世界に彫り込むことで受け止めるよりも楽になれるから。姉に話すこともあれば話さないこともある。そうやって現実から逃げるのも姉に頼りきりな自分も嫌いだった。

 怜香の目の前で、一緒にいた三女が車にはねられて亡くなって以来、家族は三女の話をせず、現実と向き合うことは自分の心を殺す頃になると感じた怜香も話さず、現状から背を向けては音楽を聞き、眠れない夜を過ごしている。

 七時に起き、大学はどこに決めるのかと苛つく母に尋ねられる姉は食べ終えて、「怜香、昨日はちゃんと眠れた?」と聞いてくる。

 ほとんど眠っておらず、歯切れの悪い返事を返す。焼き上がるトースターの音とともに、母が大鈴を鳴らす音が重なる。

 テストが返され、「隣の席の子に、『私の点数とトレードしない?』って言われるんだけど、実はそう点数もよくなかったの」と、学校であったことを物語調にして姉に話す。「それでね、主人公は落ち込んじゃうの。でも、ずっと落ち込んでるわけにもいかないでしょ? 結果は散々でも、ちゃんと次に生かさなきゃ」

 姉は「その主人公には、勉強よりも体調を気にかけて欲しいかな、今は」と声をかけ、健康だと答えるも「不安定だよ、主人公は」といい、怜香のことだとは言わなかった。が、「不安定が悪いとは言わないけどね。人に頼ればいいだけの事なんだから。……でも、このままだと、いつか破裂してしまいそう」気遣う言葉をかける。

 三女が亡くなってから母の表情は固く、自分たちを育てようと、毎日の生活をなんとか守ろうと一所懸命で、仏壇に手を合わせては肩を震わせることも気づいている。だけど、母や自分、姉のせいでもない。誰のせいだろうと考える間もなく、走って登校する。

 昼食を食べながら、不登校のクラスメイトに陰口をいう女子たちから逃げるように教室を出、どうして三女が死んでこいつらが生きているのか、自分も壊れてしまえ、ここにいる資格なんて無い、みんな死んでしまえ、と心の中で張り叫ぶ。

 授業を受けても言葉は全て右から左へと流れてゆくだけの一日が終わり、校門を出た瞬間、ひたすら走り出す。

 帰宅して姉に、どうしてそんなに自分に優しくしてくれるのか、強い振りができるのか問いかける。姉は「わたしがあの時から思ってきたこと。ずっと思ってきたこと。わたしが、怜香を支える」「自分を責めないで。怒りで体を殺さないで。誰も悪くないという理不尽さを、わたしたちは認めなくてはならない」と語り、吸うん円長く生きているから冷静になれるとしながら「わたしたちは、生きなきゃならない」と説く。そんなこと知っているけど、どうやって生きていけばいいのかわからないと聞き返せば、わからなくてもいいんだと姉は笑う。わからないけれど、「あなたが乗り越えられた時。あなたは絶対に、他の誰よりも、強い人になれる」といわれる。

 だれにも答えはわからないけど、自分が見つけに行くことだけははっきりしている。三女を笑って思い出せるその日まで、どんなこととがあっても生き抜いてやると、両手を天にあげて誓うのだった。

 その姿を見ている姉は、この子の姉で良かったと思った。

 一人で泣いていたとき母に背中を擦ってもらい救ってくれた。だから今度は怜香を支えると決めた。

 妹の背を見ながら、数歩先に自分が、その先に母が、他にもたくさんの人が見てくれている。逃げたとしてもあなたらな向き合う雪を手に入れてその一歩先へいける。なぜなら自分を強くしてくれたのだから。

 そう思いながら姉妹は家に入るのだった。


 冒頭の話、書き出しがあまりにも静寂かつ平穏で、情景が淡々と描かれているため、物語のようであり、夢でも見ているような印象を受ける。


「現実はいつだって、容赦がない。――なんて嫌な物語だろう」

 とはじまり、「気づけば私の眉間には皺が寄っていた。はあ、と溜息を吐く。私はその物語を追うのを止めた」と続くので、主人公が呼んでいた小説の一場面を冒頭で描いて読者に見せていたのかという錯覚を覚える。


 主人公の死についての考えがいろいろ書かれ、イヤフォンを耳に入れては音楽を聞き、今度は「音楽は好きだ。音楽に身を任せている間は、何も考えないでいられる」と音楽の話から現実逃避のきっかけがほしくて音楽を聞いているだけかもしれないとモノローグで語られて、部屋を出ていく。

 次の場面では朝食を食べる様子が描かれているので、起きる前の出来事だったのかと考える。

 けれど、夢を見ていた様子はないし、小説を読んでいたわけでもない。嫌な出来事をお追い出しては現実逃避に音楽を聞いていたけど、朝食を食べに部屋を出てきたことが姉の、「怜香、昨日はちゃんと眠れた?」からようやく気がついてくる。

 ひょっとしたら、主人公は寝ていないのかもしれない、と。


 姉は母と大学の話をしているので、高校三年生なのだろう。

 主人公は姉と登下校の時間が違うので、おそらく中学生だと水槽する。

 この家には父親の影がない。

 母子家庭、あるいは単身赴任をしている可能性も考えられる。


「やがて、チーン、という音が、二重になって部屋に響いた。時間切れをトースターが私に知らせ、部屋の奥からは金属音が、振動して伝わった」

 はじめ読んだときわからず、モヤッとした。

「母が正座で両手を合わせるのは、同時だったようだった」というところから、はじめは父親が亡くなっているのかと思った。可能性はあるけれども、ここでは亡くなった三女に手を合わせているのだろう。

 主人公のパンを焼くという、間接的に関わりのあるところから亡くなった三女を匂わせていく描き方はうまいやり方だと思う。


「私は三回くらいかけて、答案用紙を小さく折りたたんだ」

 折り方から、本当に点数がわるかったと感じる。

 こういう何気ない仕草が上手い。


 事故にあった瞬間を目撃しているのは辛い。

「何度も何度も、私は自分に言い聞かせる。これは物語で、現実じゃない。だから、考えるな、忘れろ。そうしなきゃ私はもう生きていけない」

 考えるな、忘れろと自身に何度も言い聞かせながら思い出している行為が、さらに忘れなくさせているのだろう。

 つらい記憶がいつまでも残るのは、くり返し何度も思い出してきたからだ。

 思い出すことを忘れたら、やがて日常の雑事に紛れて思い出さなくなっていく。

 たとえわかっていても、肉親を亡くした事実を忘れることはできないし、もしあのとき自分が妹を止めていたらと考えるだけで、頭は勝手に記憶を呼び覚ます。

 これらのことから、亡くなってまだ日が浅いのがよくわかる。

 一週間とか十日とか、一カ月以内ではと邪推する。


 出かける前、母はなにを言おうとして呼び止めたのだろう。

「大丈夫?」と声をかけたかったのかもしれない。泣いた顔をしていたから。

 姉のときのように、声をかけたかったのかもしれないけれど、そのタイミングがなかなかないのだろう。大丈夫じゃないのがわかっているからそんなことを思うのであって、声をかけられても怜香は「大丈夫」としか答えることはできないであろう。

 そんな先を読みをし、母は何も言えなかったのかもしれない。

 

 主人公と母親は対になっている。

「まだ強張っていた。昨夜、自分は泣いていたのだと思い出す」

 と、毎晩泣いている。

 母親も、「あの日から、母が変わってしまったこと。母の表情はいつだって、どこか固い」とあり、娘たちの見ていないところで泣いているのだろう。

 

「走らなきゃ、走らなきゃ、走らなきゃ……」と言い聞かせて走るところが切ない。立ち止まったら、悲しみに打ちひしがれて動けなくなってしまうかもしれないから。

 遅刻しないようにではないと思う。

 動いていないと、泣きじゃくってしまうかもしれない。


 不登校のクラスメイトに対しての陰口が、辛辣である。

 飲み物を買いに行こうとしたとき、足を止めて話を聞いてしまったのはなぜだろう。

 ひょっとすると主人公も、女子か男子か気にしていたのかもしれない。不登校なクラスメイトを気にしているだけなら、話を聞かずに飲み物を買いに出かければよかったのに。

 ということは、主人公を立ち止まらせたのは、なくなった妹に通じる何かがあったと考えられる。たとえば、妹はボーイッシュだったかもしれない。

 そう考えると、腹を立てていく流れになるのもすんなり頷ける気がする。

 

 何気ないアイテムから、大切なものが壊れ、いままで秘められていた思いがあらわになる展開に入るところが上手い。

「姉の鍵に結びつけられたキーホルダー」はかつて妹が使っていた物であり、妹は事故で亡くなってしまった。

 大事に持っているところから長女は三女のことを大切に思っていることがわかるし、姉も悲しんでいるはずなのにどうして自分に優しくしてくれるのか不思議に思い、いままで口にできなかった思いを吐き出していく流れは、読者も一緒になって感情的に読めるところが良い。


「どうして姉は、あんなに優しいのだろう」とおもえるほど、主人公に気を使っている感じがする。とくに帰宅したときの「ちょうど姉が帰ってきた。姉は少し疲れた顔をしていたけれど、私を見るなり笑って部屋に入れてくれた」というところ、

 母親が子供の顔を見て笑顔みせるみたいな、大人な対応をしているように思える。

 しかも受験勉強で疲れていて、勉強の時間もあるのに、妹の話に付き合っては否定せず、気遣いをも見せている。

 三女が亡くなってひとりで部屋で泣いていた時、厳しいけれど同じくらい優しい母に背中をさすってもらって救われたから、今度は自分が妹を支えると決めたからなのだけれども、主人公の安見怜香が姉の気持ちを知るのは、当分先なのだろう。

 乗り越えて三女を笑って思い出せるまでになったとき、どうしてあの頃のお姉ちゃんは自分に優しくしてくれたのか、と尋ねたときに教えてもらえるかもしれない。


 悲しみに暮れている妹を支える経験が、母親と同じ大人の立場になれたし、悲しみと向き合う勇気を手にできた。

 だから姉は、「あなたこそが、わたしを強くしてくれたんだもの」と思えたのだろう。

 安見怜香が、悲しみと向き合って、三女を笑って思い出せるようになるには、困っている人に寄り添ったり助けたり、そういうことをしていく必要があるだろう。

 そうやって、互いに助け合いながら誰もが生きていく。読後、タイトルを読みながら、しみじみと感じた。


 本作を読んでいて、子供のときに事故で友達を、病気で幼馴染を亡くすなど、悲しみに暮れて絶望に沈んだときを思い出す。

 現実は残酷で、数歩先には主人公の母親や姉のような人はいなかったし、道中で助けてくれる人もなかった。

 だから私は自分で見つけ、救われるよりも困っている人たちに手を差し伸ばし続けた。誰かを助けることで自分が救われることを信じて。

 母親にしてもらったことを妹にする姉の姿を読みながら、主人公以上に悲しみを抱えているに違いないと思った。

 この悲しみは十年先まで続くかもしれない。それまでに安見怜香が、悲しみに向き合って、再び笑えるようになっていることを切に願う。

 

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