欠落椅子探偵

欠落椅子探偵

作者 @1945shusen

https://kakuyomu.jp/works/16817330662469127476


 余命宣告された末期癌の祖父を殺害した父により、平川家はマスコミに殺人鬼扱いされ不特定多数から誹謗中傷を受ける中、親戚の桜田朱雨は祖父の真相を明らかにすることで平川家をごく普通の被害者遺族にしようと平川楸を拉致監禁するも、同意殺人は罪は軽くとも、さらなるバッシングを受けて一家心中するしかなくなると平川楸に言われる話。


 疑問符感嘆符のあとはひとマスあける等は気にしない。

 ミステリー作品。

 安楽椅子探偵もの。

 同じシュウという名前をもつ二人、平川楸と桜田朱雨、どちらも人称が俺で書かれ、今の場面はどちらなのだろうと読み解いていく面白さがある。


 主人公は、通称アキと呼ばれる平川楸、十六歳。一人称、俺で書かれた文体。回想される葬儀での主人公は、通所シュウ兄と呼ばれる桜田朱雨。一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 面白い作品には、どきり、びっくり、うらぎりの三つの「り」があると言われ、本作にもそれが当てはまる。


 それぞれの人物の思いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプとメロドラマと、女性神話の中心軌道に沿って書かれている。 

 数日前の三月某日、末期癌の祖父をナイフで殺した平川楸の父が自殺した日、平川家はマスコミに取り囲まれた。殺人鬼として報道により晒され、ネットは炎上し、父への誹謗中傷は増し、平川楸にも「君には、人の心とかないのかな?」と投げかけられる。楸と同い年の妹、平川椿は被害者と加害者の遺族となり、精神は壊れ、部屋に閉じこもったままだった。ちなみに、平川楸の父は婿養子に入った際、名字を桜田から平川に変えている。

 平川楸の父の兄の息子、桜田朱雨は加害者遺族として世間から責められている平川家を被害者遺族にするため、抵抗もできない余命宣告済みの祖父は殺人鬼に殺されたのではなく、自分を殺すよう頼み苦しむ父親を見てられなかったため、やむにやまれず頼みを聞いたのではないかと考える。

 なにか知っていないか聞き出すため、祖父の葬儀があった翌日の三月二十一日、平川楸を拉致監禁。同じように拉致されたジャーナリストの北結橋夕月の振りをしてポンドと名のり、モールス信号でやり取りする。

 平川楸は、一度見聞きしたことは絶対に忘れない記憶力を持つ、超記憶症候群である。目隠しと猿ぐつわをされて拘束されていても、得られた情報から拉致されたのは都内の、北区の六十メートル以上の建物。さらにモールス信号でやり取りしてきた相手は北結橋夕月ではなく、しかも自分を拉致したのはシュウ兄こと桜田朱雨だと当てる。と、アイマスクと猿ぐつわが外され、桜田朱雨と対面する。

 平川楸の母親は医療従事者である。祖父は睡眠薬で眠らされている時に殺されている。また、平川楸の父の自殺は祖父の死体発見後すぐのことだった。楽にしてやりたいから殺したとする安楽死殺人、しかも同意殺人ならそこまで罪は重くない。

 だが、これまで殺人鬼の家族と不特定多数の感情に煽られて消耗した中で明かされれば、今度は医療従事者の肩書をもつ母親が責められ、一家心中をたどりかねないと平川楸は口にする。それに比べたら、殺人鬼と罵られる方が自殺を選んだ父はマシだったと話す。

 桜田朱雨は自己満足だとわかっていても、苦しみ続ける平川楸と椿を見ているのが、どうしようもなく辛かったという。

 最後に平川楸の記憶力の良さを、北結橋の振りをして「素晴らしい」と褒めたのは本心だと伝えられ、俺を認めてくれてありがとう、と平川楸は口にするのだった。


 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりは、寝ている平川楸はコツコツという音で起こされ、アイマスクと猿ぐつわ、手足にガムテープを巻かれ、椅子に縛り付けられた状態で拉致監禁されている。モールス信号のSOSをしてくる人物ポンドをジェームズと呼び、相手とのやり取りから、相手は縛られて床に転がされているものの目隠しされていなかったテレビ番組から時間を割り出し、自分たちがいる場所が都内だと知る。

 二場の主人公の目的は、一度見聞きしたことは絶対に忘れない記憶力を持つ超記憶症候群の平川楸は不感蒸泄を求める公式から、拘束されてからの時間を割り出し、拉致される前の時間から差し引いて移動時間は三十分とし、だから都内にいると断言する。

 二幕三場の最初の課題では、前日の三月二十日、桜田朱雨は祖父の葬儀に出席していた平川楸に「お前は悪くないんだぞ。誰も悪くないんだ」と欺瞞を口にする。心配なのは妹の平川椿だと気遣い、「本当なら父さんも来るべきなんだけどね……」と呟く平川楸に「まあ……気にすんな」最悪な言葉を選んでしまう。

 四場の重い課題では、拉致監禁されている現在、ジェームズから素晴らしいと自分の才能を褒められた平川楸は救われた気がし、相手を信用して、日の入りになったら教えてくださいと頼み、チャイムが鳴るまで待つようお願いする。

 葬儀の際、桜田朱雨はジャーナリストの北結橋夕月に話を聞かれて断る。「真実を知ることで救われる人もいるはずです」という彼女に対し、たしかにそうかも知れないと肯定しつつも「けれど、それは俺じゃない。そしてそれは──俺の家族でもなければ親族でもなく祖父でもなければ母でもなく父でもなく従兄弟でも従兄妹でもなく祖父の友人でも知人でもなく敵でも仇でもなく恋人でも愛人でもなく同志でも同胞でもなく幼馴染みでも顔馴染みでもなく部下でも上司でもなく神でも仏でもなく霊でも魂でもなく──人の不幸を見て嘲笑う、そんな大衆の為でしょう?」と高慢で傲岸なジャーナリストを否定し、言い過ぎたと頭を下げる。

 五場の状況の再整備、転換点では、ジャーナリズムは欺瞞かと愚痴を問いかけられた平川楸は、兄弟姉妹の名前が対比させられる風潮があったとき、弟や妹は自分は生まれてくる予定ではなかったのだと思い、信じてしまえばそれが真実となるのではないかと話し始める。誰かにとっての「真実」は誰かにとっては紛い物で、誰かにとっては武器に成り得る。「ジャーナリズムの是非なんて俺は知りません。けれど、皆が平然と口にする『真実』なんて結局はご都合主義の産物だってことですよ」

 誰にいわれたか尋ねると、ポンドから失礼な学生からと返事を受けたとき、時が止まったような錯覚を覚える。

 前日の葬儀の際、ジャーナリストの北結橋夕月とのやり取りの後、桜田朱雨は平川楸に声をかけたれ、弟の桜田蒼大から弔辞を行った坂下紀夫が挨拶したいと呼ばれていることを教えられる。挨拶をし、

「さっき君の従弟に会ったよ。信じられないくらい良い少年だよね。まだ若い身で家族を亡くすのは辛いだろうに」「お祖父さんの最期は痛ましいものだったそうだね。人生というものは案外、報われないものだ」「痛ましいよ。実にね」と言われる。

 ジェームズ=北結橋夕月と考える平川楸は、誘拐する理由を話し合いながら口封じかもと考えると、自分の秘密を知り、誘拐した犯人は葬式の参列者になる。

 祖父が火葬場に運ばれたとき、桜田朱雨は平川楸と名前の命名者は父であり、父の葬儀はこじんまりしたものだったと話し、祖父の最期はどんな感じだったのか尋ねる。治る見込みのない末期癌の祖父に刺さった一本のナイフをみて、桜田の両親は唖然とし、平川楸の父はいなかった。最も涙を流していたのは血の繋がらない平川楸の母親だった。

 六場の最大の課題では、ジェームズから日の入りの合図を受けた数分後、夕刻を知らせるチャイムが鳴り響く。ニュースの時間から自身の心拍数を数えていた平川楸は鼓動の速さが一分七十回から、現時刻は六時ジャスト。今日は三月二十一日。東京二十三区のうち三月に六時のチャイムが鳴るのは北区だけ。知らせてくれた日の入りからチャイムまでの時間を出し、北区の緯度経度から現在の高度は標高六十メートルの地点だと割り出し、これまでのやり取りをすべて洗い出して、ジェームズは北結橋夕月ではなく、シュウ兄こと桜田朱雨が誘拐したのかと尋ねと、アイマスクが外され、「流石だな、アキ」と対面する。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、結論までのプロセスを聞かれ、「シュウ兄の家は北区だからね」と答える。平川楸は台東区民であり、北区まで車でおよそ三十分。

 立ち聞きしていた平川楸は、真実云々の話から北結橋夕月と桜田朱雨に限定。彼女は関係者に取材しているため、葬儀に参加していたほとんどが江戸城門に関連した名前であることを知っているのだから、「何だか江戸城の血なまぐさい門みたいな名字の人で」と答えるのはおかしい。なぜなら、桜田朱雨は北結橋夕月が関係者全員に取材していたことを知らないから、と絞り込んだと答える。

 覚悟の上だという桜田朱雨に、「家族が犯罪者になったらどうなるか分かってんのかよ」と平川楸は問いかける。

「俺が北結橋夕月の振りをした理由は思いつかないようだな」「お前から聞き出そうとしたんだよ。危機的状況なら口を滑らしてくれると思ってな」と祖父の死の真相を、本当に平川楸の父親は殺人鬼だったのかと問いかける。

 殺人鬼なら、余命宣告済みの祖父が寝ている間に殺そうとするはずがない。苦しませないように殺したみたいじゃないかと口にした桜田朱雨に、「やめろよ!わかってんだろ⁉ 俺たちが隠した理由を!」と声を上げる。平川楸の母親は医療従事者だった。たとえ同意殺人は底まで罪は重くないとしても、不特定多数の感情を向けられればさらに煽られ、最悪一家心中だと自虐的に呟く平川楸。それに比べたら、家族を守るために殺人鬼として死んだほうが父にとってはマシだった。

 八場のエピローグでは、桜田朱雨は平川家をごく普通の被害者遺族にして、苦しみ続ける平川楸と椿を見ているのがつらかったと、拉致監禁した理由を語る。最後に、北結橋夕月の振りをして平川楸の才能を素晴らしいと褒めたのは本心だと告げ、平川楸は礼を言う。


 本作は桜田朱雨と平川楸、主人公が二人いて、人称がどちらも「俺」で書かれている。

 主人公が巻き込まれた大きな謎と、主人公は誰でどんな秘密をもっているかといった小さな謎、二つが折り重なっていくように展開しながら謎が解かれていくところに面白さがある。

 とくに、主人公は誰なのかが明かされない中で話が進んでいくところに、興味が引かれる。

 桜田朱雨と平川楸、どちらもシュウと呼ぶため、名前を聞かれたとき「シュウです」と答え、読者はアキにシュウ兄と呼ばれている桜田朱雨だと思って読み進めていくことになるも、拉致監禁されている人物像と違う印象を覚え、違和感を感じていく。

 違和感というのは、描かれている桜田朱雨より幼く感じるので、拉致監禁されている「俺」は一体誰なのか、わからないまま進んでいく。

 そんな中でどこに監禁されているのかが少しずつ解かれていく、犯人はシュウ兄こと、桜田朱雨だと明かされる。

 登場人物は限られているとはいえ、監禁されている人物は「シュウ」と名乗っていて、犯人は「シュウ兄」であるという展開に読者は驚かされる。

 どういうこと? と思うまもなく、「平川楸。十六歳。楸と書いてシュウ。妙な名前だ」と明かされる。


 本作の特徴としては、謎が明かされると次の謎が出てくるので、解決しているようで深みにハマっていく作りに、どういうことなのだろうというモヤモヤ感が晴れない。

 こういう作りが、作品を先へ先へと読ませて行ってくれる。

 一度読んだあとでもスッキリしなかったので、再度読み直した。

 情報量が多いのと、断片的に交互に描いているため、整理しないと理解が追いつかなかった。どのミステリー作品も、そういうところはある。


 気になったのは、拉致監禁されて拘束されていた主人公の平川楸は、アイマスクと猿ぐつわをされ、手足に巻かれたガムテープ、胴体は背もたれに、足は椅子の足に、腕は肘掛に、「一分の隙もなく。文字通り髪の毛一本通る隙間もなく。間一髪さえ許さぬように。紙一重さえ許さぬように。拘束されている」とある。

 そんな状況で、「コツ コッコッコッ」と何かを叩くようにして、モールス信号が聞こえている。

 犯人である、桜田朱雨が縛られて床に転がされていると嘘をついて、床なり壁なり、どこかを叩いて音をだしていたのだろう。

 それはいいのだけれども、拘束されている平川楸はどのようにモールス信号で返事をしたのだろう。

 腕は肘掛に「一分の隙もなく。文字通り髪の毛一本通る隙間もなく。間一髪さえ許さぬように。紙一重さえ許さぬように。拘束されている」とある。まったくの隙間がないということは、肘掛けは腕の曲面に沿うような形状でガムテープで固定されていたことになる。

 同様に足もふくらはぎに沿うような形状をした椅子の脚に密着させられてガムテープで固定されていた。

 背もたれも同じく。

 自身の体が包まれているような状況で拘束されながら、音を立ててモールス信号のやり取りができるのかしらん。

 この状態だと、足首は動かせないので足で鳴らすことはできない。できるなら、指で肘掛けを叩くようにして音を鳴らしたと想像できるのだけれども、やってみるとわかるのですが、大きな音を立てることができない。

 桜田朱雨はよほど耳が良いのか、肘掛けでモールス信号を出している平川楸の直ぐ側にいて、耳をそばだてない限りは、やり取りができないと思う。

 その辺りの状況が想像できなかたので、モヤッとした。

 

 ジェームズこと桜田朱雨は「どこかから微かにテレビの音が漏れ聞こえてきます」と答えている。

 二人が別の場所にいるのなら問題ないのだけれど、二人が一緒の部屋にいるなら、平川楸にも聞こえているはず。

 耳栓をされているのかと考えたけれども、あとで北区のチャイムを彼自身が聞いているので、耳栓はしていない。

 テレビの音が漏れ聞こえたのが嘘で、テレビも見ていなかったとするなら、与えられた情報から都内の北区にいることを導き出すための情報に信憑性がなくなるため、使えなくなってしまう。

 だから、テレビの音が漏れ聞こえているのは本当だし、録画ではなく実際に放送されていたテレビを見ていたことになる。

 考えられるのは、平川楸に聞こえないように桜田朱雨はテレビを見ていたということ。

 イヤホンでテレビの音声を聞いていたのだろうと邪推する。

 どうしてそんなことをしていたかというと、平川楸を誘拐したあと起きるまで、退屈だったからかもしれない。


 現在では、モールス信号はあまり使われていない。

 平川楸は一度見聞きしたことは絶対に忘れない記憶力を持つ、超記憶症候群なので、どこかで知った知識でやり取りできたのは納得できる。

 問題は、桜田朱雨。

 彼については今ひとつ情報がない。

 年齢も、平川楸より歳上だろうけど、いくつ離れているのか。高校生なのか、大学生なのかもわからない。祖父の葬儀の際、弔辞を行った坂下さんから挨拶されている。

 普通は桜田の父に挨拶をすると思う。

 だけれども、桜田朱雨にも挨拶しているということは、小さい頃に会ったことがあるのだろうし、成人しているのだろう。

 少なくとも十八歳以上なのは間違いない。

 拉致するとき車が使われている。運転したのは当然、桜田朱雨のはずだから。

 かといって、桜田朱雨はモールス信号をどこで知ったのだろう。

 現在、モールス信号が使われているのは航空無線とアマチュア無線のみ。桜田朱雨が航空工学科の大学生とか、パイロット志望、あるいはアマチュア無線の免許を持っているのなら、知っていてもおかしくない。

 そうでない人は、まず知らない。

 知ってても、SOSくらい。

 文章にしてやり取りできるか難しい。

 相手のモールス信号を読み取らなければならないから。

 それができる人だということを伺い知れる情報があったら良かったな、と思う。

 ジャーナリストはモールス信号はできないと思うので、推理するときの参考になるのではと考えてみた。


「数日前に起こったセンセーショナルな事件なので、恐らくは番組開始から最初のニュースだと思われる」

 夕方のニュースは、その日の大きな事件を扱う。

 温暖化傾向なので雪は降りにくくなっているとはいえ、三月なのでまだ雪が降る可能性がある。都内はちょっと雪が降っただけでダイヤが乱れたり交通渋滞が起きたなど、報道する時期でもある。

 五時からのニュースの最初は生活に関わってくること、天気や政治経済、スポーツ、その日あった大きな事件や関心事など。世間の人が誰でも知っていて世の中を賑わすような人、たとえば政治家やアイドル、有名なスポーツ選手に関するわだいなどは時間を設けて放送される。なければ、最近のニュースの続報を扱うことはある。

 ただ、「現在時刻は五時十分ほどだということになる」といいきれるかどうかは難しい。

 局にもよるだろう。

 数日前に起きた事件が、五時からはじまって十分以上も放送する内容なのかがわからない。

 祖父が、世の人の誰もが知るような企業を経営していたり政治家だったりするならば、連日のように放送してくれる可能性はある。

 葬式があった前日の夕方に追加報道するなら、時間を取るかもしれない。

 子供が親を殺した事件とはいえ、末期癌で余命幾ばくもない老人を、いい年した中年が起こしたもの。もし同じ親殺しの事件で、女子中学生が母親を包丁で殺害したニュースが起きたら、そちらを優先すると思う。

 それに都内は地方と違って人口が多いので、いろいろな事件が起きているはず。第一報として報道するニュースが、他にもあるのではと考える。

 平川楸がセンセーショナルな事件と思ったのは、彼が当事者で、連日マスコミに囲まれた体験をしたからと考えるのだけれども……可能性が一つある。

 平川楸が拉致監禁されたと報道された場合だ。

 話題になっている事件の関係者が拉致監禁されたとなれば、マスコミとしても騒ぐ、と邪推できる。

 その場合、誰かが警察やマスコミに通報して、大事にしなければならない。

 平川楸が夕方四時頃に帰宅してから誘拐されている。

 通報するなら家族だけれども、妹は部屋に引きこもっているし、母親が家にいる中で平川楸を連れ去るのは難しい。誘拐されたとき、母親は家におらず、仕事に出ていたかもしれない。

 通報した可能性があるのは、桜田朱雨しかいない。

 自分が通報した結果を確認するために、夕方のニュースを見ていたのではないかと考える。

 これなら、夕方五時からニュースで取り上げられて「現在時刻は五時十分ほどだ」といえるのではないか。

 

「眼を瞑る。瞳を閉じる。瞼を下す」

 いわゆる、目を閉じるときの表現のバリエーション。

 ここ表現は面白い。ようするに、アイマスクをされている状態で強く目を閉じたということを表しているのだと思う。

「優し気に易し気に」も、おなじ言い回しをくり返す表現は面白い。

 

 超記憶症候群は良いなと思う反面、嫌な記憶を人より多く鮮明に溜め込んでしまうデメリットがある。

「この記憶も記録も追憶も、時間と共に風化する。他の記憶と等質に同質に等価値に、時間と共に風化する」とあるので、記憶力が良いからといって、忘れないということはなさそう。

 もし、祖父が殺害されている場面をみていたら、より鮮明に溜め込んでしまっていただろう。

 

 不感蒸泄について。

 発汗以外の皮膚および呼気からの水分喪失をいい、気温が低く、空気の乾燥した冬の環境では不感蒸泄によって失われる水分量が増える。

 とくに湿度が五十パーセント、三十パーセント、十パーセントと低くなるほど、失う水分量が多くなる。

 拉致監禁されたのは三月二十一日。

 そもそも監禁された部屋は温かいのかしらん。

 寒いからと暖房機器を使用すれば、部屋の湿度がさらに下がり、不感蒸泄量も増えると考えられる。この辺りが、ちょっと気になった。


「弔辞を行うのは生前の祖父の会社の同僚だった人で、坂下紀夫という六十ほどの男性」とある。

 祖父が六十だったとして、二十歳のときに子供ができたとして、息子が二十歳のときに桜田朱雨が生まれたとすれば、現在彼は二十歳だと考えられる。

 高校在学中、年齢がクリアしていれば車の免許は取れるので、桜田朱雨の年齢は、十八から二十歳の間だと推測される。


「私に頼みに来た孫のシュウさんによると、康文さんの最期は決して安穏と呼べるものではなかったそうですが」とあるので、あとで坂下紀夫に挨拶されたのだろう。

 どうして喪主である桜田朱雨の父親が、坂下に頼まなかったのだろうか。

 普通の亡くなり方ではなく、殺した平川楸の父親も自殺をしたためショックが強すぎたから、葬儀関連については桜田朱雨が裏で取りまとめていたのだと想像する。

 そう考えると、ジャーナリストの北結橋夕月が桜田朱雨に接触してくるのも頷ける。

 いくら関係者全員に話を聞いてまわっているとはえ、成人していると思えたとしても学生の桜田朱雨にも話を聞くのか気になっていたので。

 聞くだろうけど、事情を知っていそうな人に聞くはず。

 喪主は父親だろうけど、実際仕切っていたであろう桜田朱雨なら、なにかしら知っているかもしれないと思って近づくのは理にかなっていると考える。


「私はジャーナリストです」

「だから?」 

 ここのやり取りが好き。

 権威の傘を被って、偉くもないのに偉そうな態度を取る人間は信用できない。

「それは俺が答えを拒む理由にはなっても、答える理由にはなり得ない」の、後半は、誰にでも当てはまる気がする。

 ふた昔ほど前なら、情報発信は限られた人間にしか与えられていなかったし、二十一世紀初頭くらいまで日本人は、テレビや新聞の言うことを信じていた。

 それだけ権威があったのだけれども、ネットの普及により、テレビはネットの後追いのところもあるし報道のウソもある。かつてほどの権威はなくなっているのが現状。

 たとえば、「NHKです」といわれて「だから?」と返す人が増えてきたと思う。

 地方に行けばマスコミの権威はまだ残っているかもしれない。けれど都内だとちがうであろう。お仕掛けてくる大量の報道カメラマンの、失礼極まりない姿を目の当たりにしているだろうし、煙草のポイ捨てや線路内に無断に侵入など、傍若無人な振る舞いがネットに取り上げられたこともあった。

 それに、被害者加害者問わず、日常生活に土足で入り込んでは引っ掻き回すだけ引っ掻き回し、他の事件が起きれば謝罪の言葉もなく散らかしたまま去っていく。ワイドショーといって、人の不幸をショー仕立てに報道する連中に、いい印象がもてるはずがない。

 まして、親類がつらい目にあっているのを知っている桜田朱雨が、「私はジャーナリストです」といわれて喜んで聞かれたことを話すはずがない。


「真実を知ることで救われる人もいるはずです」に対して、「確かにそうかも知れませんね。けれど、それは俺じゃない」「そしてそれは───俺の家族でもなければ親族でもなく祖父でもなければ母でもなく父でもなく従兄弟でも従兄妹でもなく祖父の友人でも知人でもなく敵でも仇でもなく恋人でも愛人でもなく同志でも同胞でもなく幼馴染みでも顔馴染みでもなく部下でも上司でもなく神でも仏でもなく霊でも魂でもなく────」「───人の不幸を見て嘲笑う、そんな大衆の為でしょう?」との返答こそ、真実だと思う。

 正直いえば、関係者で反省なり謝罪なりすればいいことであって、広く報道しても誰も救われない。

 報道しているのは、似たような事件が起きないように、間会えている人を思いとどまらせるとか啓蒙的な側面があるのかもしれない。

 そう思う人もいれば、人の不幸は蜜の味という考えの如く、人の不幸を見て嘲笑う輩もいる。

 

 桜田朱雨は、「高慢で傲岸なジャーナリストを否定」したかったのであり、「真実を求めるジャーナリズムを否定」する気がなかったので、「…済みません。言い過ぎました」と謝った。

 だったら、北結橋夕月に対して、あなたは高慢で傲岸なジャーナリスト、もしくはその仲間だと言ってやればよかったかもしれない。 

 拉致監禁の根幹に平川楸と椿の辛さをなんとかしてあげたいという思いがあったとしても、「善悪正誤関係ない。否定したなら頭を下げる。社会を廻す不変のルール」を持っているから、桜田朱雨は今回の事件を起こしたのだと思う。

 加害者遺族として責められることに違和感を感じ、隠されている真実を明るみにすることで、ごく普通の被害者遺族として扱われることがふさわしいと思って行動したのだ。


 仮に、はじめから同意殺人だったと明るみにしていた場合、どうなったのだろう。

 同意殺人罪の刑罰が「六カ月以上七年以下の懲役または禁錮」である。殺人罪の刑罰は「死刑または無期もしくは五年以上の懲役」。

 同意殺人罪が成立するには被害者の真意が重要。ただし、被害者が亡くなれば真意を明らかにするのは容易ではないため、客観的事情が重視される。

 桜田朱雨が指摘した、眠らせて殺すだけでは弱いかもしれない。

 被害者と加害者との間の記録、被害者が抵抗した痕跡の有無、被害者が生前に周囲へ話していた内容など、判断材料が必要になる。桜田家の人にも祖父から「死にたい、殺してくれ」と言われていたら、認められる可能性も高くなるかもしれない。

 父親は実行犯で母親は手を貸している。さらに医療従事者ということで咎められる。桜田家が訴えなければ大事にならなくとも、報道はされるので不特定多数の感情を向けられることには変わりない。

 今以上に大変かもしれない。

 それを見越して、父親は一人で責任をかぶって自殺したのだろう。

 

「やめろよ! わかってんだろ⁉ 俺たちが隠した理由を!」と平川楸は桜田朱雨に話している。つまり、はじめから罪をかぶって父は自殺したことを平川楸は知っていた。

 事件が起きた病室にはいなかっただろうから、母親からあとで聞いたと考える。妹は本当に何も知らないだろう。

 

 物語の後、桜田朱雨はどうなるのだろう。

 警察に通報しているのなら、とりえず逮捕されて、事情を聞き、祖父の殺害になにかしら秘密があるのではと思い、拉致監禁して話を聞き出そうとしたと話し、何もなかったと答えると思う。

 平川楸はマスコミに囲まれる苦しみを桜田家にさせたくないので、示談に応じ、示談書や彼の謝罪も受け入れ許し、寛大な処分を求め、告訴の取り下げになると考えられる。

 取り下げられなくとも執行猶予等の判決が下るだろう。

 ただ、マスコミが騒ぐかもしれない。


 桜田朱雨は、被害者遺族にしてあげることはできなかったけれども、家族からは怖い、医者には欠落といわれた超記憶障害症候群を素晴らしいと本心を伝えたことで、少しだけ平川楸は救われたと思う。


 読後、すごいミステリーだと感服した。理詰めでよく考えられているだけでなく、時代性や社会性もある。

 大人も十分楽しめる作品だった。

  

 


 

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