6月19日の君へ

6月19日の君へ

作者 天井 萌花

https://kakuyomu.jp/works/16817330661237704699


 幼馴染の河合奈緒美が大好きで、日本近代文学を読む以外苦痛に思っている中谷治子は、ずっと奈緒美と一緒にいられないから、と桜桃忌に自殺してしまう。『春日狂想』の詩から治子の思いを知って生きなければと思った奈緒美は後に作家となり、生まれ変わったなら沢山の本を読んでほしいし、待っていてくれるなら天国で読んでくれていることを願いつつ、二度と不安にならないよう、今でも君が一番大好きだと伝える話。


 疑問符感嘆符のあとはひとマスあける云々は気にしない。

 同性同士の恋愛ものである。

 互いに思い合いながらも死別ものではあるが、読後は開放的で、たとえどんな事があっても生きていこうと強く思える。


 主人公は河合奈緒美。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 現在→過去→未来の順で書かれている。

 また、恋愛ものなので「出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末」の流れで作られており、結末は「死別」であるものの「卒業」でもある。

 卒業には「泣く」「感慨にふける」「開放感に浸る」「すねる」の四つがあり、本作は開放感に浸る感じ。


 お話全体は、それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプと絡め取り話法で、中谷治子は女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 幼い頃から日本近代文学が好きな中谷治子は、幼馴染の河合奈緒美が大好きで、他に友達はいなかった。

 中学三年のとき、国語以外成績の悪かった治子は文豪の太宰治にあやかり、欠点を書いたてるてる坊主を作って川に流すお呪いをすることで受験を余裕で終える。高校一年生の六月十三日、約束どおり奈緒美にやり方を教え、奈緒美は『人見知りな私』と書く。治子は自分の名前を書いていた。二人だと心中みたいで素敵といい、川に流す。

 お呪いが聞いたのか、奈緒美は治子以外の友達も増えた。高校二年の六月十三日に治子にお呪いに行こうと声をかけられるも、友達とクレープを食べに行く約束があって断る。『明日から一緒に登校しなくていいよ。』と治子からメッセージが届く。怒ってないとしながら、他の人といくからと返事が来る。

 以来、治子とは登校しなくなり、親友で幼馴染から、少し仲のいいクラスメイトのような関係になってしまった。治子は六月十三日、治子は告白されて彼氏ができたらしく、それから毎日彼と登下校しているが、長続きせず、相手お男はコロコロ変わっていた。

 治子と同じ大学に進学してから二年が過ぎ、二人の関係は高校一年生の時に戻ったように仲良くなる。それでも奈緒美には友達がいて、治子には彼氏がいる。小学三年生から毎年四月二十六日の奈緒美の誕生日に、治子から本をもらっている。中原中也の『在りし日の歌』をもらい、『春日狂想』がお気に入りだといって「『愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。』って本当だと思う?」感想を聞かれる。治子が求めているものを考えたがわからず、本当じゃないと思う、と口にする。「だってこの詩の人は死んでないよね? だから作者も、悲しくても死んじゃだめだよって言いたいんじゃないかなって……思って」「それに死んだ人だってその人を愛してたはずだよね。それなら死んじゃった人は自分の後追いなんてしてほしくないって思ってると思うから」治子はなるほどねと呟いて本当かどうかは作者しかわからないけれども、「私は、ナオの考え好きだなー。安心した」とくしゃっと顔を歪ませて笑った。彼氏ができても、結婚しても、一番大切な親友だと思い、今のような関係が保つことができたらいいなと奈緒美は思っていた。

 六月十三日、治子は大学を休んでいた。彼女がクリームソーダを飲みながら読書しているカフェに立ち寄り、ホットアップルティーを注文。運ばれてきたとき、治子から『今日は大雨だね。梅雨だからかな。』とメッセージが届く。降ってないと答えると、そっちは降って無いんだと返事。『ナオ大好きだよ。』ときたので、『急にどうしたの(笑)』と返せば、二分後に『なんでもないよ。』と届く。心配になって『大丈夫?』と送信したが、何分待っても既読はつかなかった。スマホで全国の雨雲レーダーを見てみると、関東あたりはかなり雨が降っているようだった。大学に来たら問い詰めようと思っていたがその後も学校に来ることはなかった。

 六月十九日、治子の家を訪ねると、母親から自殺したことを聞き、二人一緒に涙が枯れるまで泣いた。

 帰宅すると、治子から郵便物が届いていた。中には谷崎潤一郎の『痴人の愛』と太宰治の『人間失格』、三つ折りの手紙が入っていた。治子の手紙には、読書以外のことは全部苦痛に思えて生きづらかったが奈緒美と一緒なら楽しかったこと、一番はずっと奈緒美だけれど、いつまでも一緒ではいられないこと。奈緒美の一番になりたかったこと。何もできない自分は川に捨てて最後のお呪いをし、奈緒美は絶対素敵な大人になって長生きしてと応援していること、最後に今までのお礼と「世界一大好きだよ」の言葉で締めくくられていた。

 どうしたら彼女を死なせずにすんだのか、これまで送ってくれた小説の数々から『在りし日の歌』を取り出し、『春日狂想』を一文をなぞりながら、あのとき治子はなにに安心したのだろうと考え、意味がわかって本を閉じた。

 八年後。奈緒美は毎年、六月十三日から十九日まで東京を訪れては十三日に多摩川に、十四日から十八日は東京観光をし、十九日の桜桃忌には玉川上水の玉鹿石に花を添える。その後、花屋で花を買って治子の墓がある墓地へ足を運び、出版されたばかりの自分の詩集を亡き友へ朗読する。

 治子によく似た女性に詩を褒められ、一冊送る。その女性は五年前に作家だった大切な人をなくし、自分の作品を読み終わるまで真では駄目だと書かれていたので、死ぬために五年かけて読み終えたと話す。でも、奈緒美の詩を聞いて、彼が生きたがっていたイギリスなどにいって、いつか彼の元にいったときいろいろな土産話をしようと思うし、奈緒美の書いた本を全部読むまで死ねないと語った。

 一生かかっても読み終わらないくらいたくさん書きますねと奈緒美は約束する。

 奈緒美は治子へ、二度と不安にならないよう、今でも君が一番大好きだと伝えるのだった。


 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりは、現在の六月十九日、治子の墓前で出版された自作の詩を朗読する。

 ニ場の主人公の目的では十五年前の六月十四日、中学三年生の奈緒美は元気がなかった治子が元気になった理由はお呪いのおかげと知り、一年に一回だけできるから来年一緒にやろうと誘われる。

 二幕三場の最初の課題では、治子と一緒にお呪いのやり方を教わる。四場の重い課題では、てるてる坊主に自分の顔を書いて、治子と一緒に川へと流す。

 五場の状況の再整備の転換点では、人見知りが改善されて友達ができた奈緒美は、治子のお呪いの誘いを断ってしまう。以降、一緒に登校しなくなり、治子はいろんな男と付き合うようになっていく。

 六場の最大の課題では、大学生になってまた治子と仲良くなる。中原中也の詩集を誕生日にもらい、「『愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。』って本当だと思う?」と聞かれ本当じゃないと答える。作者は死んでいないし、悲しくても真ではいけないし、後追いしてほしくないと思っているはずと考えを述べる。治子は「ナオの考え好きだなー。安心した」と応えた。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、六月十三日に珍しく大学を休んだ治子から『ナオ大好きだよ』とメッセージをもらうも、そのご連絡が取れず、十九日になって自宅を訪ねて彼女が自殺したことを知る。その日に彼女から二冊の本と手紙が送れてきて、ナオの一番になりたかった、世界一大好きと綴られていた。これまで贈られてきた本を眺め、『春日狂想』から治子の思いを知って生きなければと思う。

 八場のエピローグでは、治子の墓前で詩の朗読をし終えると、同年代くらいの女性に素敵な詩ですねと話しかけられる。出版されたばかりだと一冊進呈する。その女性には五年前に亡くなった作家をしていた大切な人がいて、死ぬために五年かけて彼の作品を全部読んだところだが、詩を聞いて考えが変わり、奈緒美のファンになったという。一生読みきれないほど作品を書くと約束した奈緒美は、天国の治子には今でも君が一番大好きだ、と思いを伝えるのだった。


 プロローグの運び方が上手いと思う。

 冒頭は太宰治の桜桃忌から始まっている。

 本作は、太宰治に関連するようなお話だということを読者に伝えてから、誰か別の墓参りにでかけ、二冊の本を備える。

 その後の「拝啓 6月19日の君へ」は、主人公である奈緒美が朗読しているのかしらん。詩というよりは手紙のよう。実際、手紙かもしれない。

 物語の結論手前くらいが語られており、まだ名前は出てこないけれども、治子はなくなったことをすでに示唆している。

 描きたいのは自殺の話よりも、『愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。』の解釈から、中原中也は最期まで生きていたし、詩の中に死は描かれていないから、後追いをせず生きなくてはいけないし、自分は生きている。だけれども、一つだけわからないことがある。「教えて。君はどうして――――」から、物語が始まっていく。

 主人公は、なにを教えてほしいのだろうと、興味を持ってもらう書き方がされている。

 興味をそそられる導入の書き方がされていて良い。


 十五年前の六月十四日に遡って物語は始まる。

 同時中学三年生で、奈緒美は四月二十六日が誕生日なので、十五歳。現在の奈緒美の年齢は三十歳となる。

 中谷治子の人物描写を描くまでに、主人公の奈緒美とはどういう関係かを先に語り、現在はどんな状況なのかも読者に伝えている。

 なんとなく、医者に診てもらう前に様態を伝えるかのように感じる。前情報を先に教えることで、読者に関心を持ってもらってから本人を紹介させる。

 この描き方は非常に素晴らしい。

 奈緒美にとっても治子は特別な子なのが、この書き方で伝わってくる。

 二カ月も学校へ行くのが辛そうな様子をみて、「そろそろどうにかして元気づけてあげたいと思っている。気分転換に出かけるのはどうだろうか。どこに連れて行こう。プレゼントがいいかもしれない。何がいいだろう」にモヤッとした。

 奈緒美にとって特別な友達だと思う。

 どうして二カ月もほっといたの?

 普通は、数日変だと思ったら声はかけるし、なんとかしようと行動に移す。それをしていないのは、「幼稚園の頃からずっと一緒の、少し変わった女の子」だからだろう。

 変わっているから、どう扱っていいのか、親友でも測りかねていたのだろう。


「『これぞ治子』という顔で、十年間いつも見ていた顔で、約二カ月ぶりにみる顔だった」とあり、勝手に立ち直ったのをみて喜んでいる。

 心配は心を配ると書くことからわかるように、行動に移してはじめて心配しているといえる。

 たとえ毎日一緒に登校していたとしても、励ましの言葉をかけたり、今度一緒に遊びに行こうとさそったり、一緒に勉強しようとか、なにかしらの行動をしてきたのだろうか。奈緒美が二カ月していたのは心配ではなく、治子を気にしていただけではないか。

 このあたりの二人の温度差というか距離感が、最終的に治子を自殺へと選択させた要因だった気がする。


 日にちが十四日なので、治子はすでにお呪いをし終えている。

 このときにはすでに、てるてる坊主の中に自分の名前を書いていたのだろう。

 読書以外が苦手て、大好きな奈緒美と一緒にいるのが嬉しいし、安心する子。

 だから、奈緒美がいないと不安だし太宰治の『人間失格』や谷崎潤一郎の『痴人の愛』などを読んでいると、明日も生きていこうと思える活力は湧いてこない気がする。

 

 幼稚園の年長の時に、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が好きと応えたとき、「先生はとても驚いて、リアクションに困っていたのを覚えている」とあるけれど、蜘蛛の糸は子供で読みやすい。

 なにより今は、夏目漱石の『坊ちゃん』『吾輩は猫である』、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』『注文の多い料理店』、芥川龍之介の『クモの糸』などの日本文学を絵本で読むことができるので、好きと言っておどろくことでは無い気がする。


 治子が芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を好きだといったとき、奈緒美だけが否定しなかった。そのときから、治子の奈緒美が好きがはじまったのだろう。

 

 治子が日本近代文学を読むのが好きなのはかまわないのだけれども、彼女はどうやって幼稚園の頃から、それらの本を読むようになったのか。

 最初のきっかけは、親だろう。

 両親のどちらかが読書家で、小さいころから、それらの本が身近にあったから読めたのだろう。芥川龍之介の作品は短いのもあるので、読みやすいからいいけれども、子供が読むには早すぎる作品もあったはず。

 親は、治子の読書に関して、どう思っていたのかしらん。


 私が小中学生の時は、江戸川乱歩シリーズは全部読んでたし、夏目漱石や宮沢賢治などの作品や、三浦綾子の氷点やしろばんばなど、周りの子達が読まないような昔の文学作品を読んでいたので、治子の近代文学作品に傾倒する気持ちには、共感するところはある。


 誕生日に本を贈るのはいい。私もよく贈った覚えがある。


 治子の考えたお呪い、紙に書いて水に流すのは神社でもあるので、異様なことでは無いと考える。ただ治子は、太宰治の入水自殺にあやかっているため、彼女の行いからは死の香りがする。


 別の見方をすると、自分が嫌いだからと書いて水に流すのは、今までの自分を捨てて新たな自分になる、子供から大人への割礼の儀式も含んでいるのではと考える。


 現世では結ばれないから来世では一緒になるのを願って心中するので、治子のいう「二人だと心中みたいで素敵」「愛してる人と一緒に自殺すること」は、奈緒美と心中したいのではなく、心中した先にある、二人が一緒に生きていく世界を思い描いていたと思う。

 だから、「治子は慣れたようにスラスラと」こたえることができたのだ。治子は大好きな奈緒美と一緒にいることが大事だから。

 もし自分が自殺するとき、奈緒美もしてくれたら嬉しい気持ちもあったかもしれない。


 もし、毎年お呪いを一緒にしていたなら、治子は自殺をしなかったかもしれない。


「高三の六月。進路決定の時期なのに、治子が今までのように私の進路を聞いてくることもない」とあり、どこの大学を受けるのか知らなかったはず。なのに、二人は同じ大学に進学している。

 治子からは聞かれなかっただけで、奈緒美からは教えたかもしれない。それに、治子から近代文学作品の書籍を毎年誕生日に送られてきた影響もあって、治子が行きたいような大学を奈緒美は選ぶようになっていたとも考えられる。

 

『春日狂想』の詩の感想を聞くときの「治子のキラキラと輝く目と目が合った」表情は、お呪いを誘ったときの表情を同じだと推測する。

 

 治子が答えてほしい答えを考える奈緒美の様子から、二年間疎遠からまた仲良くなり、「ちょうどいい距離感」を壊したくない気持ちの現われなのだろう。

 それでも、「治子にだけは、いつも自分の思ったままのことを話していた」とことから、本音を伝えている。

 もし、治子の気落ちに寄り添えたのなら、「本当だと思う」といって、治子と心中することになったかもしれない。

 強い否定だったら、二人の距離感は壊れて絶望して自殺しただろう。

 恐れながら、といった具合に自分の考えを正直に伝えたから、治子も納得し、「解釈は人それぞれだし、本当かどうかは作者にしか分からない。でも私は、ナオの考え好きだなー。安心した」と奈緒美の考えを肯定してくれたのだろう。

 このころの治子は、すでに自殺することは決めていたと推測する。

「薄く目を細め、左右不均等に口角の上がった口から白い歯がのぞいている」治子の表情から、奈緒美は「――楽しいな」と思い、一番大好きだと気づくのだけれども、治子の中では、これまで思ってきた自殺願望を大学生のいまも認めたから、自殺することにしたのかもしれない。


 十三日に連絡が取れなくなってから十九日まで、奈緒美は治子を探そうとしていない。五日待っている。

 中学三年生の時に二カ月様子を見ていたときと同じ。

 ただし、今回は五日と早かった。

 奈緒美の中では、治子に対する距離感は、それだけ縮まっていたとみることができる。

 太宰治の自殺になぞらえているとはいえ、五日は遅い。

 大学は実家から出て、通っているのかしらん。

 それだったら、住んでるパートを訪ね、いつも一緒にいる彼氏から話を聞いて、それでも行方がわからなかったから、治子の実家を訪ねたのかもしれない。

 それだったら頷けるけれど、「五日待った私はもう待てなかった」とあるので、そうではないのだろう。


 てるてる坊主に書くときもそうだったけれど、母親が「奈緒美ちゃん、あのね、治子は――――」といたあと、詳しく説明しない書き方は、いいなと思う。

 省略することでテンポよく話を進め、読者に想像させ、深みを増している。

「確かに治子はふらっといなくなってしまいそうな不思議な子だった。けどいざそうなると現実味はなくて、治子からメッセージが来ているのではないかと何度もアプリを開いてしまう」けっして、死んだ、自殺したとは書かない。

 そうしておいてから本人からの手紙で、「私、死んじゃった。びっくりしたでしょ。ごめんね」とあっけらかんとした書き方で発表される。

 そのせいなのか、この手紙から現実味を感じる。

 ようやく治子の本音というか、素の彼女が見えてきた。


 治子は「読書以外のことは全部苦痛に近くて、正直生きづらかった。でもナオのためなら色々なことを頑張れたんだ。ナオが一緒なら、何でも楽しかったんだ」から、役立たずな自分をお呪いで川に流すことで、大好きな奈緒美の命を永らえさせる事ができて、嬉しかったのだろう。

 それ以外に、自分の命を使う術が思いつかなかったのだ。

 しかも、中原中也の『春日狂想』の詩から、奈緒美なら後追い自殺はしないとわかっていたから自殺できたのだろう。

 

 奈緒美はどうすればよかったのか。

 治子が好きだとか親友だとか思っていても、行動ができなかったところに原因があると考える。

 いい例として、いろんな男と付き合っていた高校時代の治子に周りの友達から「まじうざいよねー。ねぇ、奈緒美?」といわれて、「…………うん、そうだね」と奈緒美は流された返事をしている。

 いいにくいかもしれないけれど、友達なら自分の意見をいわないとだめだろう。うざいと思っているなら、つぎつぎ男と付き合う治子に注意するばいい。うざくないなら、話しかけてきた友達に否定すればいい。

 その場を取り繕いながら、思うだけ、言葉だけだった。

 そんな態度をしておいて、どうすればよかっただろうと悩むことだろうか。

 救いたかったのなら、彼女をグイグイ引っ張っていく行動力が必要だった。

 その行動力がようやく開花して、作家になったのだろう。


 墓前で詩の朗読をし終えたとき、「――素敵な詩ですね」と見ず知らずの女性が声をかけてくる。

 なかなかできることではない。

 第三者視点で思う浮かべると、墓場で一人声を上げてなにか読んでいる情景は、軽いホラーのような怖さを感じる。

 お経かなと思ったら違うし、「素敵な詩」といっているけれど、治子にあてた手紙文みたいなので、邪魔しちゃ悪いかなと普通なら思う。顔なじみでない限り、声をかけづらい。

 声をかけることができたのは、奈緒美と同じように大切な人をなくした人だったから。

 波長が合ったのだろう。


 死のうと考えていた彼女に「そんな! 考え直してください!」と大きな声を上げる奈緒美。

 治子に一番いいたかった言葉だっただろう。


 同い年くらいの女性で、「あなたが親友に似ていたのでつい」と奈緒美のセリフにもあるように、治子に似ていた。

 つまり、治子のかわりとして見ず知らずの女性は登場しているのだ。

 そんな彼女は「私、もうあなたのファンになってしまいました」「あなたが書いた本を全て読むまでは、死ねません」と口にする。

 治子にあてた手紙には、「もし君が生まれ変わったら、沢山私の本を読んで育って欲しいです」「もし君が生まれ変わらずに、私が死ぬのを待っていてくれるのなら、天国で私の本を読んでくれていますか? 詩を読む私の声を聞いてくれていますか?」と書かれていて、その返事をしてくれているみたいに思える。

 

 本作には、朗読した奈緒美の詩は書かれていない。

 どんな詩だったのだろう。

 最後に、治子に宛てた手紙は、自殺した後に届いた手紙に対する返事の手紙だと思う。実際に書いたのではなく、奈緒美の心の中にあるのかもしれない。


 奈緒美は作家になったとあり、詩集を出している。詩人として作家になったのかしらん。それとも、詩集も出すけれども小説も書く作家なのか。その辺りがわからない。

 けれども、読み終わってタイトルが『6月19日の君へ』となっており、詩集と同じタイトルをしている。

 詩集の内容はおそらく、本作に書かれてきた治子との思い出を綴ったものなのだろう。詩だけでなく小説も書いたら、治子は喜んでよんでくれるにちがいない。なぜなら、一番大好きな人が書いたものだから。


 本作は、限られた字数の中で二人の関係がよく描けている。

 欲をいえば、治子と奈緒美の背景や心情をもっと深く描けていたら、作品により深く堪能できる気がする。

 治子の不安がふわっとしていて、そうなんだねという印象。

 とくに奈緒美。お呪いの誘いを断った以外、奈緒美は後半ずっと受け身でいる。連絡が取れなくなって五日して行動するところは、中学時代よりは積極的になっているのだけれども、二十一歳の年相応の行動が描けているかどうか。

 治子が好きだといている奈緒美は、自分から好きだと行動をしているのかしらん。いつも聞かれて答えているだけなので、「治子は私にとって1番大切な親友だと思う」と書かれてあっても、そう思えない。桜桃忌に合わせるあまり、違和感を感じてしまう。

 治子を好きな理由は、一緒にいて楽しいだけだったのだろうか。

 治子の奈緒美が好きはすっごくわかるだけに、奈緒美の気持ちがわかりづらいのがもどかしい。


 

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