十七歳の地図

十七歳の地図

作者 天使 幸

https://kakuyomu.jp/works/16817330658792269580


 孤児院に置き去りにされていた袴田雄は、児童養護施設の職員が子供を犯したのを知って暴力沙汰を起こし、少年院に入れられたことがある。親が我妻村開発の不動産で働いているためにいじめられている円は、優しさと事情を知らない周囲に疎外されている彼がかわいそうと涙する。二年後、一緒に暮らさないかと母親が現れるも、自分のことを強く思ってくれる人のいる今いる場所が好きだ、と返事をして断る話。


 ヒューマンドラマ。

 不遇な境遇にいる人の様子や心情が深く描かれている。

 高校生なら高校に通う主人公が書きやすいだろうに、異なる生き方をしている作品に挑んでいるところがすごい。


 三人称、中学三年生の袴田雄視点と神視点で書かれた文体。前半の上は中学三年生の十五歳、後半の下は十七歳の袴田雄が描かれている。風景や状況、人物描写はもちろん、何気ない仕草や動作の描写が良い。

 ダッシュの使いすぎな気もする。


 前半は女性神話の、後半は絡め取り話法の中心軌道に沿って書かれている。

 孤児院の前に置き去られた赤ん坊の雄を、巡査部長をしていた東川紀明が最初に見つけ、保護した。

 児童養護施設ひまわり園に住んでいた主人公の袴田雄は、職員に突き飛ばされ左腕を骨折したことがある。職員達は何の理由もなく因縁をつけては子どもたちを殴っていた。施設にやってきたばかりの子が箸の持ち方が悪いと折檻され、かばってやると「養ってもらっている分際で、生意気なこと言うな」と顔を叩かれたこともある。

 ある日学校から帰って来ると、六歳の女の子が五十を越えた職員に犯されて泣いていたので、職員の頭目掛けて鉄パイプを振り下ろした。

 その後、駆けつけた警察に連れていかれ、パトカーへ乗り込む際、立ち入り禁止の黄色いテープを振り切って、紀明は雄の名を呼ぶ。園内での虐待を信じてくれなかったくせに「今更、何しにきたんだよ」と声を上げ、車のシートに座った。

 未成年な上、初犯で職員の命に別状がなかったことから、少年院に半年入って出てきた。事情を話せば情状酌量の余地もあったかもしれないが、職員にひどい目にあった女の子のことが知られてしまうためできなかった。報復のために男性職員の頭を殴りつけた少年として裁判記録に記載され、保護司をしている知り合いの東川紀明が身元を引き受けることとなり、 日本の原風景が残る場所とされる我妻村に移り住んでいる。

 二年後。

 金髪に髪を染めた中学三年生の袴田雄は、校舎の屋上でタバコを吸っていた。クラスメイトや教師たちも、問題児への対処に悩まされずに済むし、彼らが勝手に想像する袴田雄という化け物から自分を守るためにも、雄にとって屋上は唯一の居場所だった。

 屋上のペントハウスで、知らない女子たちからいじめられていた二年生の安東円に手を貸して立たせ、膝を怪我しているのに気づいて絆創膏を貼ってあげる。

 東京からやってきた不動産業者が我妻村再開発のため、反対する地元住民を黙らせるために建てた自社ビルへ視線を向けながら円は、父が開発の責任者だからいじめられいると話し、円も母も開発には反対という。嗚咽を鳴らす彼女にタバコを勧め、苦いですと煙を吐き出した彼女。二人は互いに名乗り、「袴田先輩」と呼ばれると「先輩、なんてガラじゃねぇし」名前で呼べといえば「雄くん」と呼ぶ彼女の顔が真っ赤に染まり、「なんだそれ」と小さく笑いかける。

 保護司の東川紀明に帰宅後、児童の養護を生業としているわけでもなければ、血縁の繋がりがあるわけでもない相手とカレーを食べながら学校の様子を聞かれ、「別に、普通」と学校で阻害されていることは話さない。円のことを思い出して声を上げるも、何でも無いと誤魔化した。

 もう一度会いたくて、と円が屋上にやってくる。いたいならいればいいと答えつつ、「俺のせいで――あいつらに、余計にいじめられるかもな」といって、屋上から見える児童養護施設を顎で指しながら半年前まで少年院にいたいきさつを話すと、「私――悲しくて」と円は涙を流し、「こんなに優しくて、暖かい人が――みんなから、誤解されてることが」しゃくり上げる。

 さらに二年後。

 中学を卒業した雄は、紀明の知人が経営する更生保護施設に就職。書類の作成や備品の補充などといった細々としたものがほとんどだったが、雄はそれとなくやり甲斐を感じていた。

 週に何度か、円は雄の家を訪れては学校の出来事や家族の愚痴を話し、今では家に泊まることも珍しくはなかった。

 日曜日に仕事へ出る雄は「じゃあ私、夕飯作って、雄くんのこと、待ってるね」と円に見送られ、夜が明けきっていない中、バイクに乗って出かける。

 午後、職場に、女性が雄を訪ねてきた。袴田と名乗って要件を訪ねようとするといきなり抱きついて「私――あんたの母親」と声を上げた。

 三時間後に仕事が終わるからと、事務所近くのファミリーレストランに待つよう一万円を握らせた雄。ファミレスでオムライスを食べながらネットで探したと話す彼女は「私と、隣町で、一緒に暮らさない?」と切り出す。宮田と呼ばれる男が同席しており、同棲しているという。おまけに、お腹の中には赤ちゃんもいるといわれ、「家族四人で暮らせたら、とっても素敵だと思わない?」と家族計画を聞かされる。

 帰宅後、背中に抱きついてくる円に離れるよう強くいい、「ただちょっと疲れてるから、ベタベタして欲しくないだけ」「お前だって、いつか、俺のことを捨てるくせに――俺のこと、利用しやがって」と口走る。

 違うと否定する彼女の潤んだ瞳から逃げるように階段を上がり、自室に入る。就職祝いに紀明が買ってくれたパイプベッドの上には、円の通学鞄が投げ出され、幼稚なキャラクターもののペンケースを視認し、階段を降りていく。

 廊下をすすむと、「ごめんな、円ちゃん。あいつも、悪気があって、円ちゃんにきつく当たったんじゃないと思うんだ」と紀明の声がきこえる。「ぜんぶ――俺のせいだ」

 雄は、警察官に腕を掴まれてパトカーに乗せられたとき、駆けつけた紀明に、今更何しに来たんだと口走ったことを思い出す。

 これほどまでに強く思ってくれる人間がいることに気付けなかった自分に気づいた雄は、泣きながら部屋に入り、「おっちゃん――まどか――ごめん――ありがとう」と声を上げる。円へ目を向け「それ――」と指差す。「――愛、だよ」と答えた円が握っていたのは、雄が吸っていたメビウスの煙草の空き箱だった。

 コンビニの店外に設置されている公衆電話から、メモを頼りに母と名乗った女に電話をかけ、「あれから、色々考えてみたんだけどさ。やっぱ、一緒には暮らせないよ。母さんと――あの宮田さんとか言う人が、どうってことじゃなくて。俺――自分の、今いる場所が、好きなんだ」といった電話を切る。

 田舎にはそぐわない近代的なビルやタイムうの襲来で川原が剥がれ落ちた屋根、村の目立つ漆喰の壁などが朝日に照らされていく。 自宅へ続く道を歩きながら目の前に広がる海が、いつになく美しく見えたのだった。


 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりは、中学校の屋上から我妻村全体を一望しながら煙草を吸い、十五歳になったばかりの自分の境遇を振り返る。

 ニ場の主人公の目的では、いじめられていた女子生徒に手を貸して膝に絆創膏を貼ってあげ、自己紹介して円と知り合う。

 二幕三場の最初の課題では、保護司をしている東川紀明の家に帰宅後、一緒に食事しては学校のことを聞かれる。四場の重い課題では、屋上で円に、自分といると「余計にいじめられるかもな」と身の上話をする。五場の状況の再整備、転換点では、少年院に入ることになったいきさつを話すと、「こんなに優しくて、暖かい人が――みんなから、誤解されてることが」と円に泣かれる。

 六場の最大の課題では、二年後、紀明の知人が経営する更生保護施設に就職した雄の前に母親と名乗る女性が現れる。

 三幕七場の最後の課題では、一緒に暮らさないかと母親に言われる雄。帰宅して円に「お前だっていつか、俺のことを捨てるくせに——俺のこと、利用しやがって」と八つ当たりをしてしまうも、保護司の紀明も円も自分を強く思っていることに気づいて、「おっちゃん――まどか――ごめん――ありがとう」と涙する。

 八場のエピローグでは、は母親に電話で一緒には暮らせない、自分の今いる場所が好きなんだと告げる。


 不遇な主人公が王子に見初められるも継母にいじめられ最後は王子の妃になるシンデレラ型に似た、嫌いだった我妻村だったけど好きになる展開は、読んでいて救われる思いがする。

「上」は泣ける話として、「喪失→絶望→救済」で書かれており、これだけでお話として成立している。

 だけど、それで終わると保護司の東川紀明を登場させた意味がないので、後半の「下」が必要なのがわかる。

 

 書き出しから、誰が、どこで、何をしているのかがわかる書き方がされている。年齢とかいつなのかといったまだわからないけれども、袴田雄が海沿いの場所でタバコを吸っているのはわかる。

 その場所というのが、日本の原風景が残っている我妻村で、主人公はその場所が嫌いだということも徐々に明らかになっていく中で、「中学校の屋上から」とでてくる。

 主人公は生徒なのか先生なのか、と考えていると、「真冬の、雪が降り頻る中、施設の玄関に置き去りにされたのは、きっと自分だけだろうと確信できる」と出てきて、生まれてすぐに母親に捨てられたのかと以外なことも、わかってくる。

 

「ねっとりとした風が、伸びかけの前髪にまとわりついて」とあり、潮風を表現しているのだろうと想像する。

 こういう比喩はいい。


「金色に染め上げられた髪が太陽の光を反射して、キラキラと輝く。その輝きがこれまた鬱陶しく――雄は重苦しい息を吐いた」とあって、自分で髪を染めておいて鬱陶しいとはどういうことなのかしらん。

 かつては、髪を切ったり入れ墨を入れたりするのは元服の際に行われ、大人になる象徴だった。現代なら、髪を染めたりピアスを開けたり、入れ墨やプチ整形なども当てはまる。

 主人公の彼は十五歳になったばかりとあるので、髪を染めてタバコを吸うのは、やさぐれているからというよりも、自立心が強い現れだと考える。

 また、自己防衛でもある。

 外国ならいざしらず、島国である日本はほとんどが黒髪で、単一民族といいたくなるような、同じ思考や趣味嗜好をしている。そんな中で、まわりと違うことをしていると、悪い言い方をすれば変な人と見られて嫌煙される。

 見目の違いは、煩わしいことに関わり合いたくない、というサインにもなっている。

 ほとんどの生徒が雄に関わろうとしないのも、噂だけでなく見た目の印象もあるだろう。

 中には「一人の馬鹿な男子生徒が――雄が起こした事件のことを口実に、食ってかかって来た」りすることもあるだろうけれども、よほどのことがない限りは避けられる。

 二年前に起こした事件のせいで、先生や生徒から疎外されているけれども、雄自身も彼らと関わり合いたくないと思っているのだ。

 屋上に一人でいるのと同じ。

 だから、髪を染め、煙草を吸っているのだと考える。

 十五歳になったのをきっかけに髪を染め、まだなれていないのだろう。

 ちなみに、屋上にいる話は冬だと考える。

 主人公は真冬に施設の間で拾われているので、彼の誕生日は冬で、誕生日を迎えて十五歳になったばかりというのだから。


 ペントハウスという言葉が使われている。

 屋上に作られた建物全般を指し、機械室や階段部屋などの塔屋もいう。

 本作の場合、屋上に出入りするための階段部屋を指しているだろう。

 表現が明るいせいか、ここだけ異質に感じるけれども、異常なことが起こっている証にもなっている気がする。

 いじめは、大なり小なりどこの学校でも起きているから珍しくもないかもしれないけれども、勉強をする場所としての学校での出来事としては、本来起きてはいけないことなので異質。

 背中に上履きの跡がついているということは、後ろから蹴り飛ばして倒させておいて、「ごめーん、足が滑ったぁ」「わざとじゃないんだから許してくれるよね、ね?」といっているのだ。

 悪質である。


「雄は吸い殻の火を、靴先で揉み消す」とある

 吸い殻は吸い終わった後の灰なので、火は残っていないはず。

 それでもポイ捨ては火事の元になる。

 消えていると思っても、消えていないことがあるのだ。

 彼としては、火が残っているかもしれないと思って、靴先でもみ消したのだと推測する。彼の動作だけ書けばいいのではと邪推してしまう。


「お見苦しいところを――」

 初対面で、雄に謝った後、口にしている。

 円はしっかりした子なのだろうと伺わせる話し方をしていく。

 絆創膏を貼ってもらったときも「ありがとうございます!」と言葉を述べている。

 体育会系なノリ。

 転校する前の部活は、運動部だったのではと想像する。


 いじめていた子に対して、「全然知らない子です」と応えているけれども、円は先月、転校してきたばかり。

 しかも、我妻村開発でやってきた不動産を親に持っているからと、再開発計画に反対する村人と、その子供たちから日夜嫌がらせを受けているので、クラスメイトともろくに話をしていないだろうし、友達もできていないはず。

 いうなれば、クラスメイトだろうとそうでなかろうと、円にとっては全員「全然知らない子です」であろう。

 だから、ひょっとするとクラスメイトかもしれないし、廊下で声をかけてきた別のクラスの子かもしれない。

 でも、彼女が言いたいことはそういうことではなくて、知らない子から毎日いじめられているといいたかったのだと思う。


 仕事熱心なのは良いけれども、縁もゆかりもない所にきて、再開発計画を成功させると息巻くのはどうなのかしらん。

 再開発というのであれば、地元住民の意見を取り入れるのが大切なのに。

 ひょっとすると、不動産業者が乗り出してきたので、市も市役所の横に『我妻村へようこそ! 日本の原風景が残る場所』と看板を建てたのではと想像する。


 円と雄は、事実を知らない周りの人間に疎まれている存在として描かれている。

 

「未成年の喫煙は、法律により禁止されています」という文面を見つつ、煙草を勧める雄。

 元服の儀式みたいなもので、周りから嫌がらせを受けて泣いてばかりいる子供でいてもしょうがないから、負けないように大人へと自立するしかない。

 そのための儀式が、煙草なのだろう。

 未成年は吸ってはいけない。

 つまり、子供は吸ってはいけないから、吸えるようになることで大人になろうとするのだ。


「雄はもうすっかり燃え尽きてしまった煙草を、海に向かって落とした。校舎と海との間に横たわる、国道のために——それが海に届くことはない。ただ風に巻かれながら、ゆるやかに地面に落下していくのみである」から、校舎が建っているのは、海沿いなのがわかる。反対側には、不動産のビルやひまわり園が遠くに見えるのだろう。


 初対面の彼女に、呼び捨てでいいというところに、雄の優しさを感じる。それでいて、いきなりは無理だろうと思う。

 円は年下で、女の子。

 呼び捨てでいいよと言われても、困ってしまう。

 雄は「なんだそれ」と小さく笑いかけてるということは、どうして彼女が恥ずかしがっているのか気が付きもしない。

 この辺りは、男の子なのでしょうがない。


「爪先同士を擦り合わせるようにして」など、ちょっとした仕草や動作の描写が素敵。主人公の彼が目に浮かんでくるようである。


 

「杳とした態度で相槌を打つ」

 はっきりしない態度で相槌を打つ、といいたいのだろう。

 曖昧な返事、みたいな感じかしらん。不明確、秘密めいた態度を指し、雄は真の感情を隠しているのかもしれない。


 血縁も養護施設関係ともちがう相手と暮らすことに慣れない主人公が「傷と隣り合うようにして彫られた『ノリアキ 七歳』の文字に、雄は生唾を飲み込む」という場面がある。

 彼はなにが気になったのだろう。

 捨てられて家族のいない自分には、楽しかった家族との思い出がない。自分よりもかなり年上の紀明にはそれがある。

 自分とは生き方がちがうのに、一緒に暮らして面倒もみてくれて、紀明はどうして保護司をしているのか。

 あるいは、この家は紀明が生まれ育った家なのだと思ったかもしれない。または、養護施設にいたときに自分もしたことがあるのを思い出したのか。とにかく、いろいろなことを考えたのかもしれない。


 保護司としては、雄の学校の様子を把握する必要があるのではと考える。

 保護司が未成年者を指導する場合、その子の日常生活全般を支えるために、学校の様子も確認することが大切だから。

 特に学業面や友人関係など、学校生活は子供の成長や心理状態を理解する重要な指標となる。ゆえに保護司として、教師や学校のカウンセラーと連携し、子供の状況を把握し、適切な指導やサポートを行うことが求めらる。

 雄に直接聞くことはもちろん、学校を訪ねては、学校での様子を確認しているはず。なので、授業も出ずに屋上でタバコを吸っているという話は耳にしていると考える。

 ただし、教師は毛嫌いして疎外していることは、自分たちからは話さないだろう。だから、雄に尋ねたのかもしれない。

 保護司の役割は、矯正プログラムの一環として、事件を起こした者や更生を望む者に対し、社会生活の適応を助け、人間性を回復させて再犯を防ぐこと。

 職務内容は多岐にわたり、同居する場合は更生者の日常生活のサポートや心のケアを行う。

 また、社会との接点を提供し、彼らが再び社会で自立して生活できるように支援する役割も果たす。例えば、仕事を見つける手助けや社会生活スキルのトレーニングなども含まれている。

 中学卒業した後に、就職先を世話したのも、保護司としての役割であったと思う。


 屋上に来たとき、からになったタバコの箱を握り潰してはポケットに入れている。

 二年後、母親が現れて一緒に暮らさないかと言われた夜、円を遠ざけてしまい、紀明もふくめて謝った後の場面で「すっかり歪み、塗装も所々剥がれかけてこそいたが――煙草の箱のように見えた」と、煙草の箱が出てくる。

 おそらくこの箱は、雄が少年院に入った経緯を話したときにポケットに入れたものだと邪推する。

 その時彼女は「雄くんが——こんなに優しくて、暖かい人が——みんなから、誤解されてることが」といって涙している。

 円はあのときの気持ちのまま、今日まで雄の側にいる証としてもっていて、「――愛、だよ」といったのだと思う。

 だったら、「折角来てくれたとこ、悪いけど——今日は煙草はやれねえからな」と、すっかりひしゃげたそれをポケットに押し込むのではなく、彼女に手渡す場面をさり気なく書いておけばよかったと考える。

 なぜなら、二年後の雄が煙草を吸っている場面が一度もない。

 ひょっとすると、中学を卒業をしたのをきっかけに、タバコを辞めている可能性がある。疎外されるような学校へ行っていたから、タバコを吸わなくてはいけなかっただけであって、紀明の知り合いのところで働くようになって必要とされているので、相手との距離を取る必要がなくなったから。

 そう考えると、煙草の箱をいつ手に入れられるのか。

 彼が中学を卒業した時にもらうこともできるけれども、「――愛、だよ」とはいえなくなる気がする。


 本作では、遠景、近景、心情で主人公の胸中を描写する書き方がよく取られている。

「かの児童養護施設を顎で指す」と屋上から見えるひまわり園の様子がまず描かれる。

「園庭では、今日も今日とて子供たちが無邪気に駆け回っている」「かの檸檬色の壁には――キリンや、ゾウといった動物の絵が描かれている」

 次に近場の「雄が密かに眉を顰めたことに、円はきっと気付いてはいないだろう」「雄は左腕を擦る」が描かれて、主人公の心情が語られる。

「俺が住んでた頃は、職員がしょっちゅう、施設で暮らしてるガキのこと殴ってた」「何か原因があって殴られてんなら、まだいいんだけどな――あいつら、なんの理由もなく殴ってくるんだよ。こっちとしては普通に過ごしてるだけなのに――歩き方がおかしいだとか、座り方がムカつくとか、因縁つけてくるんだぜ、意味わかんねぇだろ?」

 こういう景色との距離感を表現した後に心情を描くと、ぐっと深見が増す。


 さらに、情景、語らい、共感を用いている。

 ひまわり園を見ながら、雄の語らいを聞いている円は彼に共感していく。

「円は何も答えない。彼女の当惑しきった表情に、雄は自分がいつになく饒舌になっていることを自覚する」「円の怯えきった目つきは――あの日、銀杏の木の下で泣いていたかの少女のそれとよく似ていた」と聞いている彼女の情景と、雄の語らいを交互に描かれることで、読者は彼と彼女が感じたものに共感していく。

 この辺りの書き方がすごく良い。


 円に養護施設のことを話しているとき、「当時、施設で暮らしていた孤児達が、職員達によって足蹴にされている光景が、絶えずリフレインしている」とある。

 きっと雄には、円がいじめられていた光景をみたとき、孤児たちが足蹴にされている場面と重なっていたかもしれない。

 

 職員が小さな女の子に手を出したことを語るところが、辛い。

 聞いている円の様子をはさみつつ、話に出てくる女の子と重ねて、自分がしたことを淡々と、具体的に語られていく。 

「俺は、気がついたら、鉄パイプを持って、そのジジイの背後に立ってた。あとは、お察しの通り。俺はジジイの頭めがけてそれを振り下ろしてやったよ。ジジイは変な声をあげてその場に倒れ込んだ――蛙みたいな悲鳴だった」

 淡々と、具体的に語られていく。 


 鉄パイプがモヤッとする。

 鈍器の代名詞として、鉄パイプ、ガラス製の灰皿、スパナーのようなもの、花瓶などがある。

 問題は児童養護施設に鉄パイプが都合よくあるか否か。

 鉄パイプは、ありそうでない。

 児童養護施設内でありそうなのは、大型のレゴブロックや木製のブロック、厚手の絵本や辞書、金属製の園芸用具、厨房用具のフライパンやひしゃく、スポーツ用品ならバットかしらん。

 室内にある花瓶や置物も、現実味が増す。

 殴ったのが男の雄なので、腕力が出せるバッドでもいい気がする。 ただし、致命傷を与えたいわけではないし、血が昇ってやってしまった感じなので、手近にあるものを鈍器として選んだほうが現実味がでてくる。

 

「最終的に、雄の体に残っていた、職員による暴力の痕跡が有利に働いた」のは、左腕を骨折させられたことを指していると思われる。

 

 半年、少年院にいたということは、半年前まで養護施設にいたということ。

 雄がいたときには「キリンや、ゾウといった動物の絵」は書かれていなかったという。

 描いたのは、以前とは違うことをアピールしたいのと、事件を払拭させるためだと考える。

 問題を起こした職員は解雇になっている可能性があるだろうし、ひょっとすると職員全員を入れ替えたのだろう。

 その理由としては、施設の園庭では、まだ年端も行かない子供たちが弾んだ声を上げて駆け回っているから。以前はきっと、職員に怯えてはしゃぐことも許されていなかったに違いない。


「狭い村だ、噂はあっという間に広がる」

 雄が起こした事件のことも知っているけれども、悪いことをした五十代の職員のことも、噂に上って広まっている可能性も考えられる。

「群衆というのは、往々にして、面白みのない事実よりも、センシティブな嘘を好むもの」とあるので、職員の話は一過性だったのだろう。きっと、ひまわり園を首になった後、村を出たと思う。噂になっても、当人がいないと広めても面白みがない。

 だったら、村にいる雄に関する噂のほうが、根強く残っているのだろう。人の噂も七十五日というけれど、半年経っても疎外されているのなら、噂が消えるまで十年ぐらいかかるかもしれない。


「雄くんが――こんなに優しくて、暖かい人が――みんなから、誤解されてることが」は、彼女にも同じことが言える

 再開発に反対し、雄の苦しみをしって涙する優しさをもっているのに、みんなから村の敵だと誤解されては嫌がらせを受けていること。

 さらに、二人と同じ立場の人間がいる。

 それが東川紀明。

 彼は、孤児院に置き去りにされていた雄を最初に見つけた巡査部長、つまり警察官だった。

 その後も気にかけて交流があったに違いない。

 ひまわり園での虐待を話して信じてくれなくて、事件が起きたあと駆けつけて「――今更、何しにきたんだよ」と言われている。

 おそらく、このときには警察を退役している。

 だから、雄の相談を受けても、なかなか力になってあげることができなかったのだと思う。

 雄が逮捕されて少年院に入っている間に、「ぜんぶ――俺のせいだ」と悔やんで、紀明は雄を引き取るために保護司になったのだと邪推する。

 でもそのことは、雄はきっと知らない。

 紀明が優しくて暖かい人だということを、二年くらい知らず、誤解していたにちがいない。

 

 さらに、母親も同じだと思う。

 当時は生活が苦しくて育てられなくて、置き去りにしたのだ。それから十七年経って、宮田という人に会って、ようやく家族がもてるようになったときにネットで調べたら、事件のことが検索で出てきて、我妻村に来たのだろう。

 薄情な親だったら、調べたりしない。

 雄を利用しようとして現れた可能性もある。身籠っているので、子育てを手伝ってもらおうかなとか、そういった打算的な考えは多少はあるかもしれないけれど、親としては何もしてあげることができなかった分をしてあげたいだけなのだろう。

 だからといって、雄としては突然現れて、そんな事言われても、自分を捨てた人を許せるかというとなかなか難しく、苛立つ気持ちもよくわかる。


「いずれ自分が、円にとって必要のない存在になるだろうことは、わかっていた。円は、自分とは違う――自分のような、前科者とは」

 他者との線引が、彼の中には常にあるのが伺える。

 施設にいたときは、家族のいる人間と孤児とは違うと思っていきてきただろうし、少年院を出てからは、前科者とそうでない者という考え方をしながら生きていている。

「ノリアキ七歳」の柱の傷を見たとき、目に留まったのは、家族のいない自分を意識させられたからだとわかる。


「動き出した舌はさながら、陸上に打ち上げられた魚のように、のたうち回る」この書き方が素敵。

 手の押さえつけられないよう感じが出ていて、自分では余計なことをいいたくないのに口走る感じがよく出ている。


「円のものだろう、革製の通学鞄が投げ出されている。その口から覗く、キャラクターものの――幼稚なデザインのペンケースを視認したのち、雄は、立ち上がった」とある。

 雄にとって、円はどういう存在なのかがわかる場面だと思う。

 たまに寝泊まりに来て、ご飯も作ってくれているので、半同棲しているようなものなのだけれども、養護施設で妹のように思っていた女の子と重ねて見ていたときがあったので、年下の妹のようにみているのではと考える。

 自分は年上だから、年下の面倒をみなければならない養護施設で身についた考えから、余計なことを言った自分に否があるので謝らなければいけないと、すぐに行動に移せたのだろう。


「おっちゃん――まどか――ごめん――ありがとう」

 謝るとき、普段の呼び名なのだけれども、ひらがなで書いているせいか、十七歳にしては幼く感じる。

 だけど、この場面は これほどまでに自分を強く思ってくれる人間がいてくれたことに気がついたあとであり、紀明こそ自分の親と思ったし、円は大切な人だとわかったから、子供っぽく謝ってもいい。

 いままで強張っていた主人公の気持ちが、ようやくほぐれた感じがよく書けている。


 母親に電話するのだけれども、夜明け前なのだ。「雄はTシャツの袖から覗く、日焼けした腕をさする」とあるので、夏と仮定すると、午前五時くらいになる。寝起きを起こされて、母親も「……はい」と怪訝そうな声を出すのもうなずける。


 ラストの受話器をおいた後の描き方もいい。

「地平線の向こうから、朝日が半分だけ顔を出していた」と遠景を描いてから、「近代的な佇まいのビルディング。いつかの台風により、瓦の何枚かが剥がれ落ちた瓦屋根と、ムラの目立つ漆喰の壁。そのいずれも、柔らかい色の朝陽に照らされ、輝いている」「自宅へと続く道を歩き出して、雄は——目の前に広がる海へ、意識を向ける」近景を描き、「その水面を走る光の粒が、いつになく美しく見えた」心情を語る。

 自分のいる場所が好きなんだと告げた彼は、紀明と円がいてくれる自分の場所はなんと美しいことかと感じ入ったのだ。

 はじめは我妻村なんて嫌いだといっていた主人公が、である。

 

「静まり返った街を一瞥する」「田舎町にはそぐわない」とある。

 我妻村は村だったはず。

 ラストでは町と表現されている。

 円の父親が再開発を頑張って、二年の間に村を発展させて人口が増えつつある場所に変わってきたのだろう。


「地平線の向こうから、朝日が半分だけ顔を出していた」とある。

 日の出は海ではなかったらしい。

 東側に陸があり、南、もしくは西に海があって、日が昇り照らされた水面が輝いていたのかしらん。コンビニは海の近くにあるのだろう。「自宅へと続く道を歩き出し」とあるので、紀明の家も海沿いにあるのかもしれない。


 読み終わってから、タイトルを見直す。これから雄の未来地図が、明るく広がっていくのを感じさせられる話だった。

 この先も、大変なことはあるかもしれないけれど、紀明と円がいたら、乗り越えていけそうな気がする。

 すばらしい作品だった。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る