東京行きたい。

東京行きたい。

作者 春野カスミ

https://kakuyomu.jp/works/16817330662597057167


 喫茶店を経営する叔父の亮佑の元で生活している中学三年生の和泉沙奈絵は、父はお金に困って出ていったから、東京で稼げば親に捨てられることはないと考え、全寮制の女子校へ進学を決意。叔父や常連客の古橋さん、近所の佐々木のおばちゃんから愛されていることを伝えられるも、側にいてくれるだけで良かったと泣く。東京の進学が決まって出発するとき、亡くなった母の手紙を読み、いつも側にいた古橋さんが父だと気づき、どれだけ会いたかったかと思いを伝えたくなる話。


 人の思いは、直接会って態度と言葉で示さなければ伝わらないことを教えてくれている。

 やはり子供には、親が必要だし、愛情は欠かせない。

 考えるためには頭を働かせなくてはいけないけれども、体をある程度動かし、知覚に刺激を受けなければ気づくこともできない。その辺りがよく描けている。


 主人公は、中学三年生の和泉沙奈絵。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 メロドラマと女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 中学三年生の和泉沙奈絵は四歳か五歳のとき、母の香織に癌が見つかり、父の英佑は娘の養育費を稼ぐために単身赴任を決める。香織の大好きな街で娘には育ってほしくて、父の弟で小さな喫茶店を経営している和泉亮佑に娘は預けられる。その後母はなくなり、沙奈絵は叔父の亮にいの元で生活、ときどき店番の手伝いをしている。

 父に見捨てられたと考えていたが、きっとお金に困って出て行ったと考えが変わる。東京に行ってお金稼ぎ、素敵な家庭を築けばお金に困って子供を見捨てるなんてことは絶対にないだろうと思った中学三年生の夏、パソコンで全寮制の女子校を見つけ、頑張って勉強すれば特待生として入学できるかもしれない。

 過保護の亮にいに、東京進学は許してもらえなかった。そもそも高校に通うにはお金と保護者の同意が必要である。

 喫茶の手伝いをしていると、常連の古橋さんに東京進学を許してくれないと話す。亮にいとのやりとりをみて、本当の親子みたいだと言われる。

 頼まれた買い物の帰り、地元の花火大会のポスターが目にとまる。地元の小中学生は準備や手伝いに駆り出されることを思い出し、長いていると、近所の裏山に一人でクラス佐々木のおばちゃんと出会う。亡くなった香織に似てきたと言われ、花火大会を楽しみにしていると話す。

 喫茶店に戻ると、亮にいは「何で兄さんはお前を置いていったんだよ!」とぼやき、自分はいらない子だったと思われていたのだと泣きそうになる。誰にも必要とされて以内なら生まれてきたくなかったと泣きながら、東京に行って働いてお金返して叔父孝行するから捨てないでくださいと頼む。亮にいに抱きしめられながら、「俺には子供がいないから、だから俺、子育てとか全然、分からなくて。ずっと、寂しかったよな」と謝り、「俺が責任持って育てるから。沙奈絵を一人前にして見せるから。東京に、送り出してやるから」「古橋さんに、こっぴどく叱られたからな」という。

 幼馴染の黒岩彰人と花火大会の手伝いに駆り出されていると、古橋さんに「こいつ、金券目当てで手伝い来てるんだって」とバラされる。「ちがうって、余計なこと言わないでよ!」否定すると、

古橋さんは「ほんと、誰に似たんだか」と困ったような顔をした。

 花火大会の手伝いを終えて戻ると、佐々木のおばちゃんが畑仕事の最中に倒れ病院に運ばれたから見舞いに行ってやれと亮にいに教えらる。

 見舞いに行くと、「ちょっと心臓悪くしただけよぉ、英佑くんも大げさでねぇ、ほんと」と佐々木のおばちゃんにいわれる。「あら、違ったけぇ? 亮佑くんやったかなぁ」といい、父の名前を知り、なにか知っていないか尋ねる。「あんたのお父さんは、ちゃんとあんたを愛してるよ」と言って目を閉じる。安静にと言葉をかけてその日は帰った。

 翌日の月曜日、幼馴染の黒岩彰人が佐々木のおばちゃんに花火を見せてあげようと発案し、河川敷で花火を上げるよう町内会長さんへ相談しにいく。

 河川敷での行う準備が整った前日、古橋さんと病院のある高台にのぼって確認したとき、東京に行きたい話をする流れで、父はお金に困って出ていったのではと思うようになったと伝える。「もともと裕福じゃなかったけど、お母さんが病気で死んで、きっと娘の私は邪魔だったんだろうって。子供って養育費かさむし」

 古橋さんは否定し、「いらない子なんて思ってないよ、沙奈絵ちゃんのお父さんは。……僕には、妻がいて。もう死んでしまったんだけど」「彼女は子供が大好きだった。……約束したんだ。子供が生まれたら、不自由ないように育ててあげようって」「僕はきっと、沙奈絵ちゃんのお父さんも同じなんじゃないかと思ってる。自分の元にいたら、窮屈な生活を送らせてしまうだろうから。だから」と話す。側にいてくれるだけで良かったのに、と泣きじゃくる沙奈絵を、古橋さんは見ているだけだった。

 花火大会当日、佐々木のおばあちゃんと花火を見ながら、「ただ、そばにいて欲しかっただけなの。だからね、お父さんに会ったら言いたい。今までずっと寂しかったんだって。そして、これからは一緒にいようねって……」と伝えると、いい子だねといわれた。

 花火を見ながら、東京に行くとはこの町、自分の育った土地、大好きな人たちと離れることなんだとしみじみ思い、「ありがとうね……本当に、ありがとうね」と呟いた。

 半年後、志望していた高校に特待生として合格し、東京進学を勝ち取った沙奈絵は、玄関先で亮にい、古橋さんや彰人、佐々木のおばちゃんに見送りられる。亮にいから母が書いた手紙を渡され、駅のホームで電車を待ちながら読むことに。

 父が娘を愛していること、養育費を稼ぐために単身赴任を決めたこと。両親はいつまでも見守っていること。沙奈絵は父にあって話したいと思い、来た道を走って戻るのだった。


 三幕八場の構成で書かれていると思われる。

 一幕一場のはじまりは、田舎臭いから東京の高校へ行きたいと叔父の亮にいに伝えるも、一人で活かせる訳にはいかないと反対される。二場の主人公の目的は、喫茶店経営をしている叔父の手伝いをし、常連客の古橋さんに東京進学を許してくれないと話す。

 二幕三場の最初の課題は、買い物に出かけ花火大会が近いと知ったとき佐々木のおばちゃんから、亡くなった母香織に似てきたと言われる。四場の重い課題では、叔父になんで兄さんはお前をおいていったんだと言われ、自分は必要ない存在なんだと思い、東京て働いてお金返して叔父孝行するから捨てないでと懇願。子供がいないから子育てがわからない不出来な叔父でごめんと誤りつつ、責任持って東京に送り出すと抱きしめられる。

 五場の状況の再整備、転換点では、例年通り幼馴染の黒岩彰人と花火大会の準備をし、金券のためにがんばっていることを古橋さんに伝えられてしまう。彼に両親のことを尋ねるも知らないと返事。彼の様子から、大人はみんな嘘をつくと思うのだった。

 六場の橙の課題で、佐々木のおばさんが農作業中に倒れた知らせを聞き見舞いに行く。父について尋ねると、自分を愛していたと告げられる。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、佐々木のおばさんに花火を見せてあげようと、河川敷で行うよう町内会長さんに頼んで実現させる。古橋さんに父はお金が困って出て言ったのだろうと話すと否定され、亡くなった妻と子供には不自由ないよう育てようと約束した自分と同じなのではと話す。それでも、側にいてくれるだけで良かったのにと泣く沙奈絵。花火大会で佐々木のおばちゃんに、お父さんに会ったら今までずっと寂しかった、これからは一緒にいようねと言いたいことを伝える。

 八場のエピローグでは、東京の全寮制の女子校に合格して街を離れる際、叔父から母の手紙を渡される。父が古橋さんと気づき、どれだけ会いたかったか話したいと走り出す。


 この町が嫌いだとはじまって、母が大好きだった町を離れるにあたって、好きに思えるような展開は、よく考えて書かれている。

 本作の読者層は、小中学生に向いているのではと考える。

 方向性はこのままで、主人公のいう田舎臭いところとか大人は嘘つきなとことか、喫茶店や病院、人物や風景、花火大会の描写などの肉付けし、四百字詰め原稿用紙換算枚数二百枚くらいに仕上げ、児童文学に応募してみるのはどうかしらん。


 書き出しが衝撃的だ。

 田舎臭いを連呼しながら、主人公が今どこにいるのか、「いま腰掛けている、砂浜を一望できる堤防も」という具合に場所をさり気なく伝えてくれている。

 ちなみに、東京湾には「葛西臨海公園」「潮風公園」「お台場海浜公園」「城南島海浜公園」などのビーチエリアがいくつかある。

「東京臨海広域防災公園」にある「そなエリア東京BBQガーデン」では、必要な機材のレンタルができ、食材予約も可能。なので、手ぶらでバーベキューが楽しめます。

「葛西海浜公園」は東京で唯一、海水浴ができる。

「お台場海浜公園」のお台場ビーチは遊泳はできないが、砂浜を散歩したり、水遊びができる。

「葛西臨海公園」の広い敷地には、巨大な観覧車や水族館、バードウォッチングエリアがある。

「城南島海浜公園」では羽田空港を離発着する飛行機が間近に迫り、その迫力を体感できる。

「お台場海浜公園」では周辺のレストランやショップ、アトラクションを楽しむことができる。

 なので都会にだって砂浜がある。

 彼女のいう田舎くさい、オシャレじゃない、だと思う。


「私はこの町にいても、大人の女にはなれない気がするのよね」

 そんなことはないだろう。

 幼馴染でなくとも突っ込みたくなる。


 東京に行くのを決めたのは急じゃない、といいながら「昨日パソコンで調べたの」と調べたのは前日。

 主人公の性格が子供っぽいというか、思ったら即行動するところがあるらしい。

 なぜ東京かといったら、父親がお金に困って子供をおいていったと思っているからだし、東京に行ってお金稼ぎ、素敵な家庭を築けばお金に困って子供を見捨てるなんてことは絶対にないだろうという発想から。

 実際、父親も、子供には不自由ないように育ててあげようと思って、単身赴任を決めて、子供と離れるのは寂しいけれども稼ぎに出たのだ。

 父と娘、おなじ発想をしている。

 花火待機の手伝いも、金券がもらえるからと張り切っている。

 たとえ一緒に暮らしていなくとも、よく似ている。


「亮にいは、いわゆる過保護というやつだった。理由は、分からなくもないけれど。多分、私に両親がいないからだ」

 叔父にとって姪には違いないけれども、自分の子供ではないから他人なのだ。他人を預かるのは、自分の子供を育てる以上に気を使う。まして、常連客の古橋さんという形で、定期的に店に様子を見に来たり、町のイベントに顔を出すなどしているのだから。

 怪我させたとか、不登校になったとか、いろいろな問題を起こしたら責められてしまう。

 過保護にもなっても仕方ない。


「古橋さんは、喫茶店の常連客だ。いつも週末は顔を出してる。何の仕事をしているのかは分からない。けど、スーツ姿は見たことがない」

 単身赴任をして遠方で仕事をしてるはずなので、週末になると娘の様子を見るために、住んでいた町に戻っては喫茶店に顔を出しているらしい。

「今日は、たまたま早く目が覚めちゃってね。開店前だったかな? 出直そうかな」と、開店前に来ているのがわかる。

 どこで働いているかわからないけれども、前日に仕事を終えてから車か公共交通機関を利用して娘のいる街に来ては、夕方戻っていく生活を毎週していると、休みにならないので疲れてしまう。

 娘が買い物に出かけている間、弟と変わりがなかったか話をして、そのあとはスーパー銭湯などに入ってリフレッシュしてから帰っていく週末を過ごしているのかもしれない。


 主人公は四、五歳くらいに母をなくしている。

 癌だとわかったときに単身赴任が決まっているので、闘病生活はどれほどの期間があったのかしらん。

 おそくとも娘が三歳までには癌が見つかって、単身赴任が決まって出ていっていると考える。そのくらいなら、父親の顔を覚えていないと思うので、古橋さんと名乗って喫茶店にやってきても父だと気づくことはないだろう。

 たたし、父親の写真はあるはず。

 ないのはおかしい。

 叔父が隠しているのかもしれない。

 自分が、叔父さんのところに預けられているのは理解しているので、父親がどういう人だったのか聞けるはず。

 その辺りは、どんな話を聞いているのだろう。


 花火大会のために、「私たちのような健康的な小中学生はみなその準備や手伝いに駆り出される」とある。

 花火を見る場所の確保や機材、屋台の準備等は、業者がやるはず。

 子供が手伝う部分はどういったところなのだろう。

 それこそポスター貼りやチラシ配りをして宣伝をするとか、花火大会を盛り上げるために、祭りの雰囲気を演出するような、踊りとか太鼓とか、子供たちがなにかしらイベントをして見せるとかが考えられる。

 どんな手伝いをすれば、金券一〇〇〇円もらえるのかしらん。

 いっそのこと、機材運搬を手伝ったのかもしれない。


 物心ついたときから両親がいなくて、叔父だけというのは寂しい。

 叔父は子供がいないとあるけれど、独身なのか妻帯者なのかどちらだろう。

 結婚しているなら、すこしは変わってくるだろうけれど、おそらく独身と考える。

 だから「何で私を産んだの?」「何のために生まれてきたの?」と思うのは無理もない。

 主人公が、冒頭から「私はこの町が嫌いだ」「田舎臭い」といっているけれど、本音は親の愛情がないのが嫌だと思っていたのだ。

 しかも周りは年配が多くて、子供が少なく元気がない町なのだろう。

 にぎやかな都会に行けば、沢山の人はいるし、明るくて楽しくて、寂しく感じなくなるかもしれない。そういう考えに至ったのだろう。


 東京行きについて、「古橋さんに、こっぴどく叱られたからな」と叔父は答えている。ひょっとしたら、父親の単身赴任先は東京なのかしらん。


 母親の手紙には「あの人がうちに婿入りして、すぐ後に私が妊娠して」とある。

 父親は婿養子に来ているので、古橋は母親の姓だと考える。

 主人公と父親の弟、それぞれ和泉姓を使っている。

 もともと父親も、和泉姓だったのだろう。

 叔父の亮生は姪を預かるとき、名字まで変えさせたのかしらん。

 預かって育てているだけなら、古橋姓を名乗っていればいいのに。

 養子縁組をしたということかしらん。

「大人はみんな、嘘をつく。子供を安心させるため? そんな綺麗事はいいから、本当のことを教えてよ。私、誰の子?」

 自分の経っている場所、ルーツがわからないと不安を抱く。

 おまけに、周りの大人は知っているのにみんな話さない。

 そんな状態だと、今いる場所に愛着も持てないし、自分が自分でないような気持ちに苛まれてしまうのは無理もない。


 佐々木のおばちゃんは主人公の母親香織を知っているし、「あんたのお父さんは、ちゃんとあんたを愛してるよ」と話しているので、古橋さんが父親だと知っている。

 知らないのは、本人だけというのは悲しい。

「そら。もうすぐ花火大会やけんね。準備しよる?」

 しよるは西日本、やけんねは博多弁なので、本作の舞台は博多近辺かもしれない。

 

「いらない子なんて思ってないよ、沙奈絵ちゃんのお父さんは。……僕には、妻がいて。もう死んでしまったんだけど」「彼女は子供が大好きだった。……約束したんだ。子供が生まれたら、不自由ないように育ててあげようって」「僕はきっと、沙奈絵ちゃんのお父さんも同じなんじゃないかと思ってる。自分の元にいたら、窮屈な生活を送らせてしまうだろうから。だから」

 父親である古橋さんは、どうして自分の娘にそこまで隠し通さなくてはならないのかしらん。

 その辺の謎が今ひとつわからない。

 

 母親の手紙によれば、「彼は私が大好きなこの町で、娘には育ってほしいらしいから、一人で行くことを選びました」とあり、底は理解できる。

「口下手な彼はきっと、沙奈絵には秘密にしてたんだろうけど」

 口下手で片付けてしまうのは、無理がある。

 転身赴任したのはわかるし、弟にも預けたのも理解できる。

 元気にしてるのかなと、様子を見に来るのも納得できる。

 だからといって、週末になると常連客としてやってきては、名のりもせず、他人のふりを十年以上する理由が、口下手だけですませれるのかしらん。

 しかも単身赴任は十年以上も続くものなのだろうか。

 必要人員を充足させるための単身赴任が10年単位になる場合もあるので、父親は大企業に勤めているのだと推察される。

 明かせない秘密を、何かしら抱えているのではと勘ぐってしまいたくなる。

 そういったモヤモヤした部分も影響して、主人公の沙奈絵は常に不安を抱えていたんだろうなと邪推したくなる。


 娘が東京へ行くのに、玄関先で見送っている。

 どうせだったら駅のホームで見送ればいいのに。

 手紙を読んでから駆け出しているので、おそらく、ホームまで見送りに来ていると思いたい。

 来てるから、東京に行く前にせめて父と娘の会話をしたいと思って走ったのだろう。


 読後、タイトルを読みながら、東京に行きたいのではなく父親に会いたいだったのだと思った。

 心の奥底の何処かには、最初はこの町にいても父に会えないから東京に行けば会えるかもしれない、という望みを抱いていたのではと考えたくなる。成長するとともに、変色していったのかもしれない。

 父娘のと再会を果たした後、どうするかしらん。 

 娘は「東京で頑張ってくる」と声を上げ、父は「頑張ってこい」と送り出すかもしれない。

 離れていても、これからは寂しくないに違いない。


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