夜晴

夜晴

作者 谷口みのり

https://kakuyomu.jp/works/16817330655009544670


 生きづらさを感じていたとき出会った凪世の歌に救われた夜晴は、初ライブの三日前に大人の汚さに嫌になって田舎の街中で路上ライブをしていた彼と出会い、一緒にハンバーグを食べながら励まし、立つべきステージへと送り出した話。


 疑問符感嘆符のあとはひとマスあける云々は気にしない。

 知らないところで、必要な人に必要な声が届き、お陰様お互い様で救われていく世の中であってほしいと思わせてくれる作品。


 主人公は男子学生の夜晴。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 現在→過去→未来の順番で描かれている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 地方都市の街中にある高校に通っている主人公の夜晴は、幸せではないが不幸でもない。兄弟と同じように過ごしてきたのに、いつのまにか、少しひねくれた性格から生きづらさを感じていた。

 二カ月前、眠れない夜に見た音楽番組で凪世の存在を知り、彼の曲を聞いて求めていたものはこれだと思い、彼の全てを知りたいと思う。彼のCDを購入し、いつもの電車、学校、放課後、自分を少しの間だけ、いつもではなくするために彼の音楽を聞く。

 ある日の帰宅途中、駅に向かって歩いていると、アダルトで生ぬるい聞き覚えのある曲が聞こえてくる。その声に聞き覚えがあった。

 三日後に都内で初のワンマンライブを予定しているのに、街中で彼が一人、路上ライブをしていた。何時間も彼の路上ライブを見ていたが、自分の曲は一度も歌わなかった。

 ライブが終わると、ファンであることを隠し、思い切って話しかけ、ご飯に誘う。老夫婦が営んでいるこぢんまりとしたレストランに入りハンバーグを二つ注文した。

 東京でミュージシャンをしているシンガーソングライターの凪世は、関東出身の二十二歳、東京で一人暮らしをしている。小学生のとき、ギターを買ってもらってからずっと触らない日はなかった。高校のときは、軽音楽部と陸上部を掛け持ち、趣味は料理。

 音楽は誰よりも好きだし、それしかないのは分かっている。が、今の事務所の人間は自分を商品としか見ていない気がしていた。生活をするために妥協しなければいけないのもわかる。でも、自分の音楽は必要としている人に届いてほしいと思い、三日後にライブを控えているのを知りながら反抗してやろうと、いちばん早い新幹線に乗って着いた街で路上ライブをしていたと語った。

 彼から悲しくて寂しい匂いを感じた主人公は席を立って、彼の歌を歌い、ファンだと知られる。

 黙っていたことに気分を害したのか、「一部からは天才だなんて謳われている凪世が血を流して声を枯らして必死に歌っているなんてさ。それかいろいろ聞き出してインターネットの海に僕を沈めようとでも思った? 僕が二度と歌えないように」と言われたので、「いや歌えよ! 歌ってくれよ! 黙っていたのは本当に悪かった。ごめん。でも、ファンであることを伝えたら、余計君が苦しむと思って。君もプロだから、ファンの前では一応いい顔をすると思って言えなかったんだ。あと天才凪世様の弱ってるところなんてファンにとっては大好物なの! 雲の上の存在だった君にも人間らしい部分があって安心したし、君の力になりたいと思ったんだ。少なくとも僕には凪世の言葉が届いているし、僕は君の音楽に救われたから、今度は僕に君を救わせてよ!」と、人生で一番大きな声で本心を語り、「君の言葉は既にちゃんと届くべき人達に届いているから。君の音楽が大衆のなかに溺れてしまっても、僕がまた引っ張りあげるから。東京に戻ってまた歌ってよ。君が立つべきステージはここじゃないだろ?」見に行けないけど三日後のライブには出てと懇願する。

 凪世の目から涙がこぼれそうになっていた。

 スマホで調べると、東京行きの最終の新幹線は三十分後だった。支払いを気にする彼を「あの凪世様の生歌を聞かせてもらったお礼に僕が払っとくから!」と送り出す。

 二カ月後、人気のインフルエンサーが凪世の曲を流したことで彼の曲が大ヒットした。クラスの女子がよく凪世の話をしているのを聞くと、路上ライブしたことをみんな知らないと思うと優越感に浸るも、もうハンバーグ一皿で歌ってくれるようなアーティストでなくなったことを少し寂しく思う。

 数カ月すればサブスクの週間ランキングにも入らなくなる。それでも主人公は彼を忘れていないし、あの日の約束を守っている。六月一日の誕生日に、凪世のセカンドアルバムを購入。新曲のタイトルは『夜晴』と、主人公の名前がつけられていた。

 

 読者に考えさせるような書き出しがいい。

「卒業式の夜のにおい」とはなんだろうと、興味を惹かれる。

「食卓に並べられたごちそうと呼ばれるそれは、特別美味しいわけでもなく、もっと大切な何か、やり残したことがあるような気にさせる味で、でもそれが何なのか分からないもどかしくて切ないあの感じ」

 自分が卒業式を迎えた夜、なにを食べたか思い出してみなさいと言われているようで、考えてしまう。

 なにを食べたかより、卒業という区切りを迎えたことに重きを感じるので、別れの寂しさやこれからの不安や期待の混ざった感覚に読者は包まれるかもしれない。

 そこに「あぁ、そうだ。彼からは少し寂しいにおいがした」と続くことで、主人公が感じた彼の匂いを、読者にも想像しやすくしている。このあたりの書き方は上手い。

 冒頭の部分は、凪世と出会って食事をしているとき、彼が路上ライブをするに至った話をしたときの、悲しくて寂しいにおいがした場面を先行で描いている。


 次の場面では過去の場面、主人公がどういう人間かが描かれていく。主人公のひねくれ具合、性格が文面に表れているけれど、とくに幸せについて、悩んでいる気がする。

 幸せは、宝くじが当たって喜ぶのと同じく、偶然の産物。

 それがわかっていないで幸せを考えていると、偶然を願って生きているのだから、がっかりすることが多くなるのは目に見えている。

 偶然はたまにしか起きないから偶然というし、自分の頑張りとは関係ない。真面目に勉強するとか部活に励むとかすれば、なにかしらの満足は得られるし、その中でたまにはいいことだってあるかもしれない。

 幸せよりも、満足な生き方を選んで励めば、満ち足りた人生といえるし確かな幸せと呼べるだろう。


 主人公は「もし自分が女だったら、もし自分が大昔に生まれていたら少しは違っていただろうかなんて時々考える。ただその問いに答えがあるわけでもなく、それはあくまで『予想』でしかないけど、自分に都合のいい『予想』を立てれば少しは心が軽くなるわけで、自分を誤魔化して今夜も眠りにつく」と考えている。

 平たくいえば、口を大きく開けて寝転びながら「ごちそうが降ってこないかな」と願う、棚からぼたもちを願っているのとなんら変わりない。 

 そんな主人公が、眠れない夜に偶然、音楽番組で凪世の存在を知り、心惹かれた。まさに、棚からぼたもちが起きたのだ。


「なんだか最近のアーティストは自分の経験値だけで勝負しすぎている気がしていた」

 音楽に限ったことではないけれども、作品には作者自身の感情を注ぎ込むものと、できる限り作者の感情を入れずに読者を感動させる二種類がある。

 ネット配信が誰でもできる時代なので、自身の感情を作品に乗せる傾向が強くなる結果だと思われる。

 とくにシンガーソングライターは自分で作詞作曲をするので、より傾向が強い。昔の歌は、作曲家と作詞家と歌手、それぞれ違っていたので、昔の歌と比較すると自分の経験値だけで勝負していると感じやすいと考える。


 好きになったアーティストの曲に心酔する様子の書き方が上手い。

 普段の自分を説明したあと、彼の歌に出会ったらこんなに変わったんですよ、と使用前使用後の変化をコンパクトに描かれていて、「心が軽くなった。いや、麻痺したと言った方がいいかもしれない。彼の歌声は鎮痛剤のように心の痛みを少しの間だけ抑えてくれた」と、どんどんハマっていく過程もテンポよくていい。

 その後の、「いつもの電車。いつもの学校。いつもの放課後。いつもの僕。そんないつもを少しの間だけ、いつもではなくするためにいつも僕はヘッドフォンをする」

 リズムよく読めていく。

 いつもは音楽の世界に潜っているのに、今日は少し違い、外の世界へと視線を向けている。

「聞き覚えのある声が聞こえてきた」のが理由だろう。ヘッドフォンをしていても、外の音は聞こえる。

 とくに主人公が心酔している人の声だったことが、一番の要因だったと思う。

 

 そもそも、なぜ凪世は裸足だったのかしらん。

 ストリートミュージシャンを含むパフォーマーが、路上ライブで裸足のパフォーマンスをすることは珍しくはない。

 裸足で演奏すると快適で動きやすくなったり、地面とのつながりから観客とのつながりを感じられたり、個人的なスタイルや芸術的表現の一環、本当の自分への回帰を象徴の場合もある。

 凪世は、自分の歌が必要な人に届いてほしくて歌っているので、必要な人とつながることを願って裸足だったのかもしれない。

 

 主人公が食事に誘っている。

 隠しているとはいえ彼のファンだし、「彼の歌はお金に換えられないような気がして、何か彼の力になれることがしたかった」思いが強かったのだろう。

 どうして、凪世が「情緒が不安定」だと判断できたのだろう。

 裸足でアコースティクギターを握る右手が赤く血をにじませ、絞り出すように歌う姿が、いつもの彼とは違っていたからかもしれないけれど、パフォーマンスという可能性もあるはず。少なくとも主人公にはそうみえたのだ。

 問題は、高校生の主人公に食事を誘われて「いいよ」とどうして応えたのだろう。

 学校帰りだから、学ランかブレザーかわからないけれど、高校生という格好をしているはずの主人公に、「いいよ」というだろうか。

 お腹が空いていたのか、あるいは思わず新幹線に飛び乗ってきたから、持ち合わせがそれほどなかったのかもしれない。

 帰りの電車賃をもっていたので、東京へ帰るつもりはあったのだろう。お金を出そうともしているので、持ち合わせがなかったわけではなさそう。

 見ず知らずの人と話したかったのかもしれない。


 凪世は地方の街中で路上ライブした理由も、素直に話している。食事を奢ってもらったからかしらん。


「同情でもした? 引いたよね。一部からは天才だなんて謳われている凪世が血を流して声を枯らして必死に歌っているなんてさ。それかいろいろ聞き出してインターネットの海に僕を沈めようとでも思った? 僕が二度と歌えないように」

 感情的になって神経質になっている。

 見ず知らずと思っていたら、ファンだったという関係性が崩れてからの感情を吐露する展開は、少女漫画でもよく見られるし、互いに本音を出し合っていく書き方は上手い。


 ひょっとすると凪世は、ネット関係で嫌がらせをされたことがあるのかもしれない。学生時代に悪口書かれたとか嫌な思いしたとか。


 主人公と凪世はよく似ている。

 むしろ対になっている感じがして、主人公のような、少しひねくれたところが凪世にもあったのかもしれない。


「『ごめん』さっきまでのおとなしい僕との変わりように驚いたのか、ただ一言、凪世はこう言った」とあるけれど、こう言ったじゃなくて、そう言った、かしらん。あるいは「さっきまでのおとなしい僕との変わりように驚いたのか、凪世はただ一言、『ごめん』と言った」みたいな書き方をしてくれたほうが、次の主人公のセリフと混同しない。


「僕より五つも上の立派な大人が、田舎の少年の憧れであり、世の中が認める天才が、何だか頼りなく見えて、僕の皿に一口分残っていたハンバーグを彼の口に詰め込んだ」ここがとってもいい。

 大人になってからと、子供のときの五つ年上の感覚はちがっていて、十代のときはすごく大人に見える。

 だから「立派な大人が」という表現になっている。

 大人から五つ年下を見ると、つい最近と思えて、親近感が湧くし、可愛くも見えるし、懐かしくも感じる。

 なるほど、凪世は主人公に懐かしさを感じて、一緒に食事をしたのかもしれない。

 高校生の主人公くらいのときに、「軽音楽部と陸上部を掛け持ちしていた」とあるので、仲間と一緒に音楽をやっていたときが楽しかったのかもしれない。それを、主人公に会って思い出し、一緒に食事をすることにしたのかもしれない。

 そんな相手から、「少なくとも僕には凪世の言葉が届いているし、僕は君の音楽に救われたから、今度は僕に君を救わせてよ!」「君の言葉は既にちゃんと届くべき人達に届いているから。君の音楽が大衆のなかに溺れてしまっても、僕がまた引っ張りあげるから。東京に戻ってまた歌ってよ。君が立つべきステージはここじゃないだろ?」といわれたら、涙が溢れてしまうのは当然だ。


「凪世……。本当に忙しい人だったよ。彼はきっと心より先に体が動くタイプだな。僕には持っていないものを持っていて心から惹かれる」と主人公は彼を見ている。

 音楽をする人は体も楽器なので、どちらかといえば体育会系だし、彼は軽音部と陸上部に所属していた。

 主人公がそう思うのは仕方無けれども、彼を食事に誘い、彼の歌を店の中で歌い、彼を励まし、スマホで東京行きの最終新幹線の時刻を調べて教え、送り出す様子は思うより先に行動している。

 主人公も、本人が気づいていないだけで、きっと心より先に体が動くタイプだと思う。


 流行りは一過性で、一瞬バズっては、忘れられていくのは寂しいし、「中古品の棚にたくさん凪世のCDが並ぶようになった」のも切ない。


「第一に僕は凪世を忘れていないし。あの日の約束は守っているから」とある。彼のファンであり続けているという意味だろうけれども、あの日の約束とは「君の音楽が大衆のなかに溺れてしまっても、僕がまた引っ張りあげるから」だと思われる。

 具体的に、なにをしているのだろう。

 SNSやリアルでの布教活動かしらん。

 ひょっとすると、ライブに足を運ぶようになったのかもしれない。

 新曲に、主人公の名前の詩がある。

 ハンバーグを食べた時に、名乗り合っている様子がない。でも凪世は名乗っているので、そのときに自己紹介をしたと想像すると、あの日以降、まだ凪世とは会っていないのではと思う。

 だから、新曲のタイトルに名前をつけ、思いを込めてうたったのだろう。


 読後、夜晴という主人公の少年の話が語られてきたと思ったのだけれども、「夜晴」という歌が生まれたエピソードを描いた作品に感じた。

 いつか再会し、今度は楽しく笑いあって話せますように。

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