背中合わせでも幸せに

背中合わせでも幸せに

作者 千桐加蓮

https://kakuyomu.jp/works/16817330661814122045


 十六年前、末期癌の兄のかわりになろうと兄の恋人の望みを叶えたくて生まれた真雪風菜のウェディングドレス姿を公園で撮ってほしいと、俳優の石倉優(本名:久留藤流夜)に頼まれた高校生写真家の結野は、叔父が好きと答える彼女の笑顔を写真と動画に納めていく。「人生はかくれんぼみたい」と話す風菜の母親に「幸せになれる方法を見つけてください」と言葉をかける。好きに区切りをつけるためだったと語った流夜は、「隠していたのは俺だけじゃなかったみたいだよ」写真を見ながら困ったような、切ない笑いをする話。


 誤字脱字云々は気にしない。

 振り返ると一本道を歩いてきたように見えるけど、決してまっすぐでもなければ平坦でもない。なにが正しいのか答えもないけれど、歩いてきた道は自分だけしか歩けない唯一の道だったと思える瞬間が、人生には必要なことを教えてくれる作品。

 おしくらまんじゅうをして心温まる、そんな感じがする。


 主人公は高校二年生の結野。一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 現在→過去→未来の順番で書かれている。

 カメラで撮影する話なので、風景描写や見せ方にこだわりを感じる。風菜の人物描写はされているし、他の登場人物の表情はよく描かれている。


 女性神話とメロドラマの中心軌道に沿って書かれている。

 SNSで撮った写真をきっかけに知り合い、主人公の結野を含めた五人の高校生写真家は、東京で小さな展覧会を三日間開いた。最終日の夕方、あと一時間出終わる頃、俳優の石倉優(本名:久留藤流夜・三十六歳)が春の日の公園のブランコと水溜りに桜吹雪が写っている写真をみて、「君の写真は透き通るような写真ですね」と主人公に声をかけ、落ち着いたら連絡を入れてほしいと言われる。

 一週間後の日曜日の昼、上野駅の中央改札で待ち合わせをし、個室の高級焼き肉屋の最上階にある個室の窓際の席で、十六年前に産まれた俺と兄の恋人の方との子供である、高校生になった娘の写真を取ってほしいと依頼する。

 十六年前、末期癌の兄のかわりになろうと、兄とは結婚できないと思い、恋人の彼女が望むことを叶えたかったと話す流夜。写真の報酬は依頼料とは別に支払ってくれるという。

 写真の要望は、ウェディングドレスを身にまとい、公園で撮ってほしいとのこと。たまに訪ねては公園で散歩していたが、最近は会えていない話をし、自分の気持ちに区切りをつけたい、兄の代わりに父親らしいことをしたい、と気持ちを伝えられる。

 東北の山に囲まれた地域に暮らす真雪風菜は、高校一年生の入学式を終えた翌日、春の山の公園にあるブランコ前でウエディングドレスを連想させるような純白な服を纏う姿で、カメラを構える結野にシャッターを切られていた。

 写真を撮りながら、高級焼肉屋で見せてもらった、流夜さんとお兄さんとお兄さんの恋人だった風菜ちゃんのお母さんの三人が病院内で撮られた写真を思い出す。流夜と兄は、鼻の形が似てるくらいで、正直あまり似ていなかった。

 大きくて優しさが滲み出る目の形。クシャっと笑ったその笑顔。風菜の目元は父親に似ていると結野は思う。

「ありがとうございます。私、この公園に来る度に思い出すんです。父方の叔父さんと遊んだこと。私、好きだった。だって、優しくて面白いし」と話す彼女。「付き合いたいなぁって思ってた。三年前に、結婚しちゃう前までは。歳も離れているし、叔父さんはそうは思っていないと思うけどね」

 吹っ切れてはいないけれど受け入れるしかない顔で、彼女は空を見上げて目をつむる。その姿を撮影すると、驚いた表情をしていた。

「俺からは何も言えないし、風菜ちゃんはそう言う慰めの言葉みたいなの多分求めていないと思う。まぁ、俺は、君の写真撮りたいから撮るよ」

 切り替えていこう、と結野がベンチから立ち上がると、「あ、あの! どうして、透き通るように撮れるんですか? なんで、そんな風に人の気持ちに寄り添える写真が撮れるんですか?」そんな彼女を撮りながら、「それがプロってもんでしょ? 人生のプロっていないと思うけど」と答える。

「ずるい」「え?」というやりとりが何度か続いて、最後には笑い合う。被写体の彼女に春の花のブーケを持ってもらい、彼女の全身全霊の笑顔をカメラに収めていく。

「忘れられない恋をした私は花嫁じゃないよ」「天使だよ!」と満面の笑みを浮かべ、ヒールを脱いでベンチの上に立ち、手を高く上げる。

 スニーカーに履き替えてもらい、ブランコに彼女は揺られている。その姿を動画撮影していると、「運命の人いつ現れるかなぁ。高校ライフを満喫してたら恋人できますかね?」と聞かれる。彼女がいたことがない結野は「えー、俺に聞かないでよ」と笑う。

 彼女は急に立ち上がって振り向き、「よし、決めました‼ 私、吹っ切れます」キラキラ瞳を輝かせる。

「まぁ、そう簡単にいくのかな」

「ドロドロの恋愛小説ばっかり見てるんですか? 少しは未来に期待しましょう!」彼女はガッツポーズを結野に見せ、「結野くんは、恩人ということで、恋人になるとかはないと思うよ」といわれる。グサグサいってくる天使だなと苦笑するしかない。

 もう一度ブランコに乗り、「叔父さんとね、よく遊ぶ時に乗ってたの」「また、会いたいなぁ。結婚とか私がするとしたら、その時も来てほしい」立ちこぎして背伸びをする彼女に叔父さんは好きか聞くと、「好き」と彼女は答えた。

 風菜の母親がお礼をしたいからと、公園から歩いて三分のところにある彼女の家に招かれる。風菜を買い物に行かせ、二人きりになると「流夜くんが言ったことは、全部本当。でも、私が悪いの」と昔の話を語りだす。「二十七の私と二十の彼。私は、流夜くんの兄である亮のことを考えたつもりになっていたけど、限界だった」「風菜を授かった時、周りは驚いていた。そりゃそうよね。末期癌の彼氏との子供を授かるなんて。浮気を疑われたし、私だって信じたくなかったわよ。後悔した。亮は、流夜くんとの子供って言ったら」「『ごめんね、産んでほしい』って言ったのよ。どんな想いだったかなんて、私や流夜くんが計り知れないくらいの悲しみがあったと思う。だから、私たちは彼の気持ちに応えようと思って産んだ。せめてもの償いだと信じて」「風菜は明るく振る舞っている。あの子には、父親は亮って伝え続けるつもり」

 流夜の兄は、今日みたいな春の日に亡くなったという。

「こんな話をするつもりはなかったの。本当にごめんなさい。自分と流夜がした行いは浮気。これは紛れもない事実で変えようのない過去」涙を流す彼女に、「まだ、高校生の俺が言うのもどうかと思いますけど、これは思い出です。さっきの過去の話も思い出」「もう、終わったことです。でも、風菜ちゃんは今日も笑って側に居てくれると思います」と結野は励ます。

「人生はかくれんぼみたいなのね。だって、みんな自分の人生の中で迷子になっているから」

 彼女の言葉を肯定も否定もせず聞いていると、風菜から電話がかかる。写真を見せてもらっていたと応える。電話の後、これからどうしようかしらと微笑む彼女に、「幸せになれる方法を見つけてください」「かくれんぼな世界でも、幸せになりたいじゃないですか」

と話す。「色々押し付けちゃってごめんなさいね……。風菜と仲良くなってくれたら嬉しいわ」と玄関まで見送られた。

 後日、個室のカフェで流夜に花嫁姿の風菜ちゃんの写真を見せる。

 何に関しての区切りだったのかたうねると、「好きなことに対して」と素敵に笑う。「気付かないふりというのは、難しい。でも、違った。それはもっと簡単でシンプルなことだった。気付いてしまえば、簡単なこと。でも、気付かなければ良かったと思う。だけど、俺は、分かっていた。だから、区切りをつけた」

 流夜の言葉に「隠れたがりですね」と呟けば、「そうだね。でも、隠していたのは俺だけじゃなかったみたいだよ」風菜の動画を何度も再生しては愛おしそうに、困ったような、切ない笑いを見せていた。


 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりは、春の山の公園で、結野は花嫁姿の風菜を撮影している。二場の主人公の目的では、数ヶ月前、撮影した写真をSNSに公開したのをきっかけに出会った高校生写真家が東京で小さな展覧会を開いたとき、結野の写真をほめた俳優の石倉優(本名:久留藤流夜)からお願いがあると連絡先を買いたメモを渡され、一週間後の日曜日の昼、個室の高級焼き肉屋で会うことになる。

 二幕三場の最初の課題では、流夜から、末期癌でなくなった兄の恋人との間にできた娘の写真を取ってほしいという。四場の重い課題では、撮影費用は依頼料とは別に払うこと、区切りをつけたいから、公園でウェディングドレス姿でとって欲しいと頼まれる。

 五場の状況の再整備、転換点では、風菜を撮影しながら彼女は小円に来ると叔父と一緒に遊んだことを思い出し、叔父が好きだったけど初恋は終わったと、受け入れるしかない顔をする。切り替えていこうと声をかけると、忘れられない恋をした私は花嫁じゃない、天使だよと元気に言い切り、満面の笑顔を見せる。

 六場の最大の課題では、ブランコに揺れる彼女を動画撮影していると、「私、吹っ切れます」と高らかに宣言する彼女。「また、会いたいなぁ。結婚とか私がするとしたら、その時も来てほしい」と可愛らしい笑顔でささやく彼女に叔父さんは好きか尋ねると「好き」と答えるのだった。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、風菜の母親にお礼がしたいといわれ彼女の自宅にお邪魔する。母親と二人きりになり、当時のことを思い出して語り、父親は癌でなくなった亮だと伝え続けるつもりだという。変えようのない過去に苦しむ彼女に、花嫁姿で笑う写真を見せながら「これは思い出です。さっきの過去の話も思い出。もう終わったことです。でも、風菜ちゃんは今日も笑って側に居てくれると思います」と声をかけ「幸せになれる方法を見つけてください」と励ます。

 八場のエピローグでは、後日、個室のカフェで流夜に花嫁姿の風菜の写真を見せ、区切りとはなにか尋ねる。彼は「好きなことに対して」と答える。隠れたがりですねと呟くと、「隠していたのは俺だけじゃなかったみたいだよ」風菜の動画を見ながら嬉しそうに、切ない笑いをしていた。


 冒頭が、映像的で、コマ割りされた書き方をしていていい。

「俺の目の前で振り返った少女」から、読者の中では、いろいろな振り返る少女が浮かぶ。その次に「春の山」から季節が、「公園のブランコの前」という場所、「白いワンピースというよりは、ウエディングドレスを連想させるような純白な服を纏い」から服装、「ハーフアップで纏められたロングの黒髪がふわりと揺れる」では髪型の情報が与えられていく。

「彼女は、まだあどけない顔立ちではあるが、純白な服を着こなしていた」から、中高生かなと年齢を想像させる。

「春の花は風に吹かれている。桜の花びらが舞って俺たちを包み込む」では、さらに具体的に季節と状況を伝えてから「俺はカメラのシャッターを押した」いままで浮かんできた風景と人物が、一枚の絵として読者に想像させる。

「桜が舞ってますね」

 と、彼女のセリフがあると、止まっていた写真が動き出し、この子はどんな子なのだろうと興味を持ってそのまま読み進めていける。

 できるなら、昼間なのか夜なのか、時間を感じさせる描写があるとなお良かったかもしれない。

 

「白いワンピースというよりは、ウエディングドレスを連想させるような純白な服」がモヤッとする。

 彼女が着ているのは、ウェディングドレスではないのだろう。

 だけど、ただの白いワンピースでもない。

 フリルがいっぱい付いた白いドレスを来ているのだろう。

 借りるにしろ買うにしろ、用意しなければならない。

 誰が用意したのだろう。

 写真を依頼した流夜、もしくは依頼料を先にもらっているので、結野が用意したか。でも彼女のサイズがわからないので、ドレスを用意したのは真雪風菜か、彼女の母親か。

 写真撮影の依頼をしたとき、流夜は真雪風菜の母親にも伝えているはず。ひょっとすると、サイズを電話で聞いて流夜が選んでそれを送り、撮影に望んだのかもしれない。

「ヒールは、まだ似合わない。それは依頼人に伝えようと思った」とあるので、衣装を用意したのは流夜なのだろう。

「ハーフアップで纏められたロングの黒髪」は母親にしてもらったか、美容院にいってやってもらったと考える。


 結野は、はじめて彼女の花嫁衣装風の姿を見たと思う。

 彼女がいたことがない彼はドキッとしなかったのだろうか。

「我に帰ると、カメラは彼女を捉えているわけではなくて、彼女の向こう側の景色を撮影していたことに気付いた」と、被写体が彼女ではなく桜に向けられていて、魅力がないのかと思ってしまう。

「桜の花びらが凄くて」

「どう、凄いんですか?」

「綺麗です」

 目の前の彼女より綺麗と答えたのだ。

 彼女はくすっと笑っているので、気にしていない子だと思うけど、自分の写真を撮りにきた人が桜が綺麗だから撮ってなかったといわれたら、気分はよくないとおもう。

 結野はこれまで、風景をよく撮ってきたから、目の前に可愛い子がいても、いつもの癖で風景に焦点を合わせてしまったのかなと邪推したくなる。

 そのわりには、初対面の風菜に自然に声をかけながら、緊張を少しずつ取っている。

 風景ばかり撮ってきたわけではないはず。

 そう考えると、故意で桜を撮り、その反応から彼女の素の表情を出させようとしたのかもしれない。

 高校生写真家として、仲間とともに展覧会を開くだけのことはあるなと関心する。


 一話の、入学式翌日の撮影をしている数カ月前、東京で小さな展覧会を開いたのだろう。

 数カ月前といえば、二、三カ月前くらいを指すので、一月とか二月が考えられる。

「俺は窓の外を見た。冬の風が吹いているのか、木々の葉が枯れ始めていたのだ」と、焼肉店の最上階の個室の窓側の席で食べているとき、街路樹だと思われる木を見て思ったことが書かれている。

 ここからだと、焼肉店で話をしたのは晩秋な感じがする。

 最近の温暖化で、冬になってもなかなか紅葉しないときもあるので、葉が枯れるのも一月にならないと枯れなかったのかもしれない。

 冬休みなら学校も休みなので、三日間展覧会を開くのも可能だろう。

 だけれど、二人が焼肉を食べながら話していたのはいつだったのか、モヤモヤしてしまう。


 流夜は東京で開かれた小さな展覧会を訪ねたのは、偶然だったのかしらん。仕事の関係で、頼めるカメラマンはいるだろうけれども、公にしたくないから、有名じゃないけど素敵な写真を撮る人を探していたのだろう。


 主人公の結野と流夜は、どちらも「俺」と表現されている。混同する箇所はないけれども、「俺」と「僕」とわけても良かったのではと邪推する。


 主人公は春から高校二年生になるので、焼肉を食べているときはまだ高校一年生である。やけにしっかりしていて、関心する。


 肉を網の上に並べてはいるえど、肉を食べている描写がない。物語に必要はないけれど、高級焼肉店である必要があったのか、考えてしまう。高級焼肉店は、流夜はお金を持っているんだよ、というアピールだったのかもしれない。

「それから、しばらくして」とあるので、この間に食べたのだろう。

 あらかた食べ終わって、「俺は俳優もやってるし~」という話になったのかもしれない。


 亮の恋人は、本当は彼の子供が欲しかったのだろう。だったら彼とすればよかった気もするけれど、病気の進行具合から無理だったのだろう。それでも欲しくて、周りの人たちに亮の子だと周知するために選んだ方法だったのだろう。

 彼女の自己満足な気もするけれども、亮を愛した形が欲しかったのだと想像する。

 

 風菜が「父方の叔父さんと遊んだこと。私、好きだった。だって、優しくて面白いし」と話し、「付き合いたいなぁって思ってた。三年前に、結婚しちゃう前までは。歳も離れているし、叔父さんはそうは思っていないと思うけどね」と告白している。

 小さい子供が「パパのお嫁さんになる~」みたいに思う感情が風菜にもあって、実父と知らないから、その気持ちをもって大きくなったのではと思いたい。

 

「俺は、頭を抱えたいところだが、抱えることはせずにそのままで固まっていた」ここが面白い。

 事情を知っているから頭を抱えたい気持ちはわかる。

 口止めはされてはいないと思うけれど、そんなことを言ったら、いい写真は取れないし、誰も幸せにならないから墓場まで持っていくだろう。

「私の初恋は終わったってわけ」

 この言葉を聞いて、結野はホッとしたはず。

 はずなんだけど、動画を撮って「また、会いたいなぁ。結婚とか私がするとしたら、その時も来てほしい」の流れで「叔父さん好き?」と聞いたら「好き」と応えている。

 初恋は終わっても、好きな気持ちに変わりがない。

 流夜は動画の部分をみているだけだから、風菜が自分のことを結婚したいくらい好きだったことは知らないと思う。

 ただ、「叔父さん好き?」「好き」だけみても、家族愛じゃなくて自分のことが好きなのかと思ったから、「嬉しそうに微笑ん」では、「愛おしそうに」「困ったような、切ない笑い」をしたのだ。

 親としては、自分のことが好きだと娘に言われるのは嬉しい。

 認知していないけれども、実娘には違いないから、大きくなったと愛おしそうに思うし、複雑な思いが込み上げてくるのは仕方ないかもしれない。


 結野が風菜に、「俺からは何も言えないし、風菜ちゃんはそう言う慰めの言葉みたいなの多分求めていないと思う。まぁ、俺は、君の写真撮りたいから撮るよ」「切り替えてこ!」と声をかけるところがいい。

 本当にプロのカメラマンという感じがする。

 そもそも、お金をもらって撮影をしているので、立派なプロカメラマンといっていい。

 それよりも、結野のカメラマンとしてのプロ意識の高さが素晴らしい。きっと、小さい頃から撮影してきたのだろう。

 今までの経験から得たのか、独学で勉強をしてきたのか。

 風菜でなくとも、「どうして、透き通るように撮れるんですか?  なんで、そんな風に人の気持ちに寄り添える写真が撮れるんですか?」と聞きたくなる。


「人生のプロっていないと思うけど」というセリフは、流夜のような大人の俳優でも、「大人って不思議だよね。大人なのに、自分で作った原因を自分で対処しきれなくなって、大人の定義みたいなのを俺は知らない。知らないで終わらせられないけど」悩みながらも、確かだと自身が思う一歩を歩んでいる姿に触れたからいえたのだと考える。

 ひょっとすると結野は、様々な人の写真を撮りながら、その人達の生き方を聞いてきたのかもしれない。

 それが、結野のいう「プロ」に通じ、透き通るような写真が撮れるのだろう。


 流夜や風菜の母親が結野に、誰にも打ち明けてこなかった過去を話すことができたのは、第三者だったから。おまけに、否定も肯定もせず、彼はよく話を聞く。だから、打ち明ける側も話しやすかったのだろう。

 

 風菜の母親は、亮と同じ年齢だとすると、四十四歳だと推定される。

 四十四歳の大人相手に、十六歳くらいの結野が、花嫁姿の風菜ちゃんが笑っている写真を見せながら、「まだ、高校生の俺が言うのもどうかと思いますけど、これは思い出です。さっきの過去の話も思い出」「もう、終わったことです。でも、風菜ちゃんは今日も笑って側に居てくれると思います」といって、慰めては励ますところが実に良い。

 大人びているどころではない。

 かなりの場数を踏んでいる感じ。

 小さい頃から大人に混ざっては、話を聞いてきた経験があるはず。

 そんな結野だから、透き通る写真が撮れるし、流夜は仕事の依頼はするし、それに答える撮影もこなせるのだと思う。

 結野のキャラクターが良くかけている。


 気になるのは、風菜の母親や流夜に撮影した写真を、どうやって見せていたのか。

 プリントアウトしてはいないだろうし、かといって、デジカメの小さな画面で見せているわけではなさそう。タブレットやテレビに繋いで見せている描写もない。

 その辺りは、わかるようにさり気なく描写してほしい。


「人生はかくれんぼみたいなのね。だって、みんな自分の人生の中で迷子になっているから」

 かくれんぼと迷子が繋がらないけれども、言わんとすることはなんとなくわかる。ちょっと隠れたつもりが、周りから取り残されて迷子になってしまう、そんな場面が人生にはあるのだと、風菜の母親はいいたかったのだろう。

 それに対して結野は「幸せになれる方法を見つけてください」「かくれんぼな世界でも、幸せになりたいじゃないですか」と声をかけている。

 打ち明けられなくとも、風菜の成長を流夜に知らせて一緒に祝えばいい。表向きは叔父なのだから、折に触れて一緒に喜ぶのになんら問題ないのだから。


 電車での帰りの、窓から見える風景描写が素敵だった。

 雲ひとつなくてどこまでも澄んだ春の空の下、「小さな女の子が父親と母親の手をしっかり握って歩いていた」様子を見ながら、風菜と両親の三人が手を繋いで歩いている姿と重ねて見ていたのだろう。一緒に暮らしていなくても、三人が互いを大切に思っていたを知って、微笑ましくなって、温まっていく。


 流夜の「好きなことに対して」の区切りとはなんだろう。

 やはり家族愛としての好きだと考える。

 でも、結婚して幼稚園に通う子供もいるのだから、自分の家族を大切にしていかなくてはいけない。そういう意味の区切りなのだろう。

 娘の風菜はお嫁に行ったんだよ、みたいに思うために。


「春風が吹いて、窓がカタンと音を立てる」は、情景描写でも区切りをつけたのだと思う。


 最後は笑顔が終わるところがいい。

 ちょっと困ったような感じもあるけれど。


 人生はかくれんぼで、三者が描かれいるところもいい。

 それぞれ秘密を隠しながら、互いを思いやっている。

 離れ離れだけれども、家族なんだと思える書き方がされていて、心温まる。


 読後、タイトルを見直すと、三人がおしくらまんじゅうをしながら笑っている姿が目に浮かんでくる。結野はこれからも、相手に寄り添うような素敵な写真を撮っていくだろう。いい話である。



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